すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「わが名はアラム」 ウィリアム・サロイヤン (アメリカ)  <晶文社 単行本> 【Amazon】
カリフォルニア州フレズノの町、アルメニア人の両親を持つアラムは祖父や伯父母、叔父母、いとこなどを 含めた大家族のなかで暮らしていた。そんなアラム少年のおかしくも、ときとしてせつない14の物語。
にえ これはスンゴイ、スンゴイよかったよね〜。きっと私にとって、一生心に残りつづ ける本になるだろうな。
すみ うん、サローヤンはず〜っと前に「ママ・アイ・ラブ・ユー」と「パパ・ユーア・クレージー」 を読んでたんだけど、あんまり記憶に残ってなかったの。「わが名をアラム」を読んで、これほど希有な作家の本を、なんと私は浅くしか 読んでなかったんだろうと、あらためて反省してしまったよ。
にえ この本は、おそらくは脚色ももちろんあるんだろうけど、サローヤン自身の幼い頃の 体験をもとに書かれてるんだよね。ひとつひとつの出来事を短編小説として読んでいくと、どんどんサローヤンが好きになるし、 どれほどサローヤンという作家が特別な人か、わかってくるようだったよね。
すみ 滑稽な家族たちがユーモラスに描かれていて、それでいてアルメニアからアメリカに渡ってきた 人々の悲哀もじんわりと伝わってきて、なんともたまらなかったよね。
にえ 滑稽な個性を尊重しあうような傾向のある、心地よい家族関係のありかたとか、肩の力が抜けてて、 じんわりとやさしく切ないユーモアの感覚とか、読んでるあいだ、セルゲイ・ドナートヴィチ・ドヴラートフの「わが家の人びと」に 似てるな〜と思ったの。で、あとで気づいたんだけど、サローヤンの両親はアルメニア人、セルゲイの母親もアルメニア人なのよね。たぶん、もとから 似てたうえに、同じアルメニア系ってことでセルゲイがこの本を読んで、多少なりとも影響を受けたんじゃないかな〜。
すみ この本が好きな方には、ぜひセルゲイの「わが家の人びと」もお試しいただきたいよね。 アルメニア人がサローヤンやセルゲイみたいな人ばかりだとしたら、私は、世界中が全員アルメニア人だったらいいのにって 本気で思っちゃう。
<美しき白馬の夏>
ガロオラニアン家は驚くほど貧乏だが、正直で有名な一族だった。ところが、アラムが九つのとき、 いとこのムーラッドがどこかから馬を連れてきた。ムーラッドは盗んだのではなく、借りてきただけだと言う。
にえ やったこともないことでも、何でも自分にはできると信じ切っちゃうアラムの おとぼけぶりと、なかなかこすっからいところのあるムーラッドの対比がおもしろかったよね。
すみ 泥棒だって大騒ぎになりそうな状況なのに、なんの問題もなく、むしろ 良い出来事ってことになってしまうところがこの家族のいいところだよね〜。
<ハンフォードへの旅>
叔父のジョーキは弦楽器のジサを弾いてばかりの怠け者。そのジョーキがスイカの収穫を手伝う出稼ぎに 行く日が来た。おじいさんは今年、アラムをジョーキと一緒に行かせることにした。
にえ 誰がどう見てもダメ人間のジョーキと、ジョーキなんかいないほうが言いながら、 だれよりもジョーキを愛しているおじいさんの関係がよかったよね。
すみ うまいこと裏で手をまわして、孫をかばうおばあさんは、全世界共通じゃないのかな。 なにげに、愚かな男たちのなかで、おばあさんの存在が光ってた。
<ザクロ>
メリクおじさんは砂漠の土地を買い、サボテンを引っこ抜いて果樹園を作ることにした。果樹園が完成して、 果実の収穫があるまでは、メリクおじさんとアラムだけの秘密だ。おじさんはアラムと相談して、まずはザクロ を植えることにした。
にえ メリクおじさんみたいな人っているよね、農業の才能も商売の才能もないのに、 いきなり砂漠に果樹園を造ろうとして、どうするんだいって感じなんだけど、本人はいたって本気。
すみ これもひとつの男のロマンでしょう。なんだかんだ言っても、こういう 人が一番愛せるな〜。
