今朝はかなり冷え込んでいた。 やはり冬は寒いものとはいえ、手袋から出しておくと指が白くなってくるくらい寒いのはさすがに堪える。 昨夜降った雨が原因で、道はところどころカチカチに凍っていた。 「寒いっ、寒すぎるっ!!」 そう、時任が何度目かの同じセリフを言うと、久保田はこの寒さにも無関心みたいな顔をして、 「寒いって何度言っても、暖かくならないと思うんだケドね」 と、言った。 防寒装備は、二人とも似たり寄ったりだったが、なぜか時任の方が寒そうに見える。それはやはり、歯をガチガチ鳴らしながらかなり寒がっているせいだろう。 「うっせぇ。久保ちゃんよか俺様の方がデリケートにできてんのっ」 「そんなに言うなら、俺があっためてあげるのに」 「・・・カイロならもうポケットに入ってる」 「カイロなんかじゃ足りないっしょ?」 「久保ちゃん」 「ん〜?」 「ここドコだか知ってるか?」 「校門の前」 本気か冗談なのか、時々、時任ですら区別がつかない。 久保田はのほほんとした顔で、とんでもないセリフを言ったりする。 さっきのはまだ序の口といったところだった。 「とにかく、教室に急ごうぜっ。そうすりゃ、ちっとはマシにになんだろっ」 伸びてきた久保田の手をうまくかわした時任は、急ぎ足で玄関に向う。 そんな時任の後ろ姿を見ながら、久保田は白い息を吐きながら、 「う〜ん、残念」 と、のんびりとした感じで言った。 さほど残念そうでもないところをみると、冗談だったらしい。 「おはよう、久保田君」 久保田が時任の後を追って歩き出そうとした時、すぐ後ろから聞きなれた声がする。それが誰なのかはすぐにわかったので、久保田はその声のする方へ振り返った。 「おはよ、桂木ちゃん」 だがその瞬間、何かが落ちたような音とともに派手な叫び声が耳に響いてきた。 「うわぁっっ!!」 ちょうど玄関の入り口の辺り。 久保田と桂木が声のした方を向くと、運悪く、そこに少々張っていた氷の上に乗ってしまったために、すべってこけてしまっている人物が約一名いた。 「うっ、いってぇ〜」 派手に転んだようで、時任は尻餅をつく感じではなく、身体を横に向けて倒れていた。 「時任!!」 めったに叫ぶことのない久保田が、大きな声で時任の名前を呼ぶ。 「・・・久保ちゃん、痛い」 凄い勢いでそばに来た久保田に、時任は涙目になりながら痛みを訴えた。 しかし、久保田はこけた瞬間を見ていないので、どこを打ったのか判断がつかなかったらしく、時任の頭を優しく撫でて、 「どこ打ったの?」 と、聞く。 すると時任はキッと涙目のまま久保田の顔を見上げた。 「頭なんか打ってねぇっての!痛いのは足!」 「足?」 そういわれて久保田が時任の頭から手を離して、時任の右足首に手をかけた。 「いたっ・・・」 よほど痛いのか、時任が小さく声をあげる。 久保田はゆっくりと時任の足を手にのせ、靴を脱がせた。 「ちょっとガマンしてね、時任」 「イヤだ、痛いから放せって」 「でも、やらなきゃでしょ?」 「・・・あっ、いたっ」 「大丈夫。ちゃんと痛くないようにするから」 「だいじょうぶじゃないってばっ、手ぇ放せって」 「ほら、俺の肩につかまって」 「・・・久保ちゃん」 「もうちょっとじっとしててね」 「うっ、あっ、いたっ」 「あと少し」 「・・・く、くぼちゃん。もっとゆっくり」 「あ〜、やっぱり派手にはれてるね」 靴下を脱がせてみた足は、見事に捻挫していた。 久保田は時任が捻挫しているかどうか見ようとしていただけだったが、その様子を見ていた生徒達はまるで氷のように固まっていた。 「・・・あんたたち。もうちょっと普通にできないの?」 唯一、凍結をまぬがれた桂木がそう言うと、久保田と時任は同時に、 「別に普通じゃん」 「普通でしょ?」 と、答えた。 どうやら、ホントにホンキらしい。 桂木はいつものように盛大にため息をついた。 「まあとりあえず保健室へ連れてくから、担任に言っといてくれる?」 「了解したわ」 桂木はひらひらと手を振ると、付き合ってられないとばかりに自分の下駄箱へと歩いていった。 久保田は保健室に行くべく、歩けない時任の背中と足に手を入れて抱き上げた。 いわゆる、お姫様抱っこというやつである。 