鷺ノ鳥島は周囲が約5キロしかなく、人口が百人程度しかいない本当に小さな島で、今回作られたレジャー施設が作られる前は人々は漁業をしながら静かに暮らしていた。 この島には学校も店もなく、住人達はそういった用事のある時は船で本島に渡っている。 その船は日に三度しか運行されていないためそれに不便を感じてか、現在は島から出て行く若者が多いためにかなり過疎化が進んでいた。 しかし、レジャー施設の建設は町や国が起こした事業ではなく、普通の一般企業が島の土地を買収して建てたものである。 始めは島の住人は反対していたらしいが、レジャー施設の従業員としての働き口ができて、島に残ろうとする若者が出てきたのは事実だった。 島にレジャー施設を建設した一般企業は、日本各地で同じようなレジャー施設の建設を展開している大島建設の社長である大島成明。人気のあるJRのツアーをPRに使うことによって、施設の名前である「鷺ノ鳥島シーパレス」は大島建設の名と共に全国に広まりつつあった。 「あちらをご覧下さい。あの小高い丘の上にあるのがお泊り頂くシーパレスホテルです。そして、その横にある建物が屋内プールなどのスポーツ施設、屋外にもテニスコートなどが整備されていますよ」 ガイドである野島が説明しながら指差した方向に、ボートに乗った全員が視線を向けると、島の南側のの小高い丘に大きな白い建物が見える。 ボートから鷺ノ鳥島を眺めると元々が小さな島なだけに、シーパレスが出来たことによって島全体がレジャー施設になってしまったような印象を受けた。 地価はかなり安かったに違いないが、ここまでのものを建設するのには莫大な費用がかかったに違いない。ずっと世間では不景気が続いているのだが、このレジャー施設を建設した大島建設はずいぶんと景気のいいように見えた。 「お金がある所にはあるものよねぇ」 「世の中って、そういうモンでしょ?」 「まぁねぇ、けどこんな所にあんなのつくって平気なのかしら?」 「さぁ、数年は持つかもしれないけど?」 「私も久保田君と同意見よ、やっぱりね」 大きなシーパレスを眺めながらそんな風に久保田と桂木が話していたが、それを聞いていた野島が何も言わずに苦笑している。もしかしたら、野島も二人と同じようなことを思っているせいかもしれなかった。 だがそんな会話をしているのは久保田と桂木だけで、一緒に乗った小城高校のメンバーは島を見て歓声を上げている。 その中にさっきの楢崎も混じっていたが、今から島に行くことで気分が高揚しているのか、さっきのような不穏な空気は感じられなかった。 しかし、そんな小城高校のメンバーの中で一人だけ、静かに島を眺めている人間がいる。 それは三人いる女の子の内の一人で、背中までの長い髪を風になびかせているおとなし目の子だった。その子はシーパレスではなく島の民家の密集している辺りを眺めている。 じっと静かに何かを思うように…。 時任は桂木と話している久保田の隣りで島を眺めながら、時々、藤原と言い合いをしつつ気持ち良さそうに風に吹かれていたが、その子に気づいてそちらに視線を向けた。 別に可愛いとかそんな風に思ったわけではないが、なんとなく静かすぎる視線が気になってしまったからである。 どうしようかと少し悩んでいたが、結局、時任は久保田の隣りから女の子の方に移動した。 「さっきからなに見てんだ? あっちの方になんかあんの?」 移動した時任がそう声をかけると女の子は少しだけ時任の方を見た後、再び島の方に視線を向ける。 やはりその視線はさっきと同じように、民家の辺りを眺めていた。 「昔ね、私のお母さんが住んでたのよ…、あそこに」 「あそこって鷺ノ鳥島に?」 「そう、だから見てただけだから」 「ふーん…」 何かあるのかと思っていたが、ただ単に母親の故郷だから眺めていただけらしい。 そうすると、時任はこの島に来るのは初めてだったが、女の子の方は来たことがあるのかもしれなかった。どんな島なのか時任が女の子に聞いてみようとすると、女の子は時任が聞きたかったことよりも別なことを小声で口にする。 それは島の話ではなく、港で話しかけてきた楢崎のことだった。 「あなたってさっき楢崎君と話してた人よね? 時任っていう名前の?」 「そーだけど?」 「…楢崎君には近寄らない方がいいわ」 「って、楢崎はあんたらの仲間だろ?」 「そうだけど…、本当にダメだから…」 「じゃあさ、ダメだって理由がなんかあるってことだよな?」 