■2003/09/30 (火)
私の人生の付箋のはってあるところ。2 |
3 地下鉄サリン事件
同じく平成7年3月20日。この日は、本来ならば私の卒業式の日であった。
演劇に気を取られ取る単位も取れずに迎えた本来の卒業式、私は、無事単位を取得した同級生たちを祝うため、大学の卒業式会場の外にいた。
卒業式の前の晩は、このときも学校に泊まった。その前日が、私の所属する演劇サークルの楽日だったからだ。(演目は「BUN-KUK君」というサザエさんファミリーの出てくる文庫本系な芝居。なんのこっちゃ)
そのサークルの衣装ケースから引っ張り出したタキシード(!)を着て、一足先に卒業していく同級生を祝福する。
そして式を終えた11時ごろ、同じ研究室のK君と学食で早めのランチを取ることになった。
「茶夢」という喫茶部で、おなじみの「チャムめし」を食べていると、ラジオから聞こえてきたのは、こんな情報だった。
「聖◆加病院○名、順□堂病院○名、・・・以上のかたが搬送されました」
おもわず食べる手を止めて聞き入る。こんな放送は、たった2ヶ月ほど前にも、あの大震災の時にもたくさん聞いていた。私もK君も
「まさか、今度は東京でも地震!?」などと、同じ都内にいるのに一瞬そんな想像を口に出したり。
しているうちに、それは地震ではなく、想像を超えるような理念のもと行われた犯罪ということを知った。
その後、サークルの部室に戻ると、A先輩の周りにみんなが集まって、くちぐちに「よかった、よかった」と話していた。
A先輩も夕べの千秋楽のあと、打ち上げに参加し泥酔して部室に泊まっていた。
そしてその日はA先輩の院生としての卒業式の日であったのだ。
A先輩は都心在住なので、もし、終電に乗って帰っていて、きちんと卒業式に出るためにいつもの地下鉄に乗っていたら、ひょっとしたらサリンを吸い込んでいたかもしれない。
泥酔して、学校に泊まったことで、卒業式には出られなかったものの、一命を食い止めたことを、他の部員が喜び合っていた様子である。
そんなこととは知らずにけだるそうに眠りつづけるA先輩なのだった。
■2003/09/30 (火)
私の人生の付箋のはってあるところ。1 |
なんだかいきづまってしまった土日が明け、一日汗水垂らして挽回。
けっこう遅くまで残業する中で、ああ、そうだと、思いついたので書いておくことにする。
「私の人生の付箋のはってあるところ。」
今日職場で残業しながら、ふと、北海道の地震の話から「阪神大震災の時、何歳だったか」なんて言う話題になった。
そういえば、90年代からこっち、私の人生(大げさな(笑))で印象に残る出来事と、社会的な事件がリンクしていることが多いことになんとなく気づいた。
そんな、「付箋がはってある」ようなたわいのない出来事でしかないけれど、せっかくだから振り返っておこうか。
1 昭和64年と平成元年の境目。
昭和64年があったことを、しばらく忘れていた。1月7日までの、たった一週間だけだったけど。
そんな、昭和天皇崩御の時。今は亡き小淵官房長官(当時)が新しい年号「平成」をテレビで発表していたまさにそのときを、私は高校一年生で、いとこたちとともに舞子後楽園スキー場の医務室で迎えた。
と、いうのも、一緒にでかけたそのいとこが急に発熱し、医務室で休んでいたのだ。付き添った私は、医務室の隅にあるテレビで「平成」なる言葉を初めて耳にしたのだった。
2 「早朝のパニック映画」阪神大震災。
平成7年。1月17日にその天災は、起こった。
私はこのとき、大学4年生で、卒業制作の油絵の最後の追い込みにかかっていた頃。17日の朝も、研究室で迎えた。
午前9時すぎにのそのそと起き上がり、備えつけのテレビをつけると、そこには、煙を上げて燃え上がる町と、ドミノのように倒れた高架橋の上空映像が流れていた。
「午前中からパニック映画なんだー」と思ったことを覚えている。
それが、同じ日本でたった今起こっている状況なのだと気づくのにあまり時間はかからなかった。
けれど、本当にそれが現実の光景と受け入れるのには時間がかかった。
その日の夜、いつも煌々と明りが途切れることのなかった洋画研究室からしばらくぶりに人がいなくなったのだった。研究室の天井にうすく広範囲にわたるひび割れがあったからだ。
猿でもできるが。さるさる日記。
土日はたまった仕事を処理する予定で、家にこもってