毎日二人で生活することには、思ったより早くなれた。
 二人で同じ部屋にいることがほとんどだったが、別に一人の時間がほしいとかそんなことを思うこともない。
 なんだか不思議なくらい同居生活はうまくいっていた。

 「時任、まだ寝ないの?」
 「もうちょっと…」
 「はまってるね、そのゲーム」
 「面白いじゃんか、コレ」
 時任はゲームにはまると、平気で徹夜をする。一つのコトに夢中になると、それを集中的にやらなくては気の済まないタイプらしい。
 久保田はそれに付き合ってかどうかはわからないが、ずっと時任の横で本を読んでいた。だが、時計が午前二時を指しているのを見ると、パタンと読んでいたページを閉じ、いつもしている眼鏡を外して小さく欠伸をした。
 「眠いなら寝ろって」
 「そーするよ」
 「おやすみ、久保ちゃん」
 ゲーム画面から目を離さないままで、時任が久保田におやすみを言う。
 普通なら、ここですぐに久保田がおやすみと返事をするはずなのだが、いつまでたっても返事がない。不審に思った時任は、画面から久保田の方を向く。
 だが、時任はその視界に久保田をとらえることはできなかった。
 「・・・・・・・・?」
 視界が暗い。
 それに、なにかが唇に当たっている。
 柔らかい、濡れた感触。
 時任はそれがなんなのか理解できないまま、そのままの姿勢でじっとしていた。
 すると、少ししてその柔らかいものが時任から離れる。時任は明るくなった視界の中に、久保田の顔を捉えた。
 「おやすみ、時任」
 久保田はいつもと同じ顔で微笑んでいる。
 いつもと同じなので、時任は呆然としたまま、自分のベッドに向かう久保田を黙って見送ったのだった。




 「一体、なんだったんだ…」
 久保田はいつものようにバイトに出かけていて留守なので、時任は部屋で留守番をしていた。昨日からやっているゲームはまだクリアしていなかったが、なぜかやる気にならない。
 時任の頭の中は、昨夜のことで一杯だったのである。
 「あれって、やっぱアレだよな…」
 落ち着いてからよくよく考えれば、アレは間違いなくキスだった。
 つまり、時任は久保田にキスされたのである。
 その事実に気づいた瞬間、時任は混乱した。
 時任の知識からすれば、あれは男と女がするもんで、スキとかアイシテルとか、そういう状態にある時にやるものだったからだ。
 その知識の元はやはりテレビドラマだったりする。
 「あ、けど、そういうのじゃなくてもやったりはするよな。ただの挨拶とか…」
 確かに外国のホームドラマや映画では挨拶でキスしてたりするが、ここは日本である。さすがにそのことに気づいてはいるが、本当にそうかと尋ねられれば、なんとなく自信がなくてうなづけない。
 時任はグルグルそのことを考えていたが、やがて考えることに疲れ果ててソファーに寝転がった。
 「久保ちゃんが寝ぼけてただけかもしんないしさ。考えるだけバカみたいかも」
 いくら考えても答えが出ないので、時任は考えるのをやめてしまった。
 どう考えても、久保田が自分にキスする理由が思い浮かばなかったからである。
 「久保ちゃんのせいだっ!」
 時任が悩みの元凶に文句を言っていると、ドアのチャイムが鳴った。
 「時任ー、俺。ドア開けて」
 元凶の帰宅である。
 時任はなんとなくムスッとした顔をして、ドスドスと玄関まで歩いていくと、チェーンを外してドアを開けた。
 「ただいま、時任」
 「…おかえり」
 いつもと全然変わらない顔をした久保田を、時任はキッと睨みつけた。
 「どしたの?」
 「べっつにぃ」
 本当は、なぜキスしたのか聞きたかったが、どうしてだか久保田を前にすると聞くことができない。時任はほんの少しだけ顔を赤くしながら、久保田にそっぽを向いた。
 「機嫌悪いね?」
 「んなことねぇよっ」
 再びドスドスと足音を立てながらリビングまで戻ると、時任はふて腐れたような感じでテレビの前に座った。けれど、そんな時任の様子を見ても、久保田はそれ以上問うことはせずに、夕食の準備に取り掛かる。
 そんな久保田を見ていると、やはり昨日のことは気のせいだったような気がしてきたのだった。
 「なんかバッカみてぇ…」
 時任はそう呟くと、昨日のことは忘れようと決心したのである。



