降り積もる雪のように.9
殺人事件というのはニュースではたくさん報じられているが、やはり自分自身が関わることになると感覚が違う。テレビで見た時と同じように黄色いテープが貼られ、警官が現場を調べているのを見るとそういうドラマを思い出したりもするが、やはりこれは間違いなく現実だった。
目の前で人が殺されて、もしかしたら参加者の中に犯人がいるかもしれない。
執行部員は杜刑事と高本刑事に連れられて、再び殺人現場に足を踏み入れていた。
「おい、そこのとこの写真はちゃんと取っとけよ」
「遺体の輸送は?」
「あっ、そこ踏まないでください…」
「遺留品はちゃんとまとめとけっ」
殺人現場であるパーティ会場では、警察の人間が忙しく動き回っている。
やはり仕事というだけあって、現場の記録を取っていく手際はかなりいいように見えた。
すぐに犯人がつかまって事件が解決するにしても、しないにしても、やはり最初の調査記録が裁判の時にも犯人を推理するにしてもすべての元になる。そのためこの調査で見落としがないようにすることが、一番大切なことだった。
さまざまな化学調査が可能になった現代でも、やはりその元になるものを見つける人の目は大切である。
時任が辺りを見回すと、舞台の上にあったはずの遺体はすでに担架にのせられており、その後には社長室で見たのと同じようにチョークで倒れていた場所に印がついていた。
「ここからあそこまでの距離ってまあまああるよな…」
殺人が起こった瞬間に立っていたテーブルの近くに立つと、そう言って時任が舞台をじっと見つめる。すると、その横に並んだ久保田が時任と同じ方向に視線を向けた。
凶器のあったテーブルから舞台までの距離は、少しあるがボーガンで届かない距離ではない。
犯人がいつ撃ったのかはわからないが、その辺りが微妙だった。
「暗闇じゃ打てないだろうしねぇ?」
「電気がつく瞬間とか?」
「いくら爆発に気を取られてても、見られる可能性がかなり高いと思うケド?」
「それに俺らも近くにいたしな…」
時任と久保田がそう言いながら舞台を見ていると、上司らしき刑事を話をしていた杜刑事と高本刑事が現場を眺めている執行部の方へとやってくる。
どうやら何か執行部にさせたいことがあるらしかった。
「あ〜、ちょっと悪いんだけどさ。君たちに協力してもらいたいことがあるんだ」
「協力ってなんですか?」
「事件が起こった時と同じ場所に立ってみてくれないか?」
「それくらいはべつにかまいませんけど?」
桂木がそう返事をすると、全員がバラバラとテーブルの自分の立ち位置に立つ。
全員が小城をマークしていたので、桂木の隣りには五月が、相浦の隣りには野瀬がいたはずだった。
時任は楢崎のいた場所の前に立つと、そんな自分の前に立つ久保田の背中をじっと見つめる。
この事件は楢崎ではなく大島社長が被害者になったのだが、本当に楢崎が狙われていたかもしれないと思うと少しだけズキっと胸が痛んだ。
時任がそっと手を伸ばして目の前の背中に触れると、久保田が少しだけ振り返って微笑む。
しかしあったかもしれない現実を思うと、いつものようにその微笑みに笑い返すことができなかった。
杜刑事と高本刑事は全員を見回しながら、うーんと唸っている。
事情徴収の時に小城も言ったように、執行部はテーブルを囲むように立っていた。
舞台側であるテーブルの正面に立っているのが時任と久保田で、その右横には松原と室田、左には相浦になっている。そして桂木と藤原は、テーブルを挟んで時任と久保田と向かい合っていた。
「杜さん…、あの短時間に下から取って撃つことは可能ですかね?」
「やってみなきゃわからんだろうっ」
「でも、停電してたのはそんなに長い間じゃありませんし…」
「ボーガンならアーチェリーとは違って、標的は狙いやすいだろうが」
「真っ暗なのにですか?」
「あっ…、そういやそうか…」
「でしょう?」
どうやら杜と高本もボーガンを撃ったと思われる時間には、電気が消えてしまっていたことに気づいたらしい。しかし暗闇だろうとなんだろうと、目の前で大島社長が矢に撃たれていたことは間違いなかった。
容疑者が多すぎて、犯人の手がかりも今の時点ではほとんどない。
時任は自分の立っていた場所を離れると、再び社長が倒れていた舞台へと上がろうとした。
だかその瞬間、警察官が止めるのも聞かずに会場に入って来ようとしている人物の声が聞こえてくる。その声は、事情徴収が終って自分の部屋に戻ったはずの蘭のものだった。
「あの…、ちょっとここの中にいる人と話がしたくて…」
