なんてことない日常の、なんてことない日。
 いつもの生徒会室で執行部メンバーが集まっていた。
 「くっそぉー! もう一回勝負だっ、相浦!!」
 「今日の俺は、向かうところ敵無しっ。何度やっても無駄だぜ!」
 「なんだとぉぉっ!!」
 時任と相浦が格ゲーの対戦。室田と松原が雑談をしている。そして、桂木が机で書類整理をしていた。
「ったくもぉ、相変わらずうるさいわねぇ」 
 
仕事もせずにぎゃーぎゃーわめいている時任と相浦を、桂木がにらんでいるが、それに二人が気づいた様子はない。桂木がひそかにため息をつくのも、本人も言っているように、相変わらずのことである。
 そして、その五人から一番離れた窓際で、久保田が麻雀雑誌を読んでいたが、そんな騒がしい状況を気にしている様子はまったくなかった。
 だが、そんな一見平和そうな状況も、長続きはしない。
 そうこうしている間に、騒ぎの元がやってきたのである。
あっ、久保田せんば〜い
 
二年の藤原が来ると、騒がしさはピークを迎えた。久保田に思いを寄せている藤原が、久保田に接近を試みたからである。
「あっ、てめぇ!なにやってんだよっ!!」
 やっていたゲームを放り出し、時任が久保田と藤原の間に割って入る。そして、そんな時任に負けじと、藤原も同じように怒鳴り返した。
「久保田先輩はあんただけのものじゃないでしょう。いちいち邪魔しないでくれませんかっ!」
「久保ちゃんにさわんな、このブサイク!」
「ブサイクなのはあんたの方でしょう!」
「この超絶美少年の俺様に向かって、いい度胸だなぁ、藤原!」
 二人とも今日も絶好調のようである。
 殴り合いに発展しそうな勢いでお互いを罵倒しあう二人に、桂木の堪忍袋の緒が切れかかった。
「・・・ねぇ、久保田くん」
「ん〜、何?桂木ちゃん」
こめかみをピクピクさせながら、桂木が久保田に声をかけると、久保田は雑誌から顔を上げずに返事をした。
「いっつも思うけど、なんであの二人を止めないの?原因は久保田くんでしょ」
「まあねぇ。一応そういうことになるのかなぁ」
「一応じゃなくて、そうなのよっ
 
動かない久保田に、桂木のイライラが更に募る。そんな二人のやりとりを、室田と松原がハラハラしながら見ていた。この二人、特に仲が悪くも良くもないのだが、どこか会話に緊張感がある。
「・・・そんなに時任が焼いてくれてうれしいわけ?」
 誰もが絶対に言えそうにないセリフを、桂木があきれたように言うと、久保田が意味ありげに微笑んだ。
「時任〜、巡回に行くよ」
 桂木の問いには答えずに、久保田は時任に声をかけると雑誌を机に置き、巡回へと出かけていく。その後を、時任が慌てたようについていった。
「あっ、待てよ、久保ちゃん!」
「あぁ、僕も行きます〜!」
「てめぇは来るなっ!」
 二人について行こうとした藤原は、時任に蹴りを喰らって倒れ込む。
 なんとなくその姿は哀れだった。
「いいかげんにあきらめなさいよ、藤原」
 書き物をしつつ桂木がそう言うと、藤原はすくっと立ち上がって拳を握り締めた。
「ぜっったい、あきらめません!久保田先輩には、俺の方が絶対ふさわしいんですからっ!」
「・・・その自信は一体どこから来るのかしらねぇ」
 どんな目にあってもあきらめない姿はいじらしく見えないことも無いが、ただ単にあきらめが悪くしつこいという見方の方がやはり合っている。
「まあ、可能性は低いよな。見かけはわりに良いんだから、他に乗り換えるとか考えてみた方が建設的かもしれん」
「だよなぁ。大体、あれくらい四六時中一緒だと、入る隙ないし」
 室田がそう提案すると、相浦がそれに同意し、松原がうなづく。しかし、桂木がジロッと三人をにらみながら、
「それじゃあ、あんた達の中から誰か一人、藤原と付き合いなさいよ」
というと、全員が即座に頭を左右に振った。
 よほど嫌だったらしい。
「ぼ、僕にだって選ぶ権利はありますっ!それに、僕は久保田先輩以外、死んでも付き合う気ありませんからね!」
 久保田としか付き合わないというものの、やはりさっきの三人の反応はそれなりにショックだったようである。
 実際の話。久保田と時任が一緒にいないことは、クラスも住んでいる場所も同じということもあってか、本当にごくまれなことだった。巡回に行くにしても、相方と称している通り、通常二人が組んで巡回することになっている。
 二人の方が働きが良いということもあるが、どこか暗黙の了解になっているようなところがあった。
「あ〜あ、一回でいいから、久保田先輩と二人きりで巡回に行きたいなぁ」
 この時の藤原の呟きは実現困難なように思えたが、その次の日、あまりにあっさりと実現してしまうことになったのである。

