今日は何の日かと尋ねられれば、大部分の人間が同じ答えを返すだろう。
 そう、今日は四月一日。
 エープリルフール。
 この日には嘘をつく人間が多量に発生する。
 四月一日とはそういう日だった。
 
 「そろそろ起きないと遅刻するよ?」
 朝の朝食を作り終えた久保田に起こされて、時任はパチッと目を開いた。
 なぜか今日は目覚めが良い。
 「おはよ」
 「おはよう」
 いつもは寝起きはかなり不機嫌な顔をしているのだが、今日はいつもの逆だった。
 なんだか雪が降りそうな感じである。
 久保田も少し首をかしげていた。
 「時任…」
 「なに? 久保ちゃん」
 「いや、なんでもない」
 「ふーん」
 時任にだって、朝機嫌が良い時くらいある。
 そう思うことにしたのか、久保田はそのことについて問うのをやめた。わざわざ聞いて機嫌を悪くすることもないだろう。
 そんな感じで始まった一日の朝は、何事もなく平和に過ぎていった。
 二人で食卓につき、久保田の作った朝食を食べ、何気ない会話をしながら学校に行く準備を整える。その間も時任は機嫌が良かったし、久保田も特にいつもと変わりない。
 けれど、制服に着替えてこれから学校に行くという段階になって、問題が発生した。
 「久保ちゃん」
 「忘れモノでもした?」
 出かける間際、先に玄関を出た時任がクルッと振り返って久保田の方を向く。久保田は忘れ物かと思ったのだが、どうもそうではないようである。
 時任はなんとなく楽しそうな顔をしていて、それがなんとなく不審な感じだった。
 久保田が何か喋るのを待っていると、時任は一言だけ久保田に言った。
 「よく聞こえない。なんて言ったの?」
 本当は、こんなに近くで話しているのだし、時任は小声で話したりしていないのだから聞こえないということはありえない。けれど久保田はそう聞き返す。
 すると、時任はすうっと息を吸い込んでさっきと同じことをもう一度言った。
 「俺は、久保ちゃんなんか嫌い。大嫌い」
 わざとみたいにはっきりと発音されたセリフは、今度はちゃんと久保田の耳に届いた。
 久保ちゃんなんか嫌い。大嫌い。
 けれどそのセリフと時任の顔は一致していない。
 仮にも、ついさっきまでクラスメイトで、同居人で、相方で、恋人で、家族でというように、あらゆる関係が二人をつないでいたはずなのに、時任は平然とした顔でそのセリフを言った。
 「わかった? 久保ちゃん」
 念を押すようにそう言ってくる時任に、久保田は時任と同じように平然とした顔でとうなづいた。
 「急がないと遅刻するよ、時任」
 時任の言葉に対する久保田のリアクションはうなづいただけに留まった。
 そんな久保田の様子に、時任は不機嫌そうな顔になる。だが久保田は、ドアのカギを閉めてスタスタと歩き出した。
 「久保ちゃんっ」
 「早くおいでよ」
 結局、時任のセリフは無視され、二人はいつものように学校へと登校した。




 学校の授業は平常通りに進んでいき、昼食も時任と久保田はいつものように一緒に食べた。普通に会話して、普通にじゃれたりとかしているが、時折、時任が不審そうな顔をして久保田の方を見ていた。
 けれどやはり、今朝の発言は黙殺されたままだったのである。
 やがて時間は放課後へと突入し、久保田と時任は公務の時間になった。
 二人で生徒会室に向かわなくてはならない。
 「行くよ、時任」
 そう久保田は時任に声をかけたが、なぜか時任はそれを断わった。
 「わりぃ、先行ってて。俺、用事あるからさ」
 「じゃあ、先に行ってるよ?」
 「うん」
 必ずしも、毎日二人揃って生徒会室に行っているわけではない。たまにはこういうこともあるのだが、なんだか今日は勝手が違っていた。
 久保田はポケットからセッタを取り出して火をつけると、それを吹かしながら一人で生徒会室に向かう。早くもなく遅くもない歩行速度で歩きながら、久保田は窓から見える晴れ渡った空にチラリと目をやった。
 「本日晴天…だなぁ」
 などと意味不明のことを呟きながら歩いている内に、生徒会室に到着する。
 久保田はドアをガラッと開けて、いつものように室内に入ろうとした。

 ガツッ!!

