すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ナターシャ」 デイヴィッド・ベズモーズギス (ラトヴィア→カナダ)  <新潮社 クレストブックス> 【Amazon】
旧ソヴィエト連邦ラトヴィア共和国を脱出し、カナダに移住したユダヤ人家族、父ロマン、母ベーラ、息子マークのバーマン一家を中心とした連作短篇小説7編。
タプカ/マッサージ療法士ロマン・バーマン/世界で二番目に強い男/思い出を偲ぶ場でケダモノのように/ナターシャ/
コインスキー/ミニヤン
にえ 著者のデイヴィッド・ベズモーズギスは1973年に旧ソヴィエト連邦ラトヴィア共和国で生まれ、1980年に一家でカナダのトロントに移り住んだユダヤ人作家で、本書がデビュー作だそうです。
すみ 表題作の「ナターシャ」は、「2005年度版ベスト・アメリカン・ショートストーリーズ」に選出されているっていうから、そうとう認められてる若手作家と見ていいよね。
にえ だよね。ちなみに2005年度版の編者はマイケル・シェイボンだそうで、巻末解説でそれを知ったときには、うわ〜、たしかにシェイボンの好みかも〜、と思ってしまった(笑)
すみ 言葉選び、簡潔な文章でここぞってところを強く印象づける巧さは、翻訳文でも充分伝わってきたよね。
にえ うん。それにもちろん内容も良かった。ただし、落ち込んでいるときとか、あんまり精神状態が良くないときは避けたほうがいいかもしれない、引きずり込まれてしまうかも。
すみ まあね、けっこうドスンと来るよね。大きくドスンと来るならまだしも、個人レベルの小さいドスンが後を引く感じだから、つらいときに読むと、いっそうつらい気持ちになりそう。
にえ で、内容としてはラトヴィアからカナダに移住してきたユダヤ人一家に起きた出来事を綴る連作短篇集ってことで、著者自身の経験をかなり色濃く反映した話のようだよね。
すみ 旧ソヴィエト連邦から脱出したユダヤ人の血が入った作家というと、セルゲイ・ドナートヴィチ・ドヴラートフを思い出すけど、つらい経験をノホホンとしたユーモアに転化したセルゲイの作品と違って、かなりストレートだよね。
にえ 子供の頃に移住して、その移住後を書いた短篇集ってことで、私はウィリアム・サロイヤン「わが名はアラム」を連想したんだけど、あれもやっぱりつらいことだらけだっただろう生活をユーモラスに描いていたよね。今の時代だと、移民ものはこういうストレートな書き方のほうが主流なのかな〜なんて思いながら読んだんだけど。
すみ ただストレートっていうのとも違うけどね。素直に気持ちが伝わってくるんだけど、文章はとても洗練されていて、メソメソっとはしていないの。そういう湿り気のないところがとても現代的で、でも、個々の感情をしっかりくみとっている優しさが、一時代の「クールでスタイリッシュ」なんて形容されていた作品群とも違っていて、うん、やっぱりこれは評価も高くなるよ。 私たち的にもオススメでしょう。
<タプカ>
1980年3月、トロントのチャールズ・H・ベスト小学校に編入したマーク(マルク)は、夜になると従姉のヤナ、そして両親と一緒にカレッジの英語クラスへ通った。 そこで知り合ったミーシャとリタのナフモフスキー夫妻は、タプカという犬を飼っていた。タプカのかわいらしさにすっかり魅了されたマークは、ヤナとともにタプカの世話を任された。
にえ これは7才ぐらいの時の切なく哀しい思い出を綴ったような短編。こういう痛みを伴う経験は、子供の頃にだれしも一度はしているんじゃないかな。
すみ 違うところはマーク少年がロシア移民であり、ユダヤ人であるということで二重に差別される立場だってことだよね。一家の暮らしも厳しそうだし。それにしても、客観的に読めずに胸がズキズキしてくるようなお話だった。
<マッサージ療法士ロマン・バーマン>
チョコレート工場で働く父ロマンは、ラトヴィアではスポーツ省を辞めたあとサナトリウムのマッサージ師として働いていた。カナダでマッサージ師になるためには試験を受け、協会から免許証を発行してもらわねばならない。 必死の勉強の末、ぶじに免許を取得してマッサージ治療院をはじめたロマンを待っていたのは、客集めの難しさだった。