                        
 六時間目の授業が終了し、藤原はいつもように執行部へと向かう。
 ドアを開け、久保田の姿を発見したのでいつものように走り寄ったのだが、その行為は誰にも阻まれることはなかった。
「あれ、時任先輩は?」
 部屋を見回してみても、他のメンバーはいるが時任の姿だけがない。いたらいたで、いなかったからいなかったで気になる。なんとなく自分でも妙な感覚を味わいながら、藤原は久保田に時任のことを尋ねた。
「時任先輩がいないなんて、珍しいですね。どうかしたんですか?」
「ん〜、ちょっとね」
 藤原の問いに、あまり興味なさそうな感じで久保田がそう答える。時任がいないことにそんなにこだわるのもヘンなので、藤原がそれでその話題を切ろうとすると、横から松原が、
「俺、さっき時任が裏庭の方へ歩いてくの見たぜ」
と、言った。
「裏庭・・・ですか?」
 裏庭に何か用事でもあったのかと藤原が考えていると、横から桂木が面倒臭そうに手を軽く振った。
「そういう訳だから、今日の巡回。久保田くんと藤原とで行って来て」
「えっっ!本当ですかぁ!」
 思いも寄らないラッキーな出来事に、藤原がパァァッと顔を輝かせる。久保田は桂木の決定に文句を言う事もなく、だるそうに椅子から立ち上がった。
「んじゃま、行きますか?」
「はいっ!」
 藤原は元気良くそう返事をすると、パタパタと久保田の後をついていく。
 幸せの絶頂みたいな顔をした藤原の様子を見た後の四人が小さくため息をついたことを、藤原は知らなかった。
 巡回というのは、校内を順路に従って見回って歩くことなのだが、争いごとを収めるだけではなく、こうして歩くことによって違反者を威嚇するという意味も持っている。鬼のように強い久保田と時任が巡回するようになって、随分と違反者も減ったという話だ。
「巡回って言っても、いつも何かあるって訳じゃあないんですね」
「毎日あったら問題っしょ?」
「それはそうですけど・・・」
 藤原と久保田が並んで歩いていると、生徒達の視線が二人に集中しているのがわかる。絵になるカップルとして見ているわけではなく、久保田が時任以外と並んで歩いているのが珍しいので、皆が注目しているのだ。
「なんかムカツク・・・」
 そう藤原が呟いたが、その呟きが聞こえているのか、いないのか、さっきからどこか遠くを見つめているような顔をして、久保田は歩いていた。
「どうかしたんですか?何か悩みごとでもあるんですか?」
 なんとか自分の方に注意を向けたくて藤原がそう言ったが、久保田はやはり曖昧な返事をするだけで、やっぱり上の空といった感じである。
(せっかく二人きりになれたのにっ!)
 これでも一緒に巡回している意味が無い。
 藤原は久保田の腕を取ると、自分の方を向かせようと必死で話し掛けた。
「俺、久保田先輩のことが好きなんです」
「そう?」
「少しは俺の方、向いてくれませんか?」
「・・・」
「どうして、どうして時任先輩じゃなきゃ、ダメなんですかっ。俺、久保田先輩のこと、時任先輩が久保田先輩を思うよりもずっと好きなんです!」
「・・・あっ、目標発見」
 言い募る藤原を無視して、のんびりとした口調でそう言うと、久保田は足を止め、窓から外を覗き込んだ。その窓は、ちょうど裏庭が見える位置にあったのである。
 藤原が唇を噛みしめて、久保田と同じように窓の外を見ると、松原の言葉通り、そこには時任の姿があった。
