「もしかして、何かあったの? 一人でいるなんて珍しいじゃない」 放課後になったばかりの廊下を一人で歩いていた時任を発見して、そう言ったのは時任と同じ執行部に所属している桂木だった。 桂木は今からいつものように生徒会室に向かう予定だったが、時任もやはり同じ場所に行く途中らしい。カバンを片手に持って桂木の方を一度振り返ったが、 「・・・一人でいちゃ悪りぃかよっ」 と、言いながら少しムッとした表情をした後、そのまま生徒会室の方向に向かって再び歩き始めた。時任は久保田がいない時に不機嫌になっていることが多いが、今日もやはり例外ではないらしい。 けれど、どんなに時任の機嫌が悪かったとしてもそれを治すことができないので、桂木はそれ以上は何も言わずに軽く肩をすくめただけだった。 初めは時任が不機嫌になるたびに大騒ぎだったが、最近は部員達も馴れたようで久保田が戻ってくるまで刺激を与えないようにして待つだけである。 「それも…、やっぱり考えモノではあるわよねぇ」 そう呟きながら歩いている内に時任の横に並びかけた桂木は、なんとなく歩調を緩めて一歩だけ後ろに下がる。別に隣りに並んで歩くくらい当たり前に構わないのだが、時任の隣りに立つとどうしても久保田のことが頭に浮かんだ。 久保田も一人でいることは珍しいが、時任と違って逆に一人でいる方が自然に見える時がある。生徒会室の窓辺で一人でセッタを吸っている時は、桂木も同じ執行部員の相浦達も近づくことができないことすらあった。 別に不機嫌というのではないが、時任と一緒にいる時とは空気の温度がまるで違う。けれど、中学の頃から一緒だった松本に言わせると、これが時任と会う前の久保田の普通らしかった。 一人でいると怒っている表情とは裏腹に、どこか寂しそうに見える時任と…、 一人でいると周囲の空気が、静かに冷たく凍り付いていく久保田と…、 それは二人でいれば何の問題もないことなのかもしれなかったが、ちょっとした衝撃で壊れてしまいそうな危うさがある。こういう関係を相方と呼ぶのかどうかはわからないが、たまに深くため息をつきたくなるのも事実だった。 今日はいつもはうるさい時任が静かで、そんな時任の後ろを歩く桂木も静かで、二人の歩く音だけが廊下に響く…。 そんな風にぽつりぽつりと歩きながらして生徒会室にたどりついたのだが、時任はなぜかドアの前を通り過ぎた。 「ちょっとっ、どこに行くつもりなのっ。今日、あんたは久保田君と見回り当番でしょっ」 「そんなのは、言われなくってもわぁってるってのっ!」 「だったら、なんでドアの前を通り過ぎるのよっ」 「…って、公務だからに決まってんだろっ!」 「えっ?」 「さっき、向こうでなんかヤバそうなヤツに、一年が連れてかれんのが見えた」 桂木はぼんやり歩いていて気づかなかったが、時任はその間もしっかりと執行部員していたらしい。いつの間にか時任の腕には腕章がついていて、桂木がどっちに行ったのかと聞こうとした瞬間には、もう時任はすうっと空気をすり抜けるように走り出していた。 誰も追い着けないくらい…、速い速度で…。 いつも時任が自分のことを美少年だと言っている時には、あまりのガサツさに首を横に振ってしまいがちだが、走り出す瞬間の時任の横顔は思わず息を飲んでしまうくらい綺麗で印象的だった。 その姿に思わず見惚れてしまっていた桂木も、はっと我に返ってドアの前から走り出したが、時任の背中が廊下を曲がって見えなくなる。このまま時任一人に任せておいても大丈夫なのはわかってはいたが、やはり久保田が隣りにいないので追いかけずにはいられなかった。 「…ったく、肝心な時にドコ行ってんのよっ」 腕に腕章をつけながらここにはいない久保田に向かって一言文句を言うと、桂木は全速力で走り出す。