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 「リカルド・レイスの死の年」 ジョゼ・サラマーゴ (ポルトガル)  <彩流社 単行本> 【Amazon】
1935年11月30日、ポルトガルの偉大な詩人フェルナンド・ペソアは、あまり人に知られることもなく、 ひっそりと息を引き取った。16年間、ブラジルで医者として働いていたリカルド・レイスは、アルヴァロ・デ・カンポスから 報せの電報を受けとり、ポルトガルに帰る決意をした。1935年12月29日、リカルド・レイスを乗せた船がリスボンの港に着いた。 ペソアの墓以外には訪ねるところのないリカルド・レイスは、川の近くにあるブラガンサ・ホテルにしばらく宿泊することにした。
にえ ジョゼ・サラマーゴが1984年に書いた作品が、なぜか今になって 和訳出版されたので読んでみました。
すみ ジョゼ・サラマーゴがノーベル文学賞をとったのが1998年だから、 14年前。和訳出版されてる中では「修道院回想録」が一番古くて1982年の作品だから、その2年後に書かれた作品ってことか。
にえ 1982年の「修道院回想録」から1995年の「白の闇」のあいだの長編小説が今まで 邦訳されなかったのは、ポルトガルの歴史や政治、宗教問題などを扱ったものばかりだからだと思うんだけど。
すみ うん、この「リカルド・レイスの死の年」が邦訳されたのは、なんというか、 奇跡に近いっていうか、普通ならありえないっていうか、よくぞ翻訳してくださいましたってかんじだよね。
にえ フェルナンド・ペソアとポルトガルの近代史の両方とも、まったく知らずに この本を手に取ったとしたら、ちょっと理解しきれないんじゃないかなって気がする。
すみ 彩流社の<ポルトガル文学叢書>シリーズだから、ありえたんだろうね。
にえ そうなんだよね。このシリーズをすべて読んでる人なら、詩人フェルナンド・ペソアの 知識がある、ペソアを知ってれば、とりあえず書いてあることはわかるってところだろうからね。
すみ ちなみに、フェルナンド・ペソアという詩人は、イタリアのアントニオ・タブッキによってポルトガルの外にも名の広まった 詩人で、この人のことを知るためには、まず異名について知る必要があるの。
にえ フェルナンド・ペソアの異名については、前に軽く紹介してあるので、興味がおありの方はそちらもご参照あれ。 フェルナンド・ペソア詩選「ポルトガルの海」
すみ ようするに、ペソアは自分の名前だけでなく、違うペンネームでも詩を発表してたってことなんだけど、 この違うペンネームっていうのが、単に名前がちがうってだけでなく、それぞれの名前には、はっきりとした人物像があり、経歴があり、思想があり、作風があるのよね。
にえ そのフェルナンド・ペソアが作り上げた数々の異名のなかの一人がリカルド・レイスで、 リカルド・レイスはペソアより1歳年上の1887年生まれでポルト生まれ、詩人であるとともに医師であり、その作風は神話を題材にした古典主義の叙情詩が中心。
すみ で、1919年にブラジルに渡ったってことになってるんだけど、なんとこのサラマーゴの小説「リカルド・レイスの死の年」では、 リカルド・レイスはフェルナンド・ペソアの死を知って、翌月にブラジルからポルトガルに帰国してきたことになってるの。
にえ しかも、リカルド・レイスに電報を打ったのが、これまたフェルナンド・ペソアの異名であるアルヴァロ・デ・カンポスだっていうんだから、 不思議な話だよね。
すみ リカルド・レイスもアルヴァロ・デ・カンポスも実在の人物ではなく、フェルナンド・ペソアが作り出した異名、これがわかってないと、 この小説の肝心なところが意味不明ってことになっちゃう。
にえ ペソアが死んで、なぜかポルトガルに戻ってきたリカルド・レイスは、 自分がペソアの異名の一人だと紹介されている新聞を読みながら、私は存在しているのに、なんてことを言いつつ、リスボンのホテルに宿泊するの。
すみ そこでメードのリディアと関係を持ちながら、裕福な公証人の娘マルセンダに恋心を抱くの。
にえ マルセンダは左手が原因不明の病気で萎えてしまい、リスボンでその治療を受けるために月に一回、 ブラガンサ・ホテルに父親と宿泊しにくるのよね。
すみ そんなことよりおもしろいのは、ポルトガルに戻ったリカルド・レイスのもとに、 ちょくちょくフェルナンド・ペソアの霊が会いに来るようになるってこと。
にえ でもって、リカルド・レイスは新聞を読みあさり、見聞きすることによって、ポルトガルの現状を知るようになっていくの。
すみ 貧困にあえぐ大衆、革命の波に立ち向かう不安定なファシズム政権、と当時のポルトガルの国としての苦しみが、サラマーゴの描写で 痛いほど伝わってきた。新聞社で働き、詩人でもあったサラマーゴだからこそ書けた小説だよね。
にえ とはいえ、ストーリーにはほとんど起伏もなく、1930年代のポルトガルに興味があるとか、フェルナンド・ペソアに興味があるっていう人じゃないと、 たぶん面白みのない小説ってことになるんじゃないかな。いつもながら、癖の強い文章だし。
すみ やっぱり興味のある人が読めばいい本ってことになるのかな、オススメってわけにはいかないか。個人的には、この本を読んでからポルトガル語を勉強しようかなと 真剣に考えはじめてたりするのだけど(笑)
にえ 私はこの本読んでて、あらためてポルトガルの偉大な作家エッサ・デ・ケイロースの小説ももっと翻訳してほしいなと思ったんだけど。 晩年に書かれた2作品収録の「縛り首の丘」1冊では淋しいわ。