 午前三時前。

 リビングには時計の音と、ゲームのコントローラーのカチャカチャという音だけが響いている。
 やはり今日も時任がゲームをし、その横で久保田が本を読んでいた。
 さすがにそろそろ眠くなってくる時間帯、時任はキリの良いところでセーブすると、大きく伸びをした。
 「もう寝る。おやすみ、久保ちゃん」
 時任はおやすみを言ったのだが、久保田から返事がない。
 どうしたのかと思って時任が久保田の方を向くと、そこには久保田の顔のどアップがあった。
 「あっ…」
 何か言おうとしたのだが、それより早く唇を塞がれる。時任はとっさに手で押し返そうとしたのだが、その手を久保田に封じられてしまった。
 「久保ちゃん?」
 「おやすみ、時任」
 久保田はキスが終わると、再び本に目を落とす。
 再び時任は何か言おうとしたのだが、久保田が真面目な顔をして本を読んでいるのでなんとなく言えなくなってしまった。
 時任は仕方なく立ち上がると、寝るためにベッドに向かったのである。
 だが、それから毎日、久保田は寝る前に時任にキスするようになった。
 けれど、ただキスするだけで、おやすみ以外何も言わない。
 最初は疑問に思っていたが、毎日しているとやはり習慣になってしまうのか、二週間目辺りからキスされる前に時任は目を閉じるようになっていた。
 慣れというのは恐ろしいものである。
 「おやすみ、久保ちゃん」
 「おやすみ」
 挨拶してキス。
 久保田とキスするのは嫌いじゃないというより、むしろなんとなく好きである。
 「やっぱ、コレってヘンだよなぁ…」
 テレビの恋愛ドラマを見ていると、やはりそんな気がしてならない。
 ひそかにずっと悩んでいた時任は、珍しく一人で買い物に出かけた時、偶然出会った葛西に質問をしてみることにしたのだった。
 「あぁ? 今、なんてったんだ?」
 「だからっ! 久保ちゃんが俺にキスすんだけど、コレってどういう意味なのかって聞いてんじゃんかっ」
 直球でそのままを言った時任に、葛西は絶句していた。
 なんとなく額に汗が浮いているような気がする。
 「寝る前に毎日すんだけど、やっぱ挨拶ってヤツ?」
 無邪気に尋ねる時任は、そんな葛西の様子に気づいていない。
 葛西はくわえている煙草から煙を吸い込むと、煙とともに深く息を吐き出した。
 「そりぁ、おめぇ。ま、誠人に聞きゃあいいだろうがっ」
 さすがの葛西も話題が話題だけに、セリフのキレが悪い。
 軽く頭を振ったのは、久保田が時任にキスしているところを、あやうく想像しかけたせいだろう。なんとも気の毒な話だった。
 「聞けねぇから、おっちゃんに聞いてんだろっ」
 なおも理由を言えと迫ってくる時任に、葛西はがーっと頭を掻く。当たり前だが、葛西に理由がわかるはずもなかった。
 嫌な予感だけはしていたが…。
 「時坊は、誠人に…キ、キスされんのが嫌なのか?」
 どもりながらなんとか葛西がそう言うと、時任の顔がぽぉっと赤くなった。
 「嫌じゃねぇけど…」
 「けど、なんだよ?」
 「なんでキスすんのか…。すっげー気になんのっ」
 「・・・・・・・」
 つまり時任が問題にしているのは、キスされることではなく、なぜキスするのかということだった。自分では気づいていないようだが、時任が知りたがっているのはキスじゃなくて、キスをする久保田の気持ちなのである。
 葛西は小さくため息を付くと、時任の肩をポンッと叩いた。
 「…たぶん、じきにわかる」
 「なんで?」
 「なんでもだっ! わかったらとっとと帰れ。一人で出歩いてっと、また誠人が心配すんだろっ」
 「あっやべっ、言って出てきてねぇんだったけ…」
 「寄り道せずに帰れよ」
 「しねぇよっ」
 時任は久保田に言わずに出てきていた。
 煙草をスパスパ吸いながら冷汗をかいている葛西に軽く手を振ると、時任はあわててマンションへと帰っていく。
 後に残された葛西は携帯電話を取り出すと、メモリーに入っている番号に電話をかけた。
 「おうっ、誠人か」
 『…なんか声がヘンだけど?』
 「てめぇのせいでヘンなんだよっ!」
 『俺の?』
 「いいから、今からこっちへ来い。話がある」
 『バイトの途中なんだけど?』
 「さっさと終わらせりゃあいいだろ!」
 葛西は強引に久保田を呼び出すと、通話を切った。
 この問題に関わりたくはないが、あんな風にまた時任から質問されるかもしれないと思うと頭が痛くなる。それを防ぐには、元凶である久保田に時任をなんとかするように言うしかなかった。
 「ったくよぉっ、なんだって俺が悩まなきゃなんねぇんだ」
 そんなことを言いながら、葛西は久保田との待ち合わせ場所に向かった。




