姫君にキスを.11
「…行ってくる」
そう言って名残りを惜しむように離れていった時任の指が、今も久保田の指先に暖かさを残していた。三宅に傷つけられて泣いている時任を抱きしめることもせずに、ただシンデレラの劇に向かう時任の後ろ姿を見送っていまっていたが、時任を抱きしめたくなくなった訳でも、キスしたくなくなった訳でもなかった。
倉庫で三宅に組み敷かれている時任を見た瞬間、感じたのは嫉妬だとか怒りだとかそんな単純な名前で呼べないほどドス黒い感情で…。
その感情は殴るだとか蹴るだとか…、それくらいで収まったりするほど簡単なものではなかった。
それくらいですむくらいなら、もう二度と時任に触れさせたりなんかしないし…、離すことすら許したりはしない。けれどそれでは終らなかったから、泣いている時任を抱きしめないで舞台に上げた。
また時任を、傷つけることになるとわかっていながら…。
結局は時任を想う気持ちも、こうやって三宅に復讐しようとするドス黒い感情も…、独りよがりで身勝手でしかなくて…。
それをわかっていながら、止められない自分を自嘲しながら冷たく見つめるしかなかった。
三宅の手が腕が時任に触れることが許せないのに…。
こうやって、じっと舞台のそでで殺意に似た感情を一人で紡いでいる。
時任のためではなく自分自身のために…、じっと何かに耐えるように前を見つめながら、久保田はシンデレラの物語が進行するのを待っていた。
「…本当にこのままでいいの?」
舞台そでに引っ込んで時任がシンデレラの衣装に着替え終わると、暗い瞳で時任を見つめていた久保田に、そう五十嵐が声をかける。
だが久保田は、口元に歪んだ笑みを浮かべただけで何も答えない。
それは五十嵐に言われるまでもなく、今から舞踏会のシーンが始まることを知っていたからだった。
見つめる久保田の視線に時任は気づいたようだったが、何を想っていたのかはわからない。
けれど、その瞳は久保田を見て哀しそうに揺れていた。
何も言わずに…、じっと久保田だけを見つめながら…。
舞台で舞踏会のシーンが始まってしばらくすると、久保田はようやく椅子の横から立ち上がって歩き出す。そして、舞台の様子が良く見える場所まで来ると立ち止まった。
すると場面はちょうど王子とシンデレラが踊るシーンで、時任が三宅に手を取られて踊っている。
そんな二人を、久保田は凍りつくような瞳で眺めていた。
「どこまでだったら許せるっていうより…、どこまで許せないかってカンジかもね」
独り言のようにそう久保田が呟くと、ちょうど久保田と同じように舞台を見にきた五十嵐が小さく息を吐く。だがそれはため息ではなく、息苦しさに思わず息を吐いたように感じられた。
五十嵐の息苦しさは、時任を想うあまり久保田の心が窒息しかかっているのを感じてしまったせいかもしれない…。どこまでも際限なく続く想いは、光の届かない深海に沈み込んだ時のように息が出来なくなるほど深くて…。
だからこんなにも、胸を苦しく痛くさせているのかもしれなかった。
そんな久保田を見ていた五十嵐は、視線を三宅と踊ることを嫌がっている時任に移す。
そして軽く右手でこめかみを抑えてから、再び久保田の方を見た。
「久保田君…。もう、これくらいにした方がいいんじゃないかしら?」
「これくらいって?」
「そろそろ限界でしょう?」
「…時任が?」
「違うわ…、あなたの方がよ」
五十嵐がそう言うと、久保田は暗い瞳のまま口元にうっすらと笑みを浮かべて、手に持っていたノートのページをパラパラとめくる。
中に書かれている内容を読むわけでもなく、自分の中にある苛立ちを誤魔化すように…。
けれどその手は、時任が三宅の腕から逃れて走り出した瞬間に動きを止めた。
十二時の鐘が鳴ったからという理由ではなく…、シンデレラが舞踏会を抜け出そうとしている。
