「・・・・本当に良く笑うな」

 そう言った葛西さんの視線の先には、野良犬と遊んでる時任がいる。今、黄色いテープの張られた場所に来てるのは、WA関係の情報を聞くためだけど、近寄ってきた野良犬に構ってる内に、そちらの方に夢中になってしまったようだった。
 事件現場から少し離れた場所で、時任はジャレついてくる犬と追いかけっこでもするのように、笑いながら逃げ回っている。その様子は、とても楽しそうで眺めているとココが事件現場だという事を忘れてしまいそうだった。
 冬には猫はコタツで丸くなるっていうけど、ウチの猫は今日も元気で…、
 まるで、近くで起こった事件とは無関係の場所にいるように見える。
 でも…、いくらそんな風に見えても…、
 ココにいる人間の中で一番ソレを忘れられないのは葛西さんでも俺でもなく、楽しそうに笑っている時任だった。

 「あんな風に笑ってても、時坊の身の上を考えりゃ笑いたい事より、泣きたい事の方が多いんだろうが…」

 そんな呟きを聞きながら時任を見つめても、さっきと同じように楽しそうに笑いながら犬と遊んでいて…、葛西さんの言う泣きたいコトは欠片さえも見られない。時任の笑顔は無邪気で明るくて、何かを押し殺したような…、何かを押し隠したような、そんな笑顔には見えなかった。
 笑いたいコトよりも…、泣きたいコトの方が多いはずなのに…、
 曇り一つない時任の笑顔は、思わず目を細めたくなるほど眩しかった。

 「さっきから黙ったままだが、どうかしたか?」
 「・・・・・・・・べつに?」
 「なら、別にいんだがな」
 
 葛西さんはそう言うと、現場から出てきた同じ刑事でコンビを組んでいる新木さんに軽く片手を上げて合図する。すると、それだけで葛西さんの言いたいコトがわかったらしく、新木さんはうなづいて現場に戻った。
 コンビを組んだ頃は不良刑事代表な葛西さんに振り回されていたみたいだけど、今では二人は結構いいコンビなのかもしれない。でも、俺がそう言うと葛西さんから同じ言葉を返された。

 「この間も刑事のクセに現場で吐いてやがったし、アイツは相棒って呼ぶにはまだまだ早ぇよ。それに俺に言わせりゃ、俺らよりもお前ぇらの方がいいコンビだ」
 「そう?」
 「さっきから、笑ってる時任の代わりに憂鬱そうにしてんのが、その証拠だろ?」
 「そんな風に見える?」
 「いや…、だが雰囲気でなんとなくな…」
 「・・・・・・」
 「たぶんだが…、今とは逆にお前がケガしてもヘーキそうなカオしてたりする時には、アイツがすごく心配そうなカオしてるんだろうよ」

 そう言って笑うと、葛西さんは新木さんのいる現場に戻っていく…、
 けど、葛西さんの言った事が本当かどうか俺にはわからなかった。
 憂鬱そうだと言われても、心当たりが無い…。
 目の前で、時任が楽しそうに笑っているなら尚更だ。
 でも、いつだったかケガをした俺を心配そうに見つめていた時任のカオが、ふと脳裏に浮かんで…、葛西さんの言葉を否定できなくなる。俺が今、どんなカオをしてるのか鏡がないからわからないけど、
 どんなコトが起こっても時任が笑顔でいるなら、それでいい。
 そう思っているはずなのに、時任の笑顔を見てると少しだけ胸が痛んだ。
 そんな胸の痛みと時任の笑顔は…、なんとなく何かに似てて…、
 何だろうと考えながら、晴れた空を見上げると…、
 自然に、その答えが自分の口から出た。

 「・・・・・・・・まるで、天気雨だぁね」

 そう呟いた瞬間、時任が俺の方に向かって走ってくる。
 遊んでた野良犬に、バイバイと手を振りながら…。
 そして、まるですねたように少し頬を膨らませて俺を見ると、手袋はまった右手で俺の服の袖を引っ張った。
 
 「なーに、さっきから葛西のおっさんと二人でコソコソ話してたんだよっ。まさか俺の悪口とか言ってねぇだろうなっ」
 「あれ、もしかしてバレてた」
 「…って、冗談で言ったのにマジで言ってたのかよっ」
 「なーんてね。ホントは悪口じゃなくて、お前のコト褒めてたんだけど?」
 「・・・・悪口よか、そっちの方が信じらんねぇっ」
 「ちゃんと褒めてたよ。お前の笑顔がカワイイって…」
 「ぶ…っ!! オトコに可愛いって、ソレって褒めてねぇってっ!!」
 「そう? ホントに可愛いんだけどなぁ」
 「もっかい言ったら、口に砂詰めっぞ」
 「どうせなら、愛情詰めてくんない?」
 「そ、そんなモンっ、どーやって詰めんだよ…っつーか…」
 「ん?」

 「・・・・・晴れてんのに雨降ってきた」

 カミサマのイタズラじゃなくて…、
 ただ偶然に何の前触れもなく、本当に降りだした雨…。
 空は晴れて日が差してるのに、小粒の雨が降り注いで時任と俺を濡らす。
 めずらしい天気雨に降られた時任は、マジかよ…っと言いながら、また楽しそうに笑った。けれど、笑う時任の頬には、空から降った雨が涙のように流れ落ちてて…、それは思わず伸ばした俺の指へと伝い落ちる。
 涙ではなく、雨を拭った俺の指を不思議そうに見つめた時任は、俺がしたみたいに、自分の指を伸ばして俺の頬の雨を拭った。

 「なんか、涙みたいな雨だな」
 「うん」
 「けど、天気雨だから、きっと笑い涙だ…」
 「うん…、そうね」

 笑いながら泣く空は、涙で洗われたように青い…。
 空の青から零れ落ちた涙は、日の光に反射して光って…、
 それはやがて時任の言葉に答えるように、七色の虹になる。笑い涙で出来た七色の橋は、それを見た時任の笑顔のようにとても綺麗だった。

 「明日も、きっと晴れだっ」
 
 虹を見て、そう断言した時任の横顔を見つめて…、それからまた虹を見る。そして、止みかけた涙雨の中、俺は時任の右手を握りしめながら、晴れた空にかかった七色の橋が消えるまで、じっと眺めていた…。

『天気雨』 2007.7.28更新


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