すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「貴婦人と一角獣」 トレイシー・シュヴァリエ (イギリス)  <白水社 単行本> 【Amazon】
貴族ジャン・ル・ヴィストは租税法院長に命じられた祝いとして、大広間に飾るタピスリーを作らせることにした。タピストリーにはナンシーの会戦、勇ましい戦の様子を描かせるつもりだった。 ところが、その下絵を依頼された宮廷画家ニコラ・デシノサンは戦の絵など描いたことはなく、得意とするのは貴婦人、今描きたいのは一角獣だった。
すみ 真珠の耳飾りの少女」から約4年半ぶりのトレイシー・シュヴァリエの新刊です。
にえ 私たちが読んだのはそんなに前じゃないけどね。それでも2年ぐらいは前かな。
すみ 「真珠の耳飾りの少女」はフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の絵からインスピレーションを得た、というよりは、絵から奏で出されたような物語。 で、この「貴婦人と一角獣」も「貴婦人と一角獣」というタピスリーの物語なのよね。
にえ 私たちはタピストリーとか、タペストリーとか言う方に馴染んでいるけどね。この小説ではフランス語の発音でタピスリーだとか。「貴婦人と一角獣」というのは、パリの中世美術館にあって、実物を見たことはないんだけど、この小説から察するところ、そうとう大きなものみたいね。6張からなるタピスリーで、 その6帳で貴族の屋敷の広間の壁を覆うほどだというから。
すみ でも、ジャン・ル・ヴィストの屋敷は、貴族の屋敷としてはやや小ぶりのようなことは書いてあったけどね。
にえ それでも、やっぱりかなり大きいでしょ。タピスリーで室内の壁を覆うというのは、当時の貴族のあいだでは常識のようになっていたみたいなんだけど。
すみ かならずタピスリーの絵のなかに家紋を入れるのよね。
にえ で、このタピスリーについては、作者も不明、注文したのはヴィスト家のだれかだとわかってはいても、それがだれかということも不明。貴婦人の服装や織りの技法から15世紀末に織られたものではないかと言われているのだとか。
すみ この小説は、タピスリーが注文されてから、出来上がるまでの物語よね。それは決して短いとは言えない時間なのだけど。なにしろ織り上がるのに3年ぐらいは当たり前ということだから。
にえ ジャン・ル・ヴィストはもっと早く織ってくれと無理を言うけどね。この人は金でのしあがってきた貴族で、芸術の素養もなければ、貴族らしい鷹揚さにも欠けるみたい。
すみ 奥方のジュヌヴィエーヴ・ド・ナンテールは高い身分の貴族の出で、もう少し教養があるみたいだけどね。
にえ でも、跡継ぎの男子が産めず、女の子ばかり3人産んで終わりになってしまったから、あまり大事にはされてないからねえ。ジャンがジュヌヴィエーヴの意見を聞くことなんて、まずないみたい。
すみ で、そのタピストリーの下絵を頼まれた絵描きニコラ・デシノサンは、3人娘のうちの長女、クロード・ル・ヴィストに一目惚れしてしまうのよね。クロードもまた、ニコラに一目惚れ。身分が違いすぎるのだけど。
にえ といっても、クロードはまだ14歳の少女でしょ。
すみ ニコラもまだ青年と言ったところだし、あの時代だからねえ。貴族の娘だったら、もうそろそろ婚約、結婚という年齢でしょ。
にえ クロードはかなり反抗的な少女なんだよね。まあ、それは大人から見てと言うことだけど。独立心にあふれて、活発な少女と言ったほうがいいのかもしれない。
すみ ニコラも見ようによって違ってくるよね。おしゃべりで、女にだらしない無責任男だけど、純粋なところもあって、若々しい正義感もしっかり持ってて。
にえ マリー=セレストっていうヴィスト家の女中を妊娠させておいて、責任もとらない奴なんだよね。でも、たしかに性根のくさった奴とも言い難かった。
すみ ニコラの下絵をもとに、タピスリーを織るのは、ブリュッセルのタピスリー工房。ここにはジョルジュ・ド・ラ・シャペルという親方、奥さんのクリスティーヌ、同じジョルジュという名の息子、アリエノールという娘、徒弟のリュック、下絵描きのフィリップなどがいるのよね。心優しい人たちが仲良くやれている工房みたいだけど、ここにもさまざまな人間模様が渦巻いているみたい。
にえ この小説も「真珠の耳飾りの少女」と同じように、タピスリーに描かれた貴婦人は4人の女性がモデルとなっていて、その4人の女性の運命というか、さだめのようなものがテーマになっているのよね。
すみ 貴族の娘として生まれたばかりに、生涯をともにする男性さえ選べない女性、愛してくれない、尊敬もできない夫と暮らさなければいけない女性、家業を潰さないため、最も嫌悪する男との結婚から逃れられない女性、女に生まれたためにやりたい仕事もできず、娘の願いも叶えてあげられない女性、タピスリーはそういう女性たちの悲しみを織り込んでいくようだったよね。読んでてズキズキきた。
にえ タピスリー、そしてニコラがもたらす変化によって、女性たちの平坦な日々は波立ち、そしてタピスリーの完成とともに、新しい一歩を踏み出すことになるのよね。それが幸福への一歩とも、不幸への一歩とも限らないんだけど。この時代のフランスに生まれたばかりに、定められた生き方しかできず、それでもなんとか、もがき逃れようとする女性たちに静かな深い共感を覚えました。オススメです。
  
 ※巻末の説明とタピスリーが違っているようです。カバー表と裏はあっていますが、見返しのタピスリーは、見返し前の右が《触覚》、見返し前の左が《私のただひとつの望みに》、見返し後の右が《味覚》、見返し後の左が《嗅覚》のようです。