二月のある日に起こった執行部内での騒ぎの原因は、補欠である藤原が買出しに行った時に買ってきたあるモノだった。実はそれはジャンケンに負けた藤原はジュースを買いに行った時に買って来たモノなのである。 全員にジュースを配っていた藤原は、最後に久保田にコーヒーの入った缶を渡すとガサガサと持っていた袋の中をさぐった。 「今日は二月三日なので、ぜひ久保田先輩と一緒にやりたいと思って買ってきたものがあるんですぅ〜」 「二月三日だからって、それがなんだってんだよ?」 「アンタには言ってませんっ!」 袋に何が入っているのか気になるらしく、ゲームをしていた時任が藤原のそばまで行って袋をのぞき込もうとする。 すると藤原はバッと袋を閉じて、時任の視界からそれを隠した。 しかし隠されると誰しも見たくなるもので、時任はムッとした顔で袋を睨んでいる。 それに藤原には色々と前科があるため、なんとなくその袋はあやしく見えないでもなかった。 「てめぇっ、まさか久保ちゃんに妙なコトさせようってんじゃねぇだろうなっ!」 「妙なコトってなんですかぁ? すぐにイヤラシイことばかり考えちゃうなんて、まるで欲求不満みたいですよねぇ」 「だ、誰が欲求不満だっ! 欲求不満はてめぇだろっ!!」 時任と藤原は袋の中身のことで言い争っていたはずだが、いつの間にか欲求不満か不満じゃないかに話題がずれてしまっている。そしてそんな二人の不毛な会話を聞いていた桂木が、午後の紅茶を飲みながら眉をピクピクさせていた。 このままだといつものように、二人は桂木のハリセンの洗礼を受けることになるに違いない。そのことを知っている相浦が軽く肩をすくめてご愁傷様という顔をしたが、さらにその向かいにいる松原の方は我関せずと専用の湯飲みでお茶を飲んでいる。 そしてその更に横に、あやしい健康器具で筋肉を鍛えている室田がいた。 使っている健康器具はいつも深夜の通販番組で売っていそうな品だが、やはりそれは執行部の備品ではなく室田の所有物である。 このメンバーを見ていると、ここが何の部なのか判断がつく人間はいないに違いなかった。 「だぁぁっ、問題なのは欲求不満じゃなくて、その袋の中身なんだっつーのっ!!いい加減とっとと見せやがれっ!」 「だーかーらぁっ、なんでアンタに見せなきゃなんないんですかっ! これは久保田先輩のために買ってきたんですっ!」 「いいから、こっちにかせっ!」 「イヤですっ!!」 藤原の持っている袋をなんとか奪い取ろうと狙っていると時任と、その時任から袋の中身を守ろうとしている藤原。 同じ執行部員である桂木達が見守る中、時任が藤原はしばらくギャアギャアとわめいていたが、それを止めたのは桂木のハリセンではなかった。 「ごめんね、気づいてあげられなくて」 時任のそばにいつの間にか立っていた久保田がそう囁いた瞬間、時任は藤原の持っている袋を掴みかけた格好で固まる。低音で良く響く久保田の囁き声は、時任の身体をゾクゾクっと震えさせた。 そんな時任の様子を見た桂木が、今度はこめかみを押さえて眉間に皺を寄せる。 しかし、その原因を作った久保田は時任を見つめながら目を細めて微笑んだ。 「時任が欲求不満なのは、俺のせいだしね」 「久保ちゃん…」 「ちゃんと手加減してあげるから…、今夜ヤらない?」 「て、手加減なんかすんなよっ。手加減したらヤってるイミねぇじゃんっ」 「じゃ、思いっきり手加減ナシでするけどいい?」 「うん…、いい…」 「今夜は寝かせないから…」 「久保ちゃ……」 そう言いながら、時任がうるんだ瞳で久保田の顔を見上げる。 すると、久保田も優しい瞳でそれを見返した。 