排気ガスに塗れた汚れた空気、途切れることなくヒトが流れていくアスファルトの道。
 灰色の空に伸びていく同じ色のビルの群れ。
 それは見慣れた、あまりにも見慣れすぎて当たり前になってしまった景色だった。
 その景色は俺らの生きている場所で、帰るべき場所の景色だったけど、どこまでもどこまでも重く続く灰色の空がそこからはいつも見えているような気がする。
 
 晴れの日も、雨の日も…。
 
 けれど、それがイヤだってワケじゃない。
 逃げようと思えばいつでも逃げられたし、どこか遠くに行こうと思えばどこへでも行けたから…。
 イヤならここにいる必要なんて微塵もなかった。
 お金はそれなりに貯めてるから、荷物まとめて出て行けばすむし…。
 だからなのかもしれないけど、汚れた空気と灰色の空を眺めながら、それでもココにいるのはなぜかなんてわからなかった。
 

 「なぁ、ドコ行くんだ?」
 「行けばわかるよ?」

 朝起きて時計見たらいつもは絶対起きない時間で…。
 だからってワケじゃないけど、なんとなく隣で眠ってた時任を起こして部屋から連れ出した。
 時任は眠いって怒ってたけど、電車に乗って景色とか見てる内に機嫌直ったみたいで、俺の方を見て楽しそうに笑ってる。
 部屋にこもってるコト多いけど、時任は別に出かけるのが嫌いってワケじゃない。
 だから、笑顔で話しかけてくる時任見てたら、あの灰色の街の中から出たことが一回もなかったってコトにいまさらながら気づいた。
 出会ってから、本当にただの一度も…。
 
 「なぁ?」
 「ん?」
 「この電車ってドコまで行くんだろ?」
 「ドコまでって?」
 「やっぱ線路って、終点とかあったりすんだよなぁって思って…」
 「どの線路にも終点あるよ?」
 「それはわかってけど…、乗ってるとさ。どこまでも行くかもってそんな気ぃしてくる」
 
 一番先頭の車両の一番前の席で、どこまでも続いていない線路を見ながら、時任はそう言ってじっと前ばかり見つめてる。
 長く長く…、まるで終わりなんてないみたいに続いていく線路を…。
 珍しいモノでも見るかのように、時任の真っ直ぐで綺麗な瞳がそれを捕らえてた。
 だから、さっきから前ばかり見つめてて、少しもこっちを見てくれない。
 なんとなくそれが少しだけイヤだったから、時任の右手の指に自分の指をからめて握りしめた。
 ジャマだし、夏の終わりとはいえまだ暑いから振りほどかれるかもって思ったけど、時任は指をからめたままで俺の肩に頭を預けてくる。
 俯いてたから、時任の顔は俺からは見えなかった。
 
 「前、見なくていいの?」
 「…もういい」
 「飽きた?」
 「そうかも」

 一定のリズムを刻んで走る電車の中で、同じリズムに揺らされながら、俺と時任は手を握りしめたまま窓から見える、四角く切り取られた空を眺めてた。
 ただずっとそればかりを…。
 何もかもが、一瞬にして目の前から遥か後方へと流れて過ぎていって、途中で停車した駅の名前なんて覚えてもなくて…、けど、それでも俺と時任はその道を…、線路の上を走ってた。
 まるで心臓の鼓動のように、リズムを刻んでる電車に乗って…。
 
 どこまでも続いているようで…、ちゃんと終わりのある線路の上を…。

 

 「時任、降りるよ〜」
 「な、なんで前の駅で、次で降りるって教えてくんなかったんだよっ」
 「その方が楽しいかなぁって…」
 「楽しくねぇっつーのっ!」

 二人そろって電車を降りると、その足ですぐに駅を出る。
 ここまで来ても、どこへ何をしに行くかなんて時任には言ってなかった。
 けど、時任はドコへ行くのかとは聞いたけど、何をしに行くのかとは聞かない。
 何をしに来たかなんて俺にもわからないから、聞かないでくれて助かったってカンジ。
 部屋を出る時に何をしに行くのかって聞かれてたら、たぶんそこで立ち止まってドコにも行かなかったって気するから…。


 「なんかヘンな匂いする…。これってやっぱ海の匂い?」
 「うん、この道行くとすぐ海」
 「風強ぇけどさ、すっげぇキモチいい…」
 「天気いいしね」
 「行こうぜっ、久保ちゃんっ!」
 「走らなくっても、海は逃げないよ?」
 「年寄りくせぇこと言わずに走れっ!」
 「イヤだなぁ」
 「ブツブツ文句言うなっ」

