改善計画 .19



 
 「時任」
 「・・・・なに?」
 「今から、購買に昼メシのパン買いに行くんけど…」
 「俺は行かねぇっつーの」
 「だぁね…。じゃあ、一人で行ってくるから」
 「焼きそばパンとメロンパン」
 「はいはい、他には何かある? ご主人サマ?」
 「一緒にコーヒー牛乳っ」

 「了解デス」

 大場が父親と一緒に警察に出頭した事によって、荒磯高校での麻薬事件が発覚。その後、事情徴収や生徒への薬物検査が行われ、校内も校外も一時騒然としていたが、二週間たった今は少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。
 そんな中で生徒会長の松本や副会長の橘は、警察への捜査協力やマスコミへの対応など、多忙な日々を過ごしていたが、執行部員の面々は事件前も事件後も、いつもと変わらない日々を送っていた。
 麻薬とは別件で松本への報告をすませた桂木は、生徒会室に戻るために廊下を歩いていたが、なぜか、また時任の犬になっている久保田の姿を見つけて立ち止まる。前と違っている所といえば、時任が怒ったような困ったような顔ではなく、かなり相当不機嫌そうな顔をしているという事くらいだった。
 桂木は購買に向かう久保田と、いつもより少し遅い歩調で屋上に向かう時任と…、どちらを呼び止めようかと一瞬だけ迷ったが、結局、自分の方に向かってくる久保田の方を呼び止める。そして、今なら時任が呼べばワンと答えそうな顔をしている久保田を眺めながら、桂木は小さくため息をつきながら軽くこめかみを押さえた。