にえ ようやくお父さんがマッサージ治療院を開いたんだけど、前途多難。そんなとき、ドクター・コーンブルームって人から一家で招待を受けるんだけど・・・これも痛かったなあ。
<世界で二番目に強い男>
1983年冬、トロントで行われることになった世界重量挙げ選手権で、ロマンは審査員を務めることになった。ラトヴィアを離れる前の5年間、ロマンは副業としてボディービルのクラスを開いていた。 そこで見つけた重量挙げの天才セルゲイ・フェデレンコも、世界重量挙げ選手権に参加することを知ったロマンとマークは、久しぶりの再会を楽しみにした。
すみ これはラトヴィア時代の知人に会えるということで、一家のラトヴィアでの暮らしがちょっと垣間見えるお話。一家は父親の仕事がうまくいっていなくて、母親がノイローゼで病院に運びこまれたりしているという、一番つらいとき。
にえ 幼い頃に憧れていた人に久しぶりにあって、この人、こんなに小さかったっけ、と驚いたり、ちょっとはにかんだりするマークに共感してしまうよね。その合間、合間にも、ラトヴィアのどす黒いものが見え隠れするんだけど。
<思い出を偲ぶ場でケダモノのように>
マークがヘブライ学校の7年生になる頃、一家はアパートを出て、二階建て住宅に移り住んでいた。マークはヘブライ学校を辞めて、普通の公立校に行きたかったが、断固とした母の反対で、希望は叶えられなかった。 学校で友達もいないマークは、暴行事件を起こして停学処分を食らったが、学校に戻った「ホロコースト記念日」に、また騒ぎを起こしてしまった。
すみ 居たくもないヘブライ学校で、クサクサしているうちに問題児となるマーク。この世代だと、ユダヤ人であることをあらためて知る必要があるのかもしれない、なんてことを思ったりもしたかな。
<ナターシャ>
16才になったマークは、一家が越した新しい家の地下室で好き勝手に過ごし、マリファナの運び屋のようなことをして小遣いを得ていた。 その春、大叔父のフィーマが二番めの妻を娶った。ジーナというその女性には、14才の娘がいた。娘ナターシャとジーナは仲が悪く、ナターシャはジーナのことを娼婦呼ばわりするほどだった。
にえ ナターシャは14才だけど、斜に構えたクールな女の子。家庭に対しても、セックスに対しても冷めた考え方で、マークは押され気味。
すみ 16才の少年にそれを望むのは酷かもしれないけど、もう少しナターシャのクールな態度の奥にあるものを見てあげられていたらねえ。 でもやっぱり16才の男の子には無理か。切ないなあ。
<コインスキー>
祖母の病気は今や両方の腎臓と膵臓にまで広がっていた。余命いくばくもないことは明らかだったが、医者に待っていてもしかたがないと言われ、マークは予定通り、チャーリー・デイヴィスに会いに行くことにした。 マークは偉大なユダヤ人ヘヴィーボクサーだったジョー・コインスキーについて調べており、チャーリー・デイヴィスはジョー・コインスキーのことを非常によく知っている人物だった。
にえ いつ亡くなるかわからない祖母、ボクサーのジョー・コインスキーをきっかけとして、チャーリー・デイヴィスとその息子の関係を垣間見ることになるマーク。親しい人が死ぬということと、雪の降る景色が重なって、美しくも悲しいお話だった。
<ミニヤン>
祖母が死んだあと、祖父はブナイブリス(ユダヤ人国際結社)が所有するアパートに移り住んだ。そこにはハーシェルとイツィクという二人の男が一つの部屋で仲良く暮らしていた。 他のアパートの住人はその二人をホモのカップルではないかと疑っていた。
すみ これは最後にはズキリ、そして爽快な気持ちで読み終えられた、ラストにふさわしいお話だった。それにしても、ユダヤ人のなかでもユダヤ教というのが絶対ではなくなってきている時代なのねえ、とシミジミ。でも、このお話にでてくるようなラビがいてくれれば、まだ大丈夫なのかもしれない。