10月に衣替えが行われた頃には、まだ学生服を着ていない生徒はちらほらいたが、さすがに11月になると全員が冬服を着用している。 衣替え用に作られたポスターもすでにお役ゴメンになって、校内の掲示板からはずされていた。 季節の移り変わりも月日が流れるのも、やはり遅いようで経ってみると早いものだが、11月も半ばになると校内は別な意味で少々慌しくなってくる。 それは、もうじき12月になってしまうということが関係していた。 「す、すいませんっ、久保田先輩。ちょっといいですか?」 「うーん、ちょっとなら別にいいけど?」 時任と久保田が廊下を歩いていると、一年生と思われる女の子がそう話しかけてきた。 ちょっととか用事とか言っているが、その用事がなんなのかは誰の目から見ても明らかである。呼び出された久保田がすぐに戻るからと言って歩いて行くのを、時任は返事もせずに不機嫌そうな顔をして見ていた。 少し猫背気味な姿勢で女の子について廊下の先の人通りの少ない所まで行くと、久保田は女の子と向かい合って話しを始める。だがやはり、女の子が一方的に喋っているだけで、久保田は何も言わずにそれを聞いているように見えた。 それは時々見る光景だったりするが、今月の半ばに入ってから急激にその機会が増えている。 もしかしたらいつもは時任の居ないところで告白されているのかもしれないが、クリスマスが近いので焦っているのか、二人でいても久保田を目指して女の子達はやってくるのだった。 「…ったく、クリスマスはそういう行事じゃねぇんだっつーのっ」 らしくなくため息混じりにそう呟くと、時任は『ちょっとだけ待っててくれる?』と言った久保田の言葉を無視して廊下を歩き出す。それに気づいているのかどうかはわからないが、まだ女の子が必死に話しているのを久保田は聞いていた。 けれどいくら話を聞いていたとしても、ちょっとだけと久保田が言ったようにたぶんもうじき話が終る。でも、わかっていてもそれを待っていたくなくて…。 時任は二人から目をそむけるように、歩いてきた逆の方向に振り返って背中を向けていた。 男として女の子にモテる久保田に嫉妬する気持ちがあったり、女の子に用事があると呼び出されて断らないことにムカツク気持ちがあったりはしたが…。 こうやって告白されている久保田を間近で見てると、もっと別の嫌な感じがしてくる。 けれど、その嫌な感じが何かと言うことを考えることは出来ればしたくなかった。 そんな風に曖昧な嫌な感じを抱えて、11月にしてはかなり冷たい廊下の空気の中を歩きながら、生徒会室に行こうかどうしようかと時任が迷っていると、突然、背後から聞きなれた声が聞こえた。 「年寄り臭いわねぇ、背中が曲がってるわよっ」 そう言って時任の背中をバシッと叩いて来たのは、同じ執行部の桂木ではなく保健医の五十嵐だった。五十嵐はこの寒い廊下でも寒さを感じていないのか、スカートがミニな上に首の部分も胸の辺りまで開いている寒そうな格好をしている。 そんな五十嵐の格好を見た時任は、ますます寒そうに身を縮めた。 「見るだけで寒ぃから視界に入んなっ! このヘンタイ校医っ!!」 「寒いからこそ、身もココロも熱くさせてあげようとしてんじゃない。それがわからないのは、やっぱりアメーバだからかしらぁ?」 「誰がアメーバだっ、誰がっ!!!」 「まあいいわ、とにかく一緒にいらっしゃいっ」 「はぁ? なんで俺が行かなきゃなんねぇんだよっ! 放せっ、クソババァ!」 「おとなしく来いつってんだろっ、このクソガキっ!」 クソババァの一言にムカッとした五十嵐は男声で怒鳴って、時任の耳をギリギリと引っ張って自分のテリトリーである保健室に連れて行く。その様子を見てしまった廊下にいた何人かの生徒達が、驚いたような顔をしてそんな二人を見ていた。 執行部の時任が表向きは優しい保健のお姉さんである五十嵐に、ズルズルと引きずられていく様子は確かに見ものかもしれない。 時任を保健室の中まで引きずって行くと、五十嵐はようやく時任の耳から手を離した。 すると時任は、少し赤くなった耳をさすりながら五十嵐に反撃しようとする。 しかし五十嵐はそれ無視してコーヒーを入れると、何を思ったのか時任の前に差し出した。 「な、なんのマネだよっ? いつもは久保ちゃんのしか入れねぇクセにっ!」 