今日は放課後になるとすぐ生徒会本部から呼び出しがあって、久保田は時任に先に生徒会室に行くように言ってからそちらの方に先に顔を出していた。 用件は教職員の中で不祥事の問題についてだったが、犯人の目星はすでについているのであまりたいしたことはない。 久保田は本部での話が終ると、すぐに生徒会室に戻るために廊下に出た。 すると暖房が効いている本部と違って、廊下は暖房が効いていないので空気がやけに冷たく感じられる。そんな冷たい空気を感じながら、久保田がセッタをくわえて火をつけると後ろから聞き覚えのある声がした。 その声の主は職員室に行っていた、同じ執行部の桂木だった。 「もしかして、また本部に呼び出し?」 「まぁね」 「10円の借りは重いわねぇ」 「ん〜、たかが10円、されど10円?」 「あたしも貸してれば良かったわ」 「遠慮しときマス」 「なんでよ?」 「さぁ、なんでかなぁ」 そんな話をしている間にも、廊下の冷たい空気に身体が冷えていく。 久保田は平然としていたが、桂木は寒さに身震いすると生徒会室に向かって歩き出した。 荒磯高校はそれなりに暖房設備が整ってはいるものの、実は教室によって差がある。 生徒会本部のように冷暖房完全完備のところもあれば、今、久保田と桂木が向かおうとしてい生徒会室のように冷房もなく暖房も申し訳程度にしかないところもあるのだった。 やはりそれは執行部の部費が、そういう設備ではなく別な場所につかわれているせいだろう。 その部費の無駄な使い道を日々製造している人物は、二人が生徒会室のドアを明けると寒さに身を震わせていた。 「だあぁぁっ、なんでこんなに寒いんだよっ!!」 そんな風に時任は叫んでいたが、べつにそれほど薄着をしている訳ではない。 だがかなり寒がりなので、本当にガタガタと震えてしまっていた。 服の上からもその身体を見ればわかるのだが、時任はかなり痩せている。 そのせいで脂肪分が足りなくて、こんなに寒がってしまうのかもしれなかった。 しかし今日の寒さは尋常ではなかったので、震えているのは時任だけではない。 パソコンでゲームをしている相浦と桂木の代りに書類整理をしている藤原もかなり寒がっていた。 寒くないのはトレーニングをしている室田と、心頭を滅却している松原だけのようである。 室田はこの寒さにも関わらずTシャツ一枚、松原は制服をキチンと着ていたが寒い顔一つせずに椅子に正座して瞑想をしていた。 寒さに震えていた時任は温かさを求めて、同じように寒がっている相浦の背中にしがみ付いている。ただ単に寒かっただけには違いないのだが、両腕を伸ばしてぎゅっと後ろから相浦を抱きしめている格好になっているのでそんな風には見えなかった。 相浦も抱きつかれてまんざらではない様子で、時々、時任の頬が頭に当たるので少し赤い顔をしている。 そんな二人は、見ようによってはバカップルに見えないこともなかった。 しかしそのバカップル状態は、実はかなり危険なことだったのである。 そのことをわかっていながらも相浦がそうしていたのは、やはり時任に抱きつかれてうれしかったということもあったに違いなかった。 だがそんなバカップル状態も長く続くはずはなく、ドアから入ってきた久保田を見て時任は平然としていたが、相浦の背中には冷たいモノが走る。 時任と相浦を見てフッと笑った久保田の瞳は、バナナで釘が打てそうなくらい冷たかった。 「…寒いって言ってるわりには、暖かそうだよねぇ」 いつもより少し低い久保田の声が聞こえると、時任は相浦に抱きついたまま、片手を久保田の方へと差し出す。 相浦は、そんな時任の様子を冷汗をかきながら眺めていた。 「久保ちゃんっ、カイロとか持ってるだろ?」 「あ、忘れてきた…」 「マジ?」 「うん」 久保田は時任に言われてポケットを探ってみたが、ライターとサイフとハンカチ以外は何も出てこない。いつも寒くなると久保田は時任のためにカイロを常備していたが、今日はどうやら本当に家にカイロを忘れてきたようだった。 