<わが未来の詩人>
エマースン小学校に学務局が調査に来た。細民街の貧しい子供たちが健康な理由を探るため、厳重な 身体検査を施行しようというのだった。
にえ 貧乏人の子供たちだからかわいそうなんて思ったら大間違い、情緒的にとっても 豊かな生活をしてるのよね。それを型にはめて考えようとすると、こういうことになっちゃう。
すみ それにしても、アラムは15人中14番めに頭の良い子で、才能があるから将来は 詩人になる宿命らしい。根拠はないけど、自信満々なところがなんとも愛らしいのよね。
<五十ヤードの競走>
十二歳のアラムは、「話の宝船」という雑誌に載っていたクーポンを同封して、ライオネル・ストロングフォードに 手紙を出した。ストロングフォード氏はすぐに返事をくれた。お金さえ払えば、アラムも自分と同じぐらい逞しい男になれるという。
にえ アラムは体も鍛えたいみたいだけど、結局、鍛錬しても長続きはしないみたい。 それでも、自分がだれよりも速く走れるって信じてるんだよね。
すみ 少年雑誌のうしろの、簡単に立派な体になれますよって広告、どうしても お金を工面してストロングフォード氏のようになりたいと思っちゃうアラム少年、これは誰しも身に覚えがあって、 ニンマリしちゃう話じゃないかな。
<恋の詩に彩られた美しくも古めかしきロマンス>
教室の黒板に、担任教師のミス・ダフニーと教頭のデリンジャー先生の仲をからかう落書きがしてあった。 やったのはいとこのアラクなのに、こういう時に疑われるのはいつもアラムだった。
にえ なんとも素敵な笑顔で、悪いことしてても見逃されちゃうアラク少年、 こういう子もどこかで見たようなって気がするよね。
すみ それよりも、悪いことしてなくても、おまえが犯人だろうって言われちゃう アラムのほうに、共感する人が多いんじゃないかな〜(笑)
<雄弁家、いとこディクラン>
二十年前、サノーキン平野のアルメニア人たちは雄弁が最も偉大で高尚な芸術だと考えられていた。 いとこのディクランは十一歳、一族きっての雄弁家だった。いつもはなにかとケチをつけるおじいさんも、 ディクランの演説には聞き入っていたが。
にえ 頭が固くて理解力がないのかって疑いたくなるほど、だれにたいしても一貫してバカ扱いですませちゃう おじいさんが、最後に哲学的なことを言ってハッとさせられたね。
すみ 88歳の老人と、11歳の少年の経験の差は大きいよ。やっぱり お年寄りは偉大だな。
<長老派教会合唱隊>
アラムと友人のパンドロは、独り暮らしの老女バライファル嬢に呼び止められ、交渉の末にお小遣いをもらって 長老派教会の合唱隊で歌うことになった。
にえ うまいことお小遣いを稼ごうとして、必死で交渉するアラムとパンドロ、 なんとか安く手を打とうとするバライファル嬢、表面的には小銭をめぐる攻防戦だけど、そういうことも含めて アラムやパンドロと話がしたい孤独なパライファル嬢の思いも透けて見えるね。
すみ なかなかしたたかだけど、でも礼儀正しくってズルはしないアラムと パンドロがなんとも憎たら可愛かった(笑)
<サーカス>
サーカスが町にやってくると、アラムと友人のジョーイ・レナは不良になる。学校をさぼってサーカスが やってくるときから去っていくときまで見て、ドースン先生に鞭で打たれるのだ。
にえ 本当は鞭打ちなんてしたくないのに、教育のためには鞭打ちをしなくちゃいけない ドースン先生と、ドースン先生の気持ちがわかってて、なんとか協力的に鞭打たれようとするアラムとジョーイの関係が よかったな。
すみ サーカスって、単なる見世物じゃなくて、来るときから去っていくまでの すべてが子供たちには魅力なんだろうね。子供たちが旅行とかあまりできない時代に、旅をしながら暮らすサーカス団っていうのは 一種、カリスマ的な魅力みたいなものまであって。
<三人の泳ぐ少年とエール大学出身の食料品屋>
アラムといとこのムーラッド、ポルトガル人少年ジョーの三人は、水冷たい四月、川に泳ぎに行った。 泥の川で少しだけ泳いだあと、近くの食料品屋に逃げ込んだ三人が出会ったのは、エール大学出身だという 不思議なおじさんの店主だった。
