すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ある人生の門出」 アニータ・ブルックナー (イギリス)  <晶文社 単行本> 【Amazon】
40歳になったルース・ワイス博士は、自分の人生は文学のおかげで廃墟と化したと考えた。幼い頃には乳母から、「シンデレラだって舞踏会に行くのよ」と囁かれながら眠っていた。 父や母からは、アンナ・カレーニナやエンマ・ボヴァリーの人生を研究するのはいいが、見習うのはデヴィッド・コパフィールドとリトル・ドリッドの人生にしてくれと言われた。自分たちはおおよそかけ離れた生活をしていたくせに。 学生の頃からバルザックの研究を始めたが、バルザックが教えてくれる教訓は、彼女にとって気づくのに遅すぎた。「あたしはあまりにも醜い。彼があたしに振り向いてくれるはずなんかないわ」
にえ さてさて、私たちにとっては「嘘」からまた間があいて、3冊目になるブルックナー作品です。
すみ なんか間をあけてブルックナーを読むのが、私たちの行動パターンとなりつつあるね(笑)
にえ 私たちにとっては、この作家さんは特別というか、特殊だからね。どんなふうに特殊かというと、まだ読んだこともないうちから、ぜったいこの作家を好きになるぞと決めていたこと。
すみ そうなんだよね。なぜだかわからないけど、どうしても好きになりたいんだよね。でも、数年前に最初に読んだ「秋のホテル」はピンと来ず、これは作品が悪いんじゃなくて、自分たちがこれを読むには若すぎたんじゃないかという悔恨めいた苦い思い出となり、 ぜったい年齢を重ねて再チャレンジするぞと決意を胸に。そして2年ぐらい前だっけ? そろそろいいかと2冊目「嘘」に挑戦。
にえ 「嘘」は「秋のホテル」を読んだときよりは良さを感じとれるようになっていたよ。でも、正直まだ、共感できるというか、グッと来るものを感じるところまでは行かなかったかな。
すみ そして久しぶりにブルックナーの新刊が出たということで、この機会にと3冊目、「ある人生の門出」に。これは良かったよね。
にえ 良かった〜。良いと思える自分が嬉しい。でも、やっとブルックナーがわかる年齢になったぞ!と宣言していいのかどうか。この「ある人生の門出」は、「秋のホテル」「嘘」に比べて、ストーリーも起伏に富んでいるし、登場人物もバリエーションがきいてて魅力があって、とっつきやすい作品だったから。
すみ 不思議だよね。この作品は、ブルックナーのデビュー作であり、自伝的な含みも多い作品。それが創作された小説より、ストーリーに起伏もあり、登場人物も個性的だっていうのは。単純に言うと、作りこまれたもののほうが地味ってことになる。
にえ いや、そんなことを軽はずみに言ってはダメだよ。単に私たちが「秋のホテル」や「嘘」の魅力を汲み取れきれてないから、そう感じるだけなのかもしれないんだから。
すみ そりゃそうだ。ともかくブルックナーは、5、60歳になってからでもわかるようになればいいかと思ってたんだけど、この小説はそんなに待たなくても、充分に堪能できた。
にえ 主人公が40歳までの話だからね。この作品を発表したのは、ブルックナーが50歳を過ぎてから。当時のブルックナーは美術研究所の教授で、美術に関する著書をいくつか発表して、その世界では権威を認められ、でも、私生活では親の犠牲となって青春を失い、寂しい人生を送ったらしき女性。その女性が神経症の自己治療のために書いた小説が、このデビュー作だそうな。
すみ 自分の人生を客観的に振り返り、分析しようと思ったのね。作家としては遅いデビューだけど、それだけに処女作だからっていう浅さ、未熟さは感じなかった。
にえ そういった事情だから、主人公のルースは、ほぼアニータ・ブルックナーと等身大なんだよね。東欧から亡命してきた家族というのも同じだし、小説では父親は稀覯本を扱う古書店を経営しているけど、実際は扱うものに古書を含む骨董商ということでほぼ同じ、母親は小説だと女優だけど、実際は歌手。
すみ ルースは両親を「軽い」と思っているのよね。父親は愛想がよくて、だれにでも優しいけど、向上心その他の情熱は持ち合わせていないってタイプの男性、母親は、華やかな世界に長く身を置いたことで、そのキラキラとした過去を忘れがたく思っているんだけど、 たとえば母親役とか、朗読者といった、年齢に見合った新しい境地を切り開いていく気力はなく、ベッドに寝転がってばかり。
にえ ルースが幼い頃は、母親は女優業に忙しかったから、ルースは一緒に暮らしている祖母に育てられたようなものなんだよね。そのためか、もともとの気質のためか、ルースは母親と違って、若いうちから古風な女性に。
すみ 女性作家らしく、服装についての描写が多かったけど、ルースはかなり地味だったよね。まだ学生のうちから、好きな人に会うためにお洒落するのに、胸元にカメオのブローチをするようなセンスだもん。
にえ 祖母が亡くなってからは住み込みの家政婦が来るんだけど、この人がまただらしない人だった。
すみ 煙草を吸って、酒を飲んで、食器を洗うのは一日に一回、ルースの母親の話し相手をするのが仕事と思ってるような人だもんね。
にえ まあ、この家庭じゃ自然とそうなっちゃうのかな。とにかく怠惰な雰囲気の漂いまくる家で、ルースだけが勤勉。一生懸命、勉強して、好きな人ができたりもするんだけど・・・。
すみ ルースはルースで、古風すぎてズレてるんだよね。自由ではあっても、この両親、家に引きずられ、どうにもならない人生を歩まされているようでもあったし。
にえ とにかく、思い通りには生きられなかった、地味な女性の半生なのよ。でも、読むと不思議に湿っぽくもないし、重すぎて息が詰まるということもなかった。サラッと冷めたようなところもあり、そこはかとないユーモアもあったりして。
すみ うん、それについては、ルースの芯の強さやダラダラと嘆くことを潔しとしない知性、こざっぱりとした率直さによるところも大きいね。
にえ 感傷的なところがなくて、こっちが同情しなくちゃいけないと負担に感じるところがなかったもんね。それでも私は立派に生きてますよ、みたいな気負いもまったくなかったし。
すみ パッとしない女性の半生だけど、スッと背筋が伸びるような、イギリス文学らしい小説だったね。ブルックナーを読んでみたい方にはオススメ。