出会いは偶然、別れは必然…。


 真夜中の公園でブランコにぽつりと一人座り、心の中でそう呟いた男は、はーっと白い息を口から吐き出す。そして、ここに来る前に自動販売機で買ってきた、もうすでに幾分、ぬるくなっていまっている缶コーヒーを握る手に力を込めた。
 ぎゅーっと握りしめて、それから、目の前の砂場を眺める。
 すると、どこからともなくやってきた一匹の白と黒の斑の猫が、サクリと砂を踏んで足跡をつけた。更にサクサクと足跡をつけて、自分を見ている人間の気配にピタリと動きを止める。
 しかし、砂場に来る気配がな事に安心したのか、再び動き出し、ちょこんと座ると前足で顔を洗い始めた。
 
 「やっぱ、ココで正解…」

 口に出してそう言った男は、年齢は24.5歳くらい。背は低くも高くも無く平均程度で、身体の方は男にしては細いが、中性的でも頼りない感じでもなかった。
 むしろ、その逆で徐々に砂場や至る所に現われ始めた猫達を見つめる真っ直ぐな視線は、揺るがない強い意志を感じさせ、細い身体は背筋と腕のラインを良く見ると意外としっかりとしていて、程良く筋肉がついている事がわかる。
 短く切りそろえられた髪も、釣り目で少しきつい感じのする瞳も色は黒。
 男の出で立ちはジーパンにスニーカー、パーカーにダウンジャケットというスタイルで、実はこの定番とも言うべきスタイルは、高校時代からあまり変わっていない。そして、男自身も少し背が伸びて大人の男らしい精悍な顔つきになってはいるが、集まりつつある猫を見て、さすが俺様と呟き笑った表情は、その頃のままだった。
 
 「よしっ、もう少し集まったら仕事開始だな」

 居るのは公園、目の前に猫…、そしてポケットの中には血統書付きの白い猫の写真。
 そんな状況の中に居る男の名は、時任稔。
 この公園から、それほど離れていない位置にある荒磯高校を7年前に卒業し、いきなり探偵社に見習いとして入社した人物である。つまり時任は今、探偵としての仕事をするために、こんな真夜中の公園にいるのだ。
 探偵社の所長から命じられたのは、居なくなった飼い猫を見つけ速やかに捕獲する事。
 それが時任の仕事だ。
 しかし、飼い主宅周辺、更に範囲を広げて聞き込みや捜索をしてみたものの、なかなか尻尾を見せない。こういう場合はあちこち無闇に探し歩くよりも、猫の集会の場所を探し出し待つ方が見つけ出せる可能性が高かった。
 「いち、に、さん…、しぃ〜…、ご、ろくとなな…と、結構集まってきたなっつっても、この中に探してるシロが居なきゃイミねぇんだけどさ」
 じーっと集会中の猫達を眺めつつ、時任は持っている写真と同じ猫を探す。
 すると、集まってきた猫達の中で、一匹だけ白の猫がいた。
 だが、良く見ると写真の猫と種類が違う。
 時任は写真を右手に、缶コーヒーを左手に握りしめながら、はーっと白い息を吐いた。

 「せっかく、集会の場所見つけたってのにハズレかよ。くそ〜っ、今日中に見つけてやるって啖呵切って出て来てんのに…っ」

 そうブツブツと時任は呟いたが、それは時任の都合で猫の都合ではない。
 ここで猫の集会があるからと言って、探している猫が参加するとは限らないのだ。
 もっと、遠い場所に居るかもしれないし、どこかの家にやっかいになっているのかもしれない。きまぐれな猫の行方を捜すのは骨が折れるが…、今は最悪の可能性だけは考えないで置く。
 飼い主は見つかると信じて依頼してきたのだから、依頼された時任も見つかると信じていた。
 だから、夜の冬の寒い公園で凍えながら、猫の集会に顔を出したりしている。
 そして、ここで見つからなければ、また別の集会に顔を出すつもりでいた。
 けれど、そんな飼い主と時任の想いが通じたのか、公園にある滑り台の影から、ひょっこりと小さな白い頭が覗く。そして、キョロキョロと辺りを見回した後、ちょこちょこと歩き、時任の前に姿を現した。

