その日、時任は珍しく一人で廊下を歩いていた。 別に四六時中一緒にいるとかいないとか、そんなことは決めた覚えはないのだが、ごく自然に久保田と一緒に行動することになるのが常なため、こんな風に一人でぼんやり歩いていることは珍しいのである。 いつだったか忘れたが、前に一日の内何パーセント一緒にいるかという質問をされた時、久保田はさらっと真顔で九十パーセントと答えていた。 ウソのような回答だが、それは紛れもない事実である。 「ふぁぁぁ〜」 廊下を歩きながら時任が欠伸をする。 一人いると、やはり見ている方も物足りない感じがした。 そんな感じで時任が歩いていると、前方から言い争うような声が聞こえてくる。 どうやらケンカのようだった。 「ったく、しょうがねぇなぁ」 学校内にいる限り、時任は執行部員である。 時任は自分のポケットから腕章を取り出すと、右肩にそれをつけた。 つけなければ、公務もただの暴力と見なされる。この決まりについてはかなり厳しいので、面倒でもやはりつけなくてはならないのだった。 「なんだっ、てめぇ!」 「なんだとはご挨拶だな。校内に私の顔を知らない者がいるとはな」 「おいっやめとけ、そいつは…」 「このっ!!」 騒ぎの現場に時任が到着すると、そこには数人の男子生徒と、なぜか生徒会長の松本がいた。どうやら、松本がケンカを止めに入ったらしい。 ふだん、ケンカが発生したら執行部が呼ばれるため、こんなパターンは非常に珍しかった。 「正当防衛だな、これは」 松本はそう言うと、襲い掛かってきた男の攻撃をすぅっとかわし、その腹に拳を一発叩き込む。男の攻撃はケンカ慣れしている感じでなかなかのものだったが、松本はそれよりももっとこういう現場に慣れているような見事な動きだった。 これくらい強ければ、執行部員としても十分に通用するだろう。 「ぐおっ…!!」 「自分の身が可愛いなら、これ以上はやめておくことだな」 倒れこんだ男を松本の冷たい視線が射抜く。 さすが荒磯の生徒会長をしているだけあって、かなりの迫力があった。 「お、おいっ…」 「ヤバイって」 松本に目をつけられたら、この荒磯では無事に学校生活を送るなんてことはできない。 男子生徒達はバタバタとその場から逃げ出した。 私立荒磯高等学校、生徒会。 その頂点に立つということは、この荒磯をその裁量によってまとめあげなくてはならないという、かなり重い責任と任務をおっているということだった。 会長の座に松本がついてから、荒磯は良い方向へと変わって来ている。 会長の補佐をしている、副会長の橘の力もあるだろうが、やはりそういう点でも松本の実力を誰もが認めざるを得ない。 だが、松本は久保田に狸と称されるだけあって、かなり食えない男だった。 久保田と対峙しても、あまり隙というものを見せることがない。 けれどやはり、それくらいでないと荒磯の生徒会長は務まらないのかもしれなかった。 「すまない。君の仕事を取ってしまったようだな」 腕章をつけたまま、なぜかその場でぼーっとしている時任に、松本は笑みを浮かべてそう言った。心なしか、いつも生徒会室で会う時よりも口調が柔らかい。 時任はその声にハッと我に返ると、 「べ、別にかまわねぇよ、どうせたいしたヤツらじゃねぇし」 と、慌てたように言う。 実はさっきの松本を見て、ちょっとカッコいいかも…などと思ってしまったのだった。 「松本ってこういうの馴れてんの、なんか意外」 ぼそぼそとなんとなく照れた感じでそう時任が言うと、松本は短く笑った。 「意外はないだろう。俺も昔は執行部してたからな。誠人から聞いてるだろう?」 「あっ、そっか」 「だが、君と誠人にはかなわないだろうがな」 「当ったり前だっつーのっ!」 「今の執行部を支えてるのは君と誠人なんだから、これからも頑張ってくれ。そうしてくれないと俺も困る」 「…また何か企んでんじゃねぇの?」 「素直にほめてるんだから、素直に取ってくれよ」 時任はほめ言葉に弱い。 