窓の外から冬の柔らかい日差しが差し込んでいる。
 けれど、その窓は三年六組の窓ではなく保健室の窓だった。
 少し薬の匂いの漂う部屋には保健室に来た生徒の記録を整理している五十嵐と、コーヒーを飲みながら窓の外を眺めている久保田がいる。いつもなら久保田の横には相方である時任の姿があるはずだが、なぜか今日はいなかった。
 けれど、その理由は聞くよりも窓の外を見ている久保田の視線を追うとわかる。暖かいコーヒーを飲みながらガラス越しに外を見つめるその視線の先には、冬の寒空の下で同じクラスの生徒達とサッカーをしている時任がいた。
 二人が離れている事がないわけでなかったが、やはりめずらしいと言えばめずらしい。しかも保健室でこうして外を眺めながら、時間つぶしをしている感じでいるのは特にめずらしかった。
 そんな久保田を時々見つめながら、五十嵐は記録帳にペンを走らせる。けれど、あまりにも久保田の視線が時任だけを追っているので、しばらくすると苦笑
しながら書く手を止めてゆっくりとペンを机の上に置いた。

 「ほんっと、相変わらずで焼けちゃうわねぇ」

 五十嵐がそう呟くと、久保田が視線を時任から室内の方へと向ける。けれど、その表情はのほほんとしていていつもと変わりなかった。
 久保田の表情からは何を思っているのかも、何を考えているのかも読めない。
そんないつも通りの久保田の様子を見た五十嵐は、軽く肩をすくめて窓の外へと視線を移した。
 「…で、どっちが優勢なの?」
 「時任がいない方?」
 「あら、あの単細胞がいて負けるなんてめずらしいわねぇ」
 「時任一人だけに、マークがやたらついてるみたいだし?」
 「・・・・助けに行ってあげないの?」
 「なんで?」
 「なんでって…、それは…」
 「それは?」

 「さっきからずっと…、ガラスに穴が開きそうなくらい見つめてるからよ」

 口元に柔らかい笑みを浮かべながら五十嵐がそう言うと、久保田も再びそちらの方へ視線を向ける。すると二人の視線の先で対戦している相手のボールを奪って、時任が敵陣へとドリブルしながら走り出すのが見えた。
 相変わらずマークがかなりついているが、それを器用にボールをあやつりながら強引にすり抜けていく。普段の時任を見ていると不器用そうに見えるが、サッカーをしたり公務をしている時はそんな風には見えなかった。
 取り囲もうとする相手にフェイントをかけながら三人抜きすると、時任はゴールに向かって独走体勢に入る。マークして引き止めている内はそうでもなかったが、真っ直ぐに走り出した時任は誰にも止められなかった。
 走って走って…、ゴールへとボールを叩き込む…。
 その姿を目を細めながら久保田は見ていたが、やはり見ているだけでサッカーに参加しようとはしなかった。
 「うーん、やっぱこの寒空の下でサッカーする気分にはなれないなぁ」
 「それはアタシも同じだけど、時任が一緒でもそうなの?」
 「さぁねぇ。けど、公務じゃなくてサッカーなら俺の出番ってまるっきりなさそうだし?」
 「そうやってすぐにはぐらかそうとする所が、ホントに久保田君らしいわねぇ」
 「そう?」
 「けど、今なら点数取られてるんだし出番ありそうに見えない?」
 さすがの時任もしつこくマークされてしまっては、五十嵐の言う通りこのままなら久保田の出番は十分にあるだろう。けれど、それを見ても久保田はコーヒーを一口飲んだだけでグラウンドには行こうとしなかった。
 「もうすぐ昼休けいも終わりそうだし、行っても行かなくてもたぶん結果は同じデショ」
 「あら、そう言われればそうね」
 「それに、たぶん時間があったとしても変わらないし…」
 「・・・・どうしてそう思うの? 」
 「俺がいてもいなくても、何も変わらないから…」
 「変わらないって何が?」
 「何がじゃなくて俺がいてもいなくても…、ガラスの向こうの風景は変わらないってそういうコト…」
 「久保田君?」
 
 「変わらないトコが…、たぶん好きなんだけどね」

 さらりとさりげなくそう言った久保田は、自分がいてもいなくても変わらなかったかもしれない風景を眺める。すると、そこでは時任がクラスメイト達とサッカーをしながら楽しそうに笑い合っていた。
 変わる所と変わらない所と…、そのどちらがが悪いのでもどちらが良いのでもない。けれど、もしかしたら久保田はガラスの向こうに…、自分がいなかった時の世界を見ていたのかもしれなかった。
 執行部でも相方でもなくて…、出会わなかった時のことを…。

