照りつける太陽、生ぬるく吹き付ける風。 その日の気温は三十六度を超えるという、悲惨なくらい暑い夏の日だった。 学校はすでに夏休みに突入しているというのに、執行部の面々はこの暑い最中、学校に集合している。 あまりの暑さに、さすがに全員がぐたっとしていた。 「ねぇ…、誰かコンビニ行かない?」 桂木がそう言うが、誰も返事をしない。 誰しもジュースやアイスが欲しいと思ってはいたが、この鬼のように暑い空気の中を歩く気にはなれなかったから返事をしなかったのだった。 さすがの桂木もその気持ちがわかるのか、大きく息を吐いて椅子にもたれかかる。 外からは部活に来ている運動部の声が、元気良く聞こえてきていた。 「なんで、あんな元気なんだよ。信じらんねぇ」 「時任は暑いの苦手すぎ」 「久保ちゃんだって苦手じゃんかっ」 「それは否定しないけど」 そんな会話を交わしながら、時任はパーカーの袖を肩までめくりあげてうちわで顔をあおいでいたが、久保田はいつもと変わらない様子で新聞を広げていた。 こんな暑さの中でも顔色一つ変わらない久保田は、やはり尋常ではない。 だが、そんな久保田の顔を見た時任が、自分をあおいでいたうちわを久保田に向けた。 「時任?」 「俺が勝手にやってんだから、気にすんな」 「アリガトね」 座って新聞読んでる久保田を、時任がパタパタとうちわであおいでやってる。 時任らしくないような、時任らしいようなそんな様子に、桂木を含めた全員がなぜかがっくりとうなだれた。 今もこんなに暑くてたまらないのに、これ以上暑くなってはたまらない。 全員が早く帰りたいと思っていた。 「時間はまだですか?室田」 「う〜ん、もうちょっとかなぁ」 「うわぁ、もう帰りたいっ!」 さすがに今日はトレーニングする気にはなれないらしく、室田は松原の横に座っているし、相浦もこの暑さでパソコンをたちあげるわけにもいかずにぼーっとしている。 実は執行部は、生徒会に呼び出されてここに集まっているのだった。 だが、補欠の藤原だけは、夏休みになってからすぐに親戚の家に泊りに行っていて不在である。 「くっそぉ、藤原のヤツ…」 時任は藤原がいないため、八つ当たりする相手がいなくてぶつぶつと文句を言った。 だが、八つ当たりできないからと文句を言われるのは藤原も不本意に違いない。 この場にいなくて良かったと言うべきだろう。 そんな感じで、全員が暑さにぐったりしながら待っていると、約束の時間ピッタリに生徒会長の松本が副会長の橘とともにやって来た。 「いきなり呼び出して申し訳ない」 「ご苦労様です」 そう言いながら真面目な顔をした松本と優しい微笑を浮かべた橘が生徒会室に入ってくると、桂木は近くにあったノートでバサバサと自分をあおぎながら、 「とにかく早くしてくれない? ここってクーラーないから暑いのよっ」 と、言う。 すると松本は暑い室内を見回してから、後ろに控えている橘に向かって首をかしげてみせた。 「生徒会室に冷房設備はなかったのか?」 「ここを使用するのは主に放課後だけですので、今のところ冷房を完備する予定はありません」 「そうか」 どうやら松本は、生徒会室にクーラーがないことを知らなかったようである。 二人の会話になくとなくひっかかりを感じた桂木は、なぜかあおいでいたノートをピタッと止めた。 「…もしかして、生徒会長室にはクーラーついてるんじゃないでしょうね?」 桂木がジロッと睨みを効かせながらそう言うと、松本に代わって橘がニッコリと笑って、 「もちろん、ついてますよ」 と答える。 すると、暑い中でぐったりとしていた全員の視線が松本と橘に向いた。 執行部がこんな暑い部室で活動しているのに、生徒会が冷房の完備された部屋にいるのは納得できない。 活動の面に置いては、生徒会も執行部も主に放課後なのである。 「不公平だわっ!」 