すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「新訳 ピノッキオの冒険」 カルロ・コッローディ (イタリア)  <角川書店 文庫本> 【Amazon】
大工のアントーニオ親方は、鼻のあたまが、よく熟したサクランボみたいに、いつもツヤツヤ光って 真っ赤だったから、サクランボ親方と呼ばれていた。サクランボ親方は、テーブルの脚にするのにちょうどいい 薪ざっぽうを見つけて大喜び。さっそく皮をはいで削ろうとした。ところが、その棒っきれは棒っきれのくせに 「痛いっ」と叫んだ。そこにちょうど、あやつり人形を作ろうとしているジェッペットじいさんが訪ねてきた。
にえ アカデミー賞の前日、その年の最低の映画を決めるラジー賞で、 みごと2003年度主演男優賞を射止めた「ピノキオ」の原作です。
すみ その映画のおかげで読みたかった本を読む機会を得たんだから、 そういうイヤミったらしいことを言うんじゃないの。
にえ だって、だって、あの人、けっこうなオジサンだよ。 ピノキオなのにオジサンなんだよ。怖いよ〜(笑)
すみ 私たちはポール・オースターの「孤独の発明」を読んでから、 ずっと「ピノッキオの冒険」を読みたいと思ってたんだよね。
にえ うん、ディズニーのアニメとは、かなりストーリーが違うってことで、 じゃあ、どんなだろうと気になってたの。
すみ まさかこんなに違うとは、まさかこんなにおもしろいとは、思わなかったよね〜。
にえ ディズニーの「ピノキオ」しか知らなかったときは、たとえ原作と違っても、あれはあれで 子供向けの良い映画だからいいじゃないのと思ってたけど、原作のおもしろさ、豊かさを知ってしまうと、もうダメだね。正直なところ、 ディズニー「ピノキオ」がチャッちく感じちゃうな〜。
すみ 最近の児童文学に見かけるような、大人も楽しめるように書いたのかな〜っていうようなのじゃなくて、 ホントに純粋に、子供たちのためだけに書かれた子供向けの本なんだけど、それでもやっぱり私たちが読んでもおもしろかったよね。
にえ まずねえ、百年以上も前に書かれてるのに、ユーモアの感覚が古びてないのよね。 冒頭からもう可笑しくって、クスクス笑いながら読んでしまった。
すみ 逆に古びてるこそのおもしろさもあったでしょ。子供の頃、児童書ってお説教くさいのが 多くて嫌いだったんだけど、この本は思いっきりお説教くさくて、しかもそれが古っぽいから、それも笑えてしまうの。
にえ なんといっても、お説教の決め科白が「そんなことやってると、しまいには 牢屋に入るか、慈善病院で死ぬことになるよ」だからね(笑)
すみ 古いといえば、昔のイタリアの子供たちの遊びや、ふざけたときに使う言い回しとかも 興味深くておもしろかったよね。
にえ でも、やっぱりなんといっても一番おもしろいのがストーリー。噂にたがわず、 ディズニーの「ピノキオ」とはかなり、予想以上にか〜な〜り違ってた。
すみ ここからストーリーを軽くご紹介、といくと思ったら大間違い、ふっふっふ。
にえ やっぱり読んで違いに驚いてほしいよね〜。ピノキオが木の人形で、 良い子になって人間の子供になろうとしてるのに、なかなかなれないって話なのはみんな知ってるんだしね。
すみ それにしても、アニメのピノキオとは違って、かなり貧乏くさくて生活感あふれるような ところもあったよね。貧乏くさいといっても、せっぱつまった感じじゃなくて、心の豊かさの感じられる貧しさなんだけど。
にえ 私が唯一疑問に思ったのは、ピノッキオがお腹すいたって言ったとき、ジェッペットじいさんは 梨を3個あたえて、あとは食べるものはなにもないって言うんだけど、すぐそのあとで、ピノッキオにパンで帽子を作ってあげてるところ。 そのパン、食べられると思うんだけど(笑)
すみ まあ、いいじゃないの、ご愛敬ってことで。それより、子供の頃にディズニーの「ピノキオ」を見たときには、 ピノキオの愚かさにちょっと腹が立ったりもしたんだけど、こっちのピノッキオは、わかる、わかるって思いながら読めたな。
にえ こっちのほうがバカさかげんが炸裂してるけど、ピノッキオの心の動きがクッキリつかめるように書いてあるから、 共感できるし、愛着もわくよね〜。
すみ イラストがいっぱいついてるんだけど、それがまた邪魔になるどころか可愛くって、 雰囲気づくりに貢献してて、とってもよかった。サーカスのチラシの文章のところなんて、それを飾るようにちゃんと絵が囲んであって、そういう 配慮も素敵だった。
にえ 「孤独の発明」で父と子がピノッキオに夢中になる気持ちもスンゴク理解できた。これは児童書だけど、大満足の1冊。
すみ 興味のある人はぜひ読んでほしいな。じゅうぶん大人と子供の宝物になりうる文庫本でした。 ちなみに、この新訳の翻訳者は芥川賞受賞作家の大岡玲さんです。