 「白い猫で、長毛で顔はくしゃっとした系で…、ラッキーっ。こいつビンゴだ」

 写真と現われた猫を見比べて確認した時任は、缶コーヒーと写真をポケットに入れると、ゆっくりと座っていたブランコから立ち上がり、白い猫との距離を測る。飼い猫だが怖がりでかなりの人見知りと聞いているので、いきなり近づくと逃げられるかもしれなかった。
 かなり注意しながら、猫の集会の邪魔をしないようにしながら、ゆっくりゆっくりと猫との距離を縮めて姿勢を低くする。気配を殺して、隙をついて猫を捕まえる事さえできれば、あとはベンチの横にあるカゴに入れるだけだ。
 
 「頼むから、逃げてくれるなよ〜…」

 そう祈りながら念じながら、時任は更に近づき猫を射程内に収める。
 しかし、飼い主に聞いていた通り、猫は怖がりな上にかなりの人見知り。
 耳をピクピクとさせると敏感に時任の気配を感じ取り、即座に逃げの体勢に入った。

 「ちぃ…っ! やっぱ網持ってくりゃ良かったっ!」

 猫は嫌いなのではなく、苦手。
 いなくなったペットを探して欲しいという依頼は犬や鳥、はたまたイグアナやべビ何ていうものまで来る事があるのだが、時任はなぜか猫を捕まえるのが一番苦手だった。
 もしも、探しているのが犬だったら、どんな犬でもすぐに懐いて連れ帰る事ができるのに、猫は懐くどころか警戒されてしまう事が多い。舌打ちした時任は走り出し手を伸ばしたが、猫は時任の手の間をすり抜けて逃走…。
 時任はその後を追ったが、猫の足は運動不足がちな家猫らしくなく、野良猫並みに早かった。猫は一度も立ち止まる事も振り返る事もなく、ダダーッと物凄い勢いで公園の外へと向かう。
 このままでは猫を発見しながらも、逃げられてしまう事は必至だった。
 
 「別に取って食わねぇしっ、お前を飼い主んトコに連れてくだけだしっ、だから落ち着けーっ、止まれぇぇっ!」

 そんな事を言っても、猫に通じるはずがない。
 だが、それでも逃げていく猫に向かって、そう叫ばずにはいられない。
 もしも、猫を追いながら叫ぶ時任の姿を、今も付き合いのある相浦辺りが見たら、そういう所は高校時代から変わらないよなーっと笑うだろう。相浦はプログラマーになりたいと専門学校へと行ったが、自作ゲームをゲーム会社に持ち込んで、卒業を待たずに就職してしまった。
 その時の自作ゲームは就職した会社から発売され大ヒットし、シリーズ化されている。
 確か今度出るシリーズの5が、予約受付中となっていたはずだ。
 実はそんな相浦と仕事が終ったら飲む約束をしていが、この分だと行っても逃げられた猫の愚痴を聞かせる事になりそうである。
 時任は網を持ってくれば良かったと、本日、二度目の舌打ちをした。
 だが…、なぜか逃げ出したはずの猫は公園から飛び出すのを思い止まり、まるで救いを求めるように入り口辺りにある黒いモノに向かって進路を変える。そして、その黒いモノのある位置まで到達すると、身体をすり寄せるようにしながら後ろに隠れた。

 「そ、その猫っ! 頼むから捕まえ…っ」

 猫が隠れた黒いモノ。
 それは同じ猫ではなく、黒いズボンを履いた人の足。
 その足の持ち主に向かって、時任はそう叫んだが…、なぜか捕まえてくれと最後まで言う事が出来ず、声も言葉も途中で小さくなって消える。そして、それと同時に走っていた時任の足は止まり、公園の入り口に立っていた人物の顔を見たまま、その場に固まった。
 