 「で、両思いになる前となった後と、一体どこがどう違うのよ?」
 
 詳しい事は何も聞かずに、桂木がそれだけ言うと、久保田はうーんと悩みながら小さく首をかしげる。そして、何かふと思いついたかのように、ポケットからセッタではなく禁煙用のガムを取り出した。
 「違うトコロっていえば、コレくらい?」
 「禁煙…って、それも時任の命令?」
 「命令じゃなくて、自主的に…。色々してると匂いが移るからイヤとか、最中に言われちゃったから」
 「・・・・・何をしてる最中なのかは、あえて聞かずに置いとくわ」
 「そいつは、どーも」
 実は倉庫の前での騒ぎの後、執行部員全員で久保田と時任のマンションに押しかけたため、結局、その日は二人の間に何事も起こらなかったようだが…、
 どうやら、昨日は違ったらしい。
 不機嫌そうな時任と違って、久保田はどことなく機嫌が良さそうだった。
 そんな久保田を見た桂木は色々としたくない想像してしまい、毒されてるわと呟いて皺を寄せる。そして、禁煙中の久保田の顔をじーっと見てから、今度はこめかみではなく眉間を人差し指で押さえた。
 「禁煙が自主的って事は…、まさか犬も自主的に?」
 「うーん、なんか一度やるとクセになっちゃって…」
 「病気ね」
 「もしかして、恋の病ってヤツだったり?」
 「・・・・・狂犬病の間違いじゃないの?」
 「さぁ?」
 「まったくっ、どちらにしろ一生治りそうもないから、一生やってなさい」
 「ワン」
 恋する狂犬とこれ以上話しても、口から砂を吐きそうなノロケを聞かされるだけだと気づいた桂木は、恋の狂犬の返事を聞いた後、少し頭痛を感じながら歩き始めようとする。だが、今度は逆に久保田に呼び止められて立ち止まった。
 「そーいえばだけど、どうやって藤堂サン説得したの?」
 「…って、何の話?」
 「三日前、藤堂サンに偶然会った時に、もう勝負をするつもりはないって言われちゃったんだけど? それって、あの日に倉庫の前で、桂木ちゃんと話し込んでたのが原因でしょ?」
 久保田にそう言われて、桂木はさぁ、どうかしらと呟きながら倉庫での事を思い出す。あの出雲会の乱闘の中で、静かに自分達を眺めている人物の視線が気になった桂木は、戦いを他の部員に任せて、その人物の前に立った。
 藤堂と名乗った、その人物は出雲会に所属しているらしいが、倉庫でのお礼参りには参加する気はないらしい。同じ組の組員でありながら、拳銃を持ちながらも構えない藤堂は、他の組員達とは雰囲気がかなり違っていた。
 『どうして、出雲会なんかに入ったの?』
 桂木が率直にそう聞くと、藤堂は声を立てて楽しそうに笑う。藤堂は懐に拳銃を持っているとは思えないほど、明るくて陽気な男だった。
 藤堂は唯一の肉親だった母親を12歳で亡くして身寄りがなく、街をフラフラと彷徨っていた所を拳銃を習った人物に拾われたらしい。その後、成り行きで男の所属していた出雲会に入ったが…、結局、自分には拳銃しか残らなかったと藤堂は明るい口調で言った。
 『俺が信じられるのは、自分の腕とコイツだけだ。だから、それだけは誰よりも上じゃなきゃならない…』
 『それで、久保田君と勝負を?』
 『あぁ、今日は色々と騒がしくて、また出直しになったけどな』
 そう言いながらも藤堂は久保田ではなく、倉庫の窓に吊るされた風鈴を見ている。何かその風鈴に特別な想い入れでもあるのか、風鈴を見つめる視線はどこか寂しげだった…。
 その寂しさは自分に拳銃を握らせた男が、自分よりも久保田を選んだ事から来るものなのか…、それとも別の想いがあるせいなのか桂木にはわからない。けれど、風鈴と藤堂を眺めている内と、なぜか父親を連れて警察に行った大場の事が思い出されて…、桂木はゆっくりと手を伸ばすと千切れかけた短冊に軽く触れると、風鈴をチリリンと鳴らした。
 『この風鈴…、貴方がつけたの?』
 桂木がそう尋ねると、藤堂は口元に笑みを浮かべたまま黙って答えない。けれど、その無言を否定ではなく、肯定と取った桂木は、藤堂の返事を待たずに話を続けた。
 『あたしには、この倉庫に住んでいた人の事も、その人のしていた仕事の事も良くわからないけど…、たぶん、こんな音が鳴って目印になるような物を窓辺に吊るして置きたいとは思わないと思うわ。貴方が吊るしてくれた物じゃなかったらね』
 倉庫に住んでいた主が居なくなっても、鳴り続ける風鈴…。
 その音と一緒に、そう言った桂木の声が耳に届くと、明るかった藤堂の表情が翳る。だが、それでも藤堂は何も言わず静かに、風鈴と桂木の声を聞いていた。
 『貴方もたぶん知ってるでしょうけど、今日、あたしと同じ学校の大場って子が、父親を引っ張って警察に行ったわ。組をやめさせて、麻薬から足を洗わせるために…。これは私のただの想像だけど、貴方に才能がないって言った人も同じ気持ちだったのかもしれない…』
 桂木がそこまで言ってから、やっと藤堂が口を開く。
 しかし、その声は暗く沈んでいた…。
 『なぜ、何も知らないのに、そんな事がわかる?』
 『だから、想像だって言ったでしょう?』
 『くだらない、想像だな』
 『そうかもね…。けど、この風鈴を見ていたら…、なんとなくそんな気がするだけよ。貴方に拳銃を握らせた事を、後悔してたんじゃないかって…。拳銃なんて握らない世界で、生きて欲しいと思ってたんじゃないかってね』
 『・・・・・そんなはずはない』
 『きっと、思ってたわよ…。貴方が、同じ事を思ってたようにね』
 『・・・・・・・』
 桂木が言った何もかもが想像で、憶測に過ぎない。
 まるで、真実を知っているのは風鈴だけだとでも言うかのように、チリリンという寂しげな音が桂木と藤堂の耳を打つ。周囲では今だ執行部と出雲会がやり合っていたが、二人の耳には入っていなかった。

 『今からでも、遅くはないわ』

 藤堂の思い出が詰まった倉庫の前で桂木がそう言うと、藤堂は伸ばした指先で風鈴を撫でる。そして、その手でくわえていたタバコの長くなった灰を、黒いアスファルトの上に落とした。
 『俺の身体には、血と硝煙の匂いが染み付いてる…。それに、これは俺の選んだ道だ…』
 藤堂はそれだけ言うと、桂木に背を向けて歩き出す。
 そんな藤堂の背中を、桂木は呼び止める事が出来なかった…。
 自分の選んだ道を進む、藤堂の背中を…。
 けれど、藤堂は少しだけ歩いてから、何かを思い出したように立ち止まった。