このまま何事もなく場面が終ると思っていたのに、これは予想外の展開だった。
久保田がめくっていたノートを閉じると、舞踏会の場面を終えた桂木が慌ててやってくる。
意地悪な姉の衣装のままで久保田の前まで来た桂木は、鋭い視線で久保田を睨みつけた。
「何があったか知らないけど、時任がああなってるのはあんたのせいでしょっ! こんなとこで何やってんのよっ!」
「何やってるかって言われても困るんだけど?」
「もしかして、私の言ってることが間違ってるっていうつもりなの?」
「…いんや、違ってないよ。ただの少しもね」
三宅に追い詰められていく時任を見ながら久保田がそう言うと、思い切り眉をしかめて桂木がもう一度、じっと立ったまま動かない久保田を怒鳴りつけようとしていた。
けれど桂木がそうするよりも早く、久保田は手に持っていたノートを桂木の前に差し出す。
そのノートは久保田のノートではなく、さっき保健室で手に入れたものだった。
「このノートは桂木ちゃんに任せるから…」
「まさかこれって…」
「もう少し待つつもりだったけど、これ以上は限界だしね」
「・・・・・どうするつもりなの?」
「んー、そうだなぁ。とりあえず、お姫サマの強奪」
「劇をぶち壊す気なのね?」
「悪いケド」
「ホントは最初から壊す気だったクセに、悪いなんて良く言うわね」
「お姫サマが王子サマと恋に落ちるなんて、ありきたりすぎて面白くないっしょ?」
そう言った久保田の口元には笑みが浮かんでいたが、目は少しも笑ってなどいない。
限界というのは冗談でもなんでもなくて、紛れもない事実だった。
打算とか計画とかそんなものがあったとしても、圧倒的に強い感情の前では無意味になる。
感情のままに行動することが、人間的なのかそれとも動物的なのか…。
どっちなのかはわからなかったが、今、この瞬間に胸の奥から沸き起こっている感情がすべてを上回っているのは確かだった。
ただ一人だけを恋する想いは、ワガママで独りよがりで…、強欲で…。
だから時任が誰をどう思っていようと…、時任に触れようとしているのが誰だろうと関係なかった。
たとえそれが何もであろうとも…、時任に触れるなら…、時任を奪おうとするなら…。
時任の意思に関係なく、その相手は敵で排除すべきモノ以外の何ものでもない。
そんな風に感じしている自分を自嘲しながら、きっとそうして何もかもを打ち壊して…。
自分だけしか時任の瞳に写っていないことに、自己満足したいだけなのかもしれなかった。
「もし全部壊したりしたら…、きっと怒るだろうけど…」
久保田はそう呟きながら、シンデレラの登場人物ではないのに舞台に上がる。
そして前を見ると階段で転んだ時に足をくじくかどうかしてしまってらしく、ガラスの靴を落としたシンデレラが階段の下でうつむいてしまっていた。
動けなくてくやしそうに唇を噛みしめているシンデレラに、微笑みながら王子が腕を伸ばしていく。
久保田は観客のざわめきを聞きながら、シンデレラのストーリーをぶち壊しにかかった。
このままどうすることもできないなんて思いたくないのに、痛む足は全然動いてくれなくて…、時任はくやしさを込めてぎゅっと拳を握りしめていた。写真のことがあっても三宅の思い通りにされて泣き寝入りなんてしたくないのに、いくら考えても何も浮かんでこない。
もう写真なんてどうでもいいから、ここで三宅を殴り飛ばそうかと思ったが、そう思った瞬間にすぐ近くから聞きなれた声が聞こえてきた。
「迎えに来るのが遅れてゴメンね」
時任がその声に思わず視線を上げると、そこにはシンデレラの登場人物ではいなはずの久保田が三宅の腕をねじり上げて立っていた。
登場人物以外の人間の登場に、体育館に集まっている観客からもざわめきが起こっている。
だが久保田は平然として様子で、冷笑を浮かべながら痛そうにしている三宅を眺めていた。
