ちょうど、三時間目が終わる頃のことである。
 
 いつものように、授業中に睡眠学習している久保田は、自分の机に突っ伏していた。
 今更、それを注意する教師も、起こそうとするクラスメイトもいない。
 誰もが見慣れた光景だったが、今日は一人だけそれを不審そうな目で見つめる人物がいた。
 それは、久保田と同じ生徒会執行部所属している相方にして同居人の時任である。
 じ〜っと久保田のことを見つめていた時任は、時計の針がちょうど後10分で授業が終わる時間を指し示した瞬間、ガタッと自分の席からいきなり立ち上がった。
 あまりにいきなりのことだったので、授業をしていた教師も驚いているのか何も言わず、クラスメイト達もただ時任を見ているだけである。
 時任は授業中にも関わらず、無言でつかつかと後ろの方まで歩いて行くと、久保田の席の前でピタリと止まった。
 
 「久保ちゃん」
 「…ん〜?」

 突っ伏して寝ていた久保田は、時任の声に顔を横に向ける。
 すると時任は、久保田の顔から眼鏡を奪い取った。
 
 「ダメだよ、時任。昼間っから…」
 「そんなコト言ってる場合じゃねぇだろうが」
 「さあ、どうかなぁ。まあ時任ならべつにいいけどね」
 「ったく。鈍感すぎんだよ、久保ちゃんは」
 「そんなことないよ。熱いって自分でもわかってるし」
 「わかってんなら、なんとかしろっての」
 「時任がなんとかしてよ」
 「…しょうがねぇなぁ」
 
時任は屈み込んで、久保田の顔に自分の顔を近づける。
 教室中が静まり返り、息を呑む音がそこココで聞こえた。
 時任の目が少し細められて伏目がちになると、実は結構長い睫毛が瞳に影を落とす。
 なんとなく色っぽい表情の時任が、久保田の顔のすぐ間近に迫った。

 「久保ちゃん」
 「時任」

 二人の周囲がなぜかピンクがかって見える。
 お昼のメロドラマ調のようなシュチュエーションに、一人を除いて教室にいる人々は赤面していた。
 見ているだけで恥しい。
 そんな空気にクラスメイト達が目眩を感じていると、久保田の額に時任の額がピッタリとくっついた。

 「あっ、やっぱ熱ある」
 「だろうなぁ」
 「わかってんなら、保健室に行けってのっ!」

 ガタタタッ!
 教室にいた人間の何人かがこけた。

 「保健室だっ、保健室!」
 「わかってますって」

 保健室へ行くために教室から出て行く二人の背中を見送った3年6組の面々が正気を取り戻したのは、授業終了のチャイムが鳴ってからだった。
 「あれが当たり前に見える私って、けっこう毒されてんのかしらねぇ」
 そう言った桂木の呟きは、誰の耳にも届かなかった。




 「もうちょっとゆっくり歩いてくれる?」
 「なんかマジで身体熱くねぇ?」
 「さあ?」
 「…ほんっとに自分のコトにはドンカンだよなぁ」

 飽きれつつも、時任は久保田の身体を支えて歩いている。
 熱のせいか、久保田が真っ直ぐ歩けないからだった。
 廊下に出てから少ししてチャイムが鳴ったので、支え合うようにして廊下を歩いている二人には、痛いほどの視線が集中している。
 熱のせいか久保田の表情がいつもよりも気だるく見えるのと、らしくなく少し心配そうな顔をしている時任の間に流れる空気は、やはり教室の時と同じくピンクっぽかった。

 「時任」
 「何?」
 「ちょっと俺に付き合ってくれる?」
 「おとなしく保健室に行けっての!」

 時任は本気で久保田のことを心配している。
 そのことは、真剣な横顔からも簡単に知ることができた。
 けれど久保田は、強引に保健室とは違う方向に歩き始める。
 時任は病人相手に強行手段に出ることもできず、結局久保田について行くことになってしまったのだった。