 時任の前には一人の男子生徒が立っており、二人はなにやら話し込んでいる感じである。男子生徒か゛必死に何か喋っていて、それを何か困ったような感じで、時任が時々返事をしているみたいだった。
「あれって、告白でもされてるんじゃないんですか?以外にもてるんですねー、時任先輩って」
 ここぞとばかりに言いながら、藤原が久保田を見る。しかし、久保田の顔を見た藤原は一瞬にして、凍り付いてしまった。
 口元はいつものように微笑を形作っているが、目が少しも笑っていなかった。
 笑っていないどころか、これ以上ないといってもいいような冷ややかな目付きで、時任と相手の男子生徒を見ている。
「く、久保田せんぱい?」
 背筋に寒いものを感じながら、藤原が久保田の名前を呼ぶと、久保田はすっといつもの表情に戻った。
「見回りは中断。家の猫の回収に行ってくるんで、あとはヨロシク」
「えっ、あっ、ちょっと・・・・」
 よろしくと言われても、どうしていいのかわかからない。
 藤原がとりあえず久保田の後を追って、裏庭に行くと、ちょうど相手の男子生徒が、時任の肩に手をかけたところだった。
「一週間、三日だけでもいいんだ。俺と付き合ってくれ」
「な、なに言ってんだよ、お前」
「一日でもいいから、頼む、時任。俺、お前のことがずっと好きだったんだ!」
「そんなの、一日でもダメに決まってるだろっ!」
「じゃあ、今日だけでもいい!」
「ちょっ、手ぇ放せよっ!」
「時任・・・」
「まっ、まて。早まるなっ!」
 背が低く、身体の小さい時任に比べて、相手は背も高くがっしりしている。時任はもがいているが、相手の力が強いのか逃れることはできないらしい。肩をがっちりと固められ動けない状態で、男子生徒が時任に顔を寄せていった。
「・・・・たっ、助けて、久保ちゃんっ」
 時任がぎゅっと目を閉じて久保田の名前を呼ぶ。
 男子生徒は時任の目じりに涙が滲んでいることなどおかまないなしに、自分の欲求を満たすため、行動を開始しようとした。
「は〜い、そこまででストップね。悪いけど、これは返してもらうよ」
 今、まさに時任の唇が奪われようとした瞬間、久保田が二人の間に割って入る。どこをどうやったものか、一瞬の内に時任を男子生徒から奪い返し、その腕の中に収めていた。
「くぼちゃんっ・・・」
 うるうるした目で見上げてくる時任に、久保田は安心させるように優しい笑顔を向けた。
「知らない人について行っちゃダメだって、いつも言ってるでしょ?」
「・・・俺は幼稚園児じゃねぇぞ」
 文句を言いながらも、時任も久保田に笑顔を向ける。二人ともすでに男子生徒のことなど眼中にない。それに気づいた男子生徒は、振られた上にいちゃいちゃしているのを見せつけられて、ブチッと切れた。
「ちくしょぉぉぉぉっ!!」
 男子生徒は久保田に殴りかかったが、殴りかかる相手が悪すぎる。
 久保田は時任を腕の中に抱きしめたまま、男子生徒を軽く蹴り飛ばした。
「ぐあっっ!!」
「虫退治終了」
 あわれな男子生徒は、蹴飛ばされた勢いで、呆然とその様子を見ていた藤原の足元の辺りに転がってきた。
「・・・だ、大丈夫ですか?」
 びっくりして藤原は思わず声をかけたが、この場合、これが逆効果だった。
「てめぇ、笑ってんじゃねぇよ!」
「わ、笑ってなんか・・・」
「よけろ、藤原!」
 時任の声が聞こえたが、そんなに運動神経の良くない藤原は、男子生徒の攻撃をかわすことはできなかった。藤原は殴られた衝撃で、失神してしまったのである。