桂木がそう言うと、執行部員全員がうんうんと頷いた。 やはり、生徒会長室にあるのなら生徒会室にもつけるべきだろう。 だが、実は執行部に予算が回らない大きな原因があったのである。 「机、椅子、体育館のドアなど、今月もたくさん破損しているようですね? 毎月出されるこれだけの予算を集めれば、簡単にクーラーをつけられます。がんばって節約してくださいね、桂木さん」 にっこりと華やかに微笑みながらそう言った橘に、さすがの桂木も言葉をつまらせる。 確かに、毎月執行部から計上している修理費はかなりの額だった。 「…時任、アンタのせいよ」 「なんで俺のせいにすんだよっ!」 「修理費の80%はアンタのせいでしょ!」 「そんなに壊してねぇっつーのっ!」 桂木は自分のせいじゃないと言い張る時任に、修理費の書き込まれている帳簿を見せる。 修理費の横には誰が壊したかが、きちんと書かれていた。 「これを見てもそう言えるかしら?」 「うぅっ…」 ここでこんなに暑い思いをしているのは、松本と橘ではなく時任のせいになりつつある。 まずい状況に追い込まれた時任がなんとなく窓の外を見ると、花壇に植えられているヒマワリに水をやろうとしている園芸部員が目に入った。 どうやら、園芸部は夏休みも活動しているらしい。 時任はあおいでいたうちわを久保田の読んでいる新聞の上に置くと、 「クーラーなくったって、涼しくなる方法くらいいくらでもあるじゃんっ」 と言って、生徒会室を出て行く。 同じように外を眺めた相浦と室田、そして松原は、時任がなぜ外へ出て行ったのかわかったらしくそれに続いて生徒会室を出て行った。 「こらっ、待ちなさいっ!これから話し合いなのよ!」 「まあまあ、桂木ちゃん」 「何がまあまあよっ!」 「暑いのはホントだし、見逃してやってよ」 話し合いを堂々とさぽろうとしている時任達を見逃すように言ったのは、さっきからずっと新聞を読んでいる久保田だった。 話し合いができないと困る立場にいる松本が久保田の方を見ると、久保田は新聞から顔をあげて松本を見ると口元に笑みを浮かべる。 どうやら、久保田は話し合いの内容を知っているようだった。 「話し合いができなければ困るんだが?」 時任達の背中を黙って見送った松本が、軽く肩をすくめてあまり困ったふうでもなくそう言う。 すると久保田はポケットの中からセッタを取り出して火を付けた。 「どうせ、俺らの意見聞く気ないのに?」 「そう決め付けなくてもいいだろう?」 「決め付けじゃなくて、事実っしょ?」 「・・・・・・お前には負けるよ」 松本が話し合いに来たのは、夏休み中の公務についてだった。 去年までは夏休み中に公務は行われていなかったが、休み中の事件があまりに多発したため、今年からは休み中も公務をという要望が生徒会へあったのである。 「けど、休み中はみんな用事あるだろうし、公務って言っても校外はムリじゃない?」 生徒が部活で出てくるのも県大会などが終わるまでの話なので、やはり公務は校外ということになってしまいそうだが、桂木の言うように校外で公務というのは無理に違いない。 街を見張るのは無茶だし、学校に来ていない生徒に公務を執行するのは執行部の管轄外である。 「公務と言っても、祭りや行事ごとがあった時に見回りをしてくれればいい」 「タテマエってヤツ?」 「そういうことだ」 休みに揉め事が多かったのは事実なので、生徒会としても休み中だからと言って無視できなかった。 だから久保田の言うように、一応見回りをしているという事実が松本は欲しかったのである。 松本のセリフを聞いた桂木は、ふーっと息を吐いて見回りを了解した。 「祭りには全員で参加して見回りするってことにするわ」 「休み中にすいません、桂木さん」 「いいのよ、どうせ祭りには行くつもりだったしね」 「それならば、いいのですが」 橘はすまなそうにしていたが、実際、祭りの見回りくらいならどうということはない。 