すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「バートン版 千夜一夜物語」 第8巻  <筑摩書房 文庫本> 【Amazon】
世界最大の奇書「千夜一夜物語」を、世界に名高いバートン卿が翻訳した「バートン版 千夜一夜物語」の全訳。大場正史氏の流麗な翻訳文に、古沢岩美画伯の甘美な挿画を付した、文庫本全11巻。
にえ さてさて、第8巻まで来ました、千夜一夜物語。
すみ そういえば、これってものすごく古典的で、日本でもだれでも知っているようなお話なのに、「千夜一夜物語」「千一夜物語」「アラビアン・ナイト」「アラビア夜話」と本のタイトルだけじゃなく、呼び方も不揃いで、面倒くさいよね。
にえ そうだよね、統一されたほうが話題にしやすいんだけど。本を読まない人のなかには、「アラビアン・ナイト」と「千夜一夜物語」は違うものだと思ってる人だっているかもしれないし。
すみ ぜんぶ合わせて内容にも沿わせれば、「アラビア千一夜話」でいいかもっ。
にえ あんまり言葉の響きが良くないかもっ(笑) それはともかく、統一感がないといえば、この「千夜一夜物語」のなかで統一感がなくて気になるのは、人称だよね。
すみ そうそう、三人称で始まった話が、急に一人称に変わったりするんだよね。話によって書き手が違うみたいってことは何度か言ってきたけど、これじゃあ、ひとつの話のなかでも、途中で書き手が変わっているみたいな印象を受けるよね。
にえ 人称を統一しなくちゃいけないって意識じたいがないのかもしれないよね。そんな細かい決まり事にこだわっていたら、「千夜一夜物語」のようなおもしろい物語は生まれなかったって気がする。
すみ 物語がおもしろければいいじゃない、語り手が途中で変わっても、話の筋がわかればいいじゃないのっておおらかさがあるよね。
にえ けっきょく、正確さばかりこだわってたら、物語そのもののおおらかさや芸術性が損なわれちゃうってところはあるよね。日本だって、江戸時代か明治、大正時代ぐらいまでは、芸術が花開くだけのおおらかさがあったけど、その後は文字で書かれているものに対して、正確さばかりを求める傾向になっちゃって、 文字文化が花開かない環境になってしまっているような気がする。
すみ 読者側の受け取りかたがでしょ。作品世界に浸る前に、赤ペン持って間違いをチェックするみたいな読み方っていうか。
にえ そうそう、絵を近くで見て筆づかいについてあれこれ言うけど、ちょっと離れて全体を見るほうはおろそかになってるというか。そういうのじゃダメだなあ、おおらかな読者にならなくっちゃと、こういうおおらかな物語を読んでいるとちょっと反省してしまうような。
すみ でも、細やかなところもキッチリ読み取りたい、でしょ。そこが難しいのだ(笑) それでは今回はこのへんで。けれども王さま、次のお話はもっとおもしろうございますわ。
「ガーリブとその兄アジブの身の上話」 第646夜〜第680夜
第7巻からの続きです。内容については、そちらをご参照ください。
  
「オトバーとライヤ」 第680夜〜第688夜
アブズラー・イブン・マアマル・アル・カイシは巡礼先の夜の墓場で、泣きながら歌を歌っている若者に出会った。若者の名はオトバー、アル・アーザブの寺で、自分と妹背の契りを結びたがっているという美女ライヤと知り合い、恋に落ちたが、ライヤはすぐにこの地を発ち、スライム族のもとに戻っていた。 事情を知ったアブスラーは、オトバーの力になると約束した。
「アル・ヌーマンの娘ヒンドとアル・ハッジャジ」
絶世の佳人と謳われたアル・ヌーマンの娘ヒンドと結婚したアル・ハッジャジは、仲むつまじく暮らしていたが、ある日、ヒンドが自分を騾馬だと歌っているのを聴き、別れることにした。すると、アブド・アル・マリク・ビン・マルワン教主がヒンドを求めたが、ヒンドは条件を出した。
