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 「熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き」 ジョン・マリー (オーストラリア→アメリカ)
                                        <ソニー・マガジンズ 単行本> 【Amazon】

プレーリー・ライツ短篇小説賞を受賞したデビュー作「ヒル・ステーション」、ジョイス・キャロル・オーツによる『ベスト・ニュー・アメリカン・ヴォイシーズ2003年度版』に選出された表題作「熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き」を含む7編の短編集。
熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き/世界中の川をみんな集めて/白い粉/ワトソンと鮫/ボクサーのような大工/
ブルー/ヒル・ステーション
にえ これは注目の新人作家ジョン・マリーの初邦訳本です。
すみ 新人作家といってもジョン・マリーは1963年生まれなんだよね。オーストラリア生まれで、医師として渡米、その後、いくつかの紛争地で医療活動を行った人。で、その経験が十二分に生かされた短編集だった。
にえ プロフィールやあとがきには書かれてなかったけど、短編の大部分の主人公、登場人物にインド人の血が流れていたところからすると、作者自身もそうなのかな。
すみ で、この短編集なんだけど、どれも生きる悲しみや果てしなく広がる景色が印象深く、アメリカでこのデビュー本が出る前から非常に高い評価を受けていたっていうのもわかると思ったな。
にえ 味わい的にはアンドレア・バレットの「地図に仕える者たち」に近かったよね。あれよりも後を引く余韻は短いけど。
すみ 最近の純文学系の短編小説には珍しく、起伏の激しいストーリーが多かったよね。短いなかに、長い時間に起きたいくつもの劇的な出来事が詰めこまれていて。でも、色調は仄暗く、ゆるやかに深く深く沈んでいくような。
にえ 私たちでは想像も及ばないような人生経験をタップリしてきた作家だからこそ書ける小説という印象も強く残ったね。これからその経験がどう昇華され、違った形の作品が出来上がってくるのかっていうのも楽しみ。とりあえず、この短編集に収録されているのは、同じ段階で書かれた作品群だったから。
すみ ややエピソードの詰めこみすぎ感はあったけど、でも、素敵な装丁にふさわしい、内容の濃い短編集でした。
<熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き>
20才も年下の妻マーヤとの夫婦生活がうまく行かなくなった私は自室に籠もり、祖父から続く蝶のコレクションと過ごすことに長い時間を費やしている。 教師だった父も蝶に夢中になり、そのために娘を失うことになってしまった。腕のいい外科医だった私は、アルコールによってその卓越した技量を失いつつある。
にえ 祖父の幻の蝶を求める旅行記と老いてからの病、優秀な姉に降りかかった悲劇とそれが影をさす家族、そして主人公のその後の生き様、妻と帰郷したインドで起きた出来事とそれがもたらした夫婦の危機・・・これでもまだ言い足りないぐらいの積み重ねだった。
すみ これだけエピソードを詰めこんであっても、しっとりとした雰囲気がまったく崩れることがないところが素晴らしい力量だね。ちょっと劇的すぎる気もするけど。
<世界中の川をみんな集めて>
優れた大工であるヴィテク・ケロラクは、もうじき三十才になろうとする10月、出奔した父を迎えに行った。二人の兄を失ったとき、母は沈黙のまま父を責めた。漁師である父は長年夢に描いていた船を買い、ヴィテクと歳のかわらないような、チカという女性と暮らしていた。 チカは看護婦として難民キャンプで6年間を過ごしたことのある女性だった。
にえ ケロラク家の物語とチカの経験談、ひとつの小説にふたつの流れが入っているのだけど、そこがどうも溶け合わずに分離してしまっているような気がしてしまったんだけど。