しかも正面切ってほめられてしまったので、時任は思わず顔を赤くしてしまった。 「ほ、ほめても何にもでねぇかんなっ!」 「ははは、わかってるよ」 生徒会長室ではないせいか、松本の雰囲気が柔らかい。 なんとなくほのぼのとした不思議な空気に飲まれて、時任はしばらくの間、松本と立ち話をしてしまった。意外な組み合わせに思わず立ち止まる生徒もいたが、二人とも普段から人の視線を集めているため気にしていない。 時任は今まで、松本のことを久保田をこき使う嫌なヤツとしか思っていなかったが、結構いいヤツかもしれないと認識を改めたのだった。 「なぁ、久保ちゃん」 「ん〜、なに?」 近くのビデオレンタル店で借りてきたビデオを二人で見ながら、時任がぼんやりと久保田に話しかける。ビデオの内容はサスペンス系だったが、画面上では主人公と相手役の女が派手なラブシーンを演じていた。 「松本って結構いいヤツなんだな…」 なんとなく独り言っぽい時任の呟きに、 「そうだねぇ」 と、久保田は言った。 部屋を暗くしていたため、テレビ画面の光が眼鏡に反射していて、久保田がどんな表情をしているのか見えない。だが、時任はそんなことなど気にしていないようで、松本のことを話し続けた。 「今日、松本と廊下で会ったんだけど、そん時ケンカの仲裁しててさ。あいつ、一発で相手倒してたぜ。案外強いのな?」 「元執行部だから、それくらいはね」 「松本にも同じようなこと言われた」 「ふーん」 「生徒会長ってやっぱ大変なのか?」 「さぁ? 本人に聞いてみたら?」 「うーん」 「・・・・・・・・」 時任は話の途中で、またビデオを見始めたらしく会話が途切れた。 奇妙な沈黙が部屋に流れている。 だが、時任はそのことに全然気づいていなかった。 次の日。 時任と久保田は二人揃って、校内を巡回していた。 右腕に執行部の腕章をつけていると、それだけで避けて通る者もいる。 この二人は立っているだけで絶大な効果があるのだった。 けれど、本人達にそれほど自覚はなかったりするのである。 「なんか、ヒマ」 「いいんじゃないの、平和で」 「まぁ、そりゃそうだけどよ」 久保田はとことん面倒臭がりなため、何事もなければそれでいいと思っているが、時任はとにかくヒマが嫌いなのである。公務は一応、執行部員としての任務なのだが、公務中の時任は別な意味で楽しそうに見えなくもなかった。 のんびりと二人が廊下を歩いていると、丁度、階段を上ろうとしている人物が目に入った。 「あれっ、松本じゃん」 時任はそう言うと、久保田の横を擦り抜けて階段の所にいる松本に向かって走り出す。 うれしそうな顔をして。 「松本っ!」 そう時任が声をかけると、松本が足を止めて振り返った。 「相変わらず元気がいいな」 「バカにしてんだろ?」 「いや、うらやましいと思っただけだ」 時任に話し掛けられて、松本は微笑みを浮かべつつ返事をしている。 あまり見慣れない組み合わせだが、二人ともまんざらでもない様子だった。 一方、時任が松本のところに行ってしまったため、隣が空席になった久保田は、そんな二人の会話に加わらずじっと時任に視線を注いでいる。その表情はいつもと変わらなかったが、その周囲には冷ややかな空気が漂っていた。 だが、そんな視線に気づきもせず、二人はなおも会話を続けている。 「そういえば、生徒会長室に貰い物のケーキがあるんだがいるか? 俺も橘も甘いモノはあまり食べないから、もらってくれると助かるが」 「えっ、マジ。いるいる」 「そうか、ならすまないが取りに来てくれ」 「行く」 時任はそう返事をしてしまってから、ハッとして久保田の方を向いた。 すると久保田は感情の読めない笑みを浮かべて、 「行っておいで、俺は先に戻ってるからさ」 と、言う。 時任は久保田に了解をもらえたので、嬉しそうに笑った。 「わりぃ、すぐ戻るから」 「はいはい、行ってらっしゃい」 一見、穏やかに見えるやりとりだが、そんな久保田を見てしまった松本は表情を凍らせた。 