すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「シチリアでの会話」 ヴィットリーニ (イタリア)  <岩波書店 文庫本> 【Amazon】
15才の時に家を出て以来、一度も両親と会っていなかった三十才になろうとするシルヴェストロは、ヴェネツィアから送られてきた父の手紙を受けとった。元鉄道員であり、シェークスピア劇の役者でもあった父、コスタンティーノは、女性を伴い家を出て、 今は残された母が一人で暮らしているらしい。コスタンティーノはシルヴェストロに、12月8日の聖名祝日、母に会いに行ってやってくれと言ってきた。どうやら同様の手紙を他の兄弟にも送っているようだった。いつもどおりに葉書を送るだけで済ませようとしていたシルヴェストロは、 シチリア島への往復切符が半額で売られていることを知り、思い切って母に会いに行くことにした。
すみ これはパヴェーゼの「故郷」と並び、イタリアのネオレアリズモ文学の原点と言われている作品だそうです。
にえ 名作ものなんで抑えておこうと読んでみました〜というのは簡単だけど、これじつは私たち、勘違いから読むことになっちゃったんだよね(笑)
すみ そうそう、2003年に同じ岩波文庫からパヴェーゼの「故郷」が出ていて、「故郷」「シチリアでの会話」の2作がネオレアリズモ文学の原点ってことなら、「故郷」だけ読んだって言うんでは片手落ち、 これはもう「シチリアでの会話」のほうも読むっきゃないね、と読むことにしたんだけど、寸前になって気づいた、私たちはパヴェーゼの「故郷」、読んでないんだった〜(笑)
にえ 読もうとは思いつつ、後回しにしているうちに読んだかなと思っちゃったんだよね。これでとりあえず「シチリアでの会話」は読んだから、「故郷」も今度こそ読まねばね。
すみ ホントにねえ。で、ネオレアリズモ文学の原点とか言われても〜と思う私たちのような方のために言っておくと、あのイタロ・カルヴィーノは、ヴィットリーニとパヴェーゼの両者から直接、影響と指導を受け、次世代につなげていったのだそうです。つまり、イタロ・カルヴィーノの師匠なのっ。
にえ ヴィットリーニとパヴェーゼはともにアメリカ文学を翻訳してイタリア文学の向上につとめ、手紙のやりとりを通じて互いに励まし合っていた仲なんだってね。
すみ なぜ互いに励まし合う必要があったかと言えば、彼らが作品を発表しなくてはいけない時代が、イタリア・ファシズムの最中だったってことが大きいよね。
にえ ヴィットリーニは反ファシズムの人。この「シチリアでの会話」もファシズムのもと、人々に強く反ファシズムを訴えかけるために書かれた小説なんだとか。
すみ 厳しい検閲をくぐり抜け、出版されたこの小説は、イタリアの反ファシズムの人たちにとって大きな心の支えとなり、イタリア史にとってはそれだけに重要な作品と言えるのよね。
にえ その厳しい検閲があるために、ストレートに反ファシズムが書かれてはいないのよね。とくに第4部から第5部のなかばにかけては、読む人が読めばすぐにそれとわかる分、現代の読者である私たちは、解説に頼らないとなにを指し示しているのかわからないところも多かった。
すみ うん、100ページ以上もある巻末の長い解説に、ひえ〜と思ったけど、小説を読んだあとでは、こりゃ必要だわ、と思った。
にえ それ以外のところでは、たとえば象徴性ということで主人公=キリストみたいな話になると、そうかな〜、一度死んで生き返ったと言われているところとか、熱烈な信奉を受けながらも、すでにこの世にはなく、なにをしてくれるわけでもないってところとかから、むしろ祖父=キリストじゃないの、とか、自分なりに違うことも考えたりしたけど、 とにかくファシズム、反ファシズムに関する暗喩については、解説を頼るしかないよね。
すみ さてさて、解説に頼らなきゃわからないような小説じゃ、おもしろくないだろうな〜と思われるだろうけど、これがそうでもなかったよね。
にえ なんとも不思議な感触の小説だった。こういう不思議感って、わからない、共感できない、とイラッとして嫌いになるときと、逆に惹かれてしまうときがあるけど、これは後者だったな。
すみ まずわかるところでは、シチリアの人々の貧しい暮らしぶりが胸迫る描写になっていたよね。農園で働いた給料をオレンジでもらい、オレンジ以外は口にすることのできない男の話、それから、母の家がある村での貧しい食生活。一日一食食べられるかどうかってところで、しかも食べるのはわずかなチコリだったり。 あと、学校でよかれと思って出している粥のために、かえって飢えを増させる子供たちの話とか。
にえ 馴染めないところが妙に惹かれるのは、主人公のシルヴェストロが両親に対して妙に他人行儀名ところだよね。母のことを「コンチェツィオーネさん」と呼んで、敬語で話したり、自分の子供のころの話を他人事のように聞いたり。
すみ 15才で家を出てから15年間、まったく会っていなかったから、母親と大人対大人の関係がまったくできていなかったのよね。しかも、父が鉄道員だったから、とにかく引っ越しが多くて、場所とかに対する印象が薄くて。
にえ 母を母親というよりむしろなまなましい他人の女のように見る主人公の目線がなんともおもしろかったよね。それに、母が語る夫と自分の父親のことも興味深かった。
すみ シルヴェストロの父コスタンティーノは、詩人で、役者で、妻がありながら他の女に入れあげては、その女を女王様扱いしたりしていたのよね。その理由が、単に詩的な名前だからとかだったりして。
にえ 母は自分の父親を理想としているのよね。それもまた少し異常なほどで。こんなふうになんでも比べられたら、コスタンティーノも嫌気がさしただろうなと思うよ。
すみ 母親が夜になって、いろんな家に注射をして歩くっていうのも妙な感じだったよね。それで母親が息子に向かって、次に行く家の女は綺麗な体をしているんだよとか、私も綺麗でしょうとか言ったりして。
にえ 小説の後半に入ると、だんだんと夢と現実の区別がつきづらくなっていって、で、あのラスト。まず小説として魅力があったな。現実のこともすべて幻想的になってしまう雰囲気もたまらなかったし。小説が気に入ったからこそ、解説も読む気になったんだろうな。いくら歴史的に価値のある作品でも、おもしろくなかったら、やっぱりウンザリな気持ちのほうが先に立っちゃうから。ということで、良かったですよ。
 ※その後ちゃんと読みましたよ! → パヴェーゼ「故郷」