 『あんたの想像…、当たってるといいな』

 その言葉に桂木は微笑み、藤堂は振り返らずに軽く手を振る。
 そんな事があって何か心境の変化でもあったのか、どうやら久保田と勝負するのはあきらめたらしい…。藤堂と話した事を簡単に話すと、久保田はそう…と短く呟くと、時任のパンを買うために購買に向かって歩き出し…、
 そんな久保田の背中を見ると、なぜかその背中にあの日の藤堂の背中がダブって見えた。

 「貴方の中に残ったのは、あそこで習ったっていう拳銃の腕と拳銃だけじゃないわ…。だって、貴方はいつでも撃てたのに、あの二人を撃たなかったんだから…」

 そんな桂木の呟きと想いが、久保田の立ち去った廊下を優しく包み。
 残り少なくなってきた荒磯高校での日々は、確実に過ぎていく。
 そんな日々の中で、久保田の買ってきた購買のパンで昼食を終え、残りの授業も終った公務が非番の放課後、久保田はいつもよりも動きの鈍い時任を気遣いながら、自分達が住むマンションへと向かった。
 「歩くのつらいなら、おぶってあげよっか?」
 「這ってでも自分で歩くっ!」
 「学校、休めば良かったのに」
 「こんなハズい理由で…、ガッコ休めるかよっ」
 「カゼって言っとけば?」
 「カゼじゃねぇしっ、俺的にイヤだ」
 「相変わらず、意地っ張りだなぁ」
 「つーかっ、こうなったのは誰のせいだと思ってんだよっ。しかもダメだっつってんのに、あ、朝もして遅刻しかけるし…っ」
 「スイマセン、反省してマス。すべて俺のせいデス、ご主人サマ」
 「かなり棒読みなのが、すっげぇ気になるけど。わかってるなら、黙っておとなしく反省してやがれっっ、このエロ犬っ」

 「ワン」

 すっかり犬が板についてしまった久保田は、そう返事をすると、ひょいと手を伸ばして時任のカバンを奪い取る。すると、カバンを奪われた時任は少し不満そうな顔をしたが、今度は何も言わなかった。
 そんな二人の間に、らしくない沈黙が流れるのは、お互いに告白した日から二週間過ぎた昨日、やっと二人の関係が進展したからである。
 実は二人きりにはしないと宣言した言葉通り、桂木が相浦達を引き連れてマンションに押しかけてきたため、その日は誕生日祝いを兼ねた宴会に突入。お互いの気持ちが盛り上がった時、その機会を逃してしまったせいか、それとも桂木達に久保田の相方兼恋人になった事がバレてしまったせいか、照れ屋で意地っ張りな時任が次にその気になるまで、二週間もかかったのだった。

 「また、二週間おあずけ食ったら、死んじゃうかも…」
 
 お互いの間を流れる沈黙を破って、久保田がのほほんと冗談っぽい口調でそう言ったが、口調とは裏腹にどことなく沈んでいる。それを感じ取った時任は、昨日の事を思い出したのか、少し顔を赤くして久保田の袖を軽く引っ張った。
 「あ、朝とかはやっぱダメだけど…。ああいうコトするの…、イヤとは言ってないからな…」
 ふとすると聞き逃してしまいそうな、小さな時任の声…。その声を逃さずに聞いた久保田は、うん…と返事をして照れて俯いた時任のつむじを見て微笑む。
 こんな二人の姿を見たら藤原は泣き叫び、桂木はこめかみをピクピクさせながら、ハリセンを握りしめそうだった。
 あの事件の後、照れ屋で意地っ張りなのは相変わらずだが、時任は少し素直になり、のほほんとして相変わらずだが、久保田の方も時任のために禁煙したりしている。それは急速ではなく緩やかな変化だったが、そんなお互いの変化を二人は温かな気持ちで見つめていた。
 けれど、あと少しでマンションで帰り着く…、その瞬間に久保田の目が暗闇を捉える。そこには細い路地があって、真昼のわずかな間しか日が差さない場所だった。
 暗闇を見つけた久保田が立ち止まると、横を歩いていた時任も立ち止まる。すると、久保田は時任に一人で先に帰るように言った。
 「・・・・・・久保ちゃん?」
 一人で暗闇を見つめる久保田を、時任が不審そうな目で見る。けれど、久保田はマンションの近くまで来て、時任を先に帰らせる訳を言おうとはしなかった。
 訳も言わずに持っていたカバンを時任に返し、その手で頭を軽く撫でる。
 そして、額に軽く唇を落として優しく微笑んだ…。
 「好きだよ…、時任」
 「・・・・・・・」
 「返事してくれないってコトは、もしかして昨日のでキライになったとか?」
 「そうじゃなくて…。ちゃんと…、後で言う…」
 「じゃ…、返事はベッドの中でね」
 久保田がそう囁くと時任は真っ赤な顔をして調子に乗んなと怒鳴って、久保田の頭をペシッと軽く叩く。けれど、久保田の見つめていた暗闇を見つめると少し伸びをして…、さっきよりも、もっと調子に乗るような事を久保田にした。