「今は現場検証中でダメだっ」
「時任君がこの中にいるはずなんです」
「時任?」
なにか刑事にでも用があるのかと思ったが、どうやら蘭は刑事ではなく時任に会いに来たらしい。
時任は歩みを止めて蘭を見た後に、少しだけ久保田の方へと視線を送った。
だが時任の視線を受けても、久保田は薄く笑みを浮かべているだけで何も言わない。
笑みを浮かべた口元は何か言いたそうにも見えたが、時任はわざわざここに来た蘭のことの方が気になってしまっていた。
「おい、どうかしたのかよ?」
「あっ、時任君っ!」
時任が黄色いテープの貼ってある入り口まで歩いて行くと、その姿を見つけた蘭がうれしそうに微笑む。
なんの用事があるのかはわからなかったが、楢崎と一緒ではないので今なら何か聞き出せそうだった。事件に関係あるのかどうかはわからないが、楢崎が蘭に見せた物が何かもかなり気になっている。時任は話があるという蘭に腕を引かれて、現場検証の途中で会場内から出たが黄色いテープを越えてから、当たり前のように久保田を呼ぶために後ろを振り返った。
しかし蘭に腕を引かれながら振り返った時任を、久保田はさっきの場所から動かずに見ていた。
「なにやってんだよっ、久保ちゃ…」
「ごめんなさいっ、私は時任君と二人だけで話がしたいのっ」
「えっ、なんで?」
「お願いっ」
「…でも、俺が後で久保ちゃんに話したら同じことだろ?」
「それでもいいから…」
久保田を呼ぶことを止められたのでムッとして一緒に行くことを断ろうと思ったが、蘭の真剣な瞳を見ているとそうすることができない。
時任はらしくなく小さくため息をつくと、久保田を呼ぶことをあきらめて蘭と並んで歩き出した。
自分で言った通り、蘭に聞いた話を久保田に話さないことはあり得ない。
だが何か事情があってその方が話しやすいというなら、後で報告することにして話を聞くしかなかった。
「いいの?」
「なにが?」
「女のコと時任を二人きりにして」
「べつにいいんでないの?」
「…って、ホンキで言ってる?」
「さぁ?」
仕方なく蘭と歩き出した時任を見ている久保田に、桂木が肩をすくめながら話しかけている。
しかし久保田は、見つめているだけでそれを止めようとはしなかった。
引き止めたいというのが本音だいうことを自覚しながら、わずかに苦笑して…。
それでも止めることができないのは、時任が純粋な気持ちで蘭を心配していることを知っているからだった。学校で執行部として正義の味方しているように、時任は今もこうして正義の味方しているから…、その背中を独占欲や嫉妬で止めることはできない。
今回のことで一生懸命になってる時任を応援できないのは、どう考えても相方失格だった。
時任に対して抱いている感情がたとえ恋でも…、好きだと言って抱きしめているだけでは時任のそばにはいられない。つないでいた手を伸ばして温かい身体を抱きしめるようになっても、二人が相方だということに変わりはなかった。
久保田はすぅっと小さく息を吸うと、時任がそうしようとしていたように舞台に向かって歩き出す。
すると桂木も舞台を調べるつもりらしく、久保田の隣りに並んだ。
「ねぇ、桂木ちゃん…」
「なによ?」
「もし俺が犯人だったら、時任はどうすると思う?」
「え?」
「たとえばの話」
「・・・・そうねぇ、なにやってんだって怒鳴って殴って警察に引っ張ってくんじゃない?」
「たぶん、そうだろうね…」
なんとなくした問いかけに答えた桂木の言葉を聞いて、久保田はいつもののほほんとした調子でそう返事する。すると桂木がそんな久保田を見て少し考え込むような表情をした後、舞台への階段を昇りながらそっと口を開いた。
「でも…、もしかしたら…」
「もしかしたら?」
「どこまでも…、二人で…」
「・・・・・・・・」
「な、なんでもないわ、忘れて…」
桂木が何を言おうとしたのかはなんとなくわかったが、それはやはりあり得ない気がした。
あの真っ直ぐな瞳を前でウソはつけないから…、たぶんすぐに両腕に手錠がかかる。
おそらく誰よりも近くにいる時任の手で…。
だがはめられた手錠の重さは、そう望んでなくても手をつないでいる時任に伝わってしまうに違いなかった。
「たぶん、逃げる場所なんてどこにもないよ…、手をつないじゃってるから…」
「・・・・・久保田君」
「今の忘れてくれる?」
「わかったわ…」
そんな会話を交わしながら久保田は桂木と舞台に上がると、そこからさっきまでいたテーブルの方を眺める。するとまだテーブルのそばにいる相浦達が見えたが、そこから大島社長が立っていた場所はほぼ正面にあった。