運悪く二人のそばにいた藤原は、頭を両手で抱えて涙をダーッと流しながら意味不明の言語を叫ぶ。だが藤原が時任と久保田の間に割り込むよりも早く、桂木のハリセンが時任の頭に炸裂した。 「この有害コンビがっっ!」 バシィィィンッ!! 「いってぇぇっ!!」 「ったくっ、油断も隙もありゃしないわっ!」 「なんで俺が叩かれなきゃなんねぇんだよっ! ゲームの話してただけじゃんかっ!」 「自分の胸の聞いてみなさいっ!」 桂木にそう言われた時任は、ボーっと二人のやりとりを眺めていた久保田の方を向く。 そして、キョトンとした顔で桂木のセリフを久保田に言った。 「自分の胸に聞けだってさ、久保ちゃん」 「うーん、どうやって聞けばいいんだろうねぇ?」 「俺に聞くなっ」 「時任の胸になら聞けそうだけど…」 「ば、バカっ!! 人の胸に聞いてんじゃねぇっ!!」 久保田は言葉通り、ジタバタと暴れる時任の胸に耳をつけている。 桂木が言ったのはもちろんそういう意味ではないが、久保田はとぼけたフリをして時任にセクハラ親父のような真似をしていた。 さすがの桂木も突っ込みそこねて、力が抜けたようにガックリと肩を落とす。 しかし藤原はイチャイチャしている二人を見てどんよりとした顔をしながら、手に持っていた袋の中に手を伸ばすと、その中にあるものをガシッと掴み取った。 「悪霊退散っ!!!!」 そういうかけ声と共に、藤原が手に持っていたモノを時任に向かって投げつける。 すると、それはビシビシビシッと見事に時任にヒットした。 時任を攻撃した物体はパラパラと床に落ちたが、その内の一つを久保田が拾い上げる。 それは間違いなく、二月三日に全国各地で行われるという豆まきの豆だった。 「なにしやがんだっ、てめぇっ!!!」 「悪霊じゃなくて、鬼に投げるんじゃなかったっけ?」 「そういう問題じゃねぇっつーのっ!」 「そう?」 豆を藤原にぶつけられた時任は久保田にそう言いながら、なんとか仕返しできるような物はないかと辺りを探した。するとそれを見計らったかのように、桂木が部室のテーブルの上に小さなダンボール箱を置く。 その中には、藤原が持っているよりも多量の豆が入っていた。 どうやら節分に豆まきをしようとしていたのは、藤原だけではなかったようである。 桂木は全員を見回すと、ハリセンを持ったままかなり不吉なことを言った。 「これから全員で豆まきするわよっ。やっぱり日本の伝統行事はやらないとねっ」 「げっ!!!」 「・・・・・うううっ」 叫んだのが相浦で、うなったのが室田。 二人とも豆まきと聞いた瞬間に、かなり嫌なことを想像してしまっていた。 豆まきをするのはかまわないが、豆まきをするには鬼がいるのである。 しかし執行部内で豆をぶつけられる鬼となる人物は、やはり立場が弱い者になりそうだった。 執行部で一番立場が弱いのは藤原だが、やはり相浦と室田も強い方ではない。 二人はお互いの顔を見合わせると、同時に冷汗をかきながら俯いた。 「急に腹痛が…」 「うっ、目眩が…」 突然、急病になった相浦と室田の近くで、一人だけ瞳をキラキラさせて執行部員がいる。 それは、日本の伝統と文化を愛する松原だった。 帰国子女ということもあってか、松原は日本の伝統をこよなく愛しているのである。 だが、おそらく松原は自分が鬼をやるとは考えていないに違いなかった。 「さすがです、桂木さんっ。やはりこういった行事は日本人としてやるべきです。豆まきは日本の心ですからっ」 「やっぱり二月三日は豆まきよっ!」 