 「この続きも後で…。だから、早く帰って来いよ」
 
 時任からのキスは、いつも柔らかくて甘い。
 そして囁かれた言葉も…、同じように甘い…。
 その甘さに酔うように目を細めながら、久保田のマンションへと走り去る時任の背中を眺める。そして、時任が見えなくなると久保田は何者の気配のする暗い裏路地に足を向けた。

 「出雲会と東条組は抗争中…、のはずたけど」

 裏路地から感じる気配からは、殺気も悪意も感じられない。
 けれど、なぜか妙に気になる気配だった。
 しかも、その気配を知っている気がする。だから、時任を先に帰らせてまで裏路地に足を踏み入れてみたのだが、そこにはゴミが転がっているばかりで誰も居なかった…。
 「気のせい…、みたいだぁね」
 そう呟いた久保田は、自分の持っているカバンを見る。
 実はカバンの中には、横浜港で使った拳銃が入っていた。
 時任に必要ないから、返すか捨てるかしろと言われている代物だが、なぜか未だに返す事も捨てる事もできないでいる。そこらヘンの川や海に捨てて、何かの拍子に見つかって騒ぎになっては困るので、松本に処分を頼もうとは思っているが…、今日も学校には持って行ったものの、結局、頼みそびれてしまった。
 今回の事件の件で今も危険を感じているからなのか、それとも、ただ単に手放したくないだけなのか自分でもわからない。足を踏み入れた裏路地の暗がりの中…、時任の居ない場所で、あの日のように拳銃の重さを感じていた。
 
 「変わったようで変わらない、変わらないようで変わった…。俺の場合は、どっちなのかなぁ…」

 学校で聞いた桂木の言葉をふいに思い出し、そんな言葉を呟いて小さく息を吐く。すると、ふいに入り口に何者かが立ち止まり、久保田がいるのを確認してから路地に入ってきた。

 「貴方もどなたかと待ち合わせですか? この裏路地で…」

 そう久保田に向かって声をかけてきたのは、髪の長い中国服を着た整った顔立ちの男。会った事もないし、見覚えもない男だが妙に隙がなく油断ならない気配がする。
 組関係の人間には見えないが、男からは真っ当な世界では生きていない…、生られない人間特有の匂いした。
 その男に向かって、一瞬、久保田が鋭い視線を向ける。すると、視線を受けた男は、かけている眼鏡の奥から何の感情の感じられない黒い瞳で久保田を見た後、優雅に柔らかく微笑んだ。
 「いきなりお邪魔してしまってすいません。ですが、実は私もここで待ち合わせしてるんですよ」
 「ココがソレの受け渡し場所ってワケ?」
 「・・・・・・・・なぜ、そう思うんです?」
 「ただのカン」
 「ただのカン、ですか…。なるほど…、貴方は面白い人ですね」
 「そう?」
 「この中身が何か知りたいですか?」
 「いんや、別に」
 男は手に持った紙袋の受取人を待ちながら、久保田は訳もなく、この裏路地にたたずみながら会話を交わす。見知らぬ男の話に付き合う必要はないが、こうしていると本当に誰かを待っているような気分になるから不思議だった。

 「誰かと…、約束してたっけ?」

 ぼんやりとそんな呟きを漏らすと、すぐ近くにいる男がわずかに首をかしげる。そして、久保田が見ている視線の先を追って、同じ場所に視線を向けた。
 「そこに、何があるんですか?」
 「うーん、ゴミ?」
 「そのゴミに、何か気になる点でも?」
 「気になるのは、ゴミじゃないんだけどね」
 「そうですか…、不思議ですね」
 「不思議って、何が?」