「いいから、ちょっと座んなさいよ」 「なんで?」 「わからないなら、今の自分の顔を鏡で見てみる?」 「・・・・・・・・」 五十嵐の言ったことに心当たりはあった。 けれど心当たりはあっても、顔にまで出ているつもりはなかったのである。 そのことが少しだけショックな気がして、時任は自分の顔を軽く両手で撫でた。 自分がどんな顔をしてしまっているのかはわからないが、きっと鏡で見たくないような顔をしていことだけはわかっている。 時任はおとなしくコーヒーを受け取ると、丸い椅子に座ってそれを飲み始めた。 すると五十嵐は自分の机の椅子に腰かけて、同じようにコーヒーを飲み始める。 そうしてしばらくの間、二人とも何も言わずにコーヒーを飲んでいたが、カップを机の上に置いてから五十嵐がゆっくりと口を開いた。 「そんな顔しなくっても、久保田君は誰とも付き合ったりしないわよ。クリスマスが近いからって、即席彼氏になるのはらしくないでしょう?」 「…そんなのは当ったり前だろっ」 「当たり前だってわかってるなら、そんな顔する必要ないんじゃない?」 「・・・・・・うるせぇよ」 「久保田君のこと、信じてあげられないの?」 五十嵐は久保田のことが好きで狙っているはずなのに、時々、こんな風に時任に話をすることがある。なぜそんな風に言うのかはわからなかったが、久保田の隣りにいる時任を無視して告白する女の子達と五十嵐は違っていた。 けれどそれは五十嵐が色んなことを知っていて、女の子達は何も知らないからなのである。 だから当たり前だからそれに悩む必要はない。 いつも久保田は自分のことを好きだと言ってくれていて、悩む理由なんてどこにもなくて…。 さっきみたいに告白されても、すぐに戻るからって言ってくれてて…。 それなのにさっきのように女の子が久保田の前に立つと、どうしてもその女の子の顔や胸をじっと眺めてしまっている自分がいた。 冗談か本気なのか巨乳が好きだと言ってたから…、告白してきた子の胸が小さかったらホッとしたり…。 顔を見て猫っぽいとかそうじゃないとか、考えてみたり…。 そんなのを考えるのはくだらないってわかっていても、そうして考えてしまってる自分がいる。 久保田が告白してきた女の子より自分を選ぶことを、良くわからない不安を感じながらもちゃんとわかってるのに…。 けれど本当に一番嫌なこと…、胸の中にある嫌な感じはそんな女の子達に自分が優越感を感じていることだった。 好きだと言ってくれる久保田の言葉を信じてるけれど、その信じてるが告白する女の子達を見ていると嫌な優越感に変わって…、それを感じていると自分が嫌になる。 告白してもムダなんて、そんな風に思っている自分が嫌いだった。 自分も女の子も久保田のことを好きには変わりなくて、その想いを無駄だなんて言い切りたくないのに、久保田を好きだから無駄だって思いたい。 正反対の気持ちが心の中を掻き乱して、嫌な感じばかりが胸に残った。 「なぁ、五十嵐…」 「なぁに?」 「まだ俺って、すっげぇカオしてる?」 「してるわよ」 「治したいのに治らねぇ…、なんでだろ?」 「治し方はきっと久保田君が知ってるわよ?」 「・・・・・久保ちゃんが?」 五十嵐はそう言ったが、今の顔を久保田に見られたくなかった。 きっと嫌な感じがしてるみたいに、嫌な顔をしてしまってるから…。 そんな顔をしてる、自分の嫌いな自分を見られたくなかった。 好きだって言って言われてそれだけで十分のはずなのに…、ふとした瞬間にそれが嫉妬とか優越感に変わって…。 好きだって気持ちだけで一杯だった心が、じわじわと嫌な感じに侵食されていく。 だからあれ以上、どうしても久保田と女の子を見てはいられなかった。 逃げるつもりはなかったのに、足が反対の方向に向かって歩き出したのはそのせいで…。 こうやってここにいるのも、たぶんそのせいだった。 考えたくなかった嫌な何かは…、自分を嫌っている自分の中にあったから…。 飲まずにカップをぎゅっと握っていたら、暖かかったコーヒーが段々冷たくなってきた。 それでも時任がカップを握りしめていると、保健室のドアが音を立てて開く。 ドアを開けたのは、さっきまで女の子に告白されていた久保田だった。 「すいません、ウチの子来てます?」 