久保田がかなりハンパじゃなく怒っていることに気づいたからである。 「ウチの子頼むね」 微笑みながら短く久保田がそう言うと、松本は額に汗を浮かべながら、 「…ああ」 とだけ、やっと返事を返した。 (まずいな…) いかに松本と言えど、久保田を本気で怒らせるなんて恐ろしいことはしたくない。 無邪気に笑いかけてくる時任のことが可愛かったので、思わず松本も笑顔で話などしてしまったが、昨日と違って久保田の目の前でというところが非常にまずかった。 中学時代の久保田を知っている松本は、久保田が時任を何よりも大切に想っていることをなんとなく感じていた。初めて久保田と時任が並んでいるのを見た時は、久保田があまりに穏やかな表情で時任に微笑みかけているので非常に驚いたものである。 久保田の隣の席。 かつて松本は久保田とコンビを組んではいたが、その関係はいたってクールなものだった。実際、久保田は松本とコンビを組んだからといって、何も変わったりはしなかったのである。 けれど、時任と組んでからの久保田は、目に見えて変化が現れていた。 とても良い方向で。 「ケーキって何? スポンジ?ムース?」 生徒会長室に向かいながら、時任はケーキを食べられるのがすごく嬉しいらしく、瞳をキラキラさせてそんなことを聞いてくる。 (誠人が惚れるだけあって、…確かにかわいいな) なんとなくそう思ってしまった松本は、慌てて頭を軽く振った。 このままでは本当に命が危うくなってしまう。 松本は自分に笑顔を向けてくれている時任からぎこちなく視線をそらせて、ゴホッと一つだけ咳払いをした。 「イチゴのムースだったと思うが」 「おっ、うまそうじゃん」 「帰って誠人と一緒に食べるといい、二つあるから」 「サンキュ、松本」 普段、俺様な性格をとことん披露しているために見逃しがちだが、実は時任はかなり可愛い性格と顔をしていたのだった。 松本は生徒会長室に到着すると、室内に置かれている冷蔵庫からケーキの入っている箱を取り出す。すると、時任が両手を差し出したので、そこに箱を置いてやった。 「お前ってやっぱ、結構いいヤツだな」 首をちょっとかしげてそんな風に言ってくる時任に、松本は少し頬を赤くする。 (ど、どうしたんだ、俺は) 自分で自分に戸惑っていると、時任はケーキをもらってもすぐには帰ろうとはせずに、生徒会長室を珍しそうに見回した。 「何回も来てるのだから、珍しくはないだろう?」 「まあそうだけどさ。いつもすぐに帰っちまうから、あんまじっくり見たことねぇの」 「あぁそうか、ここに来るといつも怒っているからな。時任は」 「お前が怒らせるようなコトばっか言うからだろっ」 「否定はしないよ」 「…まあ、別にいいよ。仕事なんだろ、そーいうのも」 「ありがとう」 「こんなんで礼なんか言うなってのっ!」 そんな感じで二人で話していたが、しばらくすると橘が戻ってきたので、それとすれ違いに時任は執行部に帰っていった。 松本はそんな時任の後姿を見て、なんとなく名残惜しい気分になったのだった。 「どうかなさいましたか、会長」 そう思っているのが顔に出ていたのか、橘が楽しそうな顔をしてそう聞いてくる。松本はそんな橘の顔を見ながら、小さく息を吐いた。 「いや、なんでもない」 「浮気、しないでくださいよ」 「な、何を言ってる」 「動揺するところがあやしいですね。もしかして好きになりましたか? 時任君のこと」 「バカを言うな。君じゃあるまいしっ」 「ふふ、気づいてらっしゃったんですか?」 「・・・・・」 生徒会長室でそんな不毛なやり取りが行われていた頃。 時任はケーキを持って、無事に生徒会室にたどり着いていた。 「わりぃ、遅くなっちまった」 時任がそう言ってドアを開けると、なぜか生徒会室の空気が淀んでいた。 雰囲気がとことん悪い。 「なんかあったのか?」 不思議に思って時任が桂木に尋ねると、桂木が無言で久保田の方を見た。 けれど、久保田はいつもの席で新聞を読んでいるだけで、別にヘンなところは見られない。 