 ガラスの向こう側にある、時任のいる光に満ちた世界を…。
 
 五十嵐は何かを言おうとしたが、もしも出会うことがなかったらと想像すると…、やっぱりなぜか久保田とは違って…、時任の場合はあんな風に楽しそうにサッカーをしていたような気がする。そんな変わらない景色を眺め続けていた久保田は、まるで世界からはじき出されたかのように外へと出ようとはしなかった。
 けれど世界からはじき出されても、時任が関わっているのなら別のような気がする。そんな気がする理由をちゃんとわかっている五十嵐は、少し複雑な気分になりながらまた苦笑した。
 いつも言っているように久保田に想いを寄せているし、二人きりで話せるのはうれしかったが…、なぜかそばに時任がいないと落ち着かない。それは時任がいない時の久保田の雰囲気や空気が…、いつもよりも少し乾いているように感じるせいかもしれなかった。
 時任がいない時に久保田の近くにいると空気が乾いて冷たくなって、保健室は暖房か効いていて暖かいはずなのにどこからか冬の風が吹き込んでいる。
 その風を空気を感じていると、なぜか五十嵐はすぐ近くにいる久保田ではなく…、

 ・・・・・・寒空の下でサッカーをしている時任の気配を感じた。
 
 離れていても感じる気配はもしかしたら冬の冷たい乾いた風が久保田の隣りから…、時任のいるべき場所から吹いてくるせいなのかもしれない。けれど、その風をどんなに止めようとしても止まらないのは…、腕に腕をからませても抱き付いても決して動かない久保田の腕が教えてくれていた。
 それでも五十嵐は、いつものようにゆっくりと久保田の腕に腕をからませる。
 そして、誘うように妖しく微笑みながら久保田を見つめた。
 「もしもサッカーに行かないのなら、アタシと保健体育の予習をするっていうのはどうかしら?」
 「保健体育、ねぇ?」
 「久保田君だけ、特別に手取り足取り教えてあげるわよ」
 「ん〜、せっかくですけど、ウチで予習も復習もしてますんで…」
 「そう言わないで、お姉さんと一緒にお勉強しない?」
 「ソレってどこで?」

 「ふふふっ、もちろんいい所に決まってるじゃなぁい〜」

 そう言いながら五十嵐は久保田の顔に自分の顔を近づけていったが、その瞬間に保健室の窓がバシンッと大きな音を立てて開けられた。そしてその音に五十嵐が動きをストップさせると、窓から勢い良く一人の男子生徒が保健室に入ってくる。その生徒はつかつかと不機嫌そうな顔をして久保田に近づくと、ベリッと強引に久保田の腕から五十嵐を引きはがした。

 「久保ちゃんにくっつくなっ!!! このっ、オカマ校医っ!!」

 グラウンドと保健室を隔てていた窓を、まるで打ち壊すように勢い良くあけた時任はそう怒鳴って久保田の腕をぐいっと自分の方へと引っ張る。それを見た五十嵐は時任を怒鳴りつけようとしたが、腕を引っ張られた久保田の様子を見て開きかけた口を閉じた。
 時任に引かれた久保田は、五十嵐の時と違って抵抗せずに自分の方から時任へと近づく。そして絶対に五十嵐に向かっては伸ばさなかった腕を…、ゆっくりゆっくりと包み込むように伸ばして…、
 まるでそこにいることを確かめるように…、時任を強く強く抱きしめた。
 「なっ、なにすんだよっ!!!」
 「窓が開ちゃったから、寒いなぁって思って…」
 「ひ、人をホッカイロ代わりにするなっつーのっ!!」
 「ん〜、やっぱお前ってあったかいわ…」
 「さっきから、ずっとサッカーしてんだから当たり前だろっ」
 「そうね…」
 「そんなことより、休けいが終わっちまう前にグラウンドに行くぞっ、久保ちゃんっ!!」
 「グラウンドに行くって、なんで?」
 「なんでってっ、サッカーの試合の続きをするに決まってんじゃんかっ!」
 「けど、もう十分くらいしかないのに?」
 「もうじゃなくて、まだ十分もあんだからっ、ぜっってぇに勝つっ!!」
 「この点差でも?」
 「…ったりめぇだろっ。一人じゃなくて二人なら、これよか点差あってもぜってぇに負けっこねぇじゃんっ」
 「どうして?」

 「だってさ、俺らは無敵のコンビってヤツだろっ?」

 ニッとそう言って笑うと、時任は久保田の腕を自分から引きはがして窓から出る。けれど、その手には久保田の服の端がしっかりと握られていた。
 そんな時任につられてグラウンドに出た久保田は、自分が上履きを履いてることに気付いてたが…、服をつかんでいる時任の手を見て微笑むと…、
 もう十分で…、まだ十分残っているサッカーの試合をするために、そのまま時任と一緒にグラウンドへと走り出した。

 「変わらないって気もしたけど、きっと手のぬくもりの分だけ変わってるわよ…、一人じゃなくて二人とも…。ホントにかなり焼けちゃうどね…」

 五十嵐のそんな呟きは、走り出した二人までは届かなかったが…、その代わりに久保田を呼ぶ時任の元気な声がグラウンドに響き渡る。再び始まったサッカーの勝敗はまだ決まっていなかったが、負けてもきっとくやしそうにしながらも、きっと二人は冬の寒空の下で…、二人の出会った世界で…、

 お互いの顔を見合わせて…、いつものように笑ってるような気がした。


                                             2004.1.17
 「寒空の下で」


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