すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「シルクロードの鬼神」 上・下  エリオット・パティスン (アメリカ)  <早川書房 文庫本> 【Amazon】 〈上〉 〈下〉
非公式ではあるが、チベットの強制労働収容所から解放された元中国経済部主任監察官の単(シャン)は、 ラマ僧の隠遁所に身を寄せていたが、師である高僧ゲンドゥンから依頼を受け、チベットの北部へ旅立つことになった。 そこで劉(ラウ)という女性教師が殺され、ラマ僧がひとり行方不明になったので、調査してほしいというのだ。 劉はそこで、ふだんは遊牧民に預けている孤児たちを時おり集めては、ジェリという小さな学校を開いていた、尊敬を集める 大変博学な人格者だった。ゲンドゥン、ローケシュ、ジョワとともに旅へ出た単だったが、行く先では、すでにジェリの 子供たちが次々と殺されはじめていた。ジャクリという勇気ある若い遊牧民の女性の助けを借り、謎を解き、続いている殺人を 阻止しようとする単だったが……。
にえ これは前作の「頭蓋骨のマントラ」に続く、 チベットが舞台、中国人の単が探偵役のミステリです。
すみ 前作を読まないでこっちを読むのはちょっと無理だよね。いきなり こっちを読んでも、登場人物たちの関係がつかめないだろうし、チベットについてよほど詳しい人じゃない と背景じたいがわからないだろうし、
にえ そうそう、まだの方は先に「頭蓋骨のマントラ」を読んでいただかなくてはね。
すみ それにしても、前作より数倍も濃かったよね。前作でアメリカ探偵作家クラブ賞 を受賞してて、アメリカ人がここまでチベットを書ききったか、と思ったけど、こっちを読むと、前作はまだ ほんの序章に過ぎなかったのねと思えてしまう。
にえ チベットの人々の暮らし、発想、ラマ僧たちの修行や考え方、すべてが グッと深く掘り下げてあったよね。
すみ オマケに今回はチベットで暮らす人々といっても、チベット人、カザフ人、 ウイグル人などなど文化も宗教も違う人たちが共存してるんだってこともわかったし。
にえ 悲惨さも増してたよね。中国の支配で苦しむチベットの実体がこの本で 浮き彫りにされていくんだけど、今回はまた一段と凄まじかった。僧侶の大量虐殺、卑怯な手口を使った弾圧、 殺してくれと叫びたくなるような制裁の数々、目も覆うほどだった。
すみ それでも読み進めずにはいられなかったのは、ラマ僧をはじめとする チベットの人々の独特の思考の流れ、その美しさだよね。
にえ うん、そうなの。非道い目にあわされても、修行をさせてくれてありがとうって 感謝するし、些細なことにも天の導きを感じて、それに従おうとするし、目に見えないものの存在を本気で信じてるし、 なにより自然から真理を学ぼうとする前向きさが美しかった。
すみ 未発達の原始的思考といってしまえばそれまでなんだろうけど、それを 超える美しさがあるよね。飾り立てた指輪のダイヤモンドの美しさより、石にまぎれこんだダイヤモンドの原石のほうが ハッとする美しさがあるみたいに。
にえ それにチベットの原自然の美しさ、それと共存する人々の暮らしの美しさが加わるから、 本当に心洗われるというか、反省させられるというか、あえて留まっていることに崇高さを感じるよね。
すみ 独特の宗教観がまた前作より深みをましてて、興味深かったよね。前作でも ちょっと気になった、書きたいことが多すぎて、ちょっと浮いてしまってもあえて挿入してるってところはこっちの作品 でも感じたけど、それでも熱が伝わってくるから、与えられることに感謝できたな。ダライ・ラマを はじめとするラマの高僧の転生についても今回は大きく触れられてて、そういうことだったのかとあらためて 知らされたし。
にえ そういうチベットの宗教に対する中国の過酷すぎる弾圧には、読んでいて本当に腹が立ったけど。
すみ アメリカについては助けてくれる国、憧れの国としてだけ書かれてたけど、 書いたのがアメリカ人作家ということを考えると、もっとアメリカの姿勢に対しても反省を促してほしかったような気はする。 ただ、なにもしていない日本に住んでる私が言うのは、あまりにもおこがましいけど。
にえ 今回の単は、いちおうは自由の身。でも、非公式な形で収容所を 出してもらっただけだから、身分証明書もないし、問い合わせをされれば射殺してもいい逃亡犯というこ とになってしまう。そんな身でありながら、捜査を進めるの。
すみ 最初に殺された劉っていうのがまた謎に包まれた不思議な女性なのよ ね。あらゆる学問につうじている、スンゴイ博学な人なんだけど、過去や身元についてはよくわからないし、 なにか目的があって教師をやっていたみたいだし。
にえ 劉が殺されたあとでは、劉の生徒である孤児の少年たちが、次々に むごたらしい殺され方をするのよね。殺人犯はなにかを探していて、それを見つけるために少年たちを順番に 殺しているみたいなの。
すみ 単と一緒に行動するラマ僧のゲンドゥン、ローケシュは、劉の生徒の 少年たちの中でも一人の少年の安否を異常なまでに気遣っていて、そこにはなにか宗教的な謎が隠されてる みたいよね。
にえ そこに、美しく頭のいいラクダのソフィの飼主で、密輸をやってる豪快 なロシア男のマルコや、チベットの古代を調べている奥さんがいて、自分は虫のオーケストラを作ろうとしている アメリカ人のジェイコブ、勇敢な遊牧民の女性ジャクリ、翡翠のように堅く冷たいと言われながらも、単に理解を示す 検察官の女性、徐莉(シュー・リー)などなど、魅力的な登場人物たちも加わっていきます。
すみ でも、ストーリーとしては、悲劇につぐ悲劇だよね。ラストの大団円を迎えても、 悲劇があまりにも多かったことに胸がつまる思いがした。
にえ この本を読むと、チベットについてはホントに考えさせられるよね。訴えてることは ミステリを超えてるのよね。でも、ミステリだからこそ読みやすくなってる。
すみ 濃いし、悲惨だし、背景がけっこう複雑、でも美しくて深みがあって。 勧める人は選ぶ小説家もしれないけど、私としては素晴らしい、の一言につきました。