実は桂木は、本当に祭りには全員で行くつもりだったのである。 「そういうワケで、祭りの日は全員集合よ」 「ほーい」 桂木が祭りの日のことを決定すると、久保田がのんびりとした声で返事をした。 他のメンバーはまだ了解していないが、この二人が了解すれば誰も逆らえないだろう。 「おいっ、ちょっとやめろって!!」 「わはははっ、誰がやめるかっ!」 「うっぎゃぁぁ!!」 真面目に話し合いをしている生徒会室の外から、楽しそうな声が漏れてくる。 その声は時任達のものだった。 久保田が窓から外を眺めると、ヒマワリの水やりをしていた園芸部員の姿はすでにいない。 そこにいたのは、水やりのためのホースから水を出して水遊びをしている時任達だけだった。 「ずいぶんと楽しそうですね」 「…確かに涼しそうではあるが、ずぶ濡れで帰るつもりか?」 松本と橘が久保田と同じように窓から外を見ると、ちょうど時任が相浦の顔に勢い良く水をぶっかけた所だった。ホースから出る水を受けて、相浦が悲鳴を上げている。 シャツもズボンも何もかもがずぶ濡れの状態だった。 「うわっ、中まで濡れたっ!!なにすんだよ、時任!」 「涼しくていいじゃんっ」 「…俺にもホース貸せっ!」 「誰が貸すかっ!」 すでに室田も松原もかなり濡れている。 濡れていないのは、ホースを持って楽しそうに皆に水をかけている時任だけだった。 窓辺まで歩いてきた桂木は、そんな執行部の面々見ながらため息をついて窓枠に頬づえをつく。 だが、そんな態度とは裏腹になんとなくうらやましそうな顔を桂木はしていた。 「ほんっと、相変わらずバカよね」 「まぁ、いいんでないの? 楽しそうだし」 「…花壇、水のやりすぎになってない?」 「天気いいから平気っしょ」 「ならいいけどね」 「行かないの?」 「遠慮しとくわ。ずぶ濡れで帰るのは嫌だしね」 「たまには、ずぶ濡れになるのもいいかもよ?」 「…そういう久保田君は行かないの?」 「暑いの苦手だし、俺にヒマワリは似合わないから、どうしようかなぁって思ってるけど?」 「久保田君?」 桂木はまだ何か言いたそうにしていたが、久保田はそう言うと新聞を机の上に置いて立ち上がった。 まるで、外から目を背けるように…。 すると外を見ていた松本が、久保田の背中に声をかけた。 「似合わなくても、ヒマワリが好きだろう?」 背後からの松本の問いかけに少しだけ間を置いた後、久保田はフッと微笑んでまるで何かを思い出したように目を細めた。その顔がいつもより優しく見えたので、桂木が思わず久保田の顔をじっと見つめると、久保田は生徒会室を出るためにドアに向かって歩き出す。 「ヒマワリが好きになったのは、結構、最近なんだけどね」 そう一言だけ言い残して、久保田が生徒会室を出て行った後、桂木と松本はなぜか顔を見合わせて微笑を浮かべる。それはたぶん、ヒマワリが好きになった理由を二人が知っていたせいだろう。 「顔ばっかねらうなっ!!」 「いーじゃん、楽しいし」 「楽しいワケあるかぁー!!」 時任が相変わらず容赦なくホースで水をかけているので、相浦達のずぶ濡れ加減も凄まじいものになってきている。教室内に戻ればいいのだがこのまま引き下がるのもくやしいので、誰もまだ戻らずに外にいた。 とにかく、時任からホースを奪って仕返ししなくては気がすまない。 それにはやはり、共同戦線を張るしかなさそうだった。 相浦はこそこそと室田に耳打ちしてうなづきかけると、飛んでくる水を避けながら走り出す。 すると室田が背後に回り込んで時任に襲いかかる。 するとそれに続いて、松原も時任に襲いかかった。 「うわっ!!」 さすがの時任も、背後から二人に襲われては防御できない。 あっという間にホースは、時任の手から松原の手に奪われてしまった。 