すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「霊山」 高行健(ガオ・シンヂエン)  中国  <集英社 単行本> 【Amazon】
おまえが乗ったのは長距離バスだった。おまえは一人の男と知り合い、霊山のことを知った。しょせん、あてのある旅ではなかったおまえは、 霊山をめざすことにした。だが、そこになにを期待するのか。
にえ 私たちにとっては「ある男の聖書」に続いて2冊目の高行健作品です。
すみ これがノーベル文学賞受賞の決定打となった作品なんだよね。私は「ある男の聖書」を読む前から、できれば「霊山」を読みたいと思っていたんで、 ようやく読めたと感激もひとしお。
にえ でも、これは「ある男の聖書」と対になってるとか、姉妹編だとかいわれてるから、やっぱりこれだけ読めばいいってものじゃなくて、「ある男の聖書」も読むべきだったんでしょ。
すみ まあね。でも、私は断然こちらのほうが好きだな。「ある男の聖書」は重く冷たい印象だったけど、こちらはもっと作者に近づけて読めたような感覚があったし。
にえ あいかわらず、自分のことを「私」「おまえ」「彼」といろんな人称で使い分ける、私小説的というか、自伝的な小説だったけどね。
すみ そうなんだけど、この「霊山」ではまたちょっと違う感じがしたよね。こちらは3つの人称ってだけじゃなくて、何人もの人がいて、それぞれに霊山をめざしているような、それでいて、 その大勢の人たちがじつは一人の人だってことはわかる、みたいな不思議な気持ちがしたまま読み進める、みたいな。
にえ 単純に考えれば、一人の人の別の時間のことが順序ばらばらになって各章に散らされてるってことになるんだろうけど、章によって人格も違うような印象を持ったり、ときにはこのままこの人は死んじゃったんじゃないかって終わり方をするようなところもあって、 同一人物とはつかみかねるようなところがあったもんね。
すみ うん、それが混乱させられるって感じじゃなくて、もうこっちはなにも考えずに身を任せるしかないなって気にさせてくれて、妙な心地よさがあったの。
にえ とはいえ、決して楽しく、ノホホンとした話ではないんだけどね。「ある男の聖書」につながる自身の辛い過去もキッチリ語られてたし。
すみ まあね、断片が積み重ねられていくような小説だから、分けて話すしかないんだけど、「私」は癌の宣告を受け、全作品が発禁となって作家生命を立たれたような状態になって、長い長い旅に出るの。この発端はすべてにたいして共通と考えていいでしょ。
にえ 霊山に向かっているというところも共通でしょ。
すみ あとは、霊山の手前の町で、一人の女性と知り合う人がいて、この人は独立しているようにも感じられるのよね。
にえ その名もない女性は子宮でものを考えてるってタイプの女性だったよね。男性を激しく求めながら、同時に激しく拒否していて、時にはヒステリックに叫びさえして。
すみ 一人の男と一人の女、一緒にいるのにけっして完全には理解しあえないという、男女のあいだに横たわる大きな溝を強く意識させられるような関係だった。この女性も何人もいるような、みんな同じ人のような、とらえどころのないところがあったんだけど。
にえ それから、禁欲的なタイプで、魂の救済を求めている人もいたような気がするけど。その人は誘惑には乗らず、巫女に会い、道士に会い、僧侶に会って、世俗からの解脱とはなにかを訊いて歩いているみたいなの。
すみ 民俗学者風ともとれる人もいたよね。女性に手を出したい気持ちはあっても怯えのほうが先に立つタイプで、行く先々の町や村で老人に話しかけ、人々の間に永く伝わる物語や民謡を集めてまわりつつ、 伝説の野人の足どりを追い、ときにはパンダの生態を観察するグループに加わるの。
にえ それぞれに出会いや別れ、諍いなどがあって、みんな違う人みたいでもあるけど、やっぱり一人の人なのよね。読んでいると、別人みたいっていうのと同一人物なんだよなっていう意識が常に同時にあって、それがとにかく不思議な、幽玄の世界に踏み込んだような感触につながっていくようだった。
すみ そういう流れの中に、いろんな話が盛りこまれてるの。たとえば、匪賊にさらわれた娘が、匪賊の親分の奥さんとなって生きる話や、身分の違う男女が恋をして駆け落ちをしようとする話や、ある偉い人のもとに現れた不思議な巫女の話や怪談話などなど、 そんな昔話的なお話が、「私」が聞いた話だったり、「おまえ」が創作した話だったりして、次々に出てくるの。
にえ 戦時中に起きた悲惨な話や、文革時代の残酷な話なんかも沢山あったよね。とにかく悲しい逸話が多かった。
すみ とにかくねえ、景色は壮大なスケールで、迫力をもって語られ、興味深い話はいくつも出てきて、あたたかいふれあいも楽しげな出会いもありで、きっちりしたストーリーがなくても飽くことなく、というか、むしろどっぷり酔いしれて読み進められたの。
にえ なんて言えばいいんだろう、主人公の混迷する精神状態というか、求めることを断たれつつも生きる空疎な、それでいてどこか必死な気持ちというか、諸行無常というか、輪廻的な、やがて輪になる生々流転というか、そういう西洋的な虚無感とも喪失感とも違う、きわめて東洋的な精神世界に引きこまれ、 一緒に山中にさ迷ってしまうような感触がなんとも良かったというか、凄かったよね。
すみ うん、言いたいことはなんとなくわかる、私もうまく言えないけど(笑)
にえ こういう小説だと、だれにでも安心して勧められるというものでもなくて、共感するものがなければそれまでのようなところもあって、好みも分かれるところなんだろうけどね。
すみ そうねえ、でも、私はもうほんとうに強く、深く感銘を受けたから、やっぱり大絶賛したい。あえて言うなら、酷くも辛くも悲しくも息苦しくも温かく高く広く美しく素晴らしかったです。