「お姫様は俺が送るんで、王子サマはさっさとお城に戻ってくれます?」
三宅の手を離してから観客に聞こえるように久保田がそう言うと、三宅は痛そうに手をさすりながら突然現れた久保田を睨みつける。倉庫の時はさすがに状況が不味かったので大人しくしていたが、時任の弱みを握っている強みからなのか久保田に向かって強気な態度を見せた。
「俺はお前に命令されるような覚えはないっ!」
「あれぇ、命令なんてしましたっけ?」
「それに、さっさと帰るのは登場人物じゃないお前の方だろうっ!」
「なんて言ってても王子様は舞踏会の途中だし、第一、送ろうにもこのコの家なんて知らないっしょ?」
「た、確かに家は知らないがっ、それはお前だって知らないだろう?」
「知ってますよ、このコのことならなんでもね?」
「…お前は一体っ、何者なんだ!」
「あー、俺ですか? 俺はただの通りがかりのお城の庭師ですよ、王子サマ」
口元に冷ややかな笑みを浮かべて三宅にそう言うと、三宅から奪い取るように時任を抱き上げる。そして何事かと観客が見守る中、久保田はゆっくりと歩いて舞台そでに入った。
一人舞台に残った三宅がシンデレラのストーリー通りにガラスの靴を拾って、舞踏会でのシーンが終了したが、客席のざわめきが止まずに続いている。
時任はそんなざわめきを聞きながら、自分を抱き上げて運んでいる久保田を見つめた。
さっきまで三宅が目の前にいて、動けなくてもうだめだと思っていたのに…。
今はこうして久保田が抱き上げてくれている。
それが信じられなくて…、でも信じたくて…。
時任は久保田に向かって手を伸ばすと、ゆっくりと手のひらでその頬にさわった。
するとそんな時任を見つめ返して、久保田が優しく微笑んでくれている。
それはちゃんと現実で…、本当のことだった。
ずっとずっとキスを拒まれて、抱きしめてもくれなくて…、それが哀しくて切なくて…。
だから微笑んでくれている久保田を見たら…、視界がぼんやりと滲んで何も見えなくなった。
「久保ちゃ…」
「もう大丈夫だから泣かないで…」
「俺だって泣きたくなんか…、ぜんぜん泣きたくなんかねぇのに…」
「…時任」
「なんで止まんないん…、だろ…」
「それは時任のせいじゃなくて、俺のせいだから…」
「胸ん中に…、なんかつまってて…苦しい…」
「…苦しくさせてゴメンね、時任」
たくさんたくさん…、まだ言いたいことがあるのに、痛くて苦しくてうまく言葉にならなくて…。
伝えたい言葉のかわりに、時任はぎゅっと強く久保田を抱きしめた。
苦しいとか痛いとかそんなことを伝えるんじゃなくて…、好きだった大好きだって気持ちが少しでも伝わるように…。
止まらない涙も、胸を詰まらせている想いも…、すべてが久保田に恋しているからだった。
だからその想いの強さが痛みになって…、涙がとまらないのに…。
シンデレラの次のシーンの舞台が始まろうとしている。
もうこのまま久保田から離れたくないのに…、時任はまだシンデレラのままだった。
「もうじき最後のシーンが始まるから…、もうちょっとの間だけ立っていられる?」
「・・・・・・・っ」
久保田にそう言われて、時任はまた舞台へと突き放されてしまうと思って身構えた。
けれど久保田は抱き上げた時任をそっと椅子の上に降ろすと、視線を合わせるようにかがみ込んで、涙に濡れた時任の頬を両手で包む。
そして短く音を立てて唇が触れると、時任の唇についていた口紅が久保田の唇に少しうつった。
「お城も財宝もいらないなら俺のトコまで走っておいで、シンデレラ」
「久保ちゃ…」
「走れなくなったら…、ちゃんと抱いて運んであげるから…」
「・・・・・・・うん」
もう一度だけ短くキスをすると、時任は痛む足を抑えて立ち上がる。
王子様の所へお嫁に行くためではなく…、大好きな人の所に走っていくために…。
