すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「砂時計サナトリウム」 ブルーノ・シュルツ (ポーランド) 「シュルツ全小説」(平凡社 文庫本)
※2005年11月、「肉桂色の店」も「砂時計サナトリウム」も収録された「シュルツ全小説」が発売され、廉価で読むことができるようになりました!

ブルーノ・シュルツ(1892年〜1942年)の第二短篇集。
書物/天才的な時代/春/七月の夜/父の消防入り/第二の秋/死んだ季節/砂時計サナトリウム/ドド/エジオ/年金暮らし/孤独/父の最後の逃亡
にえ 肉桂色の店」に続く、ブルーノ・シュルツの第二短篇集です。
すみ 「肉桂色の店」は連作短編だったけど、こちらは作品ごとに独立しているよね。
にえ とはいえ、父親のヤクブ、息子で語り手のユーゼフ、母親、兄と姉、女中のアデラはときおり登場するし、この人たちの人間関係や、この家庭の特殊性については、わかった上で読むような感じになってるから、「肉桂色の店」の続きとも言えるような。
すみ そうだね。第二短篇集として出版されたというだけで、収録されている作品は、書かれたのが「肉桂色の店」に収録された作品の後とは限らないみたいだから。
にえ でも、「肉桂色の店」よりも幻想色は濃くなってるよね。現実の出来事ではない、創作とわかる作品も多く含まれていたし。
すみ 「肉桂色の店」ですっかり信用してしまったせいか、こちらでは書いてあることについて行けなくなりかけたりしても、あまり気にせず、ゆったりと文章を味わいながら読み進められたな〜。
にえ 良いことか悪いことかわからないけど、私はちょっと余裕が出たのか、この人は季節にものすごくこだわる作家さんなんだな〜とか、苦労したはずの母のことより、父を庇うような書き方をしてあるのは、現実の生活でみんなが、お母さんは大変だね、偉いね、みたいなことばかり言ってたからなのかなとか、そんなこともチラチラ考えたりしながら読んだかな。
すみ 一度じゃすべてを読み取れなかったって気がするな。何年後かにもう一度、ゆっくり読み返したい。そのときには美しさに、そしてもしかしたら残酷さや鋭さなんかにも、あらためて驚かされそう。
<書物>
父は私に聖書を渡した。私は、あの「書物」をどこへやったの、と父を責めた。私は掃除中のアデラと話すうち、その「書物」を意外な形で見つけることとなった。
にえ 観念的存在のようだった「書物」がはっきりと形をなしたとき、ちょっと驚いてしまった。でも、それがそのまま「書物」ということではなくて、それもまた象徴というか、とにかく、本は「本物」となるところをめざすものなのよ。とわけのわからないことを言ってますが(笑)、印象的な文が多く含まれていた短編でした。いくつかメモしておきたくなったな。
<天才的な時代>
毎年の恒例行事のように、春になると、トビアシュの息子、シュロマが監獄から出てきた。一人で留守番をしていた私はシュロマを家に招き入れ、自分の描いた絵を見せた。
すみ 「本物」を見つけたことをシュロマに教えたいユーゼフ、でも、シュロマの見つけたものは・・・。
<春>
その春の夜、父とレストランでの食事を終え、帰りに立ち寄った菓子屋で、私は初めてビアンカを見た。ビアンカは、白いドレスに小麦色の肌が美しく映える娘だった。そして、同じ春、私はルドルフに見せてもらった切手帳に夢中になり、フランツ・ヨーゼフ一世の偉大さを知った。
にえ エキゾチックな雰囲気のある美少女、蝋人形館のヨーゼフ一世像、お膳立てが揃えば、あとは幻想世界へ入っていくだけ。
<七月の夜>
ギンナジウムの卒業試験を終えた夏、姉の産んだ赤ん坊と乳母に占領された家を抜け出し、私は夏の夜に魅了された。
すみ ヨーゼフの家は、父の狂気に始まって、常に狂気への不安のようなものが漂うのだけれど、この短編に出てくる兄もまた、そんな不安を予感させるの。
<父の消防入り>
10月の初め、避暑地から戻ってきた私たちを出迎えた父は、アデラのくすぐり攻撃に備えるため、甲冑を身に纏っていた。アデラは、父が大事な木苺のシロップを消防団の連中にあげてしまうので怒っていたのだ。
にえ これは珍しくユーモラスで、明るく活気ある情景が描かれた作品。短くとも鮮やかでした。
<第二の秋>
父が取り組んだ学術研究のなかで、もっとも気に入っていたのは、比較気象学だった。
すみ 父親のヤクブは、狂気に取り憑かれていない時には、「父の消防入り」のようにユーモアも勇気もあり、そして学術的でもあったのね。そして、書いた原稿を家族に読んでくれた父、その晴れがましさはユーゼフの胸に深く刻み込まれたのでしょう。
<死んだ季節>
真夏の午前5時、すでに陽光のあふれるこの時刻に、父は帳簿を抱え込み、1階の店に降りていく。
にえ 暑いさなか、帳簿を調べ、百姓をからかう店員たちを叱り、商用の手紙を書き、訪れた人に会う。父の働く姿もまたユーゼフには、クッキリとした記憶として残っているのね。
<砂時計サナトリウム>
私は汽車に乗り、父を預けたドクトル・ゴダールのサナトリウムに向かった。サナトリウムでは、人々は時を選ばず睡眠をむさぼる。そのサナトリウムで、父は重病でベッドに横たわり、そして町で小さいが繁盛している生地店を開いていた。
すみ 季節にこだわるこの作者が、旅というのに季節を表さない。なぜなら・・・。哀しく美しく、そして怖ろしくもある幻想世界だった。
<ドド>
いとこのドドは子供の頃に重い脳の病を患って、ごく近いこと以外の記憶は、すべて消えてしまうようだった。そして、ドドの父も・・・。
にえ ユーゼフの父方のほうの親戚なのかな。狂気はこの一族にまとわりついて離れないみたい。
<エジオ>
同じアパートの同じ階に住むエジオは、若くて丈夫な体を持ちながらも、脚が悪いために、働くことなく日々を過ごしていた。
すみ アデラはエジオに性的な恐怖を抱いている、のかしら。それとも、ユーゼフがアデラとエジオにそれを感じているだけなのかしら。
<年金暮らし>
年金暮らしの私は、ときに、もとの職場へ顔を出し、楽しい時を過ごしていた。ところが所長が替わってしまうと、それもできなくなってしまった。私は小学校へ再入学することにした。
にえ 老人が子供たちに混じって小学校に通うという不思議な設定の幻想もの。彼を吸いとったのは孤独なのかしら。
<孤独>
ずっと部屋から出ることができなかった私は、ようやく街へ出ることができるようになった。
すみ これはテーブル、カーテン、鏡、と部屋の描写を介して語られる、ごく短い作品。
<父の最後の逃亡>
父は亡くなり、アデラはアメリカに発った。街に出た母は戻ってくると、入り口の階段で父を見つけたと言った。それは大きなサソリだった。
にえ これはカフカの「変身」をどうしても連想してしまうけど、もっとグロテスクで、最後には引きつり笑いをしてしまいそうになるような作品だった。