 「ここって、音楽室じゃん」
 「そ、音楽室」
 「こんなトコになんの用があんだよ?」
 「うん。ちょっとね」
 「ちょっとじゃわかんねぇよ」

 音楽室は、席が階段式になっていて、上に行くほど高くなっている。
 一番上の席には、外からの日光が当たっていて暖かそうだった。
 「少しの間だけ、がまんしててくれる?」
 久保田はそう言うと、連なっているベンチ式の椅子に時任を押し倒した。
 「なっ、なにすんだっ、誰かが来たら・・・」
 「これ以上は、何もしないから」
 久保田は時任の上にのしかかると、そのままぐったりとした感じで時任に体重を預けた。
 「久保ちゃん重い」
 「うん」
 時任の胸の辺りに久保田の頭がある。
 久保田の息は熱のせいで苦しそうだった。
 「・・・・久保ちゃん。平気か?」
 「うん」
 「そっか」
 暖かい日差しが二人に降り注ぐ。
 時任は久保田の頭を軽く抱きしめて、その日差しを見つめていた。
 眩しいけれどほっとする。
 四時間目の授業開始のチャイムが鳴ったが、音楽室には誰も来なかった。
 この音楽室を使うクラスはなかったらしい。
 「なんか、静かだな・・・・」
 あまりに静かなので、時任はそう呟いた。
 静けさだけが二人を包んでいる。
 こうしていると、世界中に二人きりしかいないような気がしてきた。
 そんな風に感じると、身体に感じるこの重みがなんだか愛しくなってくる。
 日差しよりも暖かい、何よりも大切な人の身体の重さがまるで自分の世界の重さのような気がした。
 「久保ちゃん?」
 「・・・・」
 「おやすみ、久保ちゃん」
 苦しそうな息がすぅっと楽になっていく。
 久保田は時任に抱きしめられながら、眠っていた。
 久保田の寝息を聞いていると、時任の方もなんだか眠くなってくる。
 時任はあくびを一つすると、久保田の背中を優しくポンポンと叩いてから目蓋を閉じた。




 「・・・・んっ」
 
 四時間目終了のチャイムが鳴った頃、時任は小さく身じろぎする。
 チャイムの音で意識が覚醒してきたが、実は目が覚める要因は他にもあった。
 なんだか、首や鎖骨や胸の辺りが何かくすぐったい。
 「・・・・・!!」
 時任が驚いて目を覚ますと、間近に久保田の顔があった。
 「な、なにやってんだっ!?」
 「なにって、ねぇ?」
 良く見ると、時任の制服のボタンはお腹の辺りまで外されていた。
 胸は完全にはだけられていて、首から鎖骨、胸の辺りに向けて、無数の赤い痕がついている。
 それはどう見ても、キスマークというヤツだった。
 「ど、どーすんだよっ、コレっ!五時間目って、体育なんだぞっ!!」
 胸はまあいいしても、首と鎖骨はどうしても隠せない。
 一つ二つならごまかせるかもしれないが、その数は半端ではなかった。
 「き、消えんのって、結構時間かかんだぞっ」
 「知ってる」
 「ったくもおっ!!」
 まだ熱で潤んでいる久保田の瞳を見ると、本気で怒れない。
 久保田はそれを知ってから知らずか、時任の顔を覗き込んでゆっくりと微笑んだ。
 「ソレ消えたら、またつけてあげるよ」
 「・・・・見えないトコにしろよ」
 「見えなきゃ意味ないでしょ? コレ、所有印だからさ」
 「だったら、俺が久保ちゃんに付けてやるっ。絶対に消えないくらい」
 時任は久保田の制服のボタンを外すと、鎖骨の辺りに口付ける。
 舌で軽く肌をなどってから軽く吸い上げると、そこに赤く痕が付いた。
 一個付けると次が付けたくなる。
 舌で肌をなぞるのは、舌に残る肌の感触が癖になりそうだった。
 時任が久保田の鎖骨から胸にかけてキスを落としていると、久保田が時任の頭を抱きしめて髪の毛に顔をうずめてソコにキスをした。
 お互いにキスの雨を降らせながら、二人はその行為に没頭していく。
 誰も来ないのをいいことに、数え切れないくらいキスをした後、久保田は熱っぽい身体を時任の方へと倒した。
 「久保ちゃん・・・・熱が」
 「大丈夫。俺の熱は時任が吸い取ってくれるから」
 「・・・・・あっ」
 「一緒に熱に溺れてくれる?」
 「う・・・んっ・・・・」
 熱のせいか、いつもより久保田を感じる。
 浅い息を吐きながら、揺れる体を支えるように時任は久保田の腕に自分の手をからめた。
 「くぼちゃん・・・・」



 次の日、久保田の熱は見事に時任に伝染し、二人して学校を休むことになった。

 「久保ちゃんのせいだかんなっ!!」
 「俺だけのせいなわけ?」
 「ったりめぇだっ!」
 「いつもよりエッチな顔してたのになぁ」
 「ば、ばかいうなっ!あ〜、もうっ、また熱上がってきた」
 「俺もちょっと上がってきたかも」
 「がぁっ、情けねぇっ!」
 「たまにはいいでしょ、こういうのも」
 「いいわけねぇだろっ!!」


 穏やかで優しい、体温みたいな温度の恋もいいけどさ。
 もっと熱い、平熱以上の恋ってのもいいんじゃない?
 俺らの恋はきっと38℃くらい。
 迷って戸惑って、熱に浮かされるのが恋。
 そーいうもんだって思わない?

                                             2002.3.8
 「38℃」


                     *荒磯部屋へ*