「あらぁ、いらっしゃいっ。久保田くぅんっ」 時任は久保田の姿を見た瞬間、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がると、こちらに向かって歩いて来ようとする久保田の横をすり抜けて保健室から出て行こうとする。 だがそうしようとした所を、久保田の腕に抱きしめられて捕まえられてしまった。 「どうして逃げるの?」 「…一人になりたい時くらい、俺にもあんだよっ」 「どうして一人になりたいのか、教えてくれたら放してあげるよ?」 「・・・・・・・・」 「答えられない?」 嫌な顔をしているからそれが治るまで、久保田のいない所で一人でいたかった。 だが、久保田は知られたくないその理由を言えと言う。 こんな嫌な顔をして嫌な気持ちを久保田に話すなんて、そんなことできないのに…。 抱きしめている久保田の腕は、いくら暴れても外れたりしなかった。 「五十嵐せんせ、すいませんけど…」 「この借りは高くつくわよ?」 「割引きにしてくんない?」 「もうっ、しょうがないわねぇ。三割引きにしとくわ」 「五割」 「四割ね」 「了解デス」 そんな風に意味不明なやり取りをした後、五十嵐が肩をすくめて保健室を出て行く。 時任はまだ腕から逃げようとしていたが、久保田はそんな時任をベッドまで連れて行って無理やり寝かせるとその上から押さえ込んできた。 押さえ込まれた体勢で顔を覗き込まれたので、時任は右手を伸ばして久保田の目を覆う。 すると久保田はその手を避けようとせず、自分の手をその上に重ねた。 「このままだと何も見えないけど?」 「見えなくていい…」 「どして?」 「今は見られたくねぇから、久保ちゃんに…」 「理由はやっぱり答えられない?」 「…うん」 そう言いながら右手で目を覆ったまま左手を頬に手を伸ばすと、久保田の身体が時任の上に重なるように倒れてくる。すると時任はベッドに転がったままで、いったん久保田から手を離してから…、再び両腕を伸ばして久保田の背中にゆっくりと手を回した。 「久保ちゃん…」 「なに?」 「好き、すごく好きだから…」 「うん…、俺も好きだよ」 好きだって言って、顔を見られないようにしっかりと肩口に顔を押し付けて…。 そして心の中で、何度も何度も好きだって言って強く久保田を抱きしめた。 誰にも負けないくらい好きだから…、嫌な自分に負けたくなくて…。 好きだって気持ちだけを胸に一杯、何も入る隙間がないくらい詰め込みたかった。 たとえ嫌な自分を認めなくてはならなくても、譲れないから…。 どうしても今感じている気持ちは譲れないから、嫌な自分に目を閉じてはいられない。 嫉妬してても、優越感に浸ってても…、そんな自分を嫌いになっても…。 好きだって気持ちは譲れなかった。 一番好きな人を想う気持ちをこうやって抱きしめていたいから…、どうしてもダメだった。 だから好きだって気持ちをたくさんたくさん…、詰め込まなくてはならなかった。 「もう見てもいい?」 「…ダメ。たぶんまだイヤな顔してっから…」 「イヤな顔?」 「嫌いなカオ」 「時任が嫌いでも、俺は嫌いじゃないから見せてくれない?」 「・・・・・・・・・」 「俺の好きを甘くみないで欲しいんだけど?」 「・・・・・・・・・」 「時任」 そう言われて時任が腕の力を緩めると、久保田の身体がゆっくりと起き上がった。 そして途中で止まって、久保田の顔を見上げている時任の顔を覗き込む。 久保田がどうするか時任がじっと様子を見ていると、久保田は優しく微笑んで時任の目尻にキスを落とした。 「…久保ちゃん?」 「イヤな顔なんてしてないよ」 「・・・・イヤな顔じゃないなら、どんな顔?」 「俺の好きな顔」 「バーカ…」 君を好きだって気持ちはワガママで、いつでもどこでも君の一番になりたがってる。 だから嫉妬して、嫌な優越感に浸ったりするけど…。 そんな嫌な気持ちを、嫌な顔をしながら心の中に溜めていたいワケじゃない。 心の中にたくさんたくさん詰めていきたい想いは、君を好きだって気持ちだけで…。 本当は…、本当にそれだけだから…。 君を好きだって…、それだけで胸の中が一杯になるまで叫んでいたい。 ずっと、ずっとそれだけを…。 |
2002.11.15 「11月」 *荒磯部屋へ* |