「えっ?」 「確かにあんまいい感じはしねぇけど、そこまで言うには理由があんだろ? 言いたくないなら別に聞かねぇけどさ」 時任がそう言うと女の子は少し迷ったような顔をしたが、他の小城のメンバーの中にいる楢崎の方をチラリと見ると力無く首を横に振った。 その様子は、本当に何か深い事情があるような感じである。 今は楢崎の周囲に集まっているメンバー達も港での雰囲気がおかしかったので、もしかしたら何かあるかも知れなかった。 「うん…、あるけど言えない」 「ふぅん、そっか」 「あの、私の名前は鷺島蘭っていうの」 「コナンの幼馴染みと同じ名前じゃんっ」 「そう、同じ名前よ。だからみんなに蘭って呼ばれてるわ」 蘭と名乗った女の子は、そう言って隣りにいる時任に向かって笑いかける。 すると、笑いかけられた時任の方も、同じように笑顔を返した。 けれどやはりここは狭いボートの上なので、そんな二人の様子を誰もが見ている。 さっさまで三人で話をしていた相浦と室田は二人の様子を見て意外そうな顔をしていたが、松原はいつもと変わらない様子で時任を眺めていた。 「時任が自分から女の子に話しかけるなんて珍しいよなぁ?」 「そうだなぁ…」 「なんていうか、女の子と時任が並んでいる光景って不思議な感じするぜ」 「そうでもありませんよ。時任だって健全な男子高生ですし」 「うーん、しかしだな」 「なんですか? 室田」 「そのセリフは、久保田の方を見てから言った方がいいぞ?」 「うんうん、それは俺も同感っ!」 「・・・・・久保田の方?」 「ある意味わからない方がいいから、気にすんな松原っ!」 相浦がそう言いながらバシバシと松原の肩を叩いていたが、相浦と室田が言っていた通り、さっきからじーっと久保田が女の子と並んで話している時任を眺めている。 そんな久保田の様子を横目で見ていた桂木は、肩をすくめてため息をついた。 「気になるなら行ってみれば?」 「せっかく楽しそうだから、ジャマしちゃ悪いかなぁって思って…」 「なんて言いつつ、目が笑ってないわよ?」 「そう? おかしいなぁ?」 「実は怒ってるんじゃないの?」 桂木の質問攻めに久保田が合っていると、ボートの速度が遅くなってきて感じていた風が緩やかになってくる。速度が落ちてきたのは、本当にもうじきボートが港に着くからだった。 遠くから見た時は小さかった島も、こうして近づいてみればそれなりの大きさになる。 そんな島を見ながら、もうじき岸に着くということもあるし、これから一泊二日のの同じツアーに参加することもあって荒磯高校と小城高校の自己紹介が始まった。 最初に荒磯の生徒が順番に自己紹介をして、次に小城高校に生徒が自己紹介をする。 さっき時任と話していた蘭と楢崎、そして女の子で参加しているショートカットで元気の良さそうな町田五月と、少しクセのありそうな佐々原楓。残りの二人はいかにもこういうツアーに参加しそうな感じの梶浦純一といかにも気の弱そうなおどおどした様子の野瀬幸弘だった。 荒磯は執行部メンバーで来ていたが、小城の方はコナンの設定通りにミステリ研究会で来ている。 そのため桂木のようにホテルと料理が目当てなのではなく、本当に推理を楽しみにしてきているらしかった。けれどこれがあくまてツアー用で、良く海外で行われているミステリーツアーと違うことは承知しているらしい。 実はこういうツアーは推理はほとんどする必要なく、パズル形式で観光スポットを回ってキーワードを集めれば解けたりするように出来ていたりするのだった。 だが、ガイドの野島の話では今回はそれよりは趣向を凝らしてあるらしい。 時任が持っていたマンガのページをめくると、描かれている背景と目の前の景色はピッタリ同じだった。 「もしかして、ホテルの中とかもマンガと同じだったりすんの?」 「出てくるホテルの名前が同じっしょ?」 「ふぅん、じゃあ殺人現場の部屋も?」 「死体はないだろうけどね」 「死体があってたまるかってのっ」 「それはごもっとも」 蘭の隣りから久保田の隣りに戻った時任がそんな話している間に、ボートが港に着岸する。 するともう一つのボートはすでに着いていて、二組のグループが止まっているマイクロバスに向かって歩いていた。 出迎えのバスなのだが、目の前に見えているホテルは十分に歩ける距離である。 ツアーは一日泊まるだけなので、誰の荷物もそんなに多くなかった。 