「ば、ばかっ、はずかしいだろがっ!!」 「暴れると落ちるよ。ケガが増えるからおとなしくしてなさい」 「せめて背中に背負うとか」 「ダメ。却下」 じたばた嫌がる時任をものともせず、久保田はしっかりとした足取りで歩き始めた。 久保田は痩せてはいるが力はかなりある。 痩せてはいても、しっかり筋肉がついてることを時任は知っていた。けれど、軽々と抱き上げられるのにはなんだか抵抗を感じるのである。 こんなふうにしていると、まるで久保田に守られてるだけの存在に思えてくるからだった。 「五十嵐先生。ケガ人連れてきたから見てやって」 保健室に連れていかれた時任は、あまりの足の痛みに仕方なく、おとなしく五十嵐の診察を受けることにした。しかし、五十嵐は相変わらずで、なにやかれやと久保田にくっつこうとする。 「もうっ、久保田くんってばあんまりココに来てくれないんですもの〜。先生すごくさみしいわぁ」 「俺、ケガとかあまりしませんからね」 「うふふ、ケガさせちゃおうかしら〜」 「遠慮しときます」 「あら、そお?」 久保田の肩にしなだれかかっている五十嵐の邪魔をしてやりたいのに、足が痛くて動けない。時任はくやしくてぎゅっと拳を握りしめた。 「久保ちゃんにくっつくなっ、このヘンタイ校医!」 「今の動けない君なら、なんでもやり放題って感じよねぇ。おねぇさん、イタズラしちゃおうかしら〜」 「うわっ、よるなっ!このオカマ野郎!」 「いいこと教えてアゲル」 「くれんでいいっ、そんなモン!」 久保田から時任のターゲットを移した五十嵐が、あやしい笑みを浮かべながら時任に近づいてくる。時任は本気で嫌がって、動けないながらも必死に逃れようとしていた。 「はい。そこまででストップ」 このままでは収集がつかなくなると思ったのか、久保田がストップをかけると五十嵐はおとなしく時任から離れた。 「そぉんなに心配なんだ?時任くんのこと」 「まあ、それなりにね」 「ふ〜ん」 どうやら久保田は、騒いでいることではなく、あばれて時任が椅子から落ちてしまうことを心配していたらしい。 五十嵐が時任の足を診断すると、捻挫は思ったよりも酷いことがわかった。 「骨には異常なさそうだけど、念のためにレントゲン取った方がよさそうね」 「え〜、病院行くのか!?」 レントゲンという言葉に、病院嫌いの時任が不満の声を上げる。 しかし、久保田の一言が時任を黙らせた。 「晩に痛がっても知らないからね」 知らないと言われて、時任はムッと不機嫌そうに眉をしかめる。こういう場合、本当にほっとかれそうな気がするからだった。 「うっ・・・、わかったよ、行きゃあいいんだろっ!」 「そうそう、おとなしく行ってらっしゃい」 こうして時任は五十嵐に連れられて、午前中の授業中、病院で検査を受けることになったのである。 時任が病院で手当てを終えて戻って来たのは、ちょうど四時間目終了のチャイムが鳴った頃だった。 派手に包帯を足に巻かれた時任は、右手で松葉杖をついている。 そうしないと歩けないからだった。 「ずいぶん派手なカッコになったねぇ」 久保田がそう感想をもらすと、時任はぶすくれた顔で、 「好きでなったんじゃねぇってのっ!」 と怒鳴った。 この状態では今日の公務はできそうにないし、教室移動も大変だろう。 実は五十嵐も担任も時任の足の腫れ具合を見て、今日は帰った方がいいんじゃないかと言ったのだが、時任は帰らないといったのである。 「先生に頼んであげるから、先に家に帰ってる?」 久保田も家に帰ることを進めたが、やはり時任は首を縦には振らなかった。 「いいっ。普通に終わってから帰るっ」 時任が強情に言い張るのには理由がある。 それは、久保田がいない部屋に帰りたくなかっただけなのであった。 「一緒に帰ろっか?」 時任の気持ちをなんとなくさっした久保田がそう言うと、時任はますます首を横に振った。その時任らしい返事に、久保田はゆっくりと微笑んだ。 「終わったら一緒に帰ろうね、時任」 「・・・・うん」 そんな二人から漂ってくる甘いムードの被害を教室内の生徒達と一緒に受けながら、桂木はやはりため息をついていたのだった。 「え〜!!足挫いちゃったんですかぁ、時任先輩!」 心配など欠片もしてないような藤原の声が生徒会室の中にこだまする。 