けれど、執行部に入ってから走る事が多いので足は速くなってはいたが、現場である屋上にたどりつくまで時任に追いつくことはできなかった。 これが自分ではなく、久保田だったら追いつけていたかもしれない。 そんな風に思っている自分に苦笑しながら、桂木が屋上にたどりついてドアを開けると、ちょうど時任に向かってかなりガラの悪そうな四人組がかかっていく所だった。 「久保田の野郎もいねぇし、やっちまおうぜっ!」 「一人で四人相手に勝てるワケねぇもんなっ!」 「うだうだ言ってんじゃねぇっ! 久保田が来る前に片づけんだろっ!」 「お前らは右から回れっ!」 いつもはこういう場面では大塚とその仲間達が相手のことが多いが、今日はあまり見ないメンバーである。おそらく大塚達と違って、学校にすらあまり来ていない連中に違いなかった。 かなり不利な状況に立たされている時任だったが、向かってくる四人組を前にして一歩も下がらない。桂木は思わず隠し持っていたハリセンを取り出したが、そうするよりも早く、時任の足が最初に攻撃してきた一人を見事な回し蹴りで吹っ飛ばした。 すると吹っ飛ばされた一人は屋上のフェンスで身体を強打してうめき声を上げて倒れたが、その一人に心配そうな目を向ける者はいない。まだやられていない残りの三人は、時任に攻撃する機会を狙っていた。 出遅れてしまった桂木は再びハリセンを構えたが、走り出そうとした瞬間に振り上げたハリセンが何かにぐいっと引っ張られる。桂木が五人目がいたのかと思ってあわてて振り返ると、屋上の入り口の上の高い場所から伸びた手がハリセンを引っ張っていた。 「あいつらの仲間じゃなくても、さっさと離さないとただじゃおかないわよっ!」 桂木は表情でそう怒鳴って、引っ張っている手を外そうとする。だが、その手はあっさりと簡単に外れてしまったため、桂木は前のめりになった。 なんとなくからかっているようでもあるその手にムッとした桂木は、三人を相手にうまく立ち回っている時任の方をチラリと見てからコンクリートをよじ登る。するとそこには、寝転がってセッタをふかしている久保田がいた。 「こんな時にそんなとこで何やってんのよっ!!」 「なにって、見ての通りだけど?」 「見ての通りって、あんたねぇっ! 相手は四人なんだから、さっさと時任の加勢に行きなさいよっ!」 「けど、結構大丈夫みたいだし?」 「大丈夫って、そんなのあるわけ・・・」 桂木はそう言いかけたが、久保田の指差す方向を見ると時任が素早く攻撃をかわして、三人目の腹に拳を叩き込むところだった。 最初は勢いが良かった不良達も、二人目がやられると余裕がなくなり表情がこわばってくる。そんな不良達の前に立っている時任は、最初も今も余裕の表情を浮かべていた。 調子もかなり良さそうで、いつもよりも繰り出す拳も蹴りも速度が速い。時任はバキバキと指を鳴らすと、額に汗を浮かべた不良達に向かってニッと笑いかけた。 「正義の味方ってのは正義の味方だから無敵なんじゃなくて、無敵だから正義の味方なんだぜ? 知ってたか?」 「執行部だからって正義の味方ヅラかよっ、生徒会本部の犬がっ!」 「そんじゃ、その犬にすら勝てねぇてめぇらは犬以下ってことじゃん」 「な、なんだとぉぉぉっ!!」 「それに俺様を犬呼ばわりした時点で、奇跡なんてヤツもてめぇらにはなくなってんだから、おとなしくやられやがれっ!」 「やられんのはてめぇだっ、時任っ!!」 「鉄拳制裁っ!!!」 確かに久保田の言う通り、このままだと本当に四人相手に一人で勝ってしまいそうである。それは久保田と時任にとっては当たり前のことかもしれないが、やはり四人相手に勝てるほどの強さは並みではなかった。 けれど、松原や室田のように身体を鍛えている様子もない二人なだけに、なぜそんなに強いのか不思議でならない。