「ちょっとぉっ、今から話し合いするんだから、遊んでないでさっさと席についてよねっ!」

 そんな桂木のセリフが生徒室に響き渡ったのは、執行部員が公務のために集まっている放課後のことである。そして、これからする話し合いの内容は、二人一組で毎日行っている見回り区域の見直しだった。
 けれど、それは二ヶ月に一度はしていることなので、特にこの件について話し合いをすること自体は珍しくない。なのに、話し合いをするためにイスに座った相浦は、落ち着かない様子でごそごそと身体を動かしていた。
 相浦はホワイトボードの前に立っている桂木の方を向いてはいたが、しきりに自分の左横に座っている人物を気にしている。けれど、なぜか左に視線を向けたくないらしく、冷汗をかきながらホワイトポードばかりをじーっと見つめていた。

 『な、なんでこの二人に挟まれて座ってんだっ、俺っ!!!』

 相浦がイスに座ろうとした時、ちょうど横には室田が立っていた。だから、室田が自分の隣に座ると思っていたのだが、座ってみるとなぜか最悪なことに…、
 ・・・・・右に時任、そして左に久保田が座っていた。
 テーブルのホワイトボードから向かって左側にイスは三つ置かれているが、相浦が真ん中に座ってしまったために、時任と久保田は相浦を挟む形で座ることになってしまったらしい。右にいる時任の方は別にいつもと変わらない様子で隣にいる相浦に笑顔で話しかけていたが、左にいる久保田はふーっと無言でセッタをふかしていた。
 特に久保田に何かされたという訳ではないが、さっきからなぜか左から威圧感を感じる。そしてその威圧感は、時任が相浦に話しかけるたびに強くなっているような気がした。
 身の危険を感じた相浦は目の前に座っている松原ではなく、その隣に座っている室田の方を向くと、視線だけで助けてくれと訴えてみる。するとその視線に室田は気づいてくれたが、助けてくれといくら視線で訴えても、じーっと見つめ返してくるだけだった。

 『なにやってんだよっ、室田っ! 俺が席を移動しやすいように、なにかリアクションを起こしてくれっ!』
 
 心の中で相浦はそう叫んでいたが、室田はやはり何も行動を起こさない。だから、自分の置かれている状況を伝えようとして、更に強い視線でじーっと見つめてみた。
 すると、室田の顔が暑くもないのにだんだんと赤くなってくる。そんな室田の反応を相浦が不審に思っていると、室田はぽりぽりと人差し指で頭をかきながら、胸の辺りで片手を小さく振って松原を指差した。

 『見るなっ、照れるなっっ、指差すなぁぁぁぁっっっ!! 』

 心の中で相浦は絶叫したが、惚れられたと勘違いした室田の誤解が解けたかどうかはあやしい。どうやら室田に助けを求めるという作戦は、失敗したどころか余計に状況を悪くしてしまったらしかった。
 けれど桂木はそんな相浦と室田の様子に気づいた様子もなく、ホワイトボードに見回りの順路を簡単に書く。すると、それを見ていた時任が面倒臭そうに大きなあくびをした。
 「べっつに見直すっつったって、見回りする場所なんて限られてるじゃんかっ」
 「けど、化学準備室とか他にも回ってないとこはいっぱいあるでしょうっ。それにあんたが屋上に見回りに行くと必ずサボッてるから、あんたと久保田君が見回りの時は屋上はナシにしたいんだけど?」
 「べ、べつにあれはサボってんじゃなくて、ちょっと休けいしてただけだろっ!」
 「そ、れ、をっ、世間ではサボりっていうのよっ!!」
 「誰が決めたんだよっ、そんなのっ!」
 「アタシが決めたのよっ。なんか文句ある?」
 「ぐぐっっ・・・・・」
 強気な桂木の発言に、時任はその迫力に押されて言葉を詰まらせてうなっていた。
 そんな二人のやりとりを相浦は他人事のように聞いていたが、なぜか時任がいきなり相浦の方を見る。その瞬間、なぜか相浦の心臓がドクンと鳴ったが、実は時任は相浦を見たのではなく、その隣にいる久保田の方を見ただけだった。
 時任が久保田の方を見ると時任も久保田の方を見る。そして、その二人の視線に挟まれた相浦は、少し顔を赤くしながら久保田ではなく時任の方を眺めていた。
 「屋上って溜まり場になってるし、久保ちゃんも見回りはずすの反対だろっ?」
 「ん〜、確かに屋上での校則違反者の検挙率って高いかもねぇ」
 「だろっ! だから屋上は、実力ナンバーワンの俺様が見回らなきゃダメなんだってっ!」
 「そうねぇ」
 「荒磯の平和は俺が守るっ!!」
 「まっ、校内には怪獣じゃなくて、反抗期の不良高校生しか出ないけどね」
 「・・・・・・」
 「どしたの?」
 「そういう言い方すっと、なんかすっげぇつまんないカンジするじゃんかっっ!!」
 「そう? まぁ、見回りするのは屋上じゃなくて体育館裏の倉庫でもいいんだけどね」
 「なんで?」
 「さぁ?」