時任はムカッとした顔をして、 「しょうがねぇだろっ!! 氷なんかはってんのがわるいんだっての!!」 と、怒鳴る。しかし藤原はその怒鳴り声に臆することなく、時任をバカにしたような笑みを浮かべた。 「あそこで転んだの。きっと時任先輩だけですよ」 「るっせぇ!!」 本当なら取っ組み合いになりそうな感じだが、今日は時任がケガをしているのでそうはならない。藤原を叩きのめしてやりたいのにできないので、時任はかなりイライラしていた。 その上、今日は公務だというのに、自分はこの有様なのである。 「悪いけど、今日は室田と久保田君でいってくれる?」 桂木が時任の代役として室田を指名すると、室田は別に面倒臭そうにするでもなく、普通に椅子から立ち上がった。 「まあ、その足じゃあ仕方ないよな。暴れずに養生しろよ、時任」 「こんなモンはすぐなおるっ」 「だといいけどなぁ」 立てない、歩けない、動けない。 そんな状況の中、藤原のいる生徒会室にいるとストレスが溜まりそうだった。 おそらく、ここぞとばかりに仕返ししてくるだろう。 時任は公務に行こうとしている久保田の袖をなんとか捕まえると、必死な瞳でお願いをした。 「俺も行く」 いつものお願いとは違うお願いに、久保田は小さく息を吐いた。 「けど、ケガしてるでしょ?」 そう久保田が言うと、時任はさらに久保田の袖を強く引っ張った。 「こんなんたいしたことねぇって、平気」 「歩けないのに?」 「杖あったら歩ける」 「公務の内容。もちろん知ってるよね?」 「当たり前だろっ!」 絶対に譲らない。 一度、時任がこうと決めたら絶対に譲ることはない。 そのことを知っている久保田は手を差し出すと、時任を椅子から立たせた。 「せっかくのトコ悪いけど、やっぱり時任と行かせてくれる?何かあっても、責任は俺が持つから」 「久保田君がそう言うなら、何もいうコトはないわよ」 「サンキュー、桂木ちゃん」 桂木の了承を得て、久保田は松葉杖をついた時任とともに公務の見回りに出ることになった。 しかし、朝にあれだけ派手に転んで、しかも派手に包帯巻かれた上に杖をついている時任のことは、学校中に広まっている。 これは実はかなり危険な状況と言えた。 それでなくとも、執行部という立場上恨みをやすいというのに、それがあの時任ともなればその恨みの買い方は半端じゃない。 「まっ、なんとかなるでしょ」 そういう久保田の呟きは、なれない松葉杖に苦戦している時任には聞こえていなかった。 歩行速度がかなり遅い。 いつもは何気なく歩いている廊下が、長く長く感じられた。 階段なんかは、またこけそうになって久保田が時任を支えている。 自分から言い出したものの、公務に出たことを時任は少し後悔していた。 うまく歩けなくて辛いことより、自分のせいで久保田に負担がかかっていることが時任の気分を重くさせていた。 (久保ちゃんのこと、困らせるつもりじゃなかったんだけどさ) 久保田は何も言わない。 時任がそうしたいと言ったから、ワガママに付き合ってくれている。 「・・・・ゴメンな」 「なんか言った?」 「べつに」 どちらかが遅くなれば、どちらかに歩幅を合わせる。 二人の距離が離れてしまわないように、いつも二人が隣にいられるように。 それは簡単なようでいて、難しいこと。 一緒にいたいって想いが強くなければできないから・・・。 時任が久保田の方を向くと、久保田も時任の方を見ていた。 久保田が微笑んでいるのを見て、時任も微笑む。 「ちょっと待てよ、お二人さん」 そんな二人の暖かい空気を壊す無粋な奴らが、突然、行く手を阻んだ。 見慣れたくないが、見慣れてしまった顔が数名。 大塚君とその仲間達であった。 「来ると思ってたケド、本当にくるとは律儀だねぇ」 「ったく、こりねぇやつらだなぁ。よっぽどヒマなんだな、お前ら」 二人がそれぞれの感想をもらすと、大塚は勝ち誇ったような顔をして、時任を指差した。 「玄関ですっころんでケガしたんだってなぁ。その足で、俺らに勝てんのか?」 挑戦的な大塚のセリフに、時任は指を立てて言い返した。 「そおいうセリフはなぁ、勝ってから言いやがれっ! この負け犬野郎がっ!!」 「なにおぅっ!!」 