午後から生徒会室には暖かな日差しが差し込んでいたが、やはりこの時期になると窓を開けるとかなり寒い。そのため閉じられたままになっている窓から外を眺めながら、久保田はさっきからずっと黙ってセッタをふかしていた。
 実は室田と松原が見回り当番だったため、今日は公務は非番なのである。
 しかし時任が生徒会室に顔を出して帰ろうと言ったので、こうやって何をするでもなく窓辺で佇んでいた。
 生徒会室の窓から見える景色はいつもと特に変わりがないのだが、グラウンドの周囲に生えている木々が今の季節を知らせるように紅葉し始めている。肌に感じる気温でも季節の移り変わりを感じられるのだが、やはりこうやって赤く染まった木々の葉を見ながら視覚で秋を感じるのとは少し違った。
 巡り行く季節は暑くなったり寒くなったり…、そういうことだけではなく…。
 変わり行く何かがあるから、過ぎ行く季節と時を感じられるのかもしれない。

 「起こさなくてもいいの?」

 しばらく一人静かに久保田が窓辺に立っていると、いつものように始末書と壊した物品の請求書の整理をしながら桂木が声をかけてくる。
 その声を聞いた久保田は、自分の横で椅子に座ったまま眠り込んでいる時任を見て目を細めた。
 時任は横にいる久保田に寄りかかっているので、黒いサラサラとした髪が久保田のいる右側に流れてしまっている。自然に閉じられている瞳は、まだ目覚める様子はなかった。
 昨日、眠ったのは明け方だったので、学校には遅刻せずに来たもののやはり眠かったらしい。
 深い眠りに着いていることがそばにいる久保田にも感じられるほど、穏やかで静かな寝息を立てながら時任は眠っていた。
 久保田はそんな時任の顔を見ながら、くわえていたセッタをもみ消す。
 そして時任を起こさないように注意して、ポケットから取り出した携帯用灰皿に吸殻を投げ入れた。
 「良く眠ってるから、今はあまり起こしたくないし…」
 「帰って寝かせた方がいいんじゃない?」
 「確かにそうだけど、寝顔見てると起こせないんだよねぇ」
 「相変わらず、とことん甘やかしてるわね」
 「ま、否定はしないけど」
 否定しないと言いながら、時任を見つめながら優しく微笑んでいる久保田を見て、桂木は軽く肩をすくめてため息をつく。
 いつも時任が五十嵐や藤原にヤキモチを焼いて騒いでいるので見逃しがちだが、久保田の方も時任に負けず劣らずの様子で少しも自分の思いを隠そうとはしていなかった。
 相方とか同居人というだけではなく、二人が想い合っているのは確かで…。
 けれどいつもお互いに離れようとしないことが、少しだけ引っかかったりするのも確かだった。
 桂木は書いていたノートを閉じると、さっきまで久保田が見ていた窓の外を眺める。
 すると傾いてきた陽が、まるで紅葉した木々の葉のように赤く眩しくガラスに反射していた。
 「ねぇ、久保田君…」
 「なに?」
 「時任のドコが好き?」
 「どしたの? 突然」
 「べつに意味はないけど、ちょっと聞きたくなっただけ」
 「ふーん」
 「…で、どうなの?」
 突然の桂木の質問に久保田はすぐには答えず、眠っている時任の髪に手を伸ばしてゆっくりと撫で始める。すると時任はそれに反応して、少しもぞもぞと身体を動かした。
 けれどその手が誰の手かわかっているのか、無防備な姿で眠ったままである。
 久保田は桂木が見ているにも関わらず、自分に寄りかかって眠っている時任の頭に頬を寄せた。
 「ドコが好きってワケでもないし、全部好きってワケでもないんだけどね」
 「それって意外。全部好きだって言うかと思ったのに…」
 「べつに意外じゃないと思うけど?」
 「…そんなに大事そうにしてるのにね」
 久保田の言葉に桂木が意外そうな顔をすると、久保田は桂木の方を見て薄く笑みを浮かべた。
 その笑みを見た桂木は何もわかってないと言われているような気がして、少し眉間に皺を寄せてすやすやと眠り続けている時任の顔を見る。
 時任は頭に乗せられている久保田の体温を感じているせいか、穏やかに微笑んでいた。
 そんな時任と、二人身を寄せ合いながら…。
 久保田は時任と共に、赤く染まり始めた秋の夕日の中にいた。
 「たとえば俺のセーブデータ消しちゃうとことか、雨が降ってもベランダの洗濯物取り込んでくれないとことか…、嫌なトコなんて数えたら結構あるし…」
 「だから全部じゃないの?」
 「全部好きだなんて言えるのは何も知らないか、わかってないからっしょ? 嫌なトコに目をつぶって見ないフリしてるだけで…」
 「確かに、欠点のない完璧な人間なんていないものね」
 「だから総合判断」
 「総合的に見て好きってこと?」
 「色んなモノが全部この中に詰まってるから…、大事だしね」
 「全部、詰まってるって…、時任の中に?」
 「そ、ココから全部が生まれてくるから…」
 そう言うと久保田は、時任の左胸にそっと右手を当てた。
 痛くてつらくて哀しいのも…、愛しくて恋しい気持ちが溢れてくるのも…。
 秋の夕暮れの日差しの中で、静かに眠っている時任を想っているから生まれてくる。
 けれどそれは全部が暖かな優しいモノじゃなくて…、逆のモノもあるに違いなかった。
 桂木はそっと二人から目をそらすと、少し赤く染まっているグラウンドを窓ガラスごしに見る。
 すると夕日を浴びた木々が、その色を移して真っ赤になっていた。

 「大事すぎて…、不安なの?」

 そう桂木が尋ねると、久保田は苦笑を浮かべてそれには答えなかった。
 久保田はまだ目覚めない時任から身体を離すと、倒れないように気をつけながらその身体を背中に背負う。
 そして、机に置かれていた二人分の鞄を手に持った。
 「日も暮れてきたし、そろそろ俺らは帰るから」
 「ほんっとに、時任には甘いわよね」
 「実は甘えてるのは、時任じゃなくて俺の方なんだけどね」
 「えっ?」
 「じゃあまたね、桂木ちゃん」
 そう桂木に言うと生徒会室のドアを開けて、久保田は時任を背負ったまま帰って行く。
 その様子を見ながら、桂木は小さくため息じゃない息を吐いた。
 一人残された桂木の視線の先には、さっきまで時任の座っていた椅子がある。
 まだそこには時任のぬくもりが残っていたが、そのぬくもりを本当に感じることの出来る人間は一人しかいない。
 秋色に染まった生徒会室の中で桂木はしばらくの間、じっと何かを考えているかのようにそのまま動かなかった。


                                             2002.10.27
 「秋色」


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