もしかしたら、強くならなくてはならなかった理由が何かあるのかもしれなかったが、それはやはり何かと秘密主義の二人から聞き出すことはできないに違いなかった。 桂木はなんとなく楽しそうにすら見える時任の戦いぶりを眺めながら、チラリと横目で久保田を見る。すると久保田は上半身を起こして、桂木と同じように戦っている時任をじっと眺めていた。 余裕でも相方なら参戦するべきだと桂木は思っていたが、やはり久保田はその場から動かない。動かないままで相方である時任の姿を、ただひたすら目で追っているだけだった。 そんな久保田から再び時任に視線を移すと、桂木は小さく息を吐く。 けれどそれは加勢しないことにため息をついたのではなく、久保田がここで昼寝をしていたということにため息をついたのだった。 時任はまた本部にでも行ったと思ったのか不機嫌になっていた様子だったが、実際はただここで寝転がっていただけなのである。ここに来ると言えば時任が不機嫌になることもなかったのに、久保田は何も言わずに来ていた。 「やっぱり…、一人になりたい時は誰にでもあるわよね」 一人でいることが普通だったという松本の言葉を思い出しながら、桂木はそう呟くとハリセンをいつも隠している場所にしまう。そうしたのは、この公務は時任の圧勝で終わりそうだったので、もうハリセンは必要なさそうだったからだった。 今回のことで改めてわかった事は、時任は一人でも十分に強いということで…、 けれど、それは久保田も同じである。 さっきはいつも一緒にいる二人のことを危ういと思っていたが、二人ともちゃんと一人でも歩いていけるのかもしれなかった。 桂木は自分の取り越し苦労に苦笑しながら大きく伸びをすると、 「今日は見回り当番なんだから、サボってないで早く来なさいよっ」 と、久保田に声をかけて生徒会室に行くために登っていた場所から降りようとする。けれど、そうしようとした瞬間に、いきなり立ち上がった久保田が近くに投げ捨てられていた空き缶を素早く蹴った。 「時任っ!!」 珍しい久保田の叫び声が屋上に響き渡ると、ちょうど入り口に背を向けていた時任が声のした方向を振り返りもせずに身体を右の方に少しずらす。すると、久保田の蹴った缶は、時任に向かってナイフを振り上げていた不良の顔面に命中した。 桂木の目には時任の背中が影になってナイフは見えていなかったが、同じ方向から見ていたにも関わらず久保田には見えていたらしい。 時任は顔面に缶が直撃してひるんだ隙に、わき腹に拳を連打で打ち込んだ後に留めの蹴りを顎に食らわせた。すると、美しい曲線を描いた見事な蹴りが炸裂して、最後の一人がコンクリートの上に倒れる。 これで時任の完全勝利達成だったが、やはり久保田がいなければ無傷ではすまなかったに違いなかった。 「やっぱり、あんた達っていいコンビよね」 二人の見事なコンビネーションに桂木が微笑みながらそう言うと、久保田は感情の読めない笑みを浮かべながら、 「そうねぇ」 と、曖昧な返事をしただけで桂木の方は見なかった。 もう不良は動けるような状態ではないし公務も終了しているのに、実は久保田はまだ時任の方を見つめ続けていたのである。その視線があまりにもじっと時任ばかりを見つめているで、それを不思議に思った桂木も時任の方を見ると、時任は最後に倒れた不良を見ながら軽く息を吐いた所だった。 そして、時任はコンクリートの上に転がっている缶を少し眺めた後、ゆっくりと視線を上にあげて入り口の方を振り返って…、 それから、そこに久保田がいるのを発見すると…、 さっき廊下を歩きながらムッとしていた表情やいつもの俺様している時の表情から想像もつかないほどに、柔らかくうれしそうに笑って久保田の名前を呼んだ。 「久保ちゃんっ!」 