・・・・・・・・・・・・カシャ。


 良く晴れた、とても空が青かった日。
 俺はカメラのレンズを開け放たれたままのリビングの窓へ…、その向こうの風景へと向けてシャッターを切った。けれど、ホントは撮るつもりなんてなかった。
 たとえ、カメラを手に持っていたとしても、そんなつもりで持ってたワケじゃない。
 ただ、バイト帰りに会った葛西さんに、半ば強引に持たされただけだ。
 たまには二人で写真でも撮ってみちゃどうかって…、そんな風に言われて。
 けど、カメラ重いし、単に持って帰るのが面倒なだけだったり?って言ってみたら、誤魔化すように笑ってたし、ホントのトコロ、何を思って俺にカメラなんて渡したのかは謎だけど。
 古い友人からの預かりモノだという、そのカメラはいつもは押し入れの中に眠っていて、年に一度だけ葛西さんの手でカメラ店にメンテに出されるらしい。
 預かりモノなら返す予定は…と、そんな疑問が浮かばないワケじゃないけど、ふーんと聞いたクセに気の無さそうな返事だけをした。
 
 「フィルムは入ってるからよ。好きに使え」
 「…って、どうせ押し入れ行きなのに、フィルム入り?」
 「なんとなく、今日、お前に会うような気がしてな…」
 「へぇ、葛西サンって予知能力者だったんだ? 初耳」
 「そんなあり得ねぇモンじゃなくて、刑事の勘ってヤツだ」
 「刑事の勘…ね。なら、俺がシャッターを切るかどうかも当ててみてよ」

 押し付けられたカメラを手に俺がそう聞くと、葛西さんのケータイがタイミング良く鳴る。そして、その通話後、先走りやがって新木の野郎…とかなんとか言いつつ、この場を逃げるように立ち去りかけた…が、途中で振り返って俺にこう言った。

 「・・・一枚だけなら、切るかもしれねぇな」

 かもしれないって曖昧な刑事の勘。
 なのに、枚数だけはしっかり予測してった葛西サンに、俺は軽く肩をすくめた。
 シャッターを切るのは一枚だけ、一枚きり。
 けど、俺サマ美少年、時任サマだし、ね。
 撮るとしたら、たぶん一枚じゃ効かないと思うけどなぁと、その時はそう思ったけど、刑事の勘ってのはやっぱり当たるモノなのかどうなのか…、
 マンションに帰り着き、視線をベランダに向けた瞬間に見えた光景に、俺は眩しそうに眼を細め…、それから、カメラを構えた。
 良く晴れた青い空と、その空を見上げる人の姿…。
 吹き付ける風に髪を乱しながら、それでも強い瞳で空を見つめ…、
 その横顔に浮かぶのは笑顔でも微笑みでもなく…、同じ青でも空ではなく、海の青を溶かしたような色を浮かべた…、どこまでも澄んだ君の色。
 それは言葉にすれば消えてしまいそうな、穢してしまいそうな色だった。
 もしかしたら、すべての感情を海に溶かしつくしたら、そんな色が出来上がるのかもしれないと、そう思った瞬間に切ったシャッターは、フィルムにマンションのベランダで撮ったにも関わらず、空と海の青と高く…、高く上に向かって伸ばされた右手の黒を焼き付ける。
 そして、焼き付け残すなら微笑みや笑顔の方が良いだろうにと、どこからか誰かの声が聞こえたような気がしたけど、俺は24枚撮りにも関わらず、1枚だけ撮ったフィルムをすべて巻き上げた。
 その1枚を閉じ込めるように巻き上げ取り出し、右手に乗せ握りしめる。
 すると、ようやく俺の存在に気付いた時任が、少し驚いたような顔をした後、おかえりと明るく無邪気な笑顔を浮かべた。
 海の青の欠片も見せない、そんな顔で…。
 その笑顔には空の青が良く似合っていて眩しい…、けれど、見つめているとフィルムを握りしめた右の手のひらが、なぜか熱くなる。でも、それに気づかぬフリをして、向けられた笑顔に小走りにリビングに来た時任に微笑み返した。