時任がなんとか舞台のそでまで歩いていくと、なぜか時任と同じように足をくじいて保健室にいるはずの藤原の姿が見える。その瞬間、これから久保田が何かを起こそうとしていることを時任は悟った。
その時、三宅の言った写真のことが頭に浮かんだが、もう久保田のところに行くことしか考えない。
久保田が走って来いと言ったから…、ちゃんと抱いて運んでくれるって言ったから…、もう迷うこともとまどうこともなかった。
「化粧直しをしなきゃ…」
「もういい…、このまま出る」
時任が衣装を着替え終わると五十嵐が化粧直しをしようとしたが、時任はそれを断って舞台のそでから歩き出す。舞台では普通の練習通りのシンデレラのストーリーが展開されていて、小さなガラスの靴を意地悪な姉達が無理やり履こうとして頑張っていた。
王子である三宅とお城の従者が立ってその様子を眺めていたが、靴が履けないとわかるともう一人娘がいたはずだと騒ぎ出し始める。
時任は痛みをこらえてしっかりとした足取りで、王子達の前まで出るとガラスの靴の前に立った。
王子役である三宅は、そんな時任の様子をうかがうようにじっと見つめている。
だが三宅の方を見もせずに、時任はスカートの端をつまんでお辞儀をした。
「おおっ、お前がもう一人の娘か?」
「はい、シンデレラと申します」
「ずいぶんと汚いが…。まあいい、その靴を履いてみなさい」
従者役がガラスの靴を履くように進めたが、時任はガラスの靴を履こうとはしない。
けれど今度はそばにいる桂木も、そんな時任の様子を見て驚いたりはしなかった。
時任はシンデレラの象徴である、目の前に置かれたガラスの靴を手に取ると力一杯床に叩きつける。
すると派手な音を立ててガラスの靴は、壊れて二度と履けない姿になった。
ガラスの靴が割れた瞬間、この物語はシンデレラではなくなってしまったのである。
砕けたガラスの靴から三宅の方に鋭い視線を向けると、時任は舞台そでから持ってきたもう片方のガラスの靴を投げつける。
するとかろうじてそれを避けた三宅は、時任の方へと歩み寄った。
「し、シンデレラ…」
「ざけんじゃねぇぞっっ! ガラスの靴がなきゃシンデレラが誰かもわからないような、バカ王子となんか誰が結婚するかよっ!」
「だけどお前は私と結婚して幸せに…」
「キレイなドレス着て化粧してて、そんなので一回会っただけで何がわかんだよっ! そんなので幸せになんかなれるわきゃねぇだろっ!」
時任がそう言って王子を拒むと、三宅がさらに近づいてきて時任の肩を掴む。
肩を掴んだ手を時任が振り解こうとすると、三宅は誰にも聞こえないように小声で時任に耳打ちした。
「写真…、バラ撒いてもいいんだな?」
低く三宅がふづ焼いたのは、舞踏会のシーンの時と同じ脅し文句である。
けれど時任は、今度はその脅し文句に怯んだりしなかった。
ニッと笑って拳を握ると、まだ肩を掴んでいる三宅の顔面に時任が拳を叩きつける。
すると三宅は拳をまともに食らって、呻き声をあげながら床に倒れ込んだ。
けれど観客はそれらもすべて演出だと思っているので、同情の声ではなく笑い声が体育館に響いている。シンデレラに殴られた王子様は、前代未聞かもしれなかった。
時任は三宅を殴り飛ばすと、自分が出てきた舞台そでの方に視線を向ける。
すると、そこには久保田が立っていたが、足が痛くてもうそこまで走っていけそうになかった。
だから大きく息を吸い込んで…、力一杯…。
泣き顔ではなく、思いっきりの笑顔で…、大好きな人を呼んだ。
「出て来いっ!!庭師ーーーっ!!!」
シンデレラに呼ばれたお城の庭師はのんびりした調子で返事をすると、ゆっくりとシンデレラに向かって歩み寄る。するとシンデレラは王子様ではなく、庭師に向かって両手を伸ばした。
舞踏会の衣装なんて着てなくて、灰かぶりのままの姿で…。