時任が首を傾げると、久保田が時任に手招きした。 「おいで、時任」 「久保ちゃん?」 なんとなく違和感を感じながらも、時任は久保田のそばに歩み寄る。 すると久保田は、桂木達がいるにも関わらずその身体を抱き寄せた。 「ちょっ、久保ちゃんっ」 「・・・・・・」 「やめっろってば!」 冗談ではなく本気で抱きしめられて、時任は思わず久保田の腕を払いのける。 藤原がいないとはいえ、みんながいる目の前で抱きしめられて恥しかっただけなのだが、久保田は払いのけられた腕を再び伸ばすことも、時任に何もいうこともせずに自分の鞄を手に持った。 「俺、帰るわ」 そう言うと、久保田は時任を置いてスタスタと生徒会室を出て行く。 そんな久保田の後ろ姿を時任は呆然と見送ってしまったのだった。 「…アンタ、何やったの?」 桂木がそう聞いてきたが、時任は首を横に振る。 なんとなく久保田が怒っていることはわかったが、怒っている理由がわからなかった。 時任は慌てて鞄を引っつかむと、走って久保田の跡を追う。 けれど、廊下を出た時にはすでに久保田の姿はない。 「置いて帰ることねぇじゃん…」 時任は本当に久保田が先帰ってしまったことにショックを受けながら、トボトボと一人でマンションに帰ったのだった。 「邪魔するよ」 そう言って生徒会長室に入ってきた久保田を見て、松本は焦った。 表面上はいつも通りのポーカーフェイスを保っていたが、内心はかなり動揺している。 昨日の久保田ほどではなかったが、やはり今日の久保田も周囲の空気がどことなく冷たかった。 「何か俺に用か? 誠人」 「用があるから来たんですよ、会長」 「あまりいい話じゃなさそうだな」 「さあ?」 「…時任の件なら、俺ではなく本人に言え。俺が話しかけなくとも、時任が話しかけてくるなら意味ないからな」 「何の話だか?」 「そういう話だろう?」 「ちょっと違うけどね」 久保田はそう言うと、松本のすぐそばに立った。 そして、松本が座っている椅子に手をかける。 松本が警戒するように身を硬くすると、久保田が松本の耳に、 「俺とキスしてくれない?」 と、冷たい声で言った。 キスを迫っているのに、その言葉からは温度というものが感じられない。 松本は背中に冷たいモノが走るのを感じた。 「何を考えてるんだ…。そんなことをして何の意味がある?」 そう松本が言うと、久保田は見るものを凍結させるような笑みを浮かべて、 「俺と松本がキスしたら、時任はどっちに焼くかなぁってちょっと実験しようと思ってね」 と、言った。 久保田が本気であることを悟った松本は、久保田から逃げようと椅子から立とうとしたが、その身体を簡単に久保田につかまえられてしまう。やはり、松本より久保田の方が力が上だった。 「冗談はよせっ」 「冗談でこんなことしないよ」 久保田の顔が次第に松本に近づいてくる。 松本は思わずぎゅっと目を閉じてしまった。 けれど、ガタンッという大きな音がしたので、思わず再びパッと目を開く。 そして音のした方を見ると、そこには時任が立っていた。 「お、俺…、久保ちゃんがココに行ったって聞いたから…、それで…」 驚いている時任の顔。 その顔が次第に歪んでいき、目に涙が溜まってくる。 「…邪魔した」 時任はそう言い残すと、生徒会長室を飛び出していった。 悲しそうな顔をして。 「誠人っ!」 久保田を責めるように松本が名前を呼ぶと、久保田はすっと松本から離れる。 けれど、自分のしたことを少しも悪いと思っていない感じだった。 「時任はお前のこと好きなんだろう。なのになんであんな可哀相な真似をするんだ?」 「時任が俺のコト好きだなんて、なんで断言できるかなぁ?」 「…お前」 「俺の敵にならないことを祈ってなよ、松本」 松本は去っていく久保田の背中を見ながら、手が震えるのを止めることができなかった。 久保田の時任への想いは深すぎるあまり、狂気にも似た匂いがする。 「手遅れ…か…」 松本はそう呟くと、椅子にもたれかかって長く息をついた。 