けれど少し鋭い目つきをしている小城高校の佐々原楓の荷物は、一泊とは思えないほど大きい。 その中に何が入っているのか見たいほど、持っている鞄は膨らんでいた。 「もうっ、何でそんなに荷物が大きいのよぉ」 「いいじゃない、別に」 「そりゃあ、持ってくるのは楓の勝手だけどね」 荷物のことを楓は五月に突っ込まれていたがそれを気にした様子も無く、楓はボートから降りて荷物を持って歩き出した。 そしてそれに続いて梶浦と笹原が降りて、次に相浦と松原、続いて室田と桂木が降りる。 最後にボートに残ったのは時任と久保田、そして楢崎と蘭だったが、楢崎はそうすることが当然のように蘭の肩を自分の方に抱き寄せていた。 蘭本人が楢崎に近づくなと言っていただけに、その様子は時任の目に不自然に写る。 けれど不審そうな顔をしている時任の方を見ようとはせず、蘭は楢崎に肩を抱かれたままボートから降りた。 「わりぃな時任、先行くぜ」 「さっさと行けばいいだろっ」 楢崎はそう時任に言うと皆と同じようにマイクロバスに向かって歩き出す。 その様子を眉間に皺を寄せて時任が見ていると、隣りにいた久保田は小さく息を吐いて荷物を手に持った。そして楢崎と蘭の後ろ姿を見ている時任に気づかれないように、少し屈むとそっとその頬に軽く口付ける。 すると、あっという間に時任の顔が真っ赤になった。 「バカっ! 誰かに見られたらどうすんだよっ」 時任はそう叫んだが、久保田はそれにはかまわずポンポンと時任の頭を叩く。 そして、わざと声をして囁くように時任の話しかけた。 「カワイイよねぇ、蘭ちゃん」 「か、かわいいって、俺はべつに…」 「お前ってあまり、女のコに免疫ないしねぇ。あったら困るけど…」 「免疫ってなんだっ、免疫ってっ!!」 そんな風に言い合いながら最後に残った時任と久保田がボートを降りると、その後ろから野崎がまたしても苦笑しながら降りた。 どうやら野崎は、さっきの久保田のキスを見ていたようである。 しかし久保田はそんなことなどおかまいなしに、ぎゃあぎゃあ言っている時任をなだめながら歩き出した。 すでに最初に到着している二組のグループはマイクロバスでホテルに出発しており、後は荒磯と小城が出発するだけである。だが、パスで出発するのが遅れていることからしてみても、どうやら他の二グループと違ってこのグループは問題が多そうだった。 マイクロバスの中では桂木は五月と気が合ったらしく話をしていたが、他のメンバーは自己紹介したにも関わらず馴染む様子がないし、時任に馴れ馴れしい態度をしている楢崎と、母親が以前この島に住んでいたという蘭の二人も、近寄り難い雰囲気をかもし出している。 もちろん誰にも入り込めないという意味では、時任と久保田の方も違う空気を持っていた。 これから行うのがミステリーツアーなので、こういう雰囲気はらしいのかもしれないが、ガイドである野島が気の毒といえば気の毒な気がする。 実は野崎はJR旅行の職員ではなく、ここのシーパレスの従業員だった。 「ではホテルに向かって出発しますよ。忘れ物はないですね?」 野崎の合図でマイクロバスがホテルに向かって出発すると、車窓からキラキラと輝いている波が見える。島の住人以外は今までほとんど訪れることのなかった浜辺は、ゴミが落ちている様子もなく綺麗な砂が海岸線を作り出していた。 これからこの島がどんな風に変わっていくのかはわからないが、やはり目の前に巨大にそびえ立っている白い建物は異質に見える。 野崎の説明によると、ヨーロッパ調を意識した豪華な建築は人魚姫の童話を意識してるとのことだった。その証拠にホテルの前の噴水には、シンボルである人魚姫の像が鎮座している。 そして、建物のあちこちにも人魚姫のレリーフが施されていた。 海だから人魚姫なのかもしれないが、それだけでシンボルにするのはなんとなく安直な気もする。 この島にどれくらいの観光客が来るのかはわからないが、ボートから見るよりも間近で見ると更にシーパレスは大きかった。 「ホントに島全体がレジャー施設なカンジだよな?」 「そうだねぇ」 マイクロバスが到着すると、ボートの時と同じようにそれぞれが順番にバスのタラップを降りていく。人魚姫のホテルは新しくて綺麗だったが、時任はやはりここにあることが納得いかない気がしていた。 |
『降り積もる雪のように.2』 2002.11.17 キリリク7777 次 へ 前 へ |