・・・・・・・ぽちょん。 そんな音がしたのは、小石を川に投げたから…。 しかも、その音はさっきから、何度も何度もしている。 どこにでもあるような河原に立つ時任の手が小石を握りしめ、川に向かって投げるたびに、投げられた小石は水面を跳ねることなく、音を立てて沈んだ。 それを何度か見た後に時任は少し口を尖らせ、ちぇ…っと軽く舌打ちする。 そして、サラサラとサラサラと、止め処なく流れ行く川を眺めた。 日の光を浴びて、きらめく水面に目を細めると…、 住んでいるマンションのベランダよりも涼しい…、けれど、夏らしい熱と湿気を含んだ風が髪を頬を撫でる。すると、ふうっと自然に口から息が出て、全身から力が抜けた。 「あっちぃ…って、外だし当たり前か…」 暑いのは苦手だし、嫌いだった。 夏はクーラーの良く効いた部屋で、アイスを食べるのが好きだった。 けれど、それでも時任は一人で出かけたゲーセンの帰り道、ふと気まぐれに足を向けた先にあった河原に立っている。 それはどこからか種が流れてきたのか、誰かが埋めでもしたのか、黄色いヒマワリが咲いているのを見たからかもしれないし、流れていく川の水が冷たくて気持ちよさそうで、触ってみたくなかったからかもしれないし…、 その、どちらでもないのかもしれなかったが、気づけば河原で小石を握りしめていた。握りしめながら、いつだったか…、今、立っているのとは違う別の河原で、小石を投げてみせた同居人の姿を思い出していた。 『水面で跳ねやすい小石は、そう、そんなカンジの平たいヤツ。…んで、投げる時のコツは、平たい部分を水面にすべらせるように…、うん、野球のアンダースローみたいに…』 そう言って小石の選び方と投げ方を時任に教えた同居人…、久保田誠人の、いつもかけている黒縁メガネの向こうの瞳は優しい色を浮かべていた。 優しい色を浮かべて、微笑んでいた。その手に馴染む冷たく黒い鉄の塊の存在も、それによって生み出される匂いも色も感じさせない…、そんな微笑みを浮かべていた。 掴みどころがなく、飄々としているのは出会った頃から変わらないが、いつの頃からだっただろう。浮かべられる微笑みに、ぬくもりを感じるようになった…。 最初は自分に向かって伸ばされる事のなかった手も、ゆっくりと少しずつ…、何かを確かめるように触れるようになり、今では肩を抱きしめる事も出来るようになった。 久保田だけではなく…、自分自身も…。 夏の日差しに包まれた河原で、ぽちょん…、ぽちょんと小石を川に投げながら、時任はまるでスライドでも見るように、今までの日々を思い出しては微笑む。 けれど、その微笑みに滲むのは、優しいぬくもりだけではなかった。 そのために胸の奥から喉元…、唇を動かす寸前まで出かかった言葉を、今まで一度も言った事がない。それに自分で気づいてはいても、どうする事も出来ない。 言いたい言葉の反対の意味を持つ言葉なら、肝心な事は何も言ってくれない時の、そのもどかしさに…、何事もなく過ぎていく日々の中で時に笑いながら、口をとがらせながら冗談交じりに何度も言ったのに…、 一度も言えない…。 始めは、ただ…、あらたまって言うのが照れくさいだけだった。 それだけだったはずなのに、いつの間にか…、言葉が胸に詰まって…、 それでも口にしようとすると、唇が震えて言えなくなった。 照れくさくても伝えたい…、伝えようと思った時には遅かった。 「俺だけ…なんて都合の良いコト、あるわきゃねぇしな」 そう呟き視線を落とした先には、黒い皮手袋をはめた右手がある。 そして、その手袋の中にあるものが、時任の現実…。 希望を抱くこと、夢を持つことは、明日に向かう力になるけれど…、 ・・・・嘘は嫌だった。 現実から目をそらす事と、希望や夢は違う。 増していく右手の痛みと進行していく変化は、現実を正確に教えてくれた。その現実から逃げ出し、希望にすがりつき、夢に逃げ込むくらいなら…、こんな手はとっくの昔に切り落としていた。 だから、小石を川底に沈めながら、震える唇を噛みしめる。 ぽちゃん、ぽちゃんと沈めて、夏の…、世界の眩しさに目を細めた。 すると、その瞳に偶然なのか…、それともどこかで聞いてきたのか、それほど広くない川の向こう岸に見慣れた姿が映って…、 次に流れ続ける川の水面を小石が跳ねた。 何かを踏み越え、乗り越えるように何度も跳ねて、時任のすぐ目の前で沈む。 そして、それを見た後、視線を投げた人物に向けると…、川のせせらぎに混じって、のほほんとした声が届した。 「ヘ・タ・ク・ソ」 「…って、いつから見てたんだよっ！」 「さぁ、いつからだったっけ？」 「コノ野郎っ！ すぐに俺サマが記録更新してやっから、見てろよっ！！」 「うん、言われるまでもなく、さっきから見てるけど…、ソレっていつ？ その前に熱射病で死にそうだけど？」 「ぐあぁぁっ、ムカつくっ！！」 小石は跳ねず、沈む…。 頑張れば頑張るほど、大きな音を立てて沈んだ。 けれど、それでも投げて投げて投げ続けていると、向こう岸からしていたはずの声が…、なぜか背後からして…。驚いてビクリと肩が震えた拍子に、投げかけていた石が手から離れて飛んだ。 その石には驚いたせいで、それほど強く投げていない。 なのに、時任の投げた石が、始めて水面を二回だけ跳ねた。 「えっ？ なんで？」 「まぁ、そういうモンでしょ。何事も…」 「・・・・・」 力を込めすぎて届かなかった小石は沈み…、 驚いて…、少し力の抜けた小石は跳ねる。 それはどこか唇を震わせる言葉に似ているようで…、似ていないようで…。ぎゅっと強く握りしめると、夏の暑さすら伝えてくれない右手の拳が痛みを…、 痛みと一緒に、伝えられない言葉の強さを伝えてきた。 そして…、なぜ伝えられなくなったのかも教えてくれた…。 「久保ちゃんなんかっ、大キライだっ！」 振り向いた先の微笑みに…、自分を見つめる瞳に…、 震える唇で涙混じりに伝えたい言葉なんて一つもない。 だから、本当は抱きしめたかった腕を伸ばし、手を伸ばして…、 キライだと言いながら指で頬を摘んで引き伸ばし、声を立てて笑った。 ああもう…っ、好きだっ、好きだっ、大好きだ…っ！！ 好きで好きだからっ、キスの一回も出来やしねぇじゃんかっっ！！ コンチクショウ…っっ！！ 心の中で叫んだ言葉が、見上げた空を青く青くする。 見つめる微笑みを瞳を、鮮やかに胸に焼き付ける。 そうして、視界に広がった世界は、明るい日差しに満ちていて…、 思わず頬を摘んでいた手を離し、その手越しに眩しい世界を見つめる。 すると、また…、胸の奥からあふれてくる想いが唇を震わせ…、 けれど、時任は唇を強く噛みしめて、咲くはずのない河原に咲いた向日葵のように鮮やかな笑顔を浮かべた。 夏の青い青い空に…、その下にいる大好きな人に…、 その笑顔だけを…、永遠に焼き付けるように…。 |
| 『向日葵』 2010.8.1更新 *ＷＡ部屋へ* |