 『…って、倉庫でなにするつもりだぁぁぁっ!!!』

 相浦はそう心の中で絶叫していたが、顔はなぜかさっきより更に赤くなっている。体育館裏の倉庫と聞いた瞬間に、相浦の頭の中をピンク色の妄想が走り抜けていた。
 だが…、ピンク色の妄想が本当に妄想なのか現実なのかはわからない。桂木が言っているように、屋上に行った二人はなかなか戻って来ないことが多かった。
 それを思い出すと、なぜか時任の柔らかそうな唇や細い首筋が気になってくる。さっき赤くなっていた室田とは頼まれても何もしたくなかったが、時任ならなんとなくキスができそうな気がした。
 すぐ間近にある良く動く唇は…、良く見ると色っぽい…。
 細くてしなやかな身体のラインは、見ているとぎゅっと抱きしめたくなってくる…。
 そんなことを考えながらぼーっと時任を見つめていた相浦は、
 「ちょっとだけ、してみたいかも…」
と、心の中で言ったつもりが声に出してしまっていた。
 自分の声に驚いた相浦は、あわてて誰にも聞こえていなかったかどうかあたりを見回そうとする。だが、そうしようとした瞬間に横から特徴のある間延びした声が聞こえた。

 「・・・・だってさ」

 その声にハッとして相浦が左側を向くと、口元に薄い笑みを浮かべた久保田が室田の方を見ている。久保田の視線の先にいる室田は相浦の声が聞こえていたらしく、座った姿勢のままでカチコチに固まってしまっていた。
 相浦は室田のことを言ってないが、久保田の一言のせいで室田は自分のことだと思い込んでいる。あわてて違うと否定しようとしたが、そんな相浦の手にポケットから取り出したカギを渡すと、肩を久保田が元気付けるようにポンッと叩いた。
 「特別サービスで、体育館裏は相浦クンに譲ってあげるよ」
 そう久保田が言うと、時任が興味津々な様子で相浦の手元をのぞき込む。けれど、相浦は室田と同じようにショックのあまり固まったまま動けなかった。
 「それってどこのカギ?」
 「ん〜、オトナの扉を開くカギかなぁ?」
 「はぁ? なんだそりゃっ」
 「まっ、それは置いといて、そろそろ公務にでも行きますか?」
 「おうっ」
 そう言って時任と久保田が公務に行こうとすると、桂木がハリセンを持って前に立ちはだかる。しかし、二人はハリセンをかわして桂木の横を一気に走り抜けた。
 「ちょっと待ちなさいっ!話し合いは、まだ終わってないのよっ!!」
 「ここで待ってても、悪事は減らねぇんだよっ!」
 「そうそう、休けいしててもちゃんと公務してるしね」
 「正義の味方は年中無休だっつーのっ!」
 「行くよ、時任」
 「了解っ」

