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 「地図に仕える者たち」 アンドレア・バレット (アメリカ)  <DHC 単行本> 【Amazon】
1996年に短編集”Ship Fever”で全米図書賞を受賞したアンドレア・バレット(1954年〜)の、2003年度ピュリッツァー賞最終候補となった短編集。表題作「地図に仕える者たち」は2001年O・ヘンリー賞を受賞、ベスト・アメリカン・ショート・ストーリーズに選出された。
地図に仕える者たち/森/雨の理論/二本の河/ユビキチンの謎/静養
にえ アメリカの作家アンドレア・バレットの初邦訳本です。
すみ 読んでみると、これだけ完成度の高いものを書く作家さんなら、もっと早く紹介されても良さそうなものなのにと思ってしまうんだけど、日本の読者向きではないと判断されちゃったのかな?
にえ アンドレア・バレットは、大学で生物学の博士課程まで進みながらも、自分の関心が研究室で実験研究するすることになく、古文書などの書物を通じて探求する博物学(自然史)にあると気づき、研究者になることを断念した方なんだそうで、そういうところが、小説に色濃く反映されているのよね。
すみ この短編集のそれぞれの短篇の舞台となっている時代は、19世紀からごく最近までと幅広いんだけど、それぞれがその時代の博物学を反映した内容になっていて、つなげて読むとそのまま博物学の歴史となっていくの。
にえ そうそう、たとえば、最初の「地図に仕える者たち」ではダーウィンの著作が出てきて、主人公がそれを読み、ダーウィンの進化論に感銘を受けていた。
すみ まあ、ダーウィンは有名だけど、私たちの場合、他は知らない学者の知らない説、知らない著作ってことが多かったけどね。でも、そういった知識の散りばめが、こっちにフンワリやさしく、わかりやすく、それほど意識させられすぎずって感じで伝わってくるから、それぞれの小説の深みとはなっているけど、知らないからって障害にはまったくなっていなかった。
にえ うん、もうホントにアンドレア・バレットの手にかかれば、博物学はこの上なく美しく、繊細に輝く宝石のようになって、読めば受け取らずにはいられなくなっちゃうって感じ。素敵だった。
すみ で、これは短編集なんだけど、それぞれがまったく別の話のようで、じつは登場人物が前の短編集で出てきた人物の孫だったり、親戚だったりして、つながりがあるんだよね。連作短編集とまではいかなくて、でも、読めば読むほど親しみがわくというか。
にえ 個人的な印象としては、ちょっとバリー・ロペスを思い出したかな。でも、もっと物語性が強いというか、起伏のあるストーリーがきっちり展開されているんだけど。
すみ 私の個人的な印象は、今年の短編集ナンバー1はこれで決まりかなってこと。いやもうホントに素晴らしい短編集だった。自然を背景とした広がりのある美しさ、登場人物たちの深みのある哀愁と、作者の温かい視線、じっくりと進んでいく物語には、人生そのものが詰まっているという感じで、それに加えて、色を添える博物学の知識の美しさ、とにかくもう、なにもかもが良かった。絶対つきでオススメっ!!
<地図に仕える者たち>
1863年、イギリスの測量士マックス・ヴァインは、新版世界地図の完成に向け、ヒマラヤ山脈で測量に従事していた。使命感をもって臨んだマックスだったが、予想以上に過酷な気候、仲間たちの虐め、一人になれない息苦しさ、それなのに常につきまとう孤独感に押しつぶされそうになっていた。 そんなマックスの心の支えは、愛する妻クララからの手紙だけだったが、それもまた、いつ届くともしれない。やがてマックスは高山の植物への興味に目覚めていく。
にえ なにが良いって、ヒマラヤ山脈の壮大なる美しさを背景としながらも、それをただ賞賛し、讃歌のような小説にするんじゃなくて、むしろ過酷さを克明に描いてあって、でも、読めばその怖ろしくも壮大な自然の美しさに、やっぱり惹かれてしまうという、この説得力っ。
すみ 地図を作るということが、こんな過酷な作業だとは思ってもみなかったね。マックスの辛さが痛いほどに伝わってきた。それに加え、妻のクララとの手紙の遣り取りで、少しずつ受け取るマックスの気持ちが変化していくところ、植物学に惹かれていくところ、そのへんもものすごくわかるって気がして、伝わってくるものがあったなあ。
<森>