すみ う〜ん、二つをそれぞれ独立させて考えると、どちらもかなりズキズキと来る内容で、忘れがたいものがあるんだけどね。というか、二つともすごく良かった。
<白い粉>
父が出ていったあと、ジョーゼフは母と二人きりで暮らしいた。ジョーゼフの母はインドの裕福な家庭で育ち、アメリカで古生物学者として名をなすという野心に満ちた女性だった。 しかし、父がインドに発ってしまったあと、すべてがうまく行かず、アメリカに残った二人は貧しい暮らしを強いられた。
にえ これはジョーゼフの母親の性格が他人事とは思えないというか、痛くも共感するというか、したくないというか、考えさせられたな、この人なりのプライドの高さ。
すみ とにかく故郷の人にアメリカで成功していると思われたい、そのためには現実の暮らしが辛くてもいいとか、裕福な生まれ育ちの過去にすがりつくとか、プライドというより見栄だよね。うまく行っているときは努力するより好き勝手に過ごそうとするし。 でもなんか、嫌悪するよりかわいそうに思えてしまったかな、やっぱり。
<ワトソンと鮫>
<国境なき医師団>の一員である私が医療にたずさわっている病院に、ある日曜日の早朝、コンゴ民主共和国との国境にある難民キャンプからおおぜいの怪我人が運ばれてきた。 一人でも多く助けようと、疲労にも負けず手術をしつづける私たちだったが、そこに兵士を乗せたトラックがやって来た。
にえ これは命の危険に何度も遭遇したというボランティア時代の経験がフルに生かされてるって感じの作品だったよね。
すみ 背景とかが語られてなくて、ちょっとわかりづらくもあったけど、その場にいた人にしかわからないような息づかいや迫力が伝わってきたな。
<ボクサーのような大工>
体が大きく、いかつい顔をしたダニー・ドールトンは、実は家事をこなし、二人の子供を大事にする優しい父親だった。妻が消えて一年ほど経った頃、ダニー・ドールトンは家のどこかで、なにか生き物が穴を掘っているような音を聞いた。 害虫駆除業者を呼び、調べてもらったが、動物などはいなかった。それでも家に音はしている。
にえ ギョッとするような妻とのエピソードはともかくとして、隣の家の夫婦での微妙な関係のリアルさとか、柔らかな子供との触れ合いとか、とっても好きだった。
すみ 大きな男が小さな普通の幸せを望む難しさに嘆く、その図がとっても切なかったよね。
<ブルー>
サイモンは亡き父の50回目の誕生日、エベレストよりも低いが危険きわまりないヒマラヤの山に登った。同行したのは、いつも一緒に登っているギルバート、 それに父の双子ブレクナーだった。父が亡くなったあと、ブレクナーはだれの前にも姿を見せず、隠れるように暮らしていたが、サイモンが登山の話をすると、 どうしても一緒に登りたいと言いだしたのだ。
にえ 50才のおじと危険きわまりない雪山に登ることになってしまった主人公。寒さとともに死の予感がヒシヒシと迫り来るとともに、死を超えたその先も見えてきたような。
すみ なんだか途中から時間の前後もわかりづらくなってきて、主人公の精神状態に読んでるこっちまで巻き込まれていくようだったよね。ラストが生きていた。
<ヒル・ステーション>
インド人でありながら、インド人ということを意識せず、まったくのアメリカ人として生きるよう教育されたエリザベス・ディナカーは、コレラ菌研究の権威として、 ボンベイで行われる研修に参加した。四十才でまだ独身なのは、アメリカでインド人女性といえば綺麗で魅力的と相場が決まっているのに、エリザベス・ディナカーがあまり美しくなかったせいなのかもしれない。
にえ ボンベイは旧称で、現在ではムンバイですね。こういう植民地時代につけられた名称をそれ以前の名前に戻したときとかは、文中はボンベイのままでもいいけど、訳注で一行添えておいたりしてあるのが好きかな。
すみ 都市の名前はムンバイのほうが雰囲気に合いそうな小説だったよね。インド人として生まれながらインドを知らなかった主人公がインドを知る物語でもあったし。こういうルーツを知る物語は、何度読んでも良いねえ。