                       

「・・・原、藤原!」
 藤原が目を覚ますと、見慣れた天井が目に映る。
 気を失ったものの、自分がなぜ保健室にいるか、ちゃんと把握できていた。
(殴られたんだった・・・)
 少しだけ殴られた部分が痛むが、そう大したことはなさそうである。
 藤原がぼ〜っとしていると、その顔を時任が覗き込んできた。
「大丈夫か、藤原」
 時任は凄く心配そうな顔をしている。普段の傍若無人さからは、とても想像がつかない感じだった。時任は本気で藤原のことを心配していたのである。
「あっ平気です。大丈夫」
 藤原がそう答えると、時任はほっとしたような顔をした。
「そっか・・・悪かったな、巻き込んで」
「えっ、いえ別に・・・」
 らしくない時任の謝罪に藤原が戸惑っていると、久保田が二人の所へやってきた。
「久保ちゃん、藤原が気づいた」
「だから言ったっしょ。脳震盪起こしてだけだって」
「・・・俺、藤原の鞄取ってくる」
 そういえば、前にも似たようなことがあったなと、藤原は二人の会話を聞きながら思い出していた。その時もやはり、藤原の顔を心配そうに覗き込んでいたのは時任だった。
「久保田先輩・・・」
「ん〜、なに?」
「久保田先輩は時任先輩のことしか見てないんですね?」
「うん。見てないんじゃなくて、見えないからさ」
「そうですか・・・」
 今までは曖昧な返事しか聞いていなかったので、自分を誤魔化すことできたが、今日のことでそれもむずかしくなってきた。
 そうなることがわかっているから、桂木が自分と久保田を巡回に行かせたことに、藤原は今になって気づいたのである。
「俺、それでも久保田先輩が好きですから」
 自分に言い聞かせるように呟いた言葉に、久保田は普段と変わらない口調と声で、
「藤原が好きなのは、俺じゃないでしょ」
と言った。
「えっ?」
 どうしてそんなことをいわれるのかわからず、藤原が首をかしげていると、時任が鞄を持って戻って来た。
「んじゃあ、俺ら帰るわ」
「後はまかせたぜ、クソばばぁ」
「五十嵐先生とお呼びっ」
 久保田と時任が帰ると、保健室に保険医の五十嵐と藤原が残った。
「ねぇ、先生・・・」
 殴られた影響なのか、ガンガン痛む頭に眉をしかめながら藤原が五十嵐を呼ぶと、五十嵐はいつものように明るく返事をした。
「なによぉ、辛気臭い顔して。何かあった?」
 多少問題はあるものの、五十嵐は基本的に優しい先生である。藤原も口では色々言うものの、五十嵐のことは信用していた。
「俺、久保田先輩のこと好きだったんです。好きだったんですけど、久保田先輩は違うっていうんです。どうしてでしょうか?」
 藤原の苦しい問いかけに、五十嵐は優しく微笑して、
「それは人に聞いてわかることじゃあないわね。時間がかかってもいいから、自分で考えなさい。そうすれば、必ず答えは出るわよ」
と言った。
「そう、ですね・・・」
 搾り出すようにそう返事をすると、藤原は声を殺して保健室のベットの中で泣き始めた。
                                          

                                             2002.1.29
 「好きということ。〜藤原くんの憂鬱〜」


                     *荒磯部屋へ*