 物凄い音がして、ちょっと頭がグラッとする。
 久保田はドア框に派手に頭をぶつけていた。
 「・・・・・・」
 これだけぶつけるとさすがにかなり痛い。
 あまりの痛さに久保田がしゃがみ込んでいると、生徒会室にいた桂木がそばまで歩いてきた。
 「もしかして、また眼鏡壊れたの?」
 そう桂木に言われ、久保田は自分のかけている眼鏡を指差した。
 「眼鏡かけてても、たまにはこういうこともあるやね」
 「そういうのは似合わないと思うけど、キャラ的に」
 「そう?」
 キャラ的に似合わないと言われても、ぶつかってしまったものは仕方ない。
 久保田は頭をさすりつつ立ち上がると、いつもの席に座ろうとしたが、そうする前に相浦が、
 「久保田、対戦やらねぇ?」
と、言ってきたので、久保田はゲームの前に座った。
 やるのはいつもやってる格ゲーなので、こういうゲームがとことん強い久保田に、相浦が勝てるはずはなかった。
 けれど、ゲームを始めて三十分後の対戦の結果は、一勝三敗。
 久保田は相浦に負けていた。
 「やったー、勝ったぜっ!!」
 相浦は無邪気に喜んでいるが、他の執行部の面々は驚いたような様子で久保田の顔をまじまじと見ていた。
 「具合でも悪いんじゃないの?」
 「保健室に行った方がいいんじゃないか?」
 「それより病院の方が…」
 全員が久保田の具合が悪いと決め付けている。
 だが、久保田の具合は悪くなかったし、体調もいつもと同じだった。
 「心配してくれんのはありがたいけどさ。俺はいつもと同じつもりだけど? たまには負ける日だってあるっしょ?」
 「そうかもしれんないけどねぇ。なんかヘンよ、久保田君」
 「そうかなぁ?」
 桂木がため息をついたが、やはり久保田は少し首をかしげるだけである。
 久保田は自分がヘンだとか、そういう自覚はまるでなかった。
 とりあえず、調子が悪いのでゲームをやめて、久保田はぼーっと外を眺めている。すると、生徒会室に一人の男子生徒が勢い良く飛び込んできた。
 「ケ、ケンカだっ! すぐに来てくれ!!」
 どうやら、校内でケンカが発生したらしい。
 久保田は校内から室内に視線を移すと、ゆっくりと立ち上がった。
 「そんじゃま、行ってくるわ」
 今日の公務は久保田と時任の当番である。
 だが、まだ時任は生徒会室に来ていない。
 「室田。一緒に行って!」
 桂木がそう室田に言ったので、久保田は室田と二人で公務に出ることになった。 




 特に用事があった訳ではないが、なんとなく久保田と一緒にいたくなくて、時任は一人で廊下を歩いていた。しかし、今日は公務の日なのでいつまでもこうしているわけにはいかない。仕方なく、時任は重い気分で生徒会室のドア前に立つ。そして、ふぅっと息を吐くと、そのドアを開けた。
 「わりぃ、遅くなっちまったっ」
 時任がそう言いながら生徒会室に入ると、そこにはいると思っていた久保田の姿がなかった。
 「あれっ、久保ちゃんは?」
 桂木に久保田のことを尋ねると、桂木はなぜかため息を付きながら、
 「ケンカが発生したから、公務に出てるわよ」
と、言った。
 「誰と?」
 「室田とよ」
 せっかく来たのに久保田は不在。
 拍子抜けした時任は、ゲームでもしようとテレビの前に近づく、すると再び桂木がため息をついた。
 「あんたも、行った方がいいんじゃないの?」
 「行くってどこへ?」
 「公務によ」
 「久保ちゃんと室田が行ってんなら、俺の出番ねぇじゃんっ」
 時任の言っていることは事実だが、本当にそう思っているのではなく、半分はただ久保田に会いたくないだけだった。けれど、いらないとわかっているのに桂木が時任を公務に行かせたがっているのはおかしい。
 時任が少し首をひねっていると、桂木がこめかみを右手の薬指で押さえた。
 「そういう問題じゃなく言ってんのよっ。アンタは今日、久保田君の様子がおかしいのに気づいてないの?」
 「えっ?」
 「生徒会室に入ろうとして、ドアの枠のトコに頭ぶつけるし、相浦にゲームで負けるし、なんかぼ〜っとしてんのよ。時任、アンタとなんかあったんじゃないの?」
 桂木の言葉が終わるよりも早く、時任は生徒会室を飛び出していた。
 それはやはり、久保田がヘンな理由に心当たりがあったからである。
 「全然、気にしてねぇって顔してたのに…」
 今日の朝、時任は久保田に嫌いだと言った。
 もし、本当にそれで久保田がヘンになっているのだとしたら、早く事実を伝えなくてはならない。時任が物凄いスピードで走ってると、前方に久保田と室田、そして男子生徒三人の姿が見えてきた。
 すでに公務は執行中で、久保田と室田は男子生徒三人と拳を交えている。
 けれど、久保田の拳にはいつもの切れがない。時任はすぐにそのことを見抜いた。
 「ちくしょおおっ!!」
 男子生徒の一人が久保田に殴りかかる。いきなりの攻撃だったが、いつもの久保田なら余裕でかわせる程度の攻撃だった。
 「・・・・・・・!」
 しかし、久保田はなぜかその攻撃をまともに受ける。拳が当たったのは頬の辺りに当たった。
 「久保ちゃんっ!!!」
 久保田が殴られる所を見てぶち切れた時任は、公務中の現場に殴りこむ。
 すると、あっという間に三人は時任によって倒されてしまった。
 久保田はそんな時任を見て、ぼーっと突っ立っている。
 時任は自分で頭をガ〜ッと掻くと、右手で久保田の腕を取った。
 「時任?」
 「いいから来いっ!」
 時任は久保田を半ば引きずるようにして、現場を後にする。室田はそんな二人を、呆然と見送ったのだった。




