すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ユリシーズ V」 ジェイムズ・ジョイス (アイルランド)  <集英社 文庫本> 【Amazon】 (1) (2) (3)
20世紀文学の最高傑作とも謳われるジェイムズ・ジョイス(1882〜1941年)の「ユリシーズ」翻訳本が、4分冊で文庫化。
舞台はダブリン、時は1904年6月16日。これはたった一日に起きた出来事である。
にえ さて、いよいよいろんな意味で山場といえる3冊目です。
すみ まだ第二部の続きで、この本でようやく第二部が終了するのよね。
にえ ここは言いたいことが多すぎるので、いきなり内容に入ってしまいましょう。ストーリーを知りたくない方はこの先は読まないでね。
すみ じゃあ、14.太陽神の牛からだね。時刻は午後10時。ブルームがミセス・ピュアフォイって人の難産が気がかりで、産婦人科病院に立ち寄るってお話だそうなんだけど・・・。
にえ ここは翻訳者の遊び心その他が冴えまくり、翻訳家根性が炸裂しまくってる、とびきり素晴らしい章であり、自分の日本語力の低さと、せっかくの遊び心についていけない非力さに、自己嫌悪で押しつぶされそうになる章でもあるよね、とほほ。
すみ 原文では、古代英語から現代英語までの英語散文文体史の変遷を、継ぎ目なく次々にパロディすることで、川が流れるがごとく表現しているところなんでしょ。そこを日本語文体史のパロディにしっかり変えてるなんて、かっこいいよね。 ホント、すんなり理解できたら、どれほど楽しめることか。私もトホホ。
にえ どう翻訳されてるかというと、<古代英語>の部分は「古事記」風の文体、「アーサー王の死」で有名な<マロリー>は「源氏物語」などの王朝物語風に、エリザベス朝散文は「平家物語」風文体、「ロビンソン=クルーソー」などで写実小説を開拓した<デフォー>は井原西鶴、 「英国史」で有名な<マコーリー>は夏目漱石、言わずと知れた大衆文学の祖<ディケンズ>は菊池寛、唯美主義の<ペイター>は谷崎潤一郎風の文体に。
すみ 説明だけ読むと、わ〜、ピッタリかも、と思うよね。これを実際読んだらどうなったかというと、この14章の14ページから101ページまで、ほとんど丸々なにが書いてあるか理解できないまま終わってしまった(笑)
にえ 最初見たときは、お、「古事記」や源氏、平家の文体は無理でも、夏目漱石あたりからは読んでるんだし、わかってくるはずだわ、と思ったけど、そうでもなかった。
すみ そうそう、私たちが読んだのは、あくまでもわかりやすい現代語に文章を直した小説であって、作家が書いたそのままではないもんね。おまけに前のほうがわかってないから、途中から多少、書いてあることが読みとれるようになっても、 内容まできっちりとは把握できない。ここが第三難関にして、最大の難関だったわ。とうとう日本語ともサヨウナラ(笑)
にえ 「蓋(けだ)し国運勢数を論ぜんにもし夫れ繁殖の継続なかりせば」なんて文章が長々と続いてる時点で脳が死んでたかも(笑)
すみ だったら、「後(のち)には茨草は時の十字架に薔薇(さうび)と咲き薫(かを)る。」なんて、日本語って美しいなあ、と思わせてくれたじゃない。意味わからないけど(笑)
にえ まあ、そんなこんなで短い14章を乗り越えると、15.キルケへ。これが長いから、この本は14と15の二章だけなの。
すみ ここはがらりと変って1ページあたりの文字も少なく、ゆったりと文字の組み込まれた戯曲風。太字の人物名、セリフ、かっこで囲まれたト書き、ときっちり戯曲の構成になってるのよね。
にえ 14で脳細胞がたくさん破壊されて(笑)、15もヘロヘロ状態で読みはじめたんだけど、ここは読んでるうちにだんだん乗ってきて、あまりのバカっぷりに笑ってしまったりもしたな。
すみ 場面は夜のダブリンの町、時刻は午後12時。ガーティの友達のシシーや、ガーティと一緒にいた双子の男の子たちが歌ったり、ガス灯によじ登ったりする奇怪な町を、スティーヴンと知人のリンチが歩み去るところから話は始まるのよね。
にえ そこからブルームが登場するんだけど、ブルームは衣装をコロコロ変え、場面がコロコロ変り、死んだ父が出てきて叱られたり、母親も出てきて、おじいちゃんも出てきて、 手を出して辞めさせちゃった女中や、セクハラ攻めにした女たちが出てきて責められまくり、裁判にかけられたかと思うと、皇帝で大統領で国王で議長になって威張りまくり、帽子がしゃべって蛾がしゃべり、自分の頭がとれて小脇に抱え、 シェイクスピアやテニソンまで出て来るという、まさにグッチャグッチャの幻覚世界。
すみ 最後のほうにはスティーヴンも責められてたよ。脇でやじるのは娼婦たち。別々の旋律を奏でる人たちが、やがてひとつになって大合唱になっていくみたいだった。
にえ ひとつ納得がいかなかったのは、最初の粗筋紹介で、現実に起きていることとブルームの幻覚が入り混じってるというようなことを書いてあったんだけど、私はそうは思わなかったな。 なんかちょっと違うって気がしたんだけど。
すみ え、明らかに現実離れした幻覚だってわかるところと、ここは現実かなってところがあったじゃない。
にえ いや、そういうことじゃなくて、なんというのかな、現実と幻覚が入り混じってるんじゃなくて、この章ぜんたいで、娼婦が通りに出て、盗みがあり、喧嘩があったりするようなダブリンの町の夜の、その夜の淫靡な邪悪さというか、 夜の町をふらつくことへの罪悪感とか嫌悪感がありつつの騒々しさに巻き込まれていくことへの快感含みというか、なんかそういう、幻覚とかじゃなくて、これがひとつの夜をあらわす抽象化した芝居仕立てというか、デフォルメしたダブリンの町の夜そのものというか、そういう表現だって気がしたの。
すみ う〜ん、でも、これって戯曲だし、当然、シェイクスピアを意識してるよね。だったらやっぱり幻覚が入り混じり、でいいんじゃないかなあ。ま、それはともかく、ここは現代の基準から行くと猥褻とまではいかないまでも、かなりオゲレツ満載だったよね。
にえ とりあえずブルームが、破廉恥きわまりない男だということはわかったよ。ここまでエロエロだったとはねえ。
すみ でも、スティーヴンには妙に優しく親心的なものを懐いてたから、そこで好感は持てたよね。ということで、3冊目は終了っ。
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