 「もしかして、仕事?」

 挨拶も無しに唐突に、時任にそう尋ねた人物は、見覚えのある黒いコートを着て…、
 相変わらず、かなり視力が悪いのにコンタクトにはせず、黒縁の眼鏡をかけている。
 眼鏡の奥の目は細く、背が高いのに猫背でひょろりとしているせいか、どこかのほほんとして見えるのも、そう…、相変わらずだった。
 記憶している姿と、最後にその姿を見た五年前の冬とあまり変わりない。
 変わったと言えば少し痩せたのか、顔の輪郭が少しシャープになったくらいか…。
 わずかに目を開き、驚きのあまり固まっている時任の目の前で、その人物…、
 高校時代に執行部で相方をしていた、そして、マンションの一室で同居していた久保田誠人は、必至で追いかけていたのがバカバカしくなるほど、あっさりといとも簡単に足元の猫を抱き上げ、腕の中に収めた。
 「猫は追うと逃げるから、捕まえたいなら寄って来てくれるまで待たなきゃね? ダメだから」
 「・・・・・・・・・」
 久保田は猫の頭を撫でつつ、のほほんとした口調で時任に猫の捕まえ方を伝授する。
 こんな風に会って話すのは五年…、正確には五年半ぶりであるにも関わらず、まるでそんな月日はなかったかのように…、
 そう、まるで高校の廊下で話す時のように、当時、暮らしていた部屋のリビングで話す時のような…、そんな様子で雰囲気で話して首をかしげた。

 「さっきから黙ったままだけど、どうかした?」

 首を傾げると同時に、そう言われた時任はビクッと肩を震わせる。
 そして、かすれた声で「別に、どうもしねぇよ…」と、ようやくそれだけを言った。
 もしも、本当にあの頃のままなら、こっちは必死だったのに簡単に捕まえやがってとか、色々と文句を言っていたのかもしれないが…、時任にとって会わなかった五年は長い。そして、二人で暮らしていたマンションに一人で暮らし始めてからの七年は…、もっと長かった。
 目の前に居るのが夢じゃないかと、そう思って疑ってしまうくらい。
 肩が震えるくらい、声がかすれるくらい…、動揺してしまうほど…。
 とても・・・、長かった…。
 夜、目を閉じて昔の夢を見ると、枕や毛布がしめっぽくなるほど…、

 誰よりも会いたくて…、誰よりも会いたくない…、そんな月日だった。

 なのに、久保田は時任が呆然としてしまうほど、あまりにも普通で…、
 それは、一緒に暮らしていた頃を思い出させて、とても懐かしく…、
 同時にとても切なく哀しかった。
 「あのさ…」
 「うん?」
 「その猫…、ウチで探してくれって依頼のあった猫だからさ。せっかく捕まえたトコ悪りぃけど、こっちに渡してくんねぇ?」
 「いいよ。別に通りかかっただけだし、足元に来たから抱き上げてみただけだから」
 「なら、カゴがあっちあるからさ」
 「あぁ、アレね」
 「俺だと逃げるから、そのまま頼む」
 「了解」
 時任は、まだ動揺していた。
 心臓もドクドクと激しく鳴っているのが、時任自身にもわかる。
 けれど、意外に普通に久保田と会話する事ができて、時任は連れて来てもらった猫をカゴに入れながら、ホッと軽く息を吐いた。
 別にケンカした訳でも、何でもないのだから…、
 本当は動揺などせずに、久保田のように話すのが普通。
 けれど、顔が笑おうとしても笑い損ねた感じにしまうのは、自分でもどうにもできない。なのに、そんな自分と違って無理無く、普通にしている久保田を見ると哀しくもあり憎らしくもあった。
 思い返せば、もしかしたら、いつもこんな感じだったのかもしれないと…、
 そう思い時任は、猫を収めたカゴを手に久保田を見つめる。
 久保田はいつも冷静で、騒いでいるのは自分だけ。
 だから、その温度差が二人の距離を遠くしてしまったのだと、五年半ぶりに間近で、あの頃と変わりない久保田を見て感じた。
 「・・・・猫、サンキューな。捕まえてくれたおかげで、無事に仕事済んだし」
 「うん」
 「俺はココに仕事だけど、久保ちゃんは散歩?」
 「そうね。ま、散歩みたいなモノかな?」
 「みたいなって、何だよ。ハッキリしねぇな」
 「じゃ、散歩兼野暮用」
 「ソレだと、わけわかんねぇしっ」
 「そう?」
 顔は笑い損ねたまま、けれど、話しているとあの頃のように話せるようになってきて…、それがほんの少しだけうれしかった。もう、あの頃には戻れないと知っているから、辛くて哀しいけれど、それでも久保田とあの頃のように話せる事がうれしい…。
 会いたくて会いたくなくて…、でも会ってしまえば…、
 やっぱり、あの頃のように傍にいたいと思ってしまう…。
 傍にいて、毎日、晩ごはんは何にするかとか、バカバカしいくだらない話をして…、
 あの頃のように…、二人で笑い合いたかった。