 「おっ、来たか」
 「なんか急用?」
 「そーいうワケじゃねぇけどよ。お前にとっちゃあ重要かもしれねぇ話だぜ」
 「意味深なこというなぁ」
 良く待ち合わせに使う喫茶店で、葛西と久保田は向かい合って座った。
 二人とも喫煙者なので喫煙席である。
 葛西は短くなった煙草を灰皿で消すと、新しい煙草に火をつけた。
 「今日、時坊と会ったんだがな」
 「時任と?」
 「あぁ、買い物に来てたらしいぜ」
 「ふーん、それで?」
 「なんかわからんが、俺に妙な質問しやがった」
 「質問?」
 「おめぇがキスしてくっから、その理由を教えろってなっ」
 そう言い終えてから、葛西がチラリと久保田の顔を見る。だが、久保田の表情はまったく変わらなかった。
 「…マジでキスしたのか?」
 うかがうように葛西がそう聞くと、久保田は運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ。
 「したよ。今も毎日してるけど?」
 「じゃあどういうつもりでやってんだ?」
 「つもりもなにもないよ。やりたいからやってるダケ」
 「やりたいからってなぁ、中学生じゃあるまいし…。気まぐれでやってんならやめてやれ。時坊の気持ちも考えてやれよ、誠人」
 「時任の気持ちはわからないケド、俺は自分に正直にやってるだけだけどなぁ」
 「まさかお前…」
 葛西は言いかけた言葉を途中で止める。
 なんとなく認めたくない気がしたからだった。
 だが、まったく予想がつかなかったと言えばウソになる。
 久保田が時任に執着している度合いとか、時任が久保田に依存している度合い。
 それは見ていて心配になるくらいのレベルのものだった。
 「見てるとキスしたくなるし、実は身体も正直過ぎるくらい正直に反応してくれちゃってるんだよね。時任に」
 「・・・・・・・抱くつもりか?」
 「いずれはね」
 平然と抱くと言ってのける久保田に、葛西は何も言う言葉が見つからなかった。
 久保田は時任に恋愛感情か、それに似たものを持っている。
 それが一方的なら、時任の気持ちっていうものがあるが、まだ気づいていないようだが、おそらく時任も久保田のことが好きに違いない。
 「わかってんなら、何も言うこたぁねぇよ」
 「邪魔しないでね、葛西さん」
 「まだ死にたくねぇからしねぇよ」
 「心配してくれたコトは感謝してるよ」
 いつもの感情の読めない笑みを浮かべて、久保田が葛西を見ている。
 葛西は大きく肩をすくめると、軽く手を振った。
 「さっさと帰りやがれっ、時坊が待ってるぜ」
 「そうさせてもらいます」
 一人で買い物に来ていたのが気になるのか、久保田が席を立つ。
 慌てるでもなくのんびりと久保田が喫茶店から出るのを見届けると、葛西は椅子に力なく寄りかかった。

