朝起きてテレビをつけると、ちょうどニュースをやっていた。
 けれどそのニュースはすでに終りかけていて、お天気キャスターが本日の天気を指し棒を持って解説している。
 そんな様子を食パンを焼きながら時任が眺めていてると、今まで晴れと雨と曇りのマークしかなかったボードには、雪マークが加わっていた。
 さすがに東京には雪は降らないが、東北地方ではすでにかなり降っているらしい。
 外に出ると外気が冷たくて、だからもう冬なのだと感じたりするが、けれどやっぱりそれと雪が降るのを眺めるのとでは少し感じが違った。
 ただの自然現象だけれど、雪はいつでも白く白く地上へと降ってくる。
 その雪の白い色は今年の夏に見た、アスファルトを覆い尽くした白に似ていた。

 


 「夜んなっても、空気が生ぬるくてキモチ悪りぃ」
 「うーん、夏だからねぇ…」


 夜になっても暑くてそんな風にブツブツ言いながら、まだ終わりの見えない夏に包まれて…。
 その日、時任は久保田と一緒に鵠から頼まれた仕事を終えて、マンションに帰ろうとしていた。
 少し賑やかな通りを外れると辺りは暗闇につつまれて、街灯だけが道を照らしている。
 今日は仕事が遅くなってしまったので、二人は封筒を入れた報酬を手に夜道を歩いていた。

 「俺様ハラ減ったっ」
 「う〜ん、確かカレーは今日で四日…」
 「カレーはイヤだってのっ」
 「ふぅん、そう?」
 「な、なんてウソっ、ジョウダンっ。四日目突入カレーをありがたく食べさせていただきますっ」
 「じゃあ、俺はチャーハン作るから、時任はカレー食べてなね」
 「そんなのアリかっ!」
 
 そうやって二人で話しながら、時任は夏なのに長袖を着ている久保田の腕を見る。
 久保田はあまり肌を露出するような服は好きではないらしく、外ではかならず長袖を着ていた。
 何か理由があるのかと思っていたが、部屋では平気で上半身裸で歩いていたりするので、そんなにたいしたことではないのだろう。
 冬にはいつもコートを着ている久保田も、夏にはさすがにシャツ一枚なので、時任が手を伸ばしてもあまり掴むところがなかった。
 コートなら裾を持つことができるのだが、さすがにシャツの裾を持っているのは目立つ。
 暑いということもあって、夏に二人で歩くと微妙に距離が開いていた。
 昼間は人通りが多い場所でも、夜はまるで街がゆっくりと夜の眠りを貪るかのように静かになっていく。それは眠らない街であったとしても、ふとした瞬間にどこからか夜が染み入ってくるようなそんな感じがした。
 時任が歩く振動にあわせて手をぶらぶらとさせていると、久保田が持っていたコンビニ袋の手持ちの部分を半分手から離す。それに気づいた時任が久保田の方を見ると、久保田はその半分を時任に持つように言った。

 「それって全然、重くねぇだろ」
 「うん」
 「じゃあなんでだよ?」
 「二人分入ってるからかなぁ。俺だけ持ってるのって不公平だし」
 「なんだそりゃ」

 あきれたように時任はそう言ったが、コンビニ袋に手を伸ばして半分だけ持つ。
 すると自然に二人の距離がさっきよりも、少しだけ近くなった。
 照らしている電灯の角度によって変わっていく二人の影が、長く後ろに伸びて…。
 その影を作っている電灯に近づくと、次第に何か白いモノが見え始める。
 それは電灯の周りだけではなく、アスファルトの上にも散らばっていた。
 まるでそこだけが季節が違ってしまったかのように、光りに吸い寄せられるようにヒラヒラと白が舞って、それから下へと降り積もっていく…。
 雪ではないことはわかっていたが、そこだけが夜の暗闇よりも静かに見えた。
 