 時任に腕引っ張られて、強い風の吹く中を海に向かって走る。
 風の音がすぐ耳の近くで鳴ってて、その音に混じって時任の声が途切れ途切れに聞こえてきた。
 遅いとか、自力で走れとか…、そんな声が…。
 その声がスゴクうれしそうに弾んでたから、それだけで海に来れてよかったって思った。
 海に行く理由も目的もないけど、時任が笑っててくれたらそれで十分だった。
 それを見てるだけで…。

 「なんかすっげぇ広いっ」
 「海、だからねぇ」
 「泳げっかな?」
 「クラゲとか出たりして」
 「げっ、マジかよっ」
 「もう、秋だしね」
 「・・・・・・・そっか」
 「どしたの?」
 「べっつにっ、ただ夏が終んのって早いなぁって思っただけっ」
 「夏に来れなくてゴメンね」
 「あやまんなよっ、バカっ。行きたいって一度も言ってなかっただろっ」
 
 バカっ、気にすんなって言いながら、時任が俺の背中を軽く叩く。
 薄い秋の雲が浮かぶ空の下で、波が押し寄せる砂浜の上で…。
 潮の混じった風に髪を乱されながら、時任が元気にはしゃいでいた。
 靴を脱いで波打ち際まで走って行って、波が打ち寄せてきたら走って逃げる。
 それに飽きたら俺の腕を引っ張って行って、いたずらな波に二人の足を濡らした。
 真夏とは違って冷たい波が足を洗うと、少し寒くなる。
 けど、時任も俺もその冷たさに顔を見合わせて笑ってた。
 波の冷たさよりも、つかんでる腕とか握りしめた手の暖かさの方を強く感じてたから…。
 
 「夏は好きじゃねぇけど、海は好きかも…」
 「だったらさ、ココにいる?」
 「どういう意味だよ?」
 「海が好きならさ、ココに住んだら?」
 「…出てけって言ってんのか?」
 
 時任が海が好きだって言ったから、単純にココに住んでもいいって思っただけだった。
 けど、時任は出てけって言われてるのと勘違いして、キツイ目つきで俺のこと睨んでる。
 じっと真っ直ぐ睨みつけてくる時任の瞳。
 その瞳が離れたくないって言ってくれてるみたいで…。
 それを感じた瞬間、俺は時任に腕を伸ばして抱きしめてた。

 「なに?」
 「ちょっとだけ、このままでいてくれない?」
 「…いいけど」
 「少しだけでいいから」

 波が押し寄せては消えていく…。
 その音が…、吹きつける風が…すべてを包んでいくような気がして…。
 俺は時任をきつく抱きしめたまま目を閉じた。
 ココは空も海も青くて、青すぎて、そのまぶしさに目眩がする。
 自分には似合わないとか、そんな感傷なんか持ってないけど、ここには立ち止まれない気がした。
 まだ目の前に道がちゃんと続いているから…。
 だからまだ立ち止まれない。
 
 「もう少し遊んだら帰ろうぜっ、久保ちゃん」
 「…そだね」
 「連れて来てくれて、サンキューな」
 「うん」

 抱きしめてた腕をゆるめると、時任はニッと笑ってまた俺の腕を引っ張って走り出す。
 波打ち際を走ってると高い波が来て、ジーパンまで濡れてグシャグシャになった。
 バカみたいなコトして、バカみたいに笑って…。
 けどそんな一瞬、一瞬が…、なぜか視界を覆う青と一緒に瞼に染みていく。
 だからまぶしくて…、まぶしすぎて少しだけ胸の奥が小さく痛んだ。

 「久保ちゃんっ!」
 
 夏の過ぎ去った海で、時任が波に足を洗われながら俺を呼ぶ。
 それに答えて歩き出すと、目の前に時任の歩いた足跡が時任のいる場所まで続いていた。
 砂の上に続く足跡は、時任が歩くたびに伸びて行って終らない。

 まだまだ先へ先へと続いていた。


 どの道にも終わりがあって、終点があるけど、先が見えないから前だけを見つめて歩いていく。
 だから、まるで終わりなき道を旅するように旅して、いつか終る日を予感しながら…。

 君と一緒に行く先の見えない道を歩いて逝こう。


                                             2002.9.3
 「旅路」


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