けれどその時のシンデレラは、魔法使いに魔法をかけられて舞踏会に行った時の何倍も幸せそうに見えた。
「お迎えにあがりました、お姫サマ」
「もうっ、すっげぇ足痛てぇ…」
「はいはい、あとで湿布貼って病院行こうね」
「病院はヤダ」
庭師はシンデレラを抱き上げると、舞台そでに歩いていこうとする。
けれど床に倒れていた王子が立ち上がって、庭師とシンデレラを呼び止めた。
「ま、待てっ!! 庭師がシンデレラとなんて話が違うぞっ!」
すでに、王子役であることなど忘れているかのような顔で三宅がそう叫ぶ。
しかし、庭師とシンデレラである久保田と時任は顔を見合わせて微笑みあってから、三宅に向かって不敵にニッと笑って見せた。
「いまどき、お姫サマが…」
「王子と一目で恋して結婚なんて流行んねぇっつーのっ!」
流行るとか流行らないとかそういう問題じゃないだろうと桂木以下数名が突っ込んでいたが、二人は気にしていないようだった。
完全に時任にフラられた三宅はギリリと歯を噛みしめると、懐から何かを出そうとする。
けれどそうしようとした時、舞台そでから発声のいい良く響く声が聞こえた。
それは事前に久保田が、五十嵐に頼んでおいた演劇部員だったのである。
演劇部員がまるで断罪するように三宅を指差すと、その横から三宅と同じように王子の衣装を着た藤原が現れた。
「ちょっと待ってくださいっ!! その王子は真っ赤なニセモノですっ!!」
普段から演劇部員として訓練している女子生徒の迫力は、体育館に集まっている観客の注意を引くには十分すぎるくらいあった。
体育館中の注意を一心に集めた女子生徒は、足をくじいている藤原を支えるようにして舞台中央まで出ると久保田が頼んでいたセリフを喋り始める。
すると久保田と時任に向かって何か仕掛けようとしていた三宅の顔色が、すぅっと青く悪くなった。
「そこにいる者は本物の王子を階段から突き落とし、自らを王子と偽ってなりかわったのですっ! 私はそこの者が王子を階段から突き落とすのをこの目でハッキリと見ましたっ!!」
「そうですっ、ぼ、僕が本物の王子です! 何者かに階段から落とされ、ケガを負いました!」
「今ここでその者の罪を問うことを、要求いたしますっ!」
「王子をケガさせた、つ、罪は重いですよっ!」
こんな風に女子生徒と藤原は三宅を責め立てていたが、女子生徒は藤原を突き落とすところなど見てはいない。それを藤原は知っているため、少々、言葉がしどろもどろになってしまっていた。
けれどそんな二人の追求を受けた三宅は、青い顔をして額に汗を浮かべている。
どうやら、完全に久保田の罠にはまったようだった。
「お、お、俺はそんなことはしてないっ!」
「それはウソよっ、私はちゃんと突き落とすのを見たわっ! この期におよんでウソをつく気っ!!」
「ううっ…、それは…」
「ハッキリ認めた方がいいわよっ! 言い逃れなんてできないんだからっ!」
「ちょ、ちょっとした…、出来心だったんだ…」
「ひ、ヒドイっ!! 本当に三宅先輩が僕を突き落としたんですねっ!!」
「うっ、藤原…」
藤原がヒドイと騒ぎ始めると、それを見ている観客の間で王子で出るはずだった藤原が階段から突き落とされて、代役で三宅が出ることになったことが急速に伝わり始める。
これがただのシンデレラの劇ではないことに、観客達も気づき出していた。
ここにいる観客全員の前で藤原を突き落としたことを告白した三宅は、もうどんな言い訳をしても言い逃れをすることは出来ないだろう。
観客達の非難の視線を受けて三宅ががっくりと肩を落としていると、それに更に追い討ちをかけるように、一冊のノートを持った桂木が舞台の中央に進み出た。
「ちょっとここで、ニセモノ王子様の持っていたノートを発表しますっ!」