 屋上には思ったよりも風が吹いていた。
 けれどそれは、気持ちいいくらいでそれほど激しい風ではない。
 時任は屋上についてからやっと久保田の手を放すと、金網を背にして立った。
 久保田は特に移動することもなくその場に立っている。
 二人は正面から真っ直ぐにお互いを見た。
 「…久保ちゃん」
 「どしたの?」
 「今日、何月何日だか知ってる?」
 「四月一日だと思うケド?」
 「じゃあさ。今日がなんの日だか知ってんの?」
 時任がそう言うと、久保田は少し首をかしげた。
 「特に思い当たらないけど。なんかあったっけ?」
 本気でそう言ってる久保田を見た時任は、拳をぎゅっと握り締めた。
 「今日はエイプリルフールだろっ!!」
 そう、時任は今日がエイプリルフールなので、ちょっと嘘をついてみようと思っただけなのである。すぐにバレるだろうと思っていたし、自分もすぐにバラすつもりだった。
 だが、久保田がその嘘を無視してしまったために、バラす機会がなくなってしまったのである。
 「だからさ。嫌いなんてのは嘘なワケ」
 「嘘?」
 「そんなのウソだってすぐわかるだろっ!!」
 「俺のコト嫌いじゃないの?」
 「ったりめぇだろっ、バカっ!!」
 真っ赤になりながら時任がそう言うと、久保田が深く長く息を吐く。
 そしてその後、目を細めて穏やかに微笑んだ。
 「やっとわかったよ、時任」
 「わかったって何が?」
 「自分が、時任に嫌いって言われてかなりショックだったってコト」
 「・・・・・・気づくのおせぇよっ!!」
 久保田は無視していたのではなく、ただ、時任が言ったことを無意識に信じようとしていなかっただけなのである。時任はそう言うが、無意識なので仕方がない。
 「エイプリルフールだろうとなんだろうと、時任に嫌いって言われたくないなぁ。なんか、今頃になってココロが痛くなってた気ぃするし」
 久保田がそう言うと、時任はバツが悪そうに少し俯いた。
 そして、消え入りそうな小さな声で、
 「ごめん、久保ちゃん」
と、あやまる。
 すると久保田は時任の身体を抱き寄せて、柔らかい髪の毛に頬を当てた。
 「あやまらなくてもいいから、嫌いって言った分だけ。好きだって言ってくれる?」
 「えっ!?」
 「イヤ?」
 「・・・・うぅっ、わかったよっ」
 時任はしぶしぶと言った感じでそう言うと、久保田の耳元に唇を寄せた。
 「久保ちゃん、好きだ」
 「大嫌いって言ってたよね?」
 「そっ、そんなコト言ったっけ?」
 「言ったよ?」
 「…わぁったよっ!!」
 そう怒鳴ると、時任は嫌いだと言われたことを思いっきり気にしている久保田の唇に、自分の唇を押し付けた。そして、自分から久保田に舌をからめて、今までしたことないくらい長いキスをする。
 二人はキスしながら角度を変えて何度もお互いを貪り合った。
 そうしていると、息が熱く上がっていく。
 舌がおかしくなるくらいキスした後、時任は久保田をギュッと抱きしめた。
 「言葉なんかじゃ足りねぇってのっ!」
 「時任。ここに誰も来ないこと祈っててよ」
 「えっ…マジで!」
 「俺も言葉なんかじゃ足りないからね」
 「ったくっ、しょうがねぇなぁ。今日だけだぞっ」
 「わかってますって」

 嘘だって冗談だって言われたくないコトってあるでしょ?
 僕はソレを君からだけは、言われたくないんだよね。
 だって、何を言われたって。

 僕は君をホンキで嫌いになんかなれないから…。


                                             2002.4.2
 「四月一日」


                     *荒磯部屋へ*