誰の目から見ても正面にあるテーブルは、ボーガンで狙うには絶好の場所である。
だがそれだけに、逆にそこにボーガンがあることが不自然な気がしてならなかった。
舞台の上は事件の時のままの状態にされていて、遺体がなくなっていること以外は変わっていない。
久保田がじっと床を見つめながら歩いていると、現場検証をしていた検察官から注意された。
「待てっ、関係者以外は立ち入り禁止だっ!」
「すいません、関係者なんですけど?」
「違うっ、そこのお譲ちゃんのことを言ってるんだっ!」
「えっ、あたし?」
どうやら久保田は私服警官か刑事と間違われたらしいが、いかにも女子高生という風貌の桂木はさすがにダメだったらしい。
仕方なく桂木は、軽く肩をすくめると、久保田を残してもとの場所まで歩いていった。
自分が高校生には見えなかったことを気にすることもなく、桂木がいなくなると久保田は再び辺りを調べ始める。すると舞台の中央の辺りに妙な傷があるのを発見した。
それは何かが突き刺さったような妙な傷で、それは大島社長が立っていた場所から少し舞台の奥にある。傷の数はそんなに多くはなかったが、完成したばかりの舞台に傷はやはり妙だった。
「なんだと思います?」
近くにいた警官に久保田がそう言うと、警官はさぁと首をひねっただけなのでそれほど重要とは考えていないようである。何かを落とした拍子にということは考えられるが、やはり何か気になる傷ではあった。
久保田はその傷を見た後にそこから大島社長が倒れていた場所を眺めたが、その場所の遺体はすでに運ばれていてチョークで書かれた印しか残っていない。
だが、そのチョークで印を書かれた場所から、久保田が立っている位置までは少し距離があった。
大島社長はボーガンに撃たれて死亡したはずだが、立っていた場所で打たれたのなら床に倒れているのが普通である。
なのに大島社長は、壁に背中を預けて座り込むような状態で死んでいた。
爆発に驚いて移動した可能性はあるが、そうすると暗闇の中でボーガンを打って命中させるのはますますむずかしくなる。
久保田はチョークで書かれた場所に近づくと、そこから舞台のテーブルの辺りを眺めた。
やはりその場所からでも狙えそうな距離ではあったが、やはり何か納得がいかない。
そんな風にゆっくり歩きながら久保田が現場を眺めていると、騒がしい声が会場に響いて入り口に記者の久木の姿が見えた。
「すいやせん。カメラとか機材を忘れちまったもんで」
「現場にあるものを動かすのはダメだから、今は返せない」
「そこをなんとか、商売道具なんですよ」
「ダメだと言ったらダメだっ!」
商売道具という言葉に反応して、久保田が舞台下の右端に設置してあるカメラや機材を見る。
雑誌記者だと言っていたがカメラマンは連れていないらしく、どうやら久木は自分でパーティの写真を撮っていたらしかった。
機材を入れていたケースや鞄がそのそばに置かれていて、すぐに収められるようになっている。
せっかく撮った写真なのだが、おそらく現場を写していた写真はすべて警察に持っていかれることは間違いなかった。
「せめてフィルムだけでも…」
「それが一番ダメに決まってるだろうっ」
「じゃあ、捜査状況を教えてもらえませんかねぇ?」
「まだ何も言えることはないっ」
「そ、そんな殺生なっ」
久木はしつこく食い下がっていたが、警官は当り障りのないことしか答えない。どうやらこの分だとシーパレス完成パーティの記事は、大島社長殺人事件に差し替えになりそうだった。
久保田はそんな騒ぎから目をそらすと、今度は舞台の袖に向かって歩き始める。
そしてゆっくりと袖へと入り込むと、そこにあったゴミ箱を屈みこんでがさごそと漁った。
「不自然といえば…、何事も不自然なんだけど…」
そう呟いた久保田の手には、長い何かの黒いコードがつままれている。
その黒いコードは、漁っていたゴミ箱から出てきたものだった。
なんの変哲もないコードだが、丸型の接続部分の反対側はちぎれていて何もついていない。
それは久保田の言うように、やはり不自然には違いなかった。
蘭に腕を引かれてパーティー会場を出た時任は、ホテルの廊下を歩いて自分達の部屋のある階を歩いていた。
こんな所まで歩いてくる気はなかったのに来てしまっているのは、真剣な顔でぐいぐいと引っ張っていく手を振り払うことができなかったからである。もし蘭といる所を見られたらまた揉めてしまいそうだったが、部屋の前に到着しても運良く楢崎が出てくる様子はなかった。