時任は生徒会室に戻ると、椅子に座って机に突っ伏したまま顔をあげなかった。 歯を食いしばって涙が出てきそうなのを耐えていたからである。 「一体、どうなってんのよ」 昨日は久保田が、今日は時任がおかしい。 桂木が時任に話しかけようとした時、時任がこうなる原因を作ったと思われる人物が生徒会室に入ってきた。 そんな人物はやはり久保田しかいない。 なんとなくいつもと違う雰囲気を感じ取った桂木は、室田と松原に巡回に行くように言うと、次に相浦を引っ張って資料室へと向かった。 久保田のただならぬ雰囲気からして、ただで済むはずがない。 「当分戻ってこないから」 「恩に着るよ、桂木ちゃん」 「ほどぼどになさいよ」 触らぬ神に祟りナシ。 桂木の判断にはやはり侮れないものがある。 久保田は桂木達が出て行ったのを確認すると、突っ伏してる時任のそばに寄った。 けれどやはり時任は突っ伏したまま起きなかった。 「時任」 呼びかけても返事がない。 手を伸ばすと叩き落される。 久保田は強引に腕を掴むと、嫌がる時任の顔を強引に上げさせた。 「放せっ!!」 無理やり顔を上げさせられた時任は、赤い顔をして本気で怒鳴った。 顔が赤くなっているのは照れているのではなく、泣くのをじっと我慢していたからである。 けれど、その瞳からは耐え切れなかった涙が、ぽろぽろと頬を伝っていた。 「時任」 「久保ちゃんなんか嫌い!! 嫌い、嫌い!! 大っ嫌い!!」 「そんなに、俺のコト嫌い?」 「俺以外とキスするヤツなんかっ、嫌いっ!!」 「してないよ?」 「なんでウソつくんだよっ、前っからああいう関係だったんだろ? 俺って、バッカみたいじゃんっ! なーんにも知らないでさ…、久保ちゃんのコト好きになったりしてさ…」 涙がとめどなく流れてくる。 時任は哀しみのあまり、まるで子供みたいに泣き出していた。 その姿を見ていると、胸が痛くなるほどに。 そんな時任を見た久保田は、背中から時任をぎゅっと抱きしめた。 「ゴメンね、時任。さっきのは本当にウソ。時任があんまり松本、松本って言うから、俺と松本とどっちが好きか試してみただけ。時任が俺と松本とどっちに嫉妬するかって」 「…マジで?」 「うん、マジで。俺が松本に惚れるワケないでしょ?」 そう久保田が言うと、時任は涙目でジロッと久保田を睨んだ。 久保田はそんな時任の目を真っ直ぐ見返す。 「バカっ!!」 「イタッ」 時任がバシッと久保田の頭を殴ると、久保田は軽く頭を押さえた。 自業自得である。 殴られた久保田は反撃することなく、まだ乾いていない時任の涙の跡に口づけた。 「ねぇ、俺と松本どっちが好き?」 「…まだ、んなコト言ってんのかっ」 「俺は時任じゃないから、時任が誰が好きなのかわからないし、時任が俺のコト置いて別なトコに走っていっても、手をつかんで止めることもできないかもしれない。時任は走るの早いから…」 「俺が久保ちゃん置いてくワケねぇじゃん」 「うん」 「松本はさ。なんかいいヤツだなぁって、ちょっと思っただけ。久保ちゃんとコンビ組んでたから、なんとなく…それも気になってたしな。久保ちゃんが俺以外に相方って認めたヤツって、どんなヤツかなぁって」 「俺の相方は時任だけでしょ?」 「だよな」 「うん」 久保田が目蓋にキスすると、時任はくすぐったそうに笑う。 そしてそのお返しみたいに、時任が久保田の頬にキスした。 キスしてキスし返して、じゃれるみたいにたくさん、たくさんキスし合う。 最後にワケもなく可笑しくなって、二人で声を立てて笑った。 「今日、帰りにケーキ買いに行こっか?」 「俺様、バナナタルトがいいっ!」 「う〜ん、それじゃあ俺はガトーショコラにしようかなぁ」 資料室から戻って来た桂木は、机に置いてある小さな箱を発見した。 それには桂木の好きなチーズケーキが入っている。 「…お礼ってことね」 桂木はそう呟くと、自分のために紅茶を入れたのだった。 |
『恋愛事情』 2002.4.24 キリリク8000 キリリクTOP |