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「フェルナンド・ペソア最後の三日間」 アントニオ・タブッキ(イタリア) <青土社 単行本> 【Amazon】
1935年、ポルトガルの偉大な詩人フェルナンド・ペソアは、聖ルイス・ドス・フランセゼス病院で 最期の時を迎えようとしていた。11月28日、29日、30日、死までの三日間に、さまざまな人々が 病室に現れる。それは現実の人なのか、幻の人なのか。ペソアは詩人としての人生に多大な影響を受けた人々と最後の言葉を交わしはじめる。
フェルナンド・ペソア詩選 「ポルトガルの海」
にえ ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアの死の前の三日間を、幻想的に書いた短い小説です。
すみ フェルナンド・ペソアっていうのは、本当にいた詩人。で、 ペソアを発見し、みずから翻訳してイタリアに紹介したのがタブッキ。
にえ タブッキによると、小説が瀕死の状態にあったヨーロッパに おいて、詩の伝統を回復させ、それによって小説の伝統も回復させたのがペソアなんだそうです。
すみ タブッキにとっては、ペソアはただ単に好きな詩人っていう んじゃなく、それだけ重要な人なのよね。
にえ 私たちが前に読んだ『インド夜想曲』をはじめとして、タブッ キの小説にペソアはたびたび登場するし、初期のタブッキの小説じたいが、すべてペソアの詩からインスピ レーションを得てると言っていいみたい。
すみ で、この『フェルナンド・ペソア最後の三日間』は、タブッキ のペソアにたいする想いのすべてを詰め込んだ作品であるとともに、ペソアの呪縛との決別の記念碑的な作 品でもあるらしいの。
にえ つまりこの本の前後で、タブッキ作品を分けて考えたほうがいいってことよね。
すみ ちなみに、ペソアの詩が読みたい方は、『ポルトガルと海』 (彩流社)『不穏の書、断章』(思想社)が和訳出版されてる詩集のようです。
にえ あと、詩集ではないけど、『ペソアと歩くリスボン』(彩流社) なんて本もあるよね。それに、ヴェンダースの映画『リスボン物語』でもペソアが紹介されているらしいよ。
すみ で、この本なんだけど、決してペソアという実際にいた人を、リアルに書いた小説ではないの。
にえ ペソアは「推理小説・タバコ・コーヒー ──つまるところ、 これがわたしの幸せだ」なんて言ってた人らしいけど、タブッキの書くペソアは、こういう俗物には汚染さ れてないピュアで、とってもストイックな人なのよね。
すみ この本を読めばわかるけど、タブッキはペソアのことをわかっ てなくてこういう書き方をしたんじゃなくて、わかってた上で、タブッキになりのペソアを作りだしてるの。
にえ 現実のペソアじゃなくて、詩人ペソアを引き出したかったんだろうね。
すみ ペソアはね、お父さんが新聞の音楽評論家だったんだけど、 ペソアが5歳の時に結核で亡くなって、それからペソアは南アフリカへ行ったりして、ちょっと複雑な人 生なの。
にえ ペソアの父親が亡くなったとき、その母であるペソアの祖母が、 精神錯乱に陥って、精神病院で亡くなったりしてるのよね。
すみ で、そういう生い立ちのペソアは、26歳の時、自分のなかに、 もう一人の自分を見つけるの。アルベルト・カエイロっていうんだけど。続いて、リカルド・レイスって人 や、アルヴァロ・デ・カンポスって人が同じようにペソアのなかに現れる。
にえ ペソアはそういう自分のなかの別人格たちを「異名」と呼んで たのだそうな。ちゃんとそれぞれの人格に経歴や容姿まで設定してあるのよね。
すみ その「異名」たちがそれぞれ詩を書いてるのよね。それが、 ペソアの詩の数々ってわけ。詩人ペソアとは、そういう複雑な人。
にえ だから、実物大のペソアを書いても、詩人ペソアを正確に浮か び上がらせることにはならないってタブッキは思ったんじゃないかな。
すみ うん、この本は、ペソアの外で起こってることじゃなくて、内 で起きてることを描きだそうとしてるよね。
にえ で、この本のストーリーは単純。そういう説明はいっさい抜き で、病床に運び込まれるペソア、病床で客たちを迎えるペソア、それだけを時の流れに沿って書いた物語。
すみ 会いに来る人たちは、ペソアが過去に関わりを持った人たちではあるんだけど、ペソアより前に亡くなって る人も、行方が知れなくなってる人もいるから、現実とも幻ともつかないような存在なの。
にえ ペソアにのめり込みすぎて、ペソアのたった一度の恋愛を壊し てしまった人とか、ペソアが死んだあと、ちょうど一年後にあとを追った人とか、みんなペソアとは精神的に 深く関わり合った人たちなのよね。十五年間、ペソアの髭を剃っていた床屋さん、なんて人もいたし。
すみ そういう人たちが、病床のペソアのもとにやってきて、一緒に 過ごした頃のこと、ペソアについて抱いていた感情のとこなどを話しだすの。
にえ 激しい感情の吐露はないのよね。みんな、静かに、静かに、死 にゆくペソアを気遣いながら、語りあう。
すみ 登場人物たちのセリフは、そのままタブッキの讃歌でもあるよ ね。一言、一言が、ペソアへの静かな愛情に満ちているもの。
にえ ギリギリまで削ぎ落とした文章が、とにかく美しかったよね。 柔らかい肌触りのなかに緊張感がひそんでて、読んでて息をひそめたくなった。和田忠彦さんの翻訳文が また美しいかったし。
すみ 『インド夜想曲』でタブッキを「知的な冷笑」って言ってたけ ど、この本でイメージが180度変わったよね。
にえ うん、お詫びして訂正いたします。「冷笑」ではなかった。 むしろ「誠実すぎるがゆえの鋭い刃」なのかも、とこの本を読んで思った。自己にたいしても、文学にたい しても、その他諸々にたいしても、あまりにも誠実すぎる人なのかもって気がするのよ、今はね。
すみ もっと読まないとわからないよね、この作家さんは。フェルナ ンド・ペソアの詩も読まないとね。ペソアを書いたタブッキの小説があまりにも美しいから、ペソアの詩を 読みたくなるのよね。