「ビシュルの子フザイマーとイクリマー・アル・ファイヤズ」
アサド族の出であるフザイマーは、気前よく財産を皆に分け与えたために窮乏し、友人も頼れなくなって家にこもっていた。そこに名を名乗らない男が現れ、フザイマーに四千ディナールもの金を渡してくれた。話を聞いた教主はフザイマーをイクリマーのかわりにメソポタミアの総監に任命した。職に就いたフザイマーは、ただちに前任のイリクマーを多額の借金を返さない罪で投獄した。ところが・・・。
「学者ユヌスとワリド・ビン・サール教主」
学者ユヌスは美しく賢い奴隷娘を十万ディルハムで売るつもりだったが、ダマスクスに入る前に見知らぬ若者に声をかけられ、5万ディルハムで売る約束をしてしまった。しかも、その若者は金はあと出払うと奴隷娘を連れて行ってしまった。
「ハルン・アル・ラシッド教主とアラビア娘」
ハルン・アル・ラシッド教主はジャアファルをつれて散策している最中、水を汲んでいる乙女たちのなかに、すぐれた歌を歌う乙女に気づき、声をかけた。乙女は歌をすべて自作だと言った。
「アル・アスマイとバッソラーの三人の乙女」
詩人アル・アスマイはバッソラーに住んでいたとき、とある家の前で休んでいた。すると、家の中で三人の乙女がそれぞれ詠んだ歌を競い合っているのが聞えた。そのまま立ち去ろうとしたが、呼び止められて、審査を頼まれた。
「モスルのイブラヒムと悪魔」
アブ・イシャク・イブラヒム・アル・マウシリは休暇をとり、家族と語り合うつもりで家で待っていた。すると、見知らぬ老爺が入ってきて、厚かましくも歌を歌えと言ってきた。内心では腹を立てながらもいくつか歌ってみせると、お礼にと老爺も歌い出した。アブ・イシャクはその歌に驚いた。
「ウズラー族の恋人たち」 第688夜〜第691夜
詩人ジャミルビン・マアマル・アル・ウズリは砂漠で道に迷い、ぽつりとひとつだけ天幕があるのを見つけて訪ねてみた。その天幕には若者がたった一人で住んでおり、泊めてもらうことになった。こんなところで、たった一人で住んでいる若者をいぶかりながら横になっていたジャミルは、夜も更けてから、若者のもとに、一人の麗しき乙女が訪ねてきたことに気づいた。
「バダウィ人とその妻」 第691夜〜第693夜
ダマスクスのムアウィヤー教主のもとに、タミム族の男が謁見を求めてきた。男は貧乏になって女房を女房の父親に連れ去られてしまった。それをとりなしてもらおうと総督のもとを訪れると、美しい女房に見惚れた総督は、男にむりやり離縁させて、その女房と婚礼をあげてしまった。
にえ 印象に残るのは、悪魔が訪ねてきて、美しい歌を歌って帰って行ったって話がいくつかあったことかな。悪魔と言っても、西洋的な悪の代表じゃなくて、もうちょっと面白味のある存在なんだけど。
すみ 恋人が死ぬと、衰弱して残された方も死んじゃうっていうのは、バートンさんにはなかなか理解しづらいようだけど、西洋と東洋って純愛ってものの考え方がそんなに違うものなのかな。
「バッソラーの恋人たち」 第693夜〜第698夜
バッソラーへ出向いたフサイン・アル・ハリアは、水を所望して一軒の家を訪ねた。そこには美しい乙女がいて、なにやら悩んでいる様子だった。話を聞いてみると乙女は、奴隷娘とただならぬ仲になっているところを恋人に見られ、それがもとで振られてしまったという。
「モスルのイシャクとその恋人と悪魔」
大雨の夜、イシャク・ビン・イブラヒム・アル・マウシリが家にいると、ずぶ濡れになりながら、情婦が訪ねてきた。情婦に頼まれ、家の前を歩いていた盲目の艶歌師を招き入れると、その艶歌師は見えないものを見ているように歌にした。
「アル・メディナーの恋人たち」
イシャクの父イブラヒムのもとに訪ねてきた若者は、自作の師に曲をつけてくれと頼んできた。それは、行方のしれない乙女を想う歌だった。
