クリスマスキャンドル.1
「じゃ…、行って来るから」
そう言った久保ちゃんの声を聞いてから、たぶん40分くらい…。
俺はまだベッドの毛布の中にいる。
ううぅぅぅ…、眠い…。
果てしなく眠い…っ、とことん眠い…っっ。
けど、今日はちゃんと昼までには起きるって決めてた。
だから、重い目蓋に力を入れて気合いを入れると、バシッと毛布を跳ねのける。
そして、目を開くと勢い良くカバッと起き上がったっ。
「・・・・・・ちょっち寝すぎたけど、予定通りっ!」
起き上がった瞬間に見た時計は…、14時10分。
お、思ったよかかなり時間過ぎてたけど、まだまだ余裕で問題ナシっ。そんで何が予定通りなのかっつーと、それはまだヒミツ…って言っても、それはバイトに行った久保ちゃんにだけ。
今日は12月24日。
そして、久保ちゃんの誕生日は8月24日…。
ずっと後になって…、12月初めに葛西のおっさんから聞いて知った久保ちゃんの誕生日は4カ月も前だったけど、新聞に入ってるクリスマスケーキの広告とかコンビニに置いてあるパンフとか、そういうのを見てるとケーキが買いたくなって…、
何ヶ月も過ぎていきなりケーキってのはヘンだけど、クリスマスにケーキ買うならフツーだし、なんかいいかもしれない。そう思ってついでにクリスマスしようと思って計画立てたら、なんかスゴク楽しかった。
「ケーキはセブンで予約ってるし、チキンはケンタのクリスマスパック…。そんで、晩メシにはスパゲティーとサラダ…っ、カンペキじゃんっ!」
やっと起きて着替えてから、玄関の鍵を握りしめて買うモノをチェックする。
最初にスーパーにいって、その次がケンタで最後にセブン。
雪が降ってっから少し時間かかりそうだけど、暗くなる前に帰ればオッケーだよな。
とか言っても…、久保ちゃんがいつ帰ってくるのかは不明だけど…。
今年の冬に買った白いコート着て、マンションの外へと出た。
「うわっ、すっげぇ寒…っ」
今年は、なんかマジで寒い…。
去年のコトを思い出してみると、今年ほどじゃなかった気ぃする。
でも、それより前のコトはやっぱ思い出せねぇし良くわかんねぇ…。久保ちゃんに会ったのは冬で、それからまた次の冬が来たけど…、
他のコトは色々と変わっても、それだけは何も変わらなかった。
指先が冷たくてギュッと手を握りしめると、片方だけ皮手袋をはめてるから感触が違って、しかもその中には人間じゃない手がある。それさえなかったらって何度も思ったけど…、これがなかったら俺はココにはいないのかもしれなかった。
・・・・・・・久保ちゃんのそばに。
でもだからって、時々痛む右手を忘れるコトはできない。
この手のコトを…、無くなった記憶と同じように忘れたコトなんて一度もない。
けど、今は右手の痛みに足を止めるよりも、もっと歩いてスーパーとかケンタとか、セブンとかに行くコトの方が大事だし重要だった。
別にクリスマスくらいでって、言ったら笑われちまうだろうけど…、
ギュッと右手を握りしめたままでいると、そういうキモチがもっと強くなる。
また、来るかもしれない…。
もしかしたら、もう来ないかもしれないクリスマスにギュッと右手を握りしめてると、握りしめた分だけ胸の奥が苦しかった。
「来年は…、絶対に誕生日もケーキ買うって決めてんだからな」
白い息を吐きながら誰に言うでもなく、そう言って握りしめた右手を開く。
でも、こういう時の胸の苦しいカンジは久保ちゃんと一緒にいる時しか完全にはなくならない。どんなに歯を食いしばっても、一人じゃ消えない…。
だけど、せっかくのクリスマスだし下を向いて歩くのは性に合わねぇから、視線を上げて楽しいコトだけを…、久保ちゃんのコトだけを考えて歩いた。
「今日中に帰って来なかったら、ブン殴るっ」
そう言って握りしめた拳は、さっきみたいに苦しくならない。だから、いっぱい久保ちゃんの悪口言ってやったら、朝起きた時の気分が戻ってきた。
