すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「目には見えない何か 中後期短篇集1952−1982」 パトリシア・ハイスミス (アメリカ)
                                       <河出書房新社 単行本> 【Amazon】

20世紀を代表するミステリ作家の一人であるパトリシア・ハイスミス(1921−1995)の中後期短編集。未発表作品を含む14編収録。
手持ちの鳥/死ぬときに聞こえてくる音楽/人間の最良の友/生まれながらの失敗者/危ない趣味/帰国者たち/目には見えない何か/怒りっぽい二羽の鳩/ゲームの行方/フィルに似た娘/取引成立/狂った歯車/ミセス・ブリンの困ったところ、世界の困ったところ/二本目の煙草
にえ これは初期短篇集「回転する世界の静止点」に続く、パトリシア・ハイスミスの未発表作品や雑誌に掲載されただけって作品がほとんどの中後期短篇集です。
すみ こちらの巻末には、批評家のポール・インヘンダーイと編集者のアンナ・フォン・プランタによる解説がついていて、初期短篇集と合わせて、どうしてこんなに優れた短篇群が、発表もされないまま残っていたの?という私たちの素朴な疑問に答えてくれます。
にえ あと、パトリシア・ハイスミスがなにをめざしていたのかっていうのが、解説を読むとちょこっとわかった気がするし、つかみきれなかったテーマについても、なるほどと思うよね。
すみ ハイスミス作品で、なんと言っても胸に残るのは「わびしさ」だよね。それも失敗者のわびしさじゃなくて。長編でシリーズ物になっている主人公のリプリーも、他人から見れば、これ以上がないってぐらいの生活をしているし、本人も不満を抱えているわけじゃないけど、やっぱりこのわびしさはあるよな〜って思った。短編だと、そのわびしさがいっそう如実に現れるというか、生きるわびしさそのものがテーマになっているというか。
にえ なんでこんなものを書いてるのって根本のところでも、こういうことかなって考えさせられるところがあったよね。たとえば、主人公が孤独に耐えかねて自殺をする小説があったとすると、それはそういうものを書くことによって気が済んで、自分が死ななくて済むみたいな。これはまあ、極端な例かもしれないけど、そういうものがあったんだな〜と。
すみ うん、パトリシア・ハイスミスが少しだけ身近になったね。一番理解に苦しんでいた愛情のとらえ方についても、これでちょっと納得がいったかな。
にえ ただ、個人的には、完璧と思われた初期短篇集と比べると、こっちはそれほどでもってのが2、3あったんだけどね。
すみ そう? でも、ふわっと優しいラストのものとかもあって、ホッとしたりもしたよね。バラエティーに富んでいて、こちらもオススメの短篇集でした。
<手持ちの鳥>
年金暮らしのダグラス・マッケニーには、もうひとつの収入源があった。それは、数多く飼っているインコからもたらされる。そのことは近所の人たちにさえ気づかれないよう用心していたが、ある日、新聞記者が訪ねてきて様相が変わってしまった。
にえ 歳をとって一人暮らし、近所の人にも親切に接する男性には、ちょっとだけ罪になりそうな秘密があった、というお話なのだけど、これは優しい気持ちになれるラストだったな。
<死ぬときに聞こえてくる音楽>
郵便局に勤めるアーロン・ウェクスラーは、気に入らない同僚を次々と殺していった、彼の日記のなかで。殺した相手の名前、具体的な日時、具体的な殺人方法、日記にはすべてが書き込まれている。郵便局はアーロンによって殺されたはずの局員であふれていた。
すみ あいつも嫌い、こいつも嫌い、殺してやる、殺してやるって腹の底で怒りをためこんでいく、どこかにいそうな男の話。でも、この人は本当に殺したつもりになってるところが異常なんだけど。こういう人は気づかないだけで身近にいそうで怖いな。
<人間の最良の友>
冴えない歯科医のドクター・エドマンド・フェントンは、思いを寄せていた女性に振られ、その時にジャーマン・シェパード犬をもらった。バルドルと名付けられたその美しい犬は、これといった躾もしなかったのに礼儀正しく、ドクター・フェントンはいつしか、バルドルにだらしない独身生活を蔑まれているような気がしはじめた。
にえ これも最後には微笑んでしまうお話。孤独な生活をペットによって慰められ、癒されるってのは良くある話だけど、これは違う意味で、飼っている犬から恩恵を施されることになるの。お高くとまった猫を飼っていた経験のある私は、わかる、わかるとニヤけてしまった(笑)
<生まれながらの失敗者>
ウィンスロップ・ヘイズルウッドは、生まれながらの失敗者だった。生まれ故郷のベニントンで百貨店の店員として働いて7年目、婚約者のローズ・アダムズと小さな町ビングリー=オン=ザ=ダードルに移り住み、雑貨店を開いたが、朝から夜遅くまで働いても、そのへんの勤め人よりずっと少ない収入しかなかった。
すみ セールスマンに勧められるまま商品を仕入れ、小さな楽しみは児童養護施設の子供たちにプレゼントを贈ること、生まれながらの失敗者である主人公は、そんな愛すべき男なの。良いお話でした。
<危ない趣味>
35才で既婚、14才の娘がいるアンドリュー・フォースターは、優秀な掃除機の訪問販売員だった。アンドリューにはちょっと変わった趣味がある。女性と知り合って近づきになり、女性の家にある何か小さなものを盗んで帰ってくることだった。