 「あれって何?」
 「虫」
 「ムシ?」
 「カゲロウっていう虫」
 「ふーん…」

 地面に降り積もった蜻蛉は、近くに言ってみると本当に一つ一つが虫で…。
 それが雪のように見えたのは、死んだ蜻蛉がそこにたくさん集まっていたからだった。
 あまりの数に時任が避け損ねて踏んだ瞬間、足元で蜻蛉がプチリと嫌な音を立てる。
 その音に時任が顔をしかめると、久保田が足を止めて飛んでいる蜻蛉を見上げた。

 「カゲロウは一日で死ぬから、雪みたいに見えるのかもね?」
 「たくさん飛んでるのに、あれが全部死ぬのか?」
 「そう、全部」
 「なんで一日なんだよ?」
 「さぁ、一日で一生分ってことかも? 卵産んで死ぬだけだから…」
 
 電灯に当たって次々と落ちてくる蜻蛉は、アスファルトを白く埋め尽くしていく。
 まるでたった一日だけの命が、そこに降り積もっていくように…。
 消えていく命の数だけ、アスファルトが白く染まった。
 時任は久保田と一緒に蜻蛉を眺めながら、コンビニ袋を持ったまま立ち止まっている。
 けれどその手は、コンビニ袋を持った久保田の手に自分から手を重ねていた。
 
 「一日でもちゃんと生きてた時があったら…。死ぬだけじゃなくて、ちゃんと一生分生きてたってことだろ?それが長いか短いかなんて…、きっとわかんねぇよ」
 「カゲロウにしか?」
 「カゲロウにも」
 「…そーだね」
 
 時任はそう言うと、久保田の手を引っ張って白く敷き詰められた蜻蛉の上を歩いていく。
 足元に散っている蜻蛉を踏みしだきながら…。
 異常発生している蜻蛉の大群が降り注いだアスファルトは、道の幅一杯に白が広がっていた足の踏み場がなかった。
 ここを通ってマンションに戻るには、蜻蛉の上を歩かなくてはならない。
 雪のように降り積もった蜻蛉は、二人の靴に踏まれて小さな音を立ててつぶれていった。
 
 「帰ったらチャーハン作れよっ」
 「はいはい」

 白く染まっていたアスファルトは、歩いていくと次第に普通の色を取り戻し始める。
 けれどまだ二人の後ろでは、ヒラヒラと舞っている蜻蛉が降り積もっていた。
 まるで降り止まぬ雪のように…。
 けれど時任も久保田も、後ろを振り返らずにマンションへと戻った。




 「久保ちゃん…、パン焼けたぞ」
 「バターぬっといてくれる?」
 「わぁった」
 「天気予報、今日の天気は?」
 「くもりで雨の確率は30パーセント、雪は0パーセント」
 「雪の確率は100パーセント当たりっしょ?」
 「そ、俺様予想だから当たりに決まってんじゃんっ」

 そんな風に話しながら二人分のパンにバターを塗ると、時任は自分の方のパンの端を軽くかじった。
 すると久保田がかけていたコーヒーメーカーから、コーヒーのいい匂いが漂ってくる。
 マグカップが二つテーブルの上に置かれたので、時任がコーヒーをそれに注いでいると、キッチンからやってきた久保田が窓の方を指差した。

 「あ、100パーセントがハズレた」
 「え?」

 久保田に言われて時任が窓の外を見ると、そこには降らないはずの雪がチラチラと舞っている。
 けれどほんのわずかに舞っているだけなので、すぐに止んでしまいそうだった。
 天から降り注いだ雪は、きっとほとんど気づく人もないくらいすぐに消えそうで…。
 時任はパンを持ったまま急いでベランダに出ると、降ってきた雪を一粒だけ手のひらに受けた。
 けれどその雪は体温で、すぐに形を失って解けてしまう。
 つまらなそうに時任が自分の手のひらを眺めていると、マグカップを持った久保田がベランダに出てきた。
 
 「消えてもソレ初雪でしょ?」
 「うん…、初雪だよな」
 
 冬になって始めての雪は、時任の手のひらに小さな水滴を残してたった数分で止んでしまった。
 痕跡すら何も残さずに…。
 けれど、夕方のニュースではちゃんと初雪が報じられていた。
 

                                             2002.11.18
 「真夏の雪」


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