それに、これっくらい悪口言っとけばクシャミがひどくて早く帰ってくるかもだし、のんびりしてる場合じゃねぇしっ、早く買いモノして帰って準備しなきゃだよなっ。
今日はクリスマス…、正確にはイブ…。
右手を握りしめて人ごみに紛れて予定通りのモノをちゃんと買って、途中でクリスマスツリーの前で迷ったりしながら街を一人歩く。
けど一人で歩いてても…、俺は一人きりじゃなかった…。
今日のバイトの目的地に向かう俺の右手にあるのは、目立たない茶色い紙袋。
でも、その中にあるのはたぶん持ってると目立つ拳銃…。
いつもみたいに中華鍋だって言って渡されたけど、俺はそれを知ってる。
そして、コレを渡した鵠さんも俺が知ってるコトを知ってる。
けど、いつも鵠さんは何も言わないし、俺も何も聞かなかった。
別にそう約束したワケじゃないけど、そういう成り行きで無言の契約。理由は知っていても聞いてなければ、何かあった時も何も知らないってコトで通せるから…。
コレは建前っていうより、精神的な問題。
完全なウソでなければ、それをつき通せる人間は完全なウソの場合より高くなる。配達の途中の道で偶然、通りかかった葛西さんに声をかけられた俺は茶色い紙袋を持ったまま立ち止まった。
「こんな所で会うなんて奇遇だなぁ。もしかして、散歩?」
「…なワケねぇだろ。事件だ、事件」
「例の?」
「いや、普通のコロシだ」
「フツーの、ねぇ」
「そーいうお前は、こんな所で何してんだ?」
「フツーの散歩」
「ふーん…」
「なに?」
「まぁ…、別にいいけどな」
葛西さんは運びの事までは知らないだろうけど、何か気づいてはいる。それでも何も言わないで放任してくれてるのは、俺の持ってる性質みたいなもの…、そういうのを刑事の勘ってヤツでわかってるせいなのかもしれなかった。
いつだったか止められるモンなら最初から止めてたと、一人言のように葛西さんが小さく呟いたのを、始めて警察沙汰になった事件を起こした時に聞いたコトがある。その後で俺が謝ると葛西さんは俺の肩を軽く叩いて、 『そういう目じゃなくて、もっと腐った目でもしてやがったら、思い切りブン殴ってやれたんだがな』と言って苦笑していた。
こういう生き方しかできないのか、こういう風にしか生きられないのか…、
それとも初めから生きてなんていないのか、それは俺自身にもわからない。
けど、その日が穏やかで何事も無くて平凡であればあるほど、ピントのズレた写真を見てるようでどこか現実味がなかった。
マンションの401号室で…、時任と二人でいる時のように…。
意外にあっさりとすんなりと一緒に居る事には慣れても、そんな穏やかさには慣れない。無邪気すぎる笑顔も真っ直ぐすぎる瞳も、俺には縁のないものだった。
それに温か過ぎるぬるま湯のような時間は、感覚を鈍らせる。
その証拠に配達の途中、出来れば避けたい事件現場と葛西さんに出くわした。
そんな事をぼんやりと考えながら葛西さんと事件のコトとか色々と話してたけど、ふいに話題が事件から俺の持ってる紙袋へと変わる。配達途中の紙袋の中には、相変わらず拳銃とオナジ重さの中華鍋が入っていた。
「その紙袋…、もしかしてプレゼントでも入ってんのか?」
「プレゼント?」
「今日はクリスマスイブだろ? だから、時坊にプレゼントでも買ったのかと思ったんだが…」
「あぁ、そう言えば今日は12月24日だったっけ」
「なんて言ってるって事は忘れてたな…、お前」
そう、葛西さんにガリガリとこめかみを掻きながら言われるまで、今日がクリスマスだと気づかなかった。けど、バイトの帰りにプレゼントか何かを買って…と思いかけて、ふと脳裏に浮かんできた時任の笑顔に苦笑する。
これ以上、俺は何をしようとしてるのか、
これ以上、何かしてどうするつもりなのか…、
何度、呟いても出ない疑問を胸の奥で繰り返しながら、そんな胸の内を口元に浮かべた笑みで誤魔化した。手に持ってる紙袋の中身と…、同じように…。
すると、葛西さんは俺の顔を見てふーっと深く長く息を吐いた。