1979年、ポーランドから亡命し、ケンブリッジの理論構造生物学者となったもクシシュトフも79才となっていた。クシシュトフの数々の功績をたたえるパーティーを開くという、女性学者コンスタンス・フンボルト博士に招かれたクシシュトフは、そこでコンスタンスの研究所で博士号を取得するために研究員となっているローズとその妹のビアンカに出会った。クシシュトフにあまりいい印象を持たなかったビアンカだが、 自分自身のためのパーティーだというのに、誰にもかまわれずにいるクシシュトフに同情した。ビアンカ自身は、大学を中途で辞め、これからなにをするべきか悩んでいた。
にえ これは、老いた生物学者と、若く、これから自分の人生を歩んでいこうとしている女性のひとときの邂逅を書いたもの。語らないクシシュトフの母への思いが、かなりズキズキきたな。
すみ クシシュトフの、ポーランドに残してきた母への想いなんて、理解できるはずもないような若く、自分のことだけで精一杯のビアンカ。二人に接点なんてないように思えるけど、野生の動物がその距離をあっさり飛び越えさせる一瞬があるのよね。
<雨の理論>
イギリスのチェスター近くの農家で生まれたラヴィニアは、2才のときに黄熱病の流行で両親や兄弟を亡くし、5才の兄と二人だけになってしまった。やがて兄にも、ラヴィニアにも引き取り手が現れ、二人は別れ別れになった。1810年、「地理学入門」の執筆に励む二人の女性と暮らす20才のラヴィニアは、裕福な隣家の青年ジェームズに思いを寄せていたが、手の届かない存在だとわかっていた。
にえ これはまた前2作とちょっと違って、少女の心情が少女らしく、やや硬質的に書かれていて、「地理学入門」のなかの質問と答えが効果的に挿入されていたりもして、またこれはこれで素晴らしかった。
すみ 二人の女性に大切に育てられたラヴィニアは、その人生のスタートからすれば幸運で、不幸な育ち方をしたとは言えないのかもしれないけど、痛々しいほど孤独でもあったよね。
<二本の河>
1953年、ミリアムは妹のグレースと、ダコタで発掘作業に携わっていた。亡きミリアムの夫クレイブは、聴覚障害者の学校を開き、広めたことで名を知られていたが、かつて、 養父が発掘した化石で聖書世界を証明しようとしたことで失敗し、深く傷つきながら亡くなった頃、自分の道を見失っていた時期があった。
にえ 5才のときから養父母に育てられたクレイブもまた、大切に育てられて、決して不幸ではないのだけれど、孤独な少年であり、孤独な青年だったんだよね。
すみ 信仰のせいで学者としては道を誤ってしまった養父に対するクレイブの視線がやさしくも悲しかった。でもでも、素敵な出会いが待っているんだけど。
<ユビキチンの謎>
記憶にあるかぎりでは、ローズが初めてピーターに会ったのは、8才半の夏だった。ピーターはコガネムシを研究する昆虫学者で、父テオと母スーキーの親友だった。しばらくローズの家に滞在したピーターの研究を手伝ったローズは、ピーターにほのかな恋心を抱いた。
にえ 両親の友人に恋をした少女ローズ。恋をした相手が昆虫学者だったために、そのまま生物学への興味に発展していくんだけど、31才になるところで、初恋の相手に再会してみると・・・。
すみ 開いていく遠い未来に向けて歩む若者と、閉じていく近い未来に向かっている老いた者、こういう明暗っていうのは、科学を研究する学者においては、とくに顕著なのかもね。過去を過去とできるローズの若さが、ちょっと眩く冷たく感じられてしまった。
<静養>
1905年、エリザベスは亡き老看護婦ノラを懐かしく思い出していた。大飢饉に見舞われたアイルランドから脱出したが、病に倒れているあいだに二人の弟がいなくなってしまったノラは、弟たちを捜しながらも、1848年夏、23才でデトロイトに辿り着き、そこで薬草に詳しい婦人に出会い、みずからの才能に気づいた。
にえ 結核患者の療養地として、美しい自然を残したまま発展していく地域がおもな舞台になっているんだけど、その地に惹かれ、移り住んでしまう人たちの気持ちは、わかるって気がした。
すみ いろんな人が、いろんな思いを抱え込んで暮らしていて、互いに思いやり深く、親しく暮らしているけど、やっぱり踏み込めない心の内というものがあって・・・そういう描写の細やかさがとにかく素晴らしかった。これまでの短篇に出てきた登場人物たちが何人も出てきて、まさにラストを飾るにふさわしいお話だった。