「アル・マリク・アル・ナシルとその宰相」
美しい少年を持っていたアブ・アミルは、征服王アル・ナシルに求められ、少年を献上した。次に美しい奴隷娘を得たときも、アル・ナシルに贈ることにした。ところがアル・ナシルに、アブ・アミルはまだ少年を想い、悔しがっていると耳打ちする者がいた。そこでアブ・アミルを罠に掛けてみることにしたアル・ナシルだが・・・。
「やりて婆のダリラーと兎とりの娘ザイナブが悪戯を行なったこと」 第698夜〜第708夜
ハルン・アル・ラシッド教主の時代、アーマッドとハサンという二人の大悪党がいた。教主は二人を月に千ディナールという高い俸禄で、目明かしの頭目として取り立て、バグダッドの警備にあたらせることにした。ペテンの腕なら二人より一枚上手と言われる、やりて婆のダリラーとその娘、兎とりのザイナブは、ぺてんに次ぐぺてんで都を混乱させ、アーマッドとハサンを困らせてやることにした。
「カイロの盗神アリの奇談」 第708夜〜第719夜
カイロの盗神と呼ばれるアリは、バグダッドのアーマッドの一の子分だった。アーマッドに呼ばれてバグダッドを訪れたアリは、やりて婆のダリラーの娘ザイナブに惚れて結婚したいと思ったが、ダリラーとザイナブは一筋縄ではいかなかった。
にえ この中で最も印象に残る「やりて婆のダリラーと兎とりの娘ザイナブが悪戯を行なったこと」と「カイロの盗神アリの奇談」は続編みたいになっている切り離せないもの。バートンさんによると、アラブ人が特に好む物語だそうで、さすがにおもしろいっ。
すみ やりて婆のダリラーは、その名に恥じぬ、本当にやり手の婆だよね(笑) 会った人、会った人を次々とペテンにかけ、身ぐるみ剥ぎ取って去っていく展開が痛快だった。
にえ アリのほうは、運がいいだけでそれほど機知に富んでるわけでもなく、あげくにまた押しつけイスラム教が入ってきて、ちょっとガッカリだったかな。
すみ 「カイロの盗神アリの奇談」は最初にできたときはおもしろい物語だったのに、後年になって書き換えられてしまったんじゃないかって気がする。どうもその押しつけイスラム教のあたりから、無理に話をねじ込んだって違和感があるし。
「アルダシルとハヤット・アル・ヌフス姫」 第719夜〜第738夜
シラズの都のサイフ・アル・アアザム・シャー王は、歳をとってようやく子宝に恵まれた。一粒種の王子アルダシルは美しく、賢く、武芸にもたけた若者となったが、アル・イラクの王女ハヤット・アル・ヌフスの噂を聞き、恋慕の情を燃やした。しかし、この姫は男嫌いで、王子の求婚も即座に断ってしまった。それでも諦めきれないアルダシル王子は、大臣とともに旅立ち、王女の国で商人に身をやつし、助けを探すことにした。 そこに、王女の乳母である老婆がやってきた。
にえ これは「タジ・アル・ムルクとドゥニャ姫」の後半部分とまったく同じストーリー。同じ話を2度も読まされるのはちとキツイかも(笑)
「海から生まれたジュルナールとその子のペルシャ王バドル・バシム」 第738夜〜第756夜
アジャムの国のシャーリマン王は類い希なる美しさの奴隷女を買った。奴隷女はまったく口をきかなかったが、それでも乙女を深く愛し、他の妻妾はすべて退けた。一年後、奴隷女はようやく口を開いた。王の子供を身ごもったからだった。乙女は自分を海の王者の娘ジュルナールであると語った。
すみ これは陸の王と海の王女から産まれた王子のロマンティックな物語。エピソードも独自性があって堪能できました。
にえ 魔女の支配する町に住む、たった一人の老人、しかしてその実態は・・・なんて意外性のある話なんて、ホントにおもしろかったな。
すみ 海で普通に暮らせるはずの王子がそうでもなくなってるところとかあって、いろんな話をつなぎ合わせてる感は強かったかな。でも、おもしろいからいいんだけど(笑)
  
 「バートン版 千夜一夜物語」 第9巻へ