「ま、色々あるんだろうが、今日は早く帰ってやれ。今日に限らずアイツは…、ずっとお前の帰りを待ってるんだろ?」
「・・・・努力はするよ」
「いくら懐いてても、あまりつれなくしてると逃げられるぞ」
「もしも逃げるなら、別に止めないけど?」
「そう言いながら、アイツがいなくなったら寂しいクセによ」
最後にそう笑いながら言い残して事件現場に向かって歩き出した葛西さんに、俺は何も答えなかった…。
今はその問いに答えるよりも、手に持った紙袋を届ける事が重要で…、
それが俺のシゴトで生活するための収入源…。
だけど、今日がクリスマスだと知るとプレゼントじゃなく、中華鍋の入った紙袋が重くなる。受け渡し場所へ向かう足は重くなった紙袋とは反対に遅くならずに、無意識に自然に早くなったけれど…、マンションに戻るまではまだ時間がかかりそうだった。
買い物から帰ってしばらくして、俺はリビングにあるテーブルの前に立つ。
すると、そこにはイチゴの乗ったクリスマスケーキとチキン。
そして、今日の俺様自信作のスパゲッティーとサラダがある。
さすがにクリスマスツリーは断念したけど、準備はカンペキっ!
あとは久保ちゃんがバイトから帰って来るのを、じっと待つだけだった。
べつにフツーに晩メシ食って、ついでにケーキとか食うだけだけど、なんかさっきからドキドキする。イスに座ってテーブルにひじをついて、足をブラブラさせながら時計を見てると待ってる時間が長くカンジられた。
「早く帰って来ねぇかなぁ…」
いつものみたいにゲームでもしながら待ってれば、少しは時間が早く過ぎるかもしれない。でもなんか落ち着かなくて、そういう気分にならなかった。
しかも目の前に並んでる食いモノ見てると、腹が鳴るし…、
うー…、マシで腹減った…。
待ってる間にちょっとくらい…ってフォークに手を伸ばしかけたけど、ぐぐっとガマンして手を引っ込める。やっぱ久保ちゃんと食うために準備したし作ったし、二人じゃなきゃイミねぇもんなっ。
久保ちゃんが帰ってきたら、電子レンジに入れてあっため直そ…。
そう思いながら机に突っ伏して、またと時計を見る。
それから…、小さく息を吐いた…。
「俺が餓死したら、久保ちゃんのせいだかんな…」
なーんてのはジョウダンで、別に一食抜いたくらいで餓死はしねぇけどさ。
いっつも思うけど、待つって長げぇよ…。
一人でいる時間も…、長くて…、
あるコトないコト考えて一人でいると気分が、ユラユラと浮いたり沈んだりする。この部屋に俺はいても良くて、けどそれがわかってても一人だといても落ち着かなかった。
でも、そーいうのは俺だけだよな…、きっと…、
きっとじゃなくて…、絶対。
自分でそう言いかえて、また小さく息を吐いた机の上に沈んだ。
けど、こんなカンジも久保ちゃんが帰ってきた瞬間に消える…。
きっと…、あと少し…。
でも、ちゃんとカンペキだったはずなのに、一つだけ買い忘れたモノがあった事に気づいて、机の上からガバッと起き上がった。
「あー…っっ、シャンパン忘れたっ!!」
それに気づいた俺は、外から帰った時に脱いだコートをまた着る。
そして、部屋を出てコンビニに向かった。
べつに冷蔵庫にあるコーラとかでもよかったけど、今日はクリスマスだもんなっ。
けど、マンションとコンビニとの間にあるアスファルトの道を渡ろうとした時、目の前に小さな白い何かがヒラヒラと落ちてきた気がして…、
ふと、上を向いて足を止める…。
すると、その瞬間に口元に何かが押し当てられて、意識が遠く遠くなった…。
くぼ…、ちゃん・・・・・・・。
遠くなっていく意識の向こうで…、コンビニの明かりがユラユラ揺れる。
明かりが揺れて…、滲んでいく…。
それがなんか、ケーキの上に立ってるロウソクの明かりみたいで…、
・・・・・・すごくキレイだった。
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