桂木が持ってるノートを見た三宅は、もの凄い形相でそれを取り返そうとして桂木に掴みかかろうとしたが近くにいた松原が三宅の腕をつかんでそれを止めようとする。だが、三宅もテニスをしているせいか運動神経がかなり良いので、反射的に松原の腹を蹴り上げようとした。
「クソッ、離せっ!」
「離すわけにはいきませんっ!」
三宅の蹴りは鋭かったので、一瞬、松原の腹に入ったかに見えたが、当たる寸前でごつい大きな手がそれを防いでいる。
そのごつい手は、舞台そでから飛び出してきた室田の手だった。
「ナイスです、室田」
「おう」
こうして松原と室田によって取り押さえられた三宅は、さすがに二人相手では身動きが出来ない。
桂木は身動きが取れなくなった三宅にニッコリと、執行部員をも恐がらせる笑みを浮かべた。
すると三宅は恐怖に顔を引きつらせながら、少しおとなしくなった。
三宅が持っていた謎のノートの正体。
それは桂木の口から、ここにいる観客に向かって間接的に伝えられる。
その内容はわかる者にはわかるが、わからない者にはまったくわからないという内容だった。
「えーっと、書かれていたのは極秘に集められた税金なんだけど、バレー部が十万円、バスケット部が十二万円、テニス部が九万円…」
読み上げられた演劇大会に賭けられた掛け金と、賭けた部の名前。
本部がうるさいので個人名はさけられていたが、それだけで賭けている者には何のことなのか十分にわかったに違いない。
桂木はノートに書かれたものを一通り読み終えると最後に一言付け加えた。
「せっかく集めた税金なので、これは寄付金として生徒会本部が預かります。 意義のある人は本部まで出頭することっ、以上で発表終わりっ! 室田っ、松原っ、ニセモノ王子を本部まで引っ立ててっ!」
「了解です」
「わかった」
すべてをここにいる全員に暴露されて三宅はもう反抗する気力さえなくなったらしく、おとなしく松原と室田に連行されている。だが、賭けのことを暴露された三宅が大変なのはこれからだった。
掛け金を預かっていたということは、それを取られた責任はすべて三宅にあると賭けをしていた誰もが思ったに違いないないからである。
食べ物の恨みは怖いというが、お金の恨みはもっと恐ろしい…。
一人一人がどの程度の金額を賭けていたかはわからないが、これで三宅は不特定多数の恨みを買ったことになるのである。もしかしたらヘタをすると、もう学校には来れないかもしれなかった。
「良く三宅が持ってるってわかったわね?」
ノートを閉じながらボソッと桂木がそう呟くと、久保田は口元に笑みを浮かべてそのワケを桂木に話す。すると桂木は、納得したようなしないような顔をして低い声で小さく唸った。
「運が良かったってだけかもしれないわ」
「ま、運も実力の内だしね」
そう言って軽く肩をすくめた久保田が三宅が怪しいと睨んだのは、お金を受け渡しをしていた全員が元締めを探していたのに三宅だけがそうしようとしなかったことと、封筒をそのまま懐に収めたことが理由だった。自分が受け渡しを請け負っていたとしても、誰もが元締めを知らない状態では本当に運んでいるだけで賭けがどうなろうとそんなに報酬があるとは思えない。つまり執行部が突然エントリーしたからといって、執行部員を拉致するという危険なリスクを負う必要はないのである。
そのため誰もが元締めを探しているだけで、直接自分で行動しようとは思っていないに違いなかった。
つまり執行部が突然エントリーしたことによって、賭けの変更や苦情で後で収拾がつなかなくなって困るのは元締めだけなのである。
けれどやはりそれも憶測にしか過ぎないことは事実で、ノートを発見できたのは本当に偶然だった。
おそらく三宅は、ノートを隠す必要を考えないくらいバレない自信があったのだろう。
今まで元締めが誰かがばれなかったのは、受け渡し係の生徒に紛れ込んでいたのと代々元締めが変わっているせいかもしれなかったが、やはりそれもはっきりしたことはまだ謎だった。