「うううっ、このままだと凍え死ぬっ!!」 「なに大げさなこと言ってんのっ。これくらいじゃ死なないわよっ」 「死ぬくらい寒いって言ってるだけじゃんかっ!」 「室田と松原を見習えばいいでしょっ」 「美しい俺様にはあんな筋肉はいらねぇし、武士じゃねぇから心頭を滅却できねぇっつーのっ!」 そんな風に桂木と言い合いながら時任はぎゃあぎゃあ騒いでいたが、まだ相浦とくっついたままである。少しだけ暖まっているので、それを手放すのが惜しい様子だった。 だが相浦は時任が早く自分を解放してくれることを、心の底から願っている。 このままだと久保田の冷たい視線に凍りつき、素手で釘が打てそうだった。 「と、と、時任…、これから見回りだろ?」 そう言って時任が自分から離れるように相浦は仕向けたが、時任は不服そうな顔をしてまだ腕を離さない。やはり久保田がカイロを忘れたことが大きいようだった。 そうしている内に、なぜか相浦の視界に幻が見え始める。 なんども目をこすってみたが、やはり久保田の後ろにブリザードの嵐が吹き荒れていた。 だが久保田は時任を相浦から引き離そうとはせず、無言で生徒会室を出て行く。 なにしをしに行ったのかと相浦が思っていると、しばらくして久保田が戻ってきた。 「ほい、パスっ」 戻ってからすぐにそう言ってドアの入り口から、久保田が時任に向かって投げたのは暖かいココアの缶ジュース。 それを握りしめた時任は、暖かい缶を握りしめるために相浦から自然に腕を離した。 ホッと相浦が息をついていると、久保田は全員の分を買ってきたらしく、次々に缶を全員に配っていく。その缶の数には、珍しく藤原の分も含まれていた。 「うわーん、久保田せんぱいっ、あ、ありがとうございますぅぅ〜〜っ!」 「はいはい」 藤原は感激していたが久保田は表情を変えることなく缶を配り終えて、最後の一本を持って相浦の前までやって来る。 さっきのことがあるので相浦はビクビクしていたが、久保田は何事もなかったかのように缶を相浦に手渡した。 「さ、さんきゅー…」 「どういたしまして」 だが礼を言いながら久保田の手から渡された缶を受け取った瞬間、相浦は再び凍りついた。相浦が受け取ったのはコーヒーの缶だったが、その中身はHOTではなくCOOLだったのである。 しかもどこで買ってきたのかは知らないが、普通の自動販売機で買ったものよりもかなり冷たい気がした。 もしかしたら中身が凍っていないかと思って缶を振ってみたが、かろうじて凍ってはいない。 だが缶を持っているだけで、そこから時任にもらった体温まで冷えていくようだった。 (こ、こんなん飲めるかよっ!!!) 相浦はそう心の中で叫んでいたが、さっきからじーっと久保田が相浦の方を見ていた。 このまま飲まないでいると本当に素手で釘を打つことになりそうだったので、相浦は決死の思いで缶を開けると、冷たく冷え切ったコーヒーを飲む。 だがその瞬間、ピキーンと何かが凍りつくような音がした。 「あれ、なんか相浦が凍ってっけど?」 「よっぽど寒かったんじゃないの?」 「コーヒー飲んでんのに、ヘンなヤツっ」 「飲み終わったんだったら、見回りに行くよ?」 「おうっ」 そんな会話を交わしながら久保田と時任が出て行くと、相浦は持っていた缶を自分の前にある机に置く。実は本当に缶の中身は凍る寸前だったらしく、氷がプカプカと浮かんでいた。 その氷を見つめながら、相浦はだーっと涙を流している。 しかしその涙の訳を知る者は、相浦とそれを持ってきた人物しかいなかった。 「うううっ…」 「なにコーヒー見ながら泣いてんのよ?」 「缶ジュースが嫌いになりそう…」 「えっ?」 私立荒磯高等学校、生徒会執行部。 ここに所属する久保田誠人という男は、すべてのことに無関心のように見えたが…。 実はある一つのことに関しては限りなく心の狭い男だった。 |
2002.12.2 「寒冷前線」 *荒磯部屋へ* |