 「貴方の目を見ていると、まるでそこに誰かいるように見えるんですよ」

 不思議なのは、そんな事を言う男の方なのか…、
 それとも待ち人などいないのに、裏路地に留まっている久保田なのか…、
 二人は同じ場所を見つめながら、お互いの名前を聞きもせずに話をする。けれど、いつまでもこうしてはいられない。自分を待つ人はここではなく、マンションにいた…。
 「そこに誰が…、居たんだろうねぇ」
 久保田がそんな呟きを漏らすと、男が微笑みを浮かべたまま目を細める。
 だが、男と久保田の見つめる先には、やはりゴミしかなかった…。
 「俺の目がそんな風に見えるなら…、何か幻でも見てるのかもね。ココに来たのは誰かが居るような気がしただけで、ホントは待ち合わせはなんてしてないしね」
 「幻を待っている…、という訳ですか」
 「さて…、ね。けど、俺を待っている人なら、ココじゃない場所にいる」
 久保田がそう言うと、男は視線を裏路地の暗がりから久保田の方に向ける。けれど、自分を見た男がどんな表情をしているのか、気になる暗がりを見つめ続けている久保田にはわからなかった。
 少しの間、久保田の横顔を見つめると、男はかけている眼鏡を人差し指で上げる。そして、紙袋を持っていない方の手を前に伸ばして、何かを掴むような仕草をした。
 「貴方は既視体験…、という言葉を知っていますか?」
 「確か初めて体験してるコトなのに、前に体験したことがあるかのように感じる錯覚だっけ?もしかして、今、俺の感じてる感覚がソレだってコト?」
 「えぇ…。ですが、私は錯覚ではなく、あり得たかもしれない未来だと思ってますけどね。あり得たかもしれない…、けれどあり得ない未来だと…」
 「・・・・・・ソレって、どういう意味?」
 「そう、例えば…、曲がり角を右に曲がれば出会うはずだった人と、左に曲がってしまったために会えない。つまり、そういう事です」
 誰かとココで待ち合わせている未来があったが、久保田がそれを選ばなかったのだと…、だから、誰かと待ち合わせをしている気がするのだと男は言う。けれど、そんな未来は知らないし、選んだ覚えもなかった。
 しかも、気配を感じたのは確かだが、正確には誰かを待っている気分になり始めたのは男と会った後、だから男の言う事は自分には当てはまらないような気がする…。
 けれど、出会うはずだった人と出会わない…。
 出会わないまま…、歩いていく今があったかもしれないと…、
 そんな風に思った事があるのを思い出して、久保田は視線を暗がりから自分のカバンに向けた。
 
 あり得たかもしれない…、けれどあり得ない未来…。

 その未来でも、この重さと冷たさを知るのか、それとも知らないのか…、
 それとも、今よりももっと深く…、知る事になるのか…、
 いくら考えてもわかるはずのない事を、ふと考えかけて苦笑する。
 どうやら、この裏路地で出会った男は、不思議な雰囲気を持っているだけではなく、人を乗せるのも上手いらしい。こんな与太話に付き合うほどヒマではないが、そんな未来を考えながら、裏路地から感じた気になる気配を改めて思い出すと、どことなく…、知っている誰かに似ている気がした。
 だからこそ、たぶん…、こんなに気になっている…。
 本人がすぐ隣に居たから、そんな事は思いもしなかったけれど、そう思うと自然に口元に笑みが浮かんだ。

 「・・・時任」

 気になる裏路地の暗がりに向かって…、そう呼びかける。
 しかし、誰も居ない空間に呼びかけても、返事が返ってくるはずはない。
 けれど、呼びかけてみて初めて、ココで時任と待ち合わせをしていた未来が、どこかにあったのかもしれないと、だから気になるのかもしれないと…、
 意味もなく、訳もなく納得している自分がした。
 そうして初めて…、もうここで待たなくてもいいのだと思えた…。