きっとすべてがわかるのは、この賭けのシステムを最初に作った何者かだろう。
「…で、三宅が捕まったのはいいけど、これからどうするのよ?」
三宅が退場し終えると、舞台にはシンデレラと庭師、そして本物の王子と意地悪な姉が残った。
けれど、まだ幕は上がったままになっていて下ろされていない。
実はまだ、執行部の劇は終了していなかったのだった。
「うーん、そこまで考えてなかったなぁ」
「あんたねぇ…」
久保田は、三宅を捕まえるところまでのシナリオしか作っていなかった。
そのため、この劇の落ちがつかなくなってしまったのである。
まさに最悪の事態というヤツだった。
桂木は頭を抱えていたが、ぼーっと突っ立ってる藤原を引っ張ってくると久保田と時任の前に立たせる。
そして持っているハリセンで背中を叩くと、何事かを耳打ちした。
それを聞いた藤原は激しく頭を振って嫌がっていたが、ハリセンを構えている桂木には逆らえない。
藤原は本物の王子らしく時任に向かって手を伸ばすと、桂木に耳打ちされたセリフを言った。
「先ほどのはニセモノで、私が本物のお城の王子なのです。美しいシンデレラ、私なら貴方にお城や財宝など、あらゆる贅沢となんの不自由もない生活を約束することができます。だからどうか、私と結婚してください。必ず幸せにしてみせますから…」
そう長いセリフを気合いで藤原が言い終えると、時任は痛みをたえてゆっくりと久保田の腕から床に降り立つ。そして藤原の前まで歩くと、練習で何度もやったスカートの裾を持ち上げるお辞儀をした。
「王子サマ…、私にはお城も財宝もあらゆる贅沢も必要ありません。たぶん幸せも…いらないから…」
「本当に何もいらないんですか?」
「何もじゃなくて、一つだけでいい…」
「たった一つ?」
「何にもなくていいなんて言わねぇけどさ。何を持ってたって、そばにいて欲しいヒトがいなきゃダメじゃん…。だから選べって言われたら…、絶対にそれ選ぶから…」
「たぶんそういうのって…、時任先輩らしいですよ…」
時任は藤原のプロポーズを断ると、そばに立っている久保田の方に向き直る。
そしてゆっくりと芝居なんかじゃない本当の気持ちを込めて、久保田に向かって両手を伸ばした。
誰よりも恋しくて…、好きで大好きでそばにいたい想いを伝えるように…。
すると久保田は自分の頬に伸びてきた時任の手を捕まえると、愛しさを込めた優しい瞳で時任を見つめる。そんな久保田の瞳を見つめ返すと、時任は背伸びをして久保田の額に自分の額をくっつけた。
「久保ちゃん…」
「ん?」
「今から…、ココでキスしていい?」
「俺は王子サマじゃないよ?」
「うん、わかってるけどさ。演技なんかでキスできないから、久保ちゃんと本当のキスしたい。王子サマでも庭師でもなくて…、久保ちゃんと…」
「舞台でキスするって、そう言えば決めてたよね…」
「だから…、協力しろよ」
シンデレラの衣装を着てはいても、時任はシンデレラではなくなってて…。
だから、もうキスされるのを待っているお姫様なんかじゃなかった。
時任が自分から久保田にキスすると、久保田もそれに答えてきつく時任を抱きしめる。
そんな二人を見ていた客席からは、どよめきとため息が漏れていた。
「…これくらいでいっか?」
「そうねぇ、これくらいラブシーン披露すれば十分っしょ?」
「というワケで後は頼むぜっ、桂木っ!」
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよっ!」
久保田は再び時任を抱き上げると、桂木を残したまま舞台から逃走する。
逃げる二人に、観客からはラブシーンを演じた二人に口笛と歓声が飛んでいた。
桂木が二人を止めようと叫んでいたが、久保田は気にせずに体育館から屋外へと出る。