 傍にいられれば、それで良かった。

 けれど、そんな時任の想いを打ち壊すように、入り口の辺りから久保田を呼ぶ声がし…、
 久保田は目の前に居る時任から視線をはずし、声にした方を見る。
 時任もつられて同じ方向を見たが、すぐに俯き視線をそらした。
 公園の入り口に、久保田が立っていた辺りに居たのは髪の長い女で…、
 その女は久保田を「誠人」と呼びながら、こちらに向かって軽く手を振っている。
 すると、久保田はわかったと答えるように軽く手を上げて、五年半ぶりに訪れた時任との時間に終止符を打った。
 「それじゃ、呼ばれてるみたいだから…」
 「あぁ、うん…」
 「じゃあね」
 「・・・・・・・」
 じゃあ…と、まるでまたすぐに会えるような、そんな軽い別れを久保田に告げられ、時任は咄嗟に返事を返せない。同じように返事しようとしたのに、喉の奥に何か詰まって声が出なかった。
 けれど、久保田はそんな時任の返事を待つ事無く、女の方に向かって歩き出し背を向ける。背を向け歩き出し、振り返らず…、今度は何年後に会えるのかわからない。
 哀しくて切なくて会いに行けないから、こんな偶然にしか会えない。
 そう思うと無意識に伸びた時任の手が久保田のコートを掴み…、掴まれた久保田は引っ張られて歩みを止めた。
 「何?」
 「あっ、わ…、悪いっ。別に引き止めたかったワケじゃ…っ」
 自分の無意識の行動に驚いた時任は、慌ててコートを掴んでいた手をパッと離す。
 けれど、久保田は立ち止まったままで、すぐに再び歩き出そうとはしなかった。
 黙って前に立ち、俯いている時任をじっと見つめている。すると、さっきまで昔のように話せていたはずなのに、二人の間には気まずい空気が流れ始め、時任は軽く唇を噛んだ。
 あっちで呼んでるし、なんで…、早く行ってくれないんだろう。
 自分で呼び止めておきながら、そう思うのが本心なのか、それとも本心じゃないのか自分でもわからない。どうしよう、どうすれば…と、久保田に見つめられれば見つめられるほど、時任はパニックを起こして回らない頭で考える。
 けれど、心のように迷い行き場を失った手が、ふと、ジャケットのポケットにコツンと当たり、そこに入れていた物の存在を思い出した。
 ポケットに入れていたのは、自動販売機で買った缶コーヒー…。
 けれど、少し前に買ったので、生ぬるくなってしまっている。
 時任はほんの少し躊躇した後、ポケットの中に手を突っ込むと、缶コーヒーを掴んだ。
 そして、コーヒーを掴んだ手をポケットから勢い良く出し、久保田の前に差し出す。すると、久保田は少し首を傾げながら、差し出されたコーヒーに視線を落とした。
 「缶コーヒー?」
 「あぁ、うん…。猫捕まえたくれたから、お礼代わりにっつってもココに来る前に買ったヤツだから、俺の体温並で生ぬるいんだけど…」
 「ん〜…つまり体温並みってコトは、時任が保温してたんだ?」
 「保温っつーか、ずっと握りしめてたら逆に熱を奪っちまったカンジ…で、悪いんだけどさ」
 「丁度、喉が渇いてたトコだから、有り難く貰ってくよ」
 「マジでサンキューな」
 そんな会話の後で伸ばされた久保田の手が、差し出された缶コーヒーを受け取る。
 すると、その拍子にかすかに指が触れて、そこから伝わってきた冷たさに…、久しぶりに触れた感触に反応して肩が揺れた。
 「・・・・・・・っ」
 昔、握りしめた事がある、冷たく乾いた手…。
 けれど、その手はすぐに離れ、じゃ…と軽く振られた後、届かなくなった。