 「なにやってんだ…俺」




 葛西と別れて部屋に戻った時任は、クッションを抱えて床に転がっていた。
 なんとなくすっきりとしない。
 葛西はじきにわかると言っていたが、少しもわかる気がしないからだった。
 「嫌じゃねぇけど、そんなんじゃねぇけどさ。やっぱわかんねぇし…」
 毎日しているので、久保田の唇の感触がまだ自分の唇に残っている気する。
 まだそんなに激しいキスはしたことがなかったが、唇が触れ合う瞬間はすごくドキドキした。
 「…久保ちゃん」
 名前を呼んで自分の唇を指でなどって、静かに目を閉じる。
 そうすると、久保田にキスされた感覚がもっとリアルになった。
 キスの感覚を追いながら、時任は久保田にキスされたがっている自分に気づく。
 「俺…」
 ハッとした瞬間に玄関のチャイムが鳴った。
 久保田が帰ってきたのである。時任はいつものように、玄関を開けに行った。
 「ただいま、時任」
 「おかえり、久保ちゃん」
 挨拶をして二人でリビングに移動する。
 そこまではいつもと同じだったのだが、それからが違っていた。
 「時任」
 「えっ?」
 リビングに入った瞬間、久保田が後ろから時任を抱きしめたからである。
 いきなり抱きしめられた時任は、驚いていたのでされるがままにじっと腕の中に収まっていたが、後ろから耳の辺りに久保田の息がかかったのでピクッと身を震わせた。
 「く、久保ちゃん…」
 時任は久保田の腕から抜け出そうとしたが、久保田はさらに時任を抱きこんでそれを防いだ。
 「今日、葛西さんに会ったんだって?」
 「な、なんで知ってんだよ!?」
 「なんでだろうねぇ?」
 もしかしたら、自分が葛西に言ったことを知られているかもしれないと思った時任は、顔を赤くする。耳たぶまで真っ赤だった。
 「俺が時任にキスする理由、そんなに知りたい?」
 「り、理由って…、べっ別に俺は…」
 聞きたいくせに素直に言えない時任の顎を、久保田が手で捕らえて上を向かせる。
 何事かと時任が思っていると、上から久保田の唇が降ってきた。
 「んっ…」
 唇を押し付けられて息が苦しくなる。
 唇が離れた瞬間に、息をしようとして時任が口を開けた。だが、それを狙っていた久保田がその口を塞ぐ。時任の中に、歯列を割るようにして久保田の舌が滑り込んできた。
 「う、ん…」
 時任の口から色っぽい声が漏れる。
 その声に答えるように、久保田は自分の舌に時任の舌を絡め取った。始めは躊躇していた時任も、口内で動く久保田の舌に答えるように次第に積極的にキスをし始める。
 頭がぼぉっとしてきた時任の膝が、かくんと落ちた。
 だが、すかさず久保田がそれを支えたので、二人のキスは途切れることなく続いている。二人の間からは激しいキスの音が漏れていた。
 「・・・・んんっ」
 ピチャッと音を立ててキスが終わると、久保田は自分の力で立てない時任を抱き上げ、ソファーに連れて行って座らせる。
 時任はぼ〜っと焦点の定まらないような目をしていた。
 「大丈夫?」
 「…う…ん」
 まだキスの余韻が覚めていない時任を見て、久保田が愛しそうに微笑む。
 久保田は時任の横に座ると、その身体を抱き寄せた。
 「時任のコトどう思ってんのか、自分でもまだはっきりとはわからないけど、キスしたくなったりとかするのは、時任だけだから」
 「久保ちゃん?」
 「時任は俺とキスするのイヤ?」
 久保田がそう言うと、時任は視線を合わせないまま小さく首を振る。
 すると久保田は時任の額にキスをした。
 「たくさんキスしようよ、時任。そしたら色んなコトわかるかもしれないから」
 「キスしたらわかる?」
 「うん。たくさんすると、キスだけじゃなくて他にももっとしたくなるしね」
 「他にもって何?」
 「これからゆっくり教えてあげるよ、時任」
 再びキスをかわしながら、時任はこれが久保田じゃなかったらと考えてみる。
 すると、すぐに突き飛ばしたくなるほど絶対に嫌だった。
 
 「俺も久保ちゃんとしかキスしたくない」

 キス以上のことをするまでもなく、完全に答えは出ている。
 だが、二人はそれを言葉にすることをせず、ひたすらお互いを求め合っていた。



 それから一ヶ月後。
 何気なく葛西が時任とはどうなったかと尋ねると、久保田は意味深な笑みを浮かべて何も答えなかった。
 (やっぱり、ヤったのか…)
 葛西はそれ以上問うことはせず、深いため息をついたのだった。


                                             2002.4.11
 「恋心」


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