「久保田君って、ほんっと時任に甘すぎなのよねぇ」
 
 まだ冬真っ盛りの日の放課後。
 時任が生徒会室のイスに座ってゲームをしていると、桂木がため息をつきながらそう言った。
 だが、桂木はノートに文字を書きながら言ったので、その言葉は近くにいる相浦に言ったのかそれとも時任に言ったのかはわからない。桂木の書いているノートはいつもと違って執行部関係のものではなく、自分のクラスの授業で出された宿題だった。
 相浦はパソコンのキーを叩いていた手を少し止めると、なぜか桂木ではなく時任の方を見る。
 すると、時任はかなりムッとした表情で、ゲームをガチャガチャとうるさく音を立てながらしていた。
 その様子を見ていると桂木のセリフを聞いていたのだとわかるが、それについて何も言う気はないらしい。しかし時任が何を思っているのかは、見た目だけではわからなかった。
 桂木が久保田が時任に甘いと言うことになったそもそもの原因は、時任がゲームをしながらポロッとチョコが食べたいと言ったことである。
 そう言ったこと自体はあまり問題はないのだが…。
 今日は非番だったこともあってか、それを聞いた久保田はすぐにコンビニにチョコを買いに出かけてしまったことが問題だった。
 「まぁ…、好きでやってんだから、別にいいんじゃないか?」
 「それはそうかもしれないけど、過保護すぎだわ」
 「そう言われれば…、そう思わないでもないけどさ」
 「久保田君が甘やかすから、時任がますますワガママになんのよ」
 桂木はそう言いながら時任の方を見たが、時任はやはりゲームから目を離さないでいる。
 だが、久保田が甘すぎることに桂木は少し引っかかりを感じているようで、まるで時任を試すように本人を目の前にしてそんなことを言っていた。
 話しているのは相浦とだが、実は桂木は間接的に時任に話しかけていたのである。
 短気な時任はいつものようにすぐに突っかかってくるかと思っていたが、予想に反して桂木の話に乗っては来なかった。
 だが、時任の代わりに返事をするように、いきなり生徒会室のドアの方から声がする。
 それはコンビ二に買い物に行っていた、久保田の声だった。

 「甘やかしてる覚えはないんだけどねぇ?」

 久保田はそう言いながら室内に入ってくると、手に持っていたコンビニ袋の中からチョコを手に取ると、時任の方に向かって投げる。
 すると時任は飛んでくるチョコの方を見もしないで、見事にそれをキャッチした。
 「サンキューな」
 「どういたしまして」
 久保田に礼を言った時任は、チョコの包装をクルクルっと開けるとそれを食べ始める。
 すると久保田はそんな時任の横に立つと、ポケットからセッタを出して火をつけた。
 少し気まずい雰囲気の流れる中、相浦は桂木と久保田の顔を交互に眺めている。
 だが桂木は少しも動じた様子はなく、セッタを吸い始めた久保田の方を見ていた。

 「誰の目から見ても、十分に甘やかしてるわよ。本人に自覚はなくてもね」

 そう桂木が言うと久保田は少し口元に笑みを浮かべて、時任が手に持っているチョコにすっと顔を近づけて少しだけかじる。
 すると時任の歯型のついたチョコの上に、久保田の歯型がついた。
 「俺様のチョコになにすんだよっ」
 「おいしそうだから、ちょっとつまみ食い」
 「欲しかったんなら、自分の分も買ってきとけば良かったじゃんかっ」
 「べつに欲しくなかったけど、時任が食べてるの見たら欲しくなっただけ」
 「あっそっ」
 時任は自分のチョコをかじられたことにムッとしたようだったが、あまり気にはしていないらしく、すぐにそのことは言わなくなった。
 その様子を見ていた桂木は、これ以上は何も言う気がないらしくノートに視線を落とす。
 すると居心地の悪い空気を感じた相浦はパソコンのキーを再び叩きながら、久保田にかじられたチョコを食べている時任を横目で眺めていた。
 時任は食べ物を口にたくさん入れる方なので、チョコやお菓子を食べていると口の端に汚れをつけてしまっていることが多い。そのため今日もやっぱりチョコを食べていると、口の端にはチョコがついてしまっていた。
 それを見た相浦が時任にチョコがついていることを言おうとしたが、その前に時任の口の端に久保田の手が伸びる。
 すると、その手は親指で時任の口についたチョコをぐいっとぬぐった。