普段の時任なら、大塚など敵ではないだろう。 だが、今の状態ならはっきり言って勝率がかなり低い。 時任をかばうようにして、久保田が前に出た。 「今日、時任は見学ね。ちょうどヒマしてたトコだから、俺が相手してあげるよ。オオツカくん」 「くっ、久保田っ」 以前、眼鏡無しの久保田のボコボコにやられた記憶はまだ新しい。 一瞬引いてしまった大久保達だったが、何かを思いついたらしくニヤリと笑う。 大塚がこそこそと仲間達に耳打ちした後、仲間の内の一人が久保田に襲い掛かり、もう一人が身体を低くして久保田の死角に入った。そして、その背後にいる時任に蹴りを繰り出す。 「なっ!!」 時任は身動きは取れなかったが、とっさに松葉杖でその足を払った。 しかし、その衝撃で身体が横に傾く。 「時任っ!」 久保田が時任に気を取られた隙に、大塚が久保田に向かって殴りかかる。 久保田はそれをかろうじてそれを避けたものの、拳が眉間にかすってしまい、眼鏡が外れて音を立てて床へと落ちてしまった。 「踏めっ!」 大塚の卑劣な指示により、一番最初に襲い掛かって殴られた一人が眼鏡を無残にも踏みつける。 眼鏡はガチャンという音を立てて壊れた。 「これで絶対絶命だなぁ」 大塚が憎らしい顔をして笑っている。 「て、てめぇらっっ!!!」 かろうじて自分の身を支えながら時任が叫ぶと、久保田はくるっと時任の方を向いた。 「おいで、時任」 「久保ちゃん?」 「いいから来なさい」 時任が久保田に呼ばれて行くと、久保田は時任をおんぶした。 「悪いけどさ。ナビしてくれる?」 久保田の言わんとしていることを理解した時任は、 「まかせとけっての!」 と、元気良く返事した。 「なに余裕ぶってやがんだよっ! やっちまえっ!!」 「久保ちゃん、右にケリ」 「はいよ」 一番最初に殴りかかってきた一人を、久保田が蹴り飛ばす。 「次、正面」 「はいはい」 二番目のに久保田のケリと時任の松葉杖が入った。 「姑息なのが後ろから」 「了解」 大塚の頭に松葉杖、腹に後ろ蹴りが見事に決まっている。 時任の杖裁きも見事だが、時任を背負っているのにスピードも威力も衰えない久保田のケリは凄かった。 まさに向かうところ敵なしというやつである。 そんな感じで10分くらいすると、二人にのされてくたばった三人が廊下でうめいていた。姑息なことをしても、所詮は大塚という訳である。 「思い知ったか、ばーかっ!」 「あ〜、眼鏡代もらっとくわ」 久保田は時任を背負ったまま、三人の財布からそれぞれ札を抜くと、すたすたと生徒会室へ歩き出した。 「それで足りんの、眼鏡代?」 「足りなきゃあとで請求するから」 眼鏡はかなり破損していたが、まだなんとかなりそうな感じである。 壊れた眼鏡を久保田の肩越しに見ながら、時任は落ち込んでいた。 もし、自分が行くと言い出さなければ、こんなことにはならなかったからである。 「ごめん、久保ちゃん」 時任が素直にあやまると、久保田は手を伸ばして時任の頭を撫でた。 「時任のせいじゃないでしょ?」 「・・・けどさ」 「まぁ、眼鏡は壊れちゃったケド、かなり役得だったしね。時任、俺のこと惚れ直したでしょ?」 「べっ、べつにぃ」 「これから毎日、時任のこと背負って登校しようかなぁ」 「ぜってぇ嫌だっ!」 おんぶ登校を嫌だと拒否した時任だったが、言葉とは裏腹にしっかりと抱きつく感じで手は久保田の首に回っていた。 「ナビ、ありがとね」 「うん」 まるで顔をかくすみたいに、時任が久保田の肩に顔を埋める。 すると、久保田がくすぐったいような顔をして微笑んだ。 その日、そんな幸せそうな二人を目撃した人数はかなりの数に登ったという。 背負った状態で帰宅したため、目撃者は校内だけには留まらなかったらしい。 ハッとして我に返った時任がそのことに気づいたのは、部屋に帰宅してから一時間後のことであった。 お互いの目となり手となり足となって、まるで二人で一人みたいな感じで生きていくのは悪くない。 欠けた部分を埋めあえば、きっとそれが一人分になるから。 一人分の人生を、二人で歩もう。 歩く道の名が幸せじゃなくても、君と歩くことが僕のすべてだから。 |
2002.2.18 「君と僕の歩く道」 *荒磯部屋へ* |