豆まきが日本の心かどうかはわからないが、桂木と松原の一言でどうやら豆まきをすることに決定してしまったようである。さっき藤原に豆をぶつけられた時任も、仕返しをしてやるとばかりにやる気になっていた。 だが、豆攻撃の目標である鬼はまだ決まっていない。 室田と相浦は桂木に仮病を見抜かれて、ハリセンで叩かれながら無理やり参加させられてしまうことになった。 「俺が鬼になりませんように…」 「俺と松原が鬼になりませんように…」 二人は小声で神様にそうお願いすると、鬼を決めるための輪の中に入った。 鬼になった人のために鬼の面まで用意されているが、あれをつけるということは一人で他の六人の攻撃を受けるということになる。かなりやる気になっている松原と桂木そして時任を見ていると、その攻撃の凄まじさは想像するだけでも恐ろしかった。 「最初はグーっ!!」 『ジャンケンっ、ポンっ!!!!』 気合いの入りまくったジャンケンのかけ声が、執行部の部室に木霊する。 すると、やはり一番で勝ち抜けたのはジャンケンに強い久保田だった。 それは予測していたことだったので、誰もやっぱりなとしか思っていない。 しかし数回続くと思っていた勝負は、次の一回で一人だけチョキを出した時任の負けに決まってしまった。 「げっっ! ウソだろっ!!!」 「男らしくさっさとあきらめて、鬼の面をかぶりなさいよっ」 「な、なんでアイドルの俺様が、鬼なんかにならなきゃなんねぇんだっ!」 「ジャンケンに負けたからに決まってるでしょっ!」 「ううっ…」 桂木にそう言われて、時任はしぶしぶ紙で作られた鬼の面をダッセェとか言いながらかぶる。やはりジャンケンで平等に決めたので、さすがにやらなくてはならないとあきらめたようだった。 すると自分が鬼にならなかったことにホッとした相浦と室田が、松原と共に豆の入った升を手に持つ。自分が投げられる立場になった時は嫌だと思ってた二人も、逆の立場になるとなんとなく楽しくなってくるから不思議だった。 赤い鬼の面をかぶった時任は少しビクビクしながら、物陰に隠れるように立っている。 普段が俺様している上にケンカも桁外れに強いため、こんな風に一方的にやられる立場になることはかなり珍しかった。 しかも、それをするのは同じ執行部員である自分達である。 豆を投げられることを少し怖がっている時任の様子を見た相浦は、豆を投げるよりも時任の頭を撫でたい気分になっていた。 「ちょ、ちょっとかわいそうだよな…」 「なに言ってんのよっ、たかが豆投げるだけでしょっ」 「それはそうなんだけどさ」 「そんなにかわいそうなら、時任と変わっても構わないわよっ」 「うっっ、そ、それは…」 桂木に変わったらと言われた相浦は、迷いながらもいつもよりも元気がない時任を助けたいという方向に気持ちが傾いて来ている。 だが時任が元気がないように見えるのは、ただ単に豆をぶつけられるのが嫌なだけだった。 そのことを知っている桂木は、少しも相浦のように同情はしていない。 相浦の目には時任はビクビクとおびえた黒猫に見えていたが、桂木の目には単にふて腐れたワガママ猫に見えていた。 他の部員にどう見えていたかはわからないが、少なくとも相浦と藤原の表情が微妙に硬い。 それは二人とも、時任を可愛いと思っているからだった。 「あ、あのさ…、桂木」 「なによ?」 相浦はゴクリと息を飲み込むと、声をかけられて振り返った桂木に時任と交代することを言おうとする。 だが悩んだ末に言うことにした相浦の言葉は、途中で途切れてしまった。 それは相浦が時任を救出する前に、時任の鬼の面を久保田が外したからである。 