すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「故郷」 パヴェーゼ (イタリア)  <岩波書店 文庫本> 【Amazon】
放火犯と間違えられて投獄されたというタリーノは、刑務所でさえ持て余すような間抜けだったために出所できた。 車で人を轢いてしまったために投獄されていた機械工のベルトは、タリーノと同じ日に釈放されたが、間抜けなタリーノと共に行動するつもりはなかった。 しかし、トリーノの町で暮らせるあてもなく、タリーノは自分の故郷モンティチェッロなら、機械工の仕事があるとしつこく誘ってくる。しかたなくベルトはタリーノとモンティチェッロへ行くことにした。
にえ これは、ヴィットリーニ「シチリアでの会話」と並び、イタリアのネオレアリズモ文学の原点と言われている作品です。
すみ 「シチリアでの会話」を読んだときには、こっちを読んでないことに気づいて焦ったけど、これでようやくネオレアリズモ文学の双頭を読むことができたってことになるね。一安心。
にえ いや、でも、巻末の解説を読んだでしょ。双頭ではなくて、この2作品の下にカルヴィーノの「蜘蛛の巣の小径」があって、そこまで読んで、ようやく三角形が完成されるのよ。
すみ はっ、カルヴィーノはちょこちょこ読んでるけど、肝心の「蜘蛛の巣の小径」をまだ読んでない・・・。ちなみに蛇足ですが、この作品、福武書店版の邦題は「くもの巣の小道」、白夜書房版の邦題は「蜘蛛の巣の小道」。「蜘蛛の巣の小径」というタイトル本は見つけられなかったのだけれど。
にえ そんなことにこだわっている場合じゃないでしょ。私たちはまだ終わりじゃな〜いっ(笑)
すみ なんてこったい(笑) でもさあ、焦って読んだこの「故郷」がおもしろかったから、得した気分だよね。
にえ うん、想像していたものとはかなり違ってた。こんな怖い小説だとは思わなかったな〜。
すみ 怖かったよね。ギャーって感じじゃなくて、なんか得体の知れない人物に対する恐怖がジワジワーっと迫ってくるの。
にえ 語り手である主人公のベルトが自分の生まれ育った都会の町トリーノから閉ざされた寒村モンティチェッロに連れて行かれるでしょ。だから最終的には、逃げられない〜って息苦しいところまで行くのかと思ったら、それはなかったけどね。
すみ 閉塞的な恐怖は嫌いだな。この小説のようなジンワリとした、苦い後味の恐怖は好き。
にえ 話はベルトがタリーノと一緒に刑務所を出るところから始まるのよね。ベルトは田舎者で間抜けなタリーノと一緒にいたくなくて、なんとか振り切ろうとするんだけど、タリーノは父親が怖いから、どうしても一緒に自分の故郷モンティチェッロに一緒に帰ってくれと言ってきかないの。
すみ タリーノは刑務所時代から間抜けな持て余し者、ベルトはそんなタリーノにうんざりしていて、軽くあしらって終わりにしようとするけど、別の事情でそうも行かなくなるのよね。
にえ けっきょく行くことになるけど、モンティチェッロはかなり奥まったところにあるの。乳房のような丘の麓にあるって表現がとても印象的だった。
すみ タリーノとモンティチェッロまでの旅を一緒にするうちに、あれ? と思うことがあるんだけどね。
にえ その思いは、モンティチェッロに着くと、ますます強まるよね。世間知らずの田舎者で、なにをやってもダメな間抜け男、タリーノは本当にそんな人物なのか、それともそう見せているだけなのか。
すみ 待っていたタリーノの家族は、父と母、それに2人の姉と2人の妹、そしてその子供。ベルトは末娘のジゼッラに恋心を抱くのよね。
にえ でも、待っていたのはタリーノの家族だけじゃないの。火をつけたタリーノに復讐していると待ちかまえているらしき男がいたりして。
すみ そしてタリーノへの疑惑は膨らみ、少しずつ真実がわかっていき、そして最後には・・・なのよね。
にえ ネオレアリズモ文学とはこういうものか、とか、「シチリアでの会話」と同じくファシズムの圧政の苦しみのもとで生まれた作品なんだとか、いろいろ感慨深くもあるんだけど、これはそれ以前に小説としておもしろかったよね。
すみ それに、家族、そして寒村という囲いのなかで、隠すべきでないことまで隠されてしまうことへの憤りが胸を打つし、こういう狭い範囲での人間関係の一筋縄ではいかない根深さに寒気も走るし。
にえ 「シチリアでの会話」はわからなさがおもしろかったけど、こちらは幻想世界にはまりこんでいくような感じはなくて、常に現実、それにストーリーも暗示的ではなく、わかりやすいし、起承転結の展開ありで、よりとっつきやすいかも。読みだしたら止まらない、引っぱる力があったし。
すみ なんだか「怖い」を連発しすぎたような気がするけど、あんまりエンタメ系のハラハラ&ゾクゾクの恐怖小説を期待されても困るんだけどね、あくまで純文学なんで。でも、この暗い快感はオススメです。