すると出入り口に今回の仕事を久保田に頼んだ松本と橘が、二人を待ち構えていたかのように立っていた。時任は不機嫌そうな顔をして松本を見ていたが、久保田は松本の前で立ち止まる。
やはり一応、今回の件は報告はしなくてはいけないようだった。
松本はすでにすべてを察しているらしく苦笑を浮かべていたが、橘はいつもと変わらない様子である。
一つ大きく咳払いをすると、松本は久保田に話しかけた。
「ご苦労だったな…、と言いたい所だが、今回の件はやりすぎだ」
「手っ取り早くていいと思うけどねぇ?」
「…で、三宅が犯人の可能性は何パーセントくらいだ?」
「さぁ、七十パーセントくらい?」
「そんなことだろうと思ったよ」
「ま、ノート持ってたくらいじゃ犯人とは断定できないしね」
「あとは自分でやれということか…」
「そういうコト」
久保田はのほほんと恐ろしいセリフを言って、時任を連れて校舎内に入っていった。
実は三宅の口から何も聞いていなくて犯人と断定できていないのに、桂木にノートを発表させることによって、舞台を見ていた全員に三宅が犯人だと印象付けたさせたのである。
本物の犯人が見つかっても、そうではなくても…、そう簡単に三宅の疑いは晴れないに違いなかった。
「明日から本部には、掛け金を返してもらおうとして人が押し寄せるだろうな…」
「当分は収まらないでしょうね」
「やはり誠人を怒らせたのはマズかった…」
「でも、結果的には来年からはこれに懲りて賭けなんて誰もしないでしょうし、いいんじゃないですか?」
「まあな…。だがそれにしても、何をやって誠人を怒らせたのかは知らんが…。三宅はさすがに気の毒だな」
「おそらく、自主退学せざるを得ないでしょうね。五体満足、無事でいたいならですが…」
そんな風に松本と橘が話していたが、それは冗談でも大げさでもなく事実だった。
実際、この事件の後も荒磯に通学していた三宅は、何者かに襲われて全治一ヶ月の重症を負ったそうである。人数が複数だったらしく、犯人の顔は見ていなかったようだが…。
ケガが治ると退学届けを自主的に提出したらしかった。
「く、久保ちゃん…、なんで着替えるだけなのに保健室のカギ閉めてんだよっ」
「やっぱりその痕つけたままなんて、許せないよねぇ」
「ちょっ、ちょっと待て…」
「全部消し終えるまで、帰れないからそのつもりでね」
「…って、その前に着替えさせろっ!」
「どうせ脱ぐんだから、関係ないっしょ?」
「関係あるっ!!」
こうして、なんとか無事にシンデレラの劇は終了したのだが…。
長い時間、保健室を久保田と時任が占拠していたため、執行部員は劇が終っても着替えることが出来なかった。桂木と松原、そして相浦は写真を取られたくらいで問題はなかったが、執行部の中で一人だけ問題のある人物がいた。
「ちょ、ちよっと不気味よねぇ」
「なんか不気味っていうか、怖いから寄るなよ…」
「魔法使いっていうより、仮装好きのヘンタイってカンジです」
「ま…、松原…」
この時のショックで、室田は一週間ブルーだったという。
波乱に満ちた演劇大会は、結局、今回の騒ぎで優勝者は無しということになったが、ひそかに執行部員が壊したままになっていた体育館のドアが一つ修復されたらしい。
そのおかげで執行部の赤字が少し解消されたのは、言うまでもなかった。
ぐおあぁぁぁっ!!!す、すいません叫ばせてくださいぃぃぃ(T_T)
これほど苦しかったのは久々です〜〜〜〜〜(涙)
結果はどうあれ、最後まで書くことができてホッと一息です(/_;)
あああああっ、よかったぁぁぁぁ(泣)
もうちょっと…、ふやー…と気が抜けてしまいそうデス。
ここまで読んでくださった奇特な方っっ、本当にありがとうございますっ。
心からお礼申し上げますデス(涙)
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