 「ただいま」
 「…って、その手に持ってんのって、もしかしなくてもカメラ?」
 「あぁ、うん。途中で葛西さんに会って、ちょっち預かっただけ」
 「ソレ、なんか古そうだけど撮れんの?」
 「フィルム入れれば、たぶんね」
 「なんだ、入ってねぇのかよ」
 「カメラ屋さんのメンテ帰り。実は葛西さんのじゃなくて、知り合いからの預かりモノらしいし」
 「確かに、そういうシュミなさそうだもんな」
 「撮りたいなら、フィルム買いに行く?」
 
 時任のことだから、こう言うと撮りたいって言うだろうと思った。
 けど、少しの間、じっとカメラを眺めた後、やっぱいいや…と言いながら、両手を上に伸ばして大きく伸びをする。そして、冷蔵庫の中の珍しく缶で買ってたコーラを要求すると、一つだけ持って行こうとした俺に二つ!…と、Vサインを送りながら再びベランダに出た。
 
 「・・・もしかして、二つ飲むつもり?」
 「ばっ、違ぇよっ! 二つって言ったら、久保ちゃんのに決まってんだろ」
 「ふーん、そーなんだ?」
 「そうなんだよっ」

 フィルムはポケット、カメラはリビングに置き去りにしたまま、俺もベランダに出て時任に一つ缶を渡し、自分の缶のプルトップを開ける。
 それから、どちらからともなく近づけた二つの缶が、軽く当たって音を立てた。
 
 「なんつーか、天気良いよな」
 「うん、そーね」
 「空が青いし」
 「青いねぇ」
 「風が気持ち良いし…」
 「だぁねぇ」
 「とかって、さっきからいい加減な返事ばっかじゃんっ」
 「そう?」
 「って返事もいい加減っっ、つか、久保ちゃんもなんか言え」
 「んー…、なんかって言われてもって・・、あ」
 「あ?」
 「キスしたい、今すぐしたい」

 「ぶうぅぅぅぅーっっ!!!!」

 何か言えって言われたから、素直に言ってみた。
 それを聞いて盛大にコーラを吹いた時任に、うん、空が青いとキスしたくなるよね…って、付け加えて言うと、なんねぇよっ!!!…って思いっ切り否定された。
 そんでもって、缶コーラを盾にしての防御態勢。
 だから、盾にされた缶に唇寄せて、わざと音を立ててキスをしてみる。
 そしたら、時任は耳まで真っ赤になって、ユデダコみたいになった。

 「久保ちゃんのバカっ、エッチっっ!!!」
 「あれ、缶にチューするのってエッチなの?」
 「じゃなくてっ、てめぇの存在そのものがエッチなんだよっ!!!」
 「もしかして、時任もして欲しい?」
 「そ、そんなワケねぇだろっ!」
 「ふーん、ならもっかい缶としよっかな」
 「とかつってっ、俺の缶に迫ってくんなっ、ヘンタイっ! 欲求不満かっっ!」
 「うん」
 「速攻で肯定すんなっっ、迫るなっ、近づくなあぁぁぁ!!ぎゃあぁぁぁーっ!」
 
 騒いでわめいて逃げる時任を捕まえて、ニヤリとわざと意地悪い笑みを浮かべてキスをする頃には、ただ青いだけだった空に雲が増え、日が陰り始め。けれど、ポケットに入れられたままのフィルムに焼き付いた一枚の写真が、触れた唇が焼き付いていく。
 脳裏に胸に…、手のひらに唇にカラダに…、
 余すトコロなく焼き付く、すべてを溶かしつくした青。
 左手で触れた黒に、それは加速して…、青を深く深くする。
 焼き付いて離れない、永遠の青。
 けれど、閉じ込めて抱きしめながらも、その色を写真に焼き付ける日は、きっと永遠に来ないだろう…、そんな気がした。

 「うん、ホント良い天気だぁね…」

 見上げる曇りかけの空。
 抱きしめた青と黒のコントラスト…。
 明日は未来は、どこまでも続いていないはずなのに…、
 胸を焼く君の色だけは、いつだって空よりも海よりも深く永遠だった。

 ・・・・・・・まるで薬指にその色の指輪を嵌め、愛を誓うように。

                                   『永遠の青』 2011.6.4更新

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