久保田は時任の鬼の面をはずすと、ジャンケンに買ったはずなのにひょいっと自分の頭をつけた。 「ジャンケンに勝ったのになんで…」 「時任が豆ぶつけられてるのおとなしく見てられそうにないからさ。やっぱ代わろっかなぁって思っただけだから、気にしなくていいよ」 「久保ちゃん…」 「時任にぶつけられる豆なら痛くないから、俺の分まで鬼払って福呼んどいてくれる?」 「・・・・・うん」 「じゃ、任せるよ」 「任せとけっ」 時任はニッと久保田に笑いかけると、ヒラヒラと手を振って豆を持って移動した。 すると、執行部員達の前に鬼の面をかぶった久保田が立つ。 相浦は自分がなりたくないと思っていたのだが、目の前に立った久保田を見た瞬間に自分がなればよかったと後悔した。それは鬼で豆を投げられる立場にいるはずなのに、久保田を見ているとまるでこれから自分がやられるような気がしたからである。 薄く微笑んでいる久保田の顔は、頭の上についている鬼の面よりよっぽどコワイ。 なぜか久保田はさっきから、相浦の方を見ていた。 見られていることに気づいた相浦は、久保田から視線をそらしたかったがなぜかそうすることができない。 実は豆を持った手がブルブルと震えていたが、本人は気づいていなかった。 『しょ、所詮はただの豆まきじゃないかっ、豆をまけばいいんだっ、豆をまけばっ!!』 相浦はそう心の中で叫ぶと、ぎこちなく豆を握って豆まき開始の合図を待つ。 すると豆まきをすることに決定した本人である桂木が、定番のセリフを言った。 「オニはっ、そとっっっ!!」 ビシビシビシッッッ!!!! 勇気を出して豆をまいた相浦の豆が、音を立てて久保田を直撃する。 しかも直撃した部分は、緊張していたためか手元が狂ってほとんどが顔だった。 そのため眼鏡にあたった豆は、パラパラとレンズで跳ねかえっている。 眼鏡の奥にある久保田の瞳は、レンズが光っていて見えなかった。 そのため久保田の表情が見えないので不気味だったが、一回目の豆をぶつけ終えた相浦は妙なことに気づく。それは相浦は久保田の方に向かって投げたが、時任や桂木達は別の方向に向いていたことだった。 物凄く嫌な予感がしたため、相浦が他の部員が投げた方向を見る。 するとそこには、用事があって生徒会室のドアを開けて閉まったらしい荒磯の教師である三文字が立っていた。 「福はうち〜〜っ!!! 鬼はそとっ〜〜〜!!」 「うわぁぁぁっ! 待てっ!! 俺は鬼じゃないぞっ!!」 三文字は執行部員に豆を投げられながら、部屋の中を逃げ回っている。 どうやら時任を含めて、誰も久保田には投げなかったようだった。 いいタイミングで入ってきた三文字は豆の集中砲火を浴びていたが、そんな三文字を見ながら相浦がボーっと突っ立っている。 久保田が鬼だったはずなのに、いつの間にか鬼は三文字に変わっていた。 鬼になった三文字に向かって豆を投げるのを少し中断すると、時任はポンっと相浦の肩を叩く。そしてなぜか気の毒そうな目で相浦を見ながら、 「久保ちゃんに豆投げるなんてすげぇよなぁ、お前」 と、しみじみと呟いた。 そんな時任のセリフに、声にならない悲鳴をあげながら相浦が恐る恐る振り返る。 するとそこには鬼の面を取った久保田が、豆まきのための豆を持って立っていた。 「やっぱ日本人らしく、日本の伝統は大切にしなくちゃね?」 「ぎゃあぁぁぁぁっ!!!!」 豆を片手に感情の読めない笑みを浮かべている久保田を見た相浦の悲鳴が、生徒会室に響き渡ったが…。 そんな相浦には救いの手ではなく、鬼の面が桂木によって進呈されたらしかった。 |
2003.2.3 「伝統行事」 *荒磯部屋へ* |