誰にも聞かれないように話をするにはどちらかの部屋で話すのが一番なのだが、やはり別にそんな気はないとはいえ少しためらってしまう。
時任がどうしようかと思っていると、蘭は自分の部屋ではなく時任の部屋の前に立った。
「私の部屋だと楢崎君が来るかもしれないから、時任君の部屋に行っていい?」
「やっぱ話って楢崎のことなのか?」
「それは部屋で話すから…」
「・・・・・・わぁったっ」
そう返事をすると、時任はポケットからカギを取り出すと自分の部屋を開ける。
チラリと脳裏に久保田のことが浮かんだが、楢崎が来るというなら仕方がなかった。
自分の部屋に時任が入ると、続いて蘭も「お邪魔します」と言いながら入ってくる。
まだそんなにゆっくり部屋にいたことがないので、ベッドの上に荷物が投げっぱなしになっていた。
「立って話すのもなんだし、そこらヘンに適当にすわれよ」
「でも、座ったら怒られるかもしれないわ」
「怒るって…、べつにすわったくらいでそんなわけねぇだろ?」
「時任君はだけどね」
「はぁ?」
「なんでもないから、気にしないで…」
蘭はそう言うと、少し照れた感じで時任が座っているベッドの隣りにすわる。
すると、二人分の重さでベッドが少しキシッと音を立てた。
てっきり備え付けられている椅子にすわると思っていたので、時任はその行動に少しだけ驚いた顔をしている。
けれど蘭はそんな時任に気づいているのかいないのか、ベッドにすわったまま話を始めた。
「時任君に話したいのは、やっぱり楢崎君のこと…」
「たぶん、そうだろうって思った。不自然だもんな、あいつと付き合ってるなんてさ」
「もしかして、楢崎君と付き合ってるってウソだって思ってた?」
「ああ」
「そうなんだ…、良かった…」
なぜか時任が楢崎と付き合ってることがおかしいと思っていたことを知ると、蘭はうれしそうに微笑む。時任はその微笑みを見ながら不思議そうに首を傾げたが、それを聞くことはせずに話の続きを待っていた
そんな時任の様子に少しだけ悲しそうな顔をしたが、すぐに蘭は気を取り直したようで再び話し始める。
けれどその声の調子はさっきまでと違って、暗いものになってしまっていた。
「今回のツアーにくわえてもらう条件が、ツアーの間だけ楢崎君の彼女になることだったの。それを聞いたら…、どうしてそんなことまでしてって思うわよね?」
「そりゃあ思うけど…、来たかったんならしょうがねぇだろ? 自分で決めて来たんなら、なおさらそうじゃねぇの?」
「そうだよね…、自分で決めたんだからしょうがない…」
「でもさ、言いたいことあるなら言えよ。聞くだけなら聞いてやっから…」
「うん、ありがとう…」
「なにかワケがあんだろ?」
「それはこれが…」
蘭はそう言って、自分の首にかけているネックレスを服の下から取り出す。
思わず上からその様子を覗き込んでしまった時任は、少し顔を赤くして視線をそらせた。
見るつもりはもちろんなかったのだが、実は蘭の膨らんだ胸の谷間をしっかり見てしまっている。
顔が赤くなってしまったのは、女の子の胸を見てしまったという反射的なものだった。
男の身体は見慣れているが、やはり女の子の身体は当然だが見慣れていない。
これが久保田なら興味なさそうな顔をして平然としていそうだったが、時任の場合は興味がなくてもそうはいかなかった。
すぐに顔が赤くなったのは治ったが、少しだけ視線が泳いでしまっている。
そんな時任を見た蘭は、怒らずに少しだけ明るい表情になって優しく微笑んだ。
「もしかして見た?」
「わりぃ…、見るつもりなかったんだけどさ」
「べつに見られてもいいから…、時任君になら…」
「見られてもいいって、なんで?」
きょとんとして本気でそう聞いた時任に苦笑しながら、蘭が首にしていたネックレスを時任の前に差し出そうとする。
だが、そのネックレスを時任が見るより先に、激しくドアを叩く音が聞こえてた。
顔を見合わせた時任と蘭が慌てて部屋のドアを開けてみると、五月が時任の部屋ではなく蘭の部屋のドアを叩いている。
五月は二人が部屋から出てきたことに気づくと、真っ青な顔をして大声で叫んだ。
「た、た、大変よっ!! 楢崎君がっ!!!」
その声を聞いていたのは時任と蘭だけではなく、偶然通りかかった楓も聞いている。
五月の強張った表情から見ても、また何か良くないことが起こったことに間違いはなさそうだった。
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