 「お前とココで出会う未来が、どんな未来だったのか知らないけど…。お前と出会わない未来なんてのは、どこにもないのかもね…」
 
 帰りたいと思う場所は、この暗い裏路地ではなく、明かりの灯る窓のある部屋。いつの日も、どんな時も一緒にいたいと想う…、大切な人のいる場所…。
 そこに帰りたいと…、帰ろうと思い立って視線を裏路地の出口を見ると、いつの間にか空は赤く染まっていた。
 夕暮れ時に空を染める赤い色は、その色が鮮やかであればあるほど、なぜか帰りたいという気持ちを強くさせる。けれど、今日の夕焼け空がこんなにも綺麗に見えるのは…、たぶん別れ際に触れた唇の感触が恋しいから…、
 こんな色に頬を染めながら、小さく好きだと呟く声を早く聞きたいからかもしれなかった。
 けれど、男に軽く挨拶をこの場を立ち去ろうとした瞬間、カバンの中の拳銃の重さを感じて足を止める。さっきまで必要だと感じて手放せないでいたが、今はこの冷たさと重さを持って、綺麗な夕焼け空の下を歩き…、時任の元へは帰れなかった。
 「悪いけど、もらってくんない? 出所は確かだし、たぶんアンタなら商売柄、こういうのもらっても困らないデショ?」
 久保田はそう言うと、カバンから新聞紙に包んだ拳銃を二丁取り出す。
 そして、男の前に差し出した…。
 すると、男は感情の読めない笑みを浮かべて、久保田の差し出した拳銃を受け取る。男の商売についての久保田の予想は、どうやら間違っていないようだった。
 「気が変わったら、取りに来てください。私は中華街で東湖畔という店の店主をしてますから…」
 久保田の気が変わると、そう決め付けているような男の口調。
 けれど、男の言った店の名を頭に入れずに聞き流して、久保田はポケットから取り出した禁煙ガムを口の中に放り込んだ。
 「気が変わるくらいなら、アンタに渡してないと思うけど?」
 「そうですか…、貴方がそう望むのなら」
 「うん」
 「ですが、歩けますか? コレを必要としない道を…、貴方は…」
 そう言った男の目は、裏路地に沈む暗闇の色をしている。
 暗く冷たく…、誘い込むように、じっと久保田を見つめてくる。
 しかし、今の久保田の瞳に映りこんでいるのは、裏路地の暗がりではなく、時任の元に帰るために歩く道の上を染める、鮮やかな夕焼けだった…。

 「歩けると良いと思ってるよ…、アイツと一緒ならね」
 
 久保田がマンションで待つ時任を想いながら夕焼け空を眺めると、男は何も答えず微笑みを深くする。そして、やっと現れた男の取引相手と入れ違いで、久保田は裏路地の出口に向かって歩き出した。

 「とりあえず、今の所、アンタと茶飲み友達にならない道を歩いてくつもりなんで…」

 振り返らずに久保田がそう言うと、それは賢明です…という笑みを含んだ男の声が後ろから追いかけてくる。けれど、それ以上は久保田も男も何も言わず、二人は裏路地で出会い裏路地で別れた…。
 そして、ウチに帰りたくなるような夕焼け空の下を歩き始める。
 目の前に見えるマンションを眺め禁煙ガムを噛みしめながら、ゆっくりと歩き出して…、いつも歩くくらいのペースに速度を上げて…、
 それから…、更に速度を上げて走る必要もないのに走り出して…、
 らしくなく、青春らしきモノをしている自分を心の中で笑いながら、赤い夕日が眩しくて目を細めた。
 
 「ま、さすがに叫んだりはしないけどね」

 そう呟いて見上げたマンションのベランダに久保田が時任の姿を見つけると、時任の方も走ってくる久保田の姿を見つけて上から遅いと怒鳴る。そして、そんな二人は同じ夕焼け色に染まっていた…。
 お互いを染める…、同じ夕焼けの赤い色…。
 その色を見ながら、さっきまで自分が考えていた事を思い出していた。