 「そのゲーム面白い?」
 「まあまあ…」

 関係のない話をしながらぬぐった親指を自分の口元に持って行くと、久保田は親指についているチョコを舌できれいになめ取る。相浦はその時に見えた赤い舌が、妙にキスとかそういったことを連想させたので、少し赤い顔をしてパッと視線をそらせた。
 桂木はそんな二人にハリセンを握りしめながらも、まだそれを出してはいない。
 しかし桂木の目には、あやしい会話をしつつイチャイチャしている時の二人よりも、こういう何気ない時の二人の方が有害に見えていた。
 「相浦…」
 「な、なに?」
 「この書類を三文字先生に出してきてくれない?」
 「いいよ。出しに行ってくる」
 「悪いわね」
 桂木が書類の提出を頼むと、相浦はそそくさと書類を持って生徒会室から出て行く。
 その後ろ姿を見届けた桂木は、再びため息をつきながら久保田の方に視線を向けた。
 すると、久保田もセッタをふかしながら桂木の方を向く。
 桂木は何かを言いかけたが、それをさえぎるように久保田が口を開いた。
 「そろそろ俺らは帰るからさ。またね、桂木ちゃん」
 「・・・・・そう、じゃあまた明日ね」
 「帰るよ、時任」
 「ん〜…」
 時任は生返事をしていたが、ゲームにけりをつけるとカバンを持って立ち上がる。
 そして食べていたチョコのゴミは、近くにあったゴミ箱に中に投げ入れられた。
 桂木がいつものように時任に「またね」というと、時任も「じゃあな、桂木」といつものように明るい調子で元気に答える。
 だが、セッタ苦い匂いとチョコの甘い匂いのする生徒会室の空気を感じていると、いつもよりも少しだけ何かが違って見えてくる気が桂木はしていた。

 「ねぇ、桂木ちゃん」

 黙って二人が帰っていくのを桂木は見送ろうとしていたが、時任が生徒会室を出ると久保田だけが廊下に出る前に桂木を呼んで立ち止まる。
 桂木がどうしたのかと久保田の方を向くと、久保田は感情の読めない瞳で桂木の方を見ていた。
 「どっちが甘いかなんて、見た目じゃわからないと思うケド?」
 「それは久保田君が優しいから、そんな風に思えるだけなんじゃないの?」
 「優しいって、俺が?」
 「そうよ」
 久保田は桂木の言葉に短く笑うと、すぅっと目を細めてわずかに口元を歪める。
 その表情を見た桂木は何かに鋭く胸を深く突かれた気がして、それ以上は何も言うことができない。表情の意味はわからなかったが、その笑みは凍えるほど冷たかった。
 人の微笑みをこれほど怖いと思ったのは、これが始めてで…。
 桂木は二人の出て行ったドアを眺めながら、相浦が戻ってくるまで凍えて動くことができなかった。
 



 「なぁ…」
 「ん?」
 「久保ちゃんは、俺に甘いんだってさっ」
 「ふーん、そう…」

 自分達の住んでいるマンションに帰りながら、二人で並んで歩いていると時任がそう言う。
 生徒会室にいる時には何も言っていなかったが、やっぱり桂木の言ったことを気にしているようだった。
 時任は足元に落ちていた石をコツンと蹴飛ばすと、久保田の歩いている数歩先まで早足で歩く。
 そして後ろを振り返るとポケットの中をゴソゴソとさぐって、その中にあるモノを久保田に向かって勢い良く投げた。

 「久保ちゃんっ、パスっ!」
 
 そう言われて久保田が投げられたモノをキャッチすると、それは時任が昨日から気に入ってなめてた飴玉だった。しかし、その飴は偶然見つけたものなので、一度買ってからはどこの店でもこの飴を見かけたことがない。
 その飴を久保田が受け取ると、時任は再び前を向いて歩き出した。

 「それっ、最後の一個なんだからなっ! ありがたく食えよっ!」
 「はいはい、ありがたくいただきマス」

 久保田はもらった飴の包み紙を開けてそれを口に放り込むと、少しムッとしたような顔をして歩いている時任に追いついてその横に並ぶ。そして時任の肩に腕をまわすと、久保田は何か言いたそうにしている唇に自分の唇を押し付けた。

 「・・・んんっ!」

 嫌がる時任の唇に深く口付けて、舌で口の中に入っている飴を移動させる。
 すると久保田の口の中に入っていた飴が、時任の口の中に入った。
 なめていた飴はハッカが混じっていたが、なぜかチョコよりも甘い気がする。
 久保田が唇を離すと、時任は少し頬を赤くしながら久保田の頭をバシッと叩いた。
 
 「せ、せっかくやったのにっ!」
 「だから、ちゃんともらったっしょ?」
 「…って、俺の口の中にアメがあるじゃんっ」
 「まあまあ」
 「なにがっ、まあまあだっ!」
 「どうせアメを食べるなら、できるだけ甘い方がいいしね」
 「なんだそりゃっ」
 「さぁ?」
 
 時任は久保田にあげたはずの飴をなめながら、また目の前にある石をコツンと蹴る。
 するとその音を聞きながら、久保田は右手に持っていた吸いかけのセッタを口にくわえて…。
 口の中に残る甘さを感じつつ、自嘲するような笑みを浮かべていた。


                                             2003.2.11
 「甘さの構造」


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