にえ 女性と肉体関係を持つことができないかわりに、ライターや細い金鎖のネックレスなど、ちょっとした小さなものを盗んでくる男の話。たいして罪もないような、小さな小さな盗みの積み重ねは、主人公をどこに導いていくんでしょう。ということで、これはあるていど先が読めたけど、でも、おもしろかった。
<帰国者たち>
ヒトラーの独裁政治と戦争のため、結婚生活の失敗を癒そうと旅をしていたエステル・フリートマンは、滞在先のイギリスでそのまま暮らすことになった。イギリスで知り合った同じドイツ出身のユダヤ人リヒャルト・フリートマンと14年間の内縁関係の末、リヒャルトのミュンヘンの出版社への復職を機に、エステルはようやくドイツへ帰ることができた。だが、ようやくの帰国はエステルにとって、かならずしも喜ばしいものとは言えなかったのだ。
すみ 戦後、ようやく戻ったドイツでは、地位があり、裕福だったはずの人たちが肩身の狭い思いをして、貧しい暮らしをしていたり、逆に成金になる者がいたり。そしてともに生きる同志だと思っていた夫は・・・。故国が馴染めない他国となってしまった人たちは、エステル以外にもたくさんいそうだなあ。
<目には見えない何か>
悪くはないが、決して美人ではない四十五才のヘレーネは、アルペンバッハのホテル・ヴァルトハウスに足を踏み入れたとたん、人々の注目の的となった。これといって特別なことをしたわけでもないのに。どこへ行っても人々はヘレーネに見とれ、二十歳の青年までもがヘレーネに求婚してきた。
にえ これは内在する孤独を極限まで際だたせたようなお話。こういうのがパトリシア・ハイスミスの真骨頂って気がしてしまうなあ。
<怒りっぽい二羽の鳩>
トラファルガー広場に住む二羽の鳩モードとクロード(仮)は、たがいに憎みながらも、行動をともにしていた。広場の他の鳩同様、太りすぎてあまり飛べなくなった二羽は、地下鉄やバスを利用して、遠征にでかけるのを楽しみとしていた。
すみ 憎悪に満ちた二羽の鳩も怖かったけど、人間であるという最低限の規制枠を外してしまうと、ここまで怖い話を書いちゃうのか、とパトリシア・ハイスミスが怖かったり(笑)
<ゲームの行方>
人気のSF作家デイヴィッド・オストランダーの秘書として働くペン・ノールトンは、デイヴィッドの若妻ジニーに誘惑され、愛人関係となってしまった。しかし、これにはデイヴィッドがそうなるよう差し向けたふしがあった。ジニーと別れるため、デイヴィッドのもとを去ることに決めたペンだったが、デイヴィッドと二人で夜の散歩に出掛けると、デイヴィッドが姿を消してしまった。
にえ これは短いながらもピリッと引き締まったストーリー展開のサスペンスもの。ラストもバッチリ決まっていて、さすが!
<フィルに似た娘>
若い頃に別れた女性フィルのことを今でも忘れられないジェフ・コーマックは、ケネディ空港でフィルによく似た娘を見かけた。もしかしたら、フィルの実の娘だろうか。ジェフがたゆまない努力で今の地位を築いたのも、本を正せばすべてフィルのためだった。
すみ 昔、愛した女性にそっくりな娘にあった中年男のお話。フィルのために仕事を頑張ったんだけど、その仕事のためにフィルは去ってしまった。その思いがいまだにふっきれてないんだけど〜。これは正直、私はラストに首を傾げてしまった。通常とは違う意味で言うけど、これってロマンティックすぎないかい?
<取引成立>
妻ルーシーを殺したジョエルは、その罪を妻の愛人ロビーにきせようとしていた。ルーシーとロビーの仲はだれもが知っていたし、ロビーのコール天と野球帽といういつものいでたち、それに独特の鼻をこする癖を真似れば、それはうまくいきそうな企画だった。
にえ きれいにまとまったサスペンスだけど、ちょっと陳腐なラストかなって気もしたなあ。パトリシア・ハイスミスだと、つい予測できないゾクリを期待しすぎてしまうからかもしれないけど。
<狂った歯車>
彫刻家のロバート・ロットマンは、深く愛し合っているはずの妻リーを殺した罪で自首をした。リーの母親も、ロバートの両親も、その殺人が理解できなかった。弁護士は発作的なものだとしたいようだし、警察は愛人の存在を疑ったが、ロバートの動機は違った。
すみ 愛する女性と結婚し、幸せな家庭を築き、経済的にも安定した。他人から見れば、なんの不満もなさそうなものだけれど、ロバートのなかには鬱積した感情があったの。これはまあ、わかるんだけど、なんかちょっと出来あがりすぎた話って気はしたかなあ。
<ミセス・ブリンの困ったところ、世界の困ったところ>
旅行先で病に倒れたミセス・パーマーは、東海岸のイーミントンという町で、コテージを借りることにした。メイドのエルシーとその娘に面倒を見てもらえるが、知り合いの一人もいないこの町で、ベッドに寝ているだけの生活は辛かった。白血病で、死が間近に迫っているというのに、英国空軍の将校である息子はすぐに来てはくれない。おまけに巡回看護でやって来るミセス・ブリンは、どうやらミセス・パーマーのアメジストのブローチを狙っているらしい。
にえ こういう人の心の機微を、怖ろしいまでに細やかに深く抉り出していくところが、パトリシア・ハイスミスの凄さだなあ。最後の一文字まで緊張感がとぎれない佳作でした。素晴らしいっ。
<二本目の煙草>
ニューヨーク州の税法が専門の弁護士ジョージ・リースターは、51才の今、妻と別れ、一人暮らしをしている。自分の浮気が原因とはいえ、離婚後すぐに幸せになった妻と比べて、侘びし過ぎる自分の暮らしは惨めだった。そんなある日、もう一人のジョージが現れ、彼に話しかけてきた。
すみ もう一人の自分が現れるってのは、まあ、ありがちといえばありがちな話? パトリシア・ハイスミスだと、ふだんよりさらに息苦しくなるって感じだけど。