 変わったようで変わらない、変わらないようで変わった…。

 そのどちらなのかと考えてみたりしていたが…、
 お互いを染めた、この色は一体どちらの色なのだろう…。
 この色はたぶん久保田の色でもあり、時任の色でもある。一緒にいたいという想いが同じだから自然に混ざり合った色は、とても暮れていく空を染める色のように優しく穏やかで暖かかった…。
 そんな色の中をマンションに入り、エレベーターで4階まで昇り…、
 久保田は自分を待つ、時任の元へと帰り着く…。
 すると、チャイムを鳴らす前にドアを開けた時任は、走って帰ってきた久保田を見て楽しそうに笑った。
 「早く帰って来いってのは言ったけど、何も走って帰ってくるコトねぇじゃん。もう9月になったっつっても、今だって十分暑いし夏だろ?」
 笑いながら、そう言った時任を目を細めて眩しそうに見つめると、久保田はそうだねと答えて、時任が開けてくれたドアの中に入る。そして、暑いと叫びながらも逃げようとしない時任を抱きしめた。

 「今日の晩メシ…、何にする?」
 「・・・・カレー以外」

 ぎゅっと強く抱きしめながらも、そんな言葉が口から出て…、
 それにいつもの調子で答えた時任と一緒に笑いながら、今日の晩メシについて話し始める。こういう所は前とは変らないところのようで…、けれど前とは少し変わったようで少しくすぐったい気分になった…。
 灰皿のなくなったリビング…、
 相変わらずやりかけのゲームが散らかってる床…、
 そして、相変わらずキッチンの鍋には、昨日のカレーが入っていて…、
 寝過ごして、そのままになっている寝室のシーツの皺と波が…、初めて触れ合った肌の熱さを思い起こさせる。変ったようで変らない…、変らないようで変わった日々は、どこまで続くのかわからないけれど…、
 これからもたぶん一緒にいるから、一緒にいたいから変らないままで、そして同じ理由で変っていくのだろう…、きっと…、
 久保田は吸っていたセッタではなく、噛んでいた禁煙ガムとリビングの灰皿に放り込むと、食事用のテーブルに散らばっていた新聞の折り込みチラシの裏に、黒いマジックで大きく文字を書いた。
 「ソレ、なんて書いたんだ?」
 「ん〜、ヒミツ」
 「まさか、俺の悪口とかじゃねぇだろうな」
 「さぁ、どうだったっけ?」
 「おいっ、ちょっと待てっ、ソレ見せろよっ!」
 「なんて書いてあるのか知りたかったら、こっちにおいで」
 「・・・って、ドコに何をしに行く気だっ!!」

 「それは、もちろんある場所に、さっきの続きをしに行く決まってるデショ?」

 久保田はそう言うと上にガムテープを一枚だけ貼り付けた広告を左手に、右手に続きはそういう意味じゃねぇとか今は夕方だとか叫ぶ時任の腕を持って寝室に向かう。そして、黒マジックで文字を書いた広告をドアの前に貼ると、背後にある皺だらけのシーツを見て赤くなった時任の耳に好きだと囁いて、唇にキスをしながらドアを閉じた…。
 


 ・・・・・・只今、『改善計画』発動中。


 
 閉じられたドアに、そう書かれた文字だけが残り…、
 閉じられたドアの中には…、もしかしたら、この世にはないはずの…、
 ずっと一緒にいたいと願う二人の…、永遠があるのかもしれなかった。
 


  。・゜゜ '゜(*/□\*) '゜゜゜・。 ウワァーン!!
 終わりました…、完結しました…(号泣)
 去年の時任の誕生日から書き始めて…、十ヶ月ちょっと…。
 ううう、こんなあり得ない間、書き続けてやっとやっと完結っっ(>_<、)
 じんわりなのです…、涙なのです…。

 C= C= C= C= C= C= 。・゜゜┏(T0T)┛ウァァァァァァ

 書いている途中でも言ってましたのですが、
 反省しなくてはならない所が、本当にすごくたくさんで(涙)
 でも、最後まで書く事ができて本当に良かったです…。
 完結する事ができて幸せです…(T△T)vvvv
 こんなに長い間、つたないお話を読んでくださった方vvvv
 最後までお話を読んでくださった方vvvv
 本当に本当にありがとうございますっ!!!!!!vv。:゚(。ノω\。)゚・。
 感謝と涙で目の前が見えませんですっっ(号泣)
 
 (*TT)/。・:*:・°★,。・:*:・°☆アリガトーvvvv

 完結を祝して、今日は一人で乾杯したいと思いますvv
 
 (≧∇≦)/□☆□\(≧∇≦ )時任に久保ちゃんに、二人にカンパーイ!!


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