ベッドの中でもぞもぞ動いていた時任が目を覚ますと、すでに室内は夜になってしまったかのように暗くなっていた。
 けれど時計を見るとまだ夕方の時間帯で、こんな風に暗くなってしまうにはまだ早い。
 それを不思議に思ったが、すぐに窓の方からわずかに聞こえてくる音に気づいて、なんとなく暗くなってしまった理由を納得してしまった。
 時任はベッドから起き上がると、ぼさぼさになった髪の毛を直そうともせずにじっとそのままの姿勢で動かなくなる。まだ寝ぼけているようにも見えたが、意外に顔つきはしっかりとしていた。
 しとしとと降り注ぐ雨の音だけが、静かな室内に響いていて…。
 それに耳を澄ましているかのように、時任は暗がりを見つめていた。
 こんな時間に眠っていたのは、昨日はほとんど眠っていなくて寝不足気味だったためである。
 そのため、その原因を作った久保田を追い出して、時任は昼間からずっと一人でベッドを占拠していた。

 「ふあぁ〜…」

 しばらくすると時任は大きく欠伸をして、ベッドから立ち上がる。
 そしてドアを開けて寝室を出ると、リビングに向かった。
 出かけたりしていなければ、ここに久保田がいるはずである。
 だが、リビングに入ると中は寝室と同じように暗くて、あまり何も見えなかった。

 「…久保ちゃん?」

 呼んでいるというよりも、呟くような小さな声で時任がそう言ったが返事がない。
 どこかに出かけてしまったのかと思った時任が、暗がりに包まれたリビングの電気をつけようした。けれどふとソファーの辺りをみると、ほんの小さな明かりと黒い影がみえる。
 その黒い影は久保田で、小さな明かりはタバコの火だった。
 時任がソファーに近寄ってみると、そこにはさっきの時任と同じように何をするわけでもなくじっと久保田が座っている
 久保田は時任が近づいたことに気づいているに違いなかったが…。
 まるで暗がりに沈みこんだような様子のまま、時任の方を見ようとはしなかった。
 そんな久保田を見た時任は、電気をつけるのをやめて久保田の隣りに座る。
 するとやはり寝室と同じように、しとしとと雨の音が聞こえてきた。

 「なぁ?」
 「ん〜?」
 「雨降ってんな…」
 「そーだね」

 短い会話を交わして、それからまた時任が黙ると久保田も黙ったしまった。
 リビングは真っ暗で何も見えないという訳ではなかったが、隣りに久保田が座っていることは見えてもその表情まで見えない。だが、久保田がくわえているセッタから煙を吸い込むと、その時に少しだけぼんやりと顔が少し強くなった小さな赤い火に照らされて浮かんで見えた。
 それを横目で見た時任は、テーブルに置かれていたライターを手にとってカチカチと音を鳴らして火をつける。
 すると少しだけ、その炎のせいで辺りが明るくなった。

 「暗いのって…、ちょっとだけ苦手かも…」
 「なんで?」
 「なんでかって、そんなのわかんねぇけどさ」
 「ふーん…」
 「久保ちゃんは?」
 「さあ…、苦手じゃないじゃないけど、苦手な気もするし…」
 「なんだそりゃ」
 「ま、どっちでもいいんでない?」
 「良くねぇよ」
 「そう?」

 指を照らしている火が熱くて、時任がライターを消すとまた暗がりが部屋に落ちる。
 するとなぜか、さっきよりも部屋の中が暗くなったような気がした。
 時任はライターをテーブルに置くと、ソファーから立ち上がってベランダのある窓の前に立つ。
 そして閉められているカーテンを少し開けると、わずかな明かりと雨の音が室内に入ってきた。
 窓はしっかりと閉じられているのに、部屋の中が少しだけ湿気を含んでしっとりとしている。
 そのしっとりとした湿気を感じながら時任が雨を眺めていると…。
 突然、背中がふわっと温かくなって、後ろから伸びてきた腕に身体を捕まえられてしまった。
 暗がりの中で抱きしめられているせいなのか、いつもより背中から伝わってくる体温が暖かい気がして、時任はゆっくりと背後にいる久保田に体重を預ける。
 するとそれに合わせるように、久保田がそっと時任の頭に頬を寄せた。
 
 「雨の日ってさ…、すっげぇ音が響いてんのに、なんかいつもより静かな気ぃするよな?」
 「それはたぶん、雨音が他の音を消しちゃってるからかも…」
 「もしかしてだけど…、さっきから雨音聞いてたのか?」
 「そう、だから暗くしてたんだけど?」
 「…って、暗くしてんのと、雨音聞くのって関係ないじゃん?」

 時任がそう言いながら手を伸ばして、少し開いたカーテンをさらに開けようとすると、それを久保田の手が止める。
 そのせいで、窓の明かりすらろくに入っていない室内はまだ暗いままだった。
 
 「暗い方が良く聞こえるっしょ? 雨音も俺の声も…」
 「・・・・・久保ちゃん?」

 それだけ言うと、久保田はただ黙って静かに時任を抱きしめた。
 すると時任は何か考え込むような表情をしたまま、少しカーテンから雨を眺める。
 時任が窓から外を見ると、しとしとと降り続く雨の立てる音が辺りを包んで、雨音の静寂が意味も訳もなく、辺りを包んでいた。
 それを見ているとまるで感じているのはお互いの体温と声だけで…、すべてが暗がりと静寂の中に消失してしまったかのような錯覚を覚える。
 時任は久保田の存在を確かめるように、抱きしめている腕に自分の手を乗せた。
 
 
 「久保ちゃんはさ…。暗いのが苦手なんじゃなくて、寂しいのがイヤなんだろ?」

 そう時任が言ったが、久保田は黙ったまま答えなかった。
 けれど、抱きしめてくる腕がいつもよりも優しくて温かかったから、なぜかその分だけ寂しさが深くなる。
 降り注ぐ雨の静寂がそうさせているのか、それとも別の何か理由があるのか…。
 そんなことはわからなかったが、時任は何も言わない久保田の腕に抱きしめられながら、降り続く雨の音をじっと聞いていた。
 だがしばらくすると、再び手を伸ばしてカーテンを勢い良く引く。
 すると雲のわずかな隙間から覗いている空からの光が、暗かった室内を照らした。

 「別に静かじゃなくても、暗くてなくても聞こえるし…。それにどんなにうるさくっても、久保ちゃんの声くらい聞き分けられるっつーのっ。…ったくっ、バカにしてんじゃねぇよっ」
 「・・・・・・」
 「俺様が一緒にいてやってるのに、寂しいなんてぬかしやがったらぶっ飛ばすかんなっ」
 「うん」

 久保田の手に自分の手を重ねて時任が空を見上げると、厚く覆っていた雲が次第に薄くなり始めていた。
 降り止まない雨はないから、この雨もやがては上がって、雨音の静寂も消えてなくなる。
 跡形もなく綺麗に…。
 時任は久保田に抱きしめられながら、寂しさと不安を含んだ雨が止むのを待っていた。


                                             2002.10.21
 「静寂」


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