「時任も暑いでしょう?」 「一緒に涼しくなろうな、時任」 ニヤリと笑った室田と松原が時任を狙っている。 時任はホースから飛んでくる水を避けることに集中したが、そのせいで隙ができてしまい、相浦に捕まってしまった。すると室田もそれに加わって時任の腕を掴んで動けなくする。 時任、絶体絶命のピンチだった。 「は、放せっ!!」 「はははっ、やっていいぞぉ、松原ぁ」 「了解ですっ」 「・・・・・・っ!!」 時任が襲って来ようとしている水に、じたばたとなんとか逃れようとしながらぎゅっと目を閉じる。 松原は自分がされたのと同じように、時任の顔を狙っていた。 だが、時任に水を向けようとした瞬間、なぜか水の威力が急速に落ちていく。 勢い良く出ていたはずの水は、あっという間にチョロチョロと出でいるだけになった。 「あれっ?」 松原が不思議に思ってホースを見ていると、再びそこから勢い良く水が噴出してくる。 するとホースを覗き込んでいた松原の顔にどばっと水がかかった。 「あっ、ゴメンね〜。また濡れちゃった?」 髪から水をぽたぽたと滴らせている松原にのほほんとした声でそう言ったのは、生徒会室に残っていたはずの久保田だった。 久保田が松原の持っているホースを踏んで水が出るのを止めていたため、こんなことになったのである。 「く、久保ちゃんっ!!」 「帰るよ、時任」 「話し合いは?」 「終わったから」 帰ろうと言う久保田の方に時任が走って行こうとしたが、室田達に羽交い絞めにされているためそうすることができない。 すると久保田はちょっと首をかしげた後、なぜか松原からホースを奪って時任に向かって水を放った。 「うわぁぁっ、なにすんだよっ!!」 「さっきから外にいたから、暑くなってるかなぁって」 「服まで濡れたら気持ち悪いじゃんかっ!」 松原達に水をかけておきながら、時任がそう叫ぶ。 すると久保田はひとしきり時任に水をかけ終えてから、今度は頭の上から自分に向かって水をかけた。 水は久保田の頭から髪と頬を伝って、下へと滴り落ちていく。 着ているシャツが水に濡れて透けていくのがなんとなく色っぽく見えて、時任だけでなく松原達もぼ〜っとその様子に見入ってしまっていた。 「おいで、時任」 かけていた眼鏡をはずしてそう言った久保田は、優しく微笑んで時任の方に右手を差し出す。 差し出された手を見た時任は、相浦と室田の腕から力ずくで抜け出て久保田の方へと走った。 鮮やかな青い空と黄色く咲き誇るヒマワリを背にして…。 久保田は時任が自分の所までたどりつくと濡れた時任の頭を軽く撫でてから、その肩に腕をまわした。 「まっ、たまにはこういうのもいいでしょ?」 「たまには、だけどなっ」 そう言いながら、時任と久保田は顔を見合わせてニッと笑う。 濡れたままで見つめ合っている二人は、なんとなくいつもより見ていて恥ずかしくなった。 水に濡れた久保田はかなり色っぽかったが、時任もそれに負けていない。 濡れて額に張り付いた時任の髪を久保田が手で掻き上げてやると、時任が眩しい太陽に目を細める。 久保田は誰にも気づかれないほど短くさりげなく時任の額にキスを落すと、肩を抱いたまま歩き出した。 「夏とはいえ、着替えないと風邪ひくから早く帰るとしますか?」 「濡らしたのは久保ちゃんだろっ」 「風邪ひいたら看病してあげるから」 「久保ちゃんが風邪ひいたら、しょうがねぇから俺が看病してやるよっ」 「風邪、ひいちゃおうかなぁ…」 「ひくなっ、バカッ!」 濡れたままで帰っていった二人を見送った後、相浦が夏だというのに盛大にくしゃみをした。 どうやら夏風邪をひいたようである。 「ほんっとに、バカなんだから」 そう桂木が呟いたが、それを聞いていたのは松本と橘の二人だけだった。 |
2002.7.23 「太陽の花」 *荒磯部屋へ* |