 「…ったく、なにが年中無休の正義の味方よっ!あんたたちは年中無休のバカップルでしょっ!!!」

 生徒会室を走り出していく二人にそう叫んでため息をつきながら背中を見送ると、桂木は再びドアから室内へと視線を戻す。すると、そこにはまだ固まったままでいる室田と、その横でお茶をすすっている松原…、そして久保田から渡されたカギを握りしめて立ち尽くしている相浦が立っていた。
 松原がずずっとおいしそうに手に持っている湯飲みからお茶をすすると、その音で我に返った室田がガシッと持っているカギごと相浦の手をつかんだ。
 「すまない…、相浦」
 「おいっ、ちょっと待て室田っ。 俺はお前に好きだとか、何も言ったりしてないだろっ!」
 「言わなくてもお前の気持ちは、熱い視線からよーくわかったっ。だが、俺はお前とこのカギでオトナの扉を開けることはできんっ」
 「だーかーらっ! そうじゃないって言ってるだろっ!!!」
 「しかし、お前は俺の大切な友だ。勝手なのはわかっているが、これからも友でいてくれないか…」
 「と、友達も何も、俺とお前が友達以外の何になるんだっ!!!」
 「これからも友でいてくれるんだな!! ありがとう、相浦っ!!! 俺のことを想ってくれたお前の気持ちは一生忘れないっ」

 「ひ、人の話を聞けぇぇぇぇっ!!!!」

 そんな感じでがしっと手を握りしめ合いながら、噛み合わない会話を相浦と室田は続けている。すると、松原はいつものように木刀で今日のトレーニングの素振りを開始した。すると、桂木も帳簿を開いて時任が壊した備品の請求書の整理を始める。 
 生徒会室の中は荒れ模様だったが、外は天気が良くて青空が広がっていた。

 「いい天気だな…」
 「そうねぇ」

 一通り校内を回った時任と久保田が屋上に出ると、今日は誰もいないようで辺りは静まり返っていた。そんな静かな屋上で二人きりになると、いつものようにフェンスによりかかって久保田がセッタをふかして、その横で時任が空を眺める。
 すると、久保田はなぜか小さく笑って、空を見上げてる時任を背中から抱きしめた。
 「ん〜、やっぱりオトナの鍵は渡さない方が良かったかも…」
 「…って、オトナの鍵ってマジでなんの鍵なんだよっ?」
 「そんなに知りたい?」
 「・・・・・知りたい」
 「じゃあ、目を閉じてくれたら教えてあげるよ」
 「まさか、なにか企んでんじゃねぇだろうなっっ」
 「ふーん、俺のコト信じてくれないの?」
 「そ、そうじゃねぇけどさ…」
 「だったら、目閉じてくれる?」

 「・・・・・・わぁったよっ」

 時任が目を閉じると、顔の上にゆっくりと久保田の影が落ちてくる。そして、それと同じ速度で二人の唇が近づいて、影が太陽に照らされたコンクリートの上で重なり合った…。
 だが、その瞬間に屋上のドアが開いて、勢い良く茶色い髪の男子生徒が叫びながら飛び込んでくる。するとそれに気づいた二人がドアの方を向いたが、実はまだ重なり合っていたのは影だけで唇は重なるわずか一センチ手前で止まっていた。

 「僕が目を話してる隙にっ、ふ、ふ、二人してなにやってんですかぁぁぁっ!!!」

 話し合いにも出ていなかったので、今日は休みかと思われていた藤原はダッシュで走ってくるとくっついている時任と久保田を引き剥がす。そして手で時任を押しのけると、自分のものだと主張するために久保田の腕を取った。
 すると、久保田から引き剥がされた時任は、ゲシゲシといつものように藤原を蹴りつける。こうなったら、もうオトナの鍵や扉を開けるどころではなかった。

 「うーん、やっぱ鍵は必要かもね?」
 
 そんな久保田の呟きは誰の耳にも届いていなかったが、オトナの鍵はなくても時任のポケットには二人きりの部屋の鍵が入っている。暴れた拍子に時任のポケットから落ちた鍵を拾い上げると、久保田はそれをポケットの中にしまい込みながら…、

 セッタの煙が上って行く先にある…、青い空を眺めながら微笑んでいた。


                                             2004.2.24
 「鍵」


                     *荒磯部屋へ*