 「誠人ーっ、早く行かないと!」
 「はいはい、わかってますって」

 久保田を迎えに来たらしい女は、会話の調子からして随分と親しそうだった。
 実際、かなり親しいのかもしれない…、もしかしたら彼女だったりするのかもしれない。
 そう思いながら見る並び歩く二人の後ろ姿は、なぜか過去の自分達の姿とダブって見えて…、時任は久保田に触れた手を硬く握りしめた。
 遠ざかっていく背中の遠さに、握りしめた手の冷たさに…、
 声も無く言葉も無く…、ただ、冬の澄んだ空気の中に一人立ち尽くして…、
 捕らえられたカゴの中で鳴く、猫の声を聞いていると歯を食いしばらずにはいられない。
 握りしめた拳に力を込めて、強く歯を食いしばっていなければ胸の奥から…、瞳の奥から五年分の…、もしかしたら、それよりも前から降り積もり続けていた想いが零れ落ちてしまいそうだった。
 「ニャー…、ニャーニャー…」
 「これからウチに帰んのに…、そんなに泣くなよ」
 「ニャー、ニャー…」
 「頼むから…、泣くなって…」
 「ニャー…」
 「お前がそんなに泣くから…、なんか胸が、すげぇ苦しくて…、さ…」
 「ニャー…、ニャー…」

 「・・・・・・・・・・とっくに終ってんのに、なんで…、だろ」

 泣くなと言いながら、ポツリと雨のように頬をすべり地面を濡らすのは…、涙。
 耐え切れずに零れ落ちた涙は、一粒零れ落ちると止まらなくなって…、
 後から、後から次々に頬をすべり心を濡らし、ぼやけた視界の中に遠い日を見る。
 時任が探偵になりたいと言った時、頑張ってね…と言った静かな久保田の瞳。
 大学から遠いからと時任を残しマンションを出て行った…、振り返らない久保田の背中。
 会おうと思えばすぐに会えるのに…、一度も来ないせいで渡せなかった忘れ物のシャツ。
 会いたくて、何度も何度も会いに行ったけれど…、久保田の肩の隣には自分じゃない別の誰かの肩が並んで、唇噛みしめ二人の影を踏んだ。
 押し寄せてくる涙の海が、楽しかった思い出さえも飲み込んで…、
 すべてが涙の色に染まっていく…。
 何がいけなかったんだろう、どうすれば…、あの頃のままで居られたんだろう。
 どうして、あの頃のままで居られなかったんだろう。
 今まで、何度も繰り返してきた問いかけに答える声は無く…。時任は流れ落ちる涙を拭う事もせずに、握りしめた拳に…、久保田に触れた指先に額を押し付けた。

 「好き…だったんだ…。もう、ずっと前から好きで…、だからホントはずっと…、俺は相方なんかじゃなくて…さ…。なのに、なんで離れてからしか気づけなかったんだろ。なんで…、なんでっ、こんなに離れてから…っ」

 気づきたくなかった、こんな苦しさに…、
 気づきたくなかった…、こんな切なさに…、
 気づきたくなかった・・・・、こんな恋しさに・・・・。
 けれど、気づきたくなかった想いは、気づいてしまえば忘れられなくて捨てられなくて…、あの頃と何も変わらない部屋で一人、帰らない人を帰らないと知りながら待ち続けて…、
 気づけば・・・、こんなにも時が経ってしまっていた。

 「こんな情けねぇ姿見たら…、笑われちまうのに…。こんなの俺だってイヤなのに、なんで…、元気も勇気も出てこねぇのに…、いつも涙ばっか出てくんだろ」

 泣いて、泣き続けて…、そうしても何も変わらないのに…、
 あのマンションから出られない。
 一人きりになっても、誰も帰って来なくても…、
 気づかない内に深くなりすぎていた…、深すぎて気づかなかった想いに捕らわれて…、
 鳴き続ける猫と一緒に泣いた…。

「こんなコトになるなら、離れちまうくらいなら…、出会わなきゃ良かったのに…。出合いたくなんてなかったのに・・・」

 絶対にしたくなかった、絶対にしないと思っていた後悔をしながら…、
 その後悔の海の中に沈み込みながら、届かない手のひらを額に目蓋に押し付けて…、
 遠い日に触れた温かさを、そのぬくもりを…、それを伝えてくれていた優しい指先を想った。
 

                                                      2009.2.4

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