にえ アラムたちがなにを言っても、どうにもおかしな譬えをして、褒めちぎって くれる店主は、あとでよくよく考えてみると、人生じたいが詩人みたいな人だったのよね。
すみ それにしても、教室ではただの愚か者、そとでは賢く、思いやりあふれて同級生でも 尊敬したくなるような少年になるジョー、この子もなんだか懐かしかった。
<オジブウェイ族、機関車三十八号>
ある日、オジブウェイ族の若いインディアンがロバに乗って町にやってきた。機関車三十八号と名乗る その男をみんなは頭がおかしいと思っていたが、なぜかアラムだけは友達になった。機関車三十八号は ロバが死んだので、最高級の自動車を買うという。さっそくアラムは運転手になりたいと申し出た。
にえ なんでも出来るって言い張るアラムは、とうとう乗ったこともないのに自動車の運転が出来ると言い張って、 運転手になっちゃいます。
すみ インディアンで、バカのふりをしているけど本当は賢くて、貧乏なふりをしているけど 本当は金持ちで、ふらっと現れ、ふらっと消えちゃう機関車三十八号さん。なんとも粋な人だねえ。
<アメリカ旅行者への田舎者の忠告>
メリクおじさんがニューヨークまで旅に出ることになったので、ガロ老人は汽車の旅の心得を伝授しようと やってきた。ガロ老人の忠告を守ろうとするメリクおじさんだったが。
にえ 田舎者で、おそらくず〜っと昔に一回だけニューヨークに行ったことがある ガロ老人の忠告は、なんだか経験に基づき過ぎているんだけど、はたしてメリクおじさんの役に立つんでしょうか。
すみ メリクおじさんは忠告にきっちり従いながらも、うまく応用を利かせるのよね。 さすがこういう家族のなかで暮らしてる人たちは柔軟性があるわ〜。
<哀れ、燃える熱情秘めしアラビア人>
アラムの伯父のホースローヴは、どんなことにでも何かひとこと文句を言わなければ気がすまない性格 だったので、みんなから避けられていた。そんなホースローヴおじさんに同じ六十歳過ぎのアラビア人の友達ができた。
にえ ほとんどしゃべらないホースローヴ伯父さんと、同じくほとんど話をしない 小柄なアラビア人、老人どうしの不思議な友情の物語だよね。
すみ まさに、心と心でわかりあう仲だよね。おまけに、ホースローヴ伯父さんの わずかな挙動ですべてを知るアラムのお母さんがスゴイ!
<神を嘲けるものにあたえる言葉>
おじさんのリコはアラムに、こんな小さな町にいてはだめだ、ニューヨークに行けと言った。ニューヨークに 向かうバスがソルトレイクで留まると、アラムは牧師を名乗る男に話しかけられた。
にえ とうとうアラムはフレズノの町を旅立ってしまいます。こんなに素敵な町なのに、 少年にはやっぱり大都会で羽ばたこうと努力しなければならない日が来るのね。
すみ ニューヨークで暮らして、いつか振り返ったとき、フレズノの町は前より 輝いて見えるんだろうな。そしてこういう素敵な小説が生まれるのよね。読み終わったあと、あまりの余韻にしばらくボ〜っとしてしまった。ぜったい読むべき本でした。
 ■■ 私たちの会話では、耳慣れた「サローヤン」というカタカナ表記にさせていただきましたが、 私たちの読んだ清水俊二さん訳では、著者の表記が「ウィリアム・サロイヤン」となっています。清水さんはこの本を和訳出版するに あたり、1941年にサローヤンのお友達の方のつてをたどってサローヤン直々に翻訳権を得るというご苦労をなさってまで 本書を日本に紹介しようと努力された方で、それを思えば私たちも清水さんに敬意を表して「サロイヤン」と呼ぶべきところですが、 やはり一般的な通り名のほうがわかりやすいと思い、「サローヤン」にしました。でも、清水さんをないがしろにしたようで心苦しいので、 ここでお詫びをさせていただきます。それにしても、翻訳本っていろんな方の手を通って私たちのもとに届いてるんですよね。翻訳本はあたたかいです。感謝、感謝。  すみ&にえ