無邪気に無防備に笑う時任の視線の先には…、久保田だけしかいない。 走り出した時任の行く先にいるのは、同じようにじっと時任だけを見つめている久保田だけだった。 なんとなく、今の時任はあまりにも無防備すぎて無邪気すぎて見ていられなくなる。それは普段とのギャップがありすぎるからではなくて、時任の表情を見ていると好きだという感情が自分の中にも流れ込んでくる気がしたからだった。 桂木は少しうつむいて視線をそらすと、先に行く事を伝えるために久保田の方を見る。けれど久保田の方を見た桂木は、そのまま何も言わずにきびすを返して登っているコンクリートから飛び降りた。 そして、軽く頭を左右に振るとドアを開けて屋上から出てしまったが…、 そうしたのはたぶん…、久保田が時任に何も言わずに屋上にいた理由がわかってしまったからかもしれなかった。 「好きなのも大切なのもわかるけど、あんな風に微笑まれたら…、ちょっとだけ哀しくなるわね…」 久保田が一人で屋上にいたのは、一人になりたかったからではなくて…、 逆に一緒にいたいから、何も言わずに屋上で寝転んでいたりするのかもしれない。 時任には自分が必要だということを、好きだって気持ちを確認するために…。 名前を呼んで自分の方に走ってきてくれるのを…、 自分を見つけて、笑ってくれるのを待つために…。 それはとてもずるいやり方だったけれど、時任を見て柔らかく優しく微笑んでいる久保田を見たら何も言えなかった。 あんまりまぶしそうに、愛しそうに時任を見つめるから…、 言いたい事はたくさんあるはずなのに、何も言うことができなかった。 桂木は階段を駆け下りると少し荒くなった息を整えながら、廊下の窓に反射した日の光りのまぶしさに目を細める。 その感じはなんとなく…、あの二人に似ていた。 「てっきり本部に言ってんのかと思ってたのに、なんで屋上なんかにいんだよっ!」 「さぁねぇ?」 「…ったく、のん気に昼寝なんかしやがってっ!」 不良達が片付いた屋上で、入り口のコンクリートの上に登った時任は、がつっと久保田の頭を一発叩く。すると、久保田はのほほんとした口調で「いたいなぁ」と言いながら軽く自分の頭を撫でた。 久保田がいなくなったのは放課後になる少し前のことだったが、いついなくなったのか時任にはわからない。てっきりいつも通りに机に突っ伏して眠っていると思っていたが、授業が終わると久保田の姿は忽然と消えてしまっていた。 なので、トイレや購買や心当りのある場所や、もちろん一度は屋上にも探したのだが久保田は見つからなかったのである。こんな時はいつも本部にいるものだと思っていたが、屋上でセッタをふかしていた所をみるとそうでもないらしかった。 なんとなく一緒にいたくないと言われた気がして、時任が少し哀しそうな表情でそっぽを向くと、久保田が抱きしめようとして腕を伸ばしてくる。その伸ばしてくる手から逃げるのは簡単だったけれど、時任は秋らしくなった風が寒かったので逃げないでその腕につかまった。 「もしかして、俺のコト探してくれてた?」 「・・・・・・・べっつにっ」 「ふーん」 「な、なんだよっ?」 「探してくれてありがとね…」 「だーかーらっ、探してねぇっつってんだろっ」 「ホントに?」 「ホントっ!」 「・・・・・・そう」 「け、けど…、ちょこっとは探したかも…」 「ちょこっと?」 「ちょこっとと…、もう少し…」 時任がぼそぼそとそう言うと、久保田は吸っていたセッタを下へと落として足で踏んで火を消して時任の唇に軽くキスを落としてから、髪の毛に頬を寄せて強く抱きしめる。 そして、そうしながら呟いた「ごめんね」は…、 強くなった風の音に消されて、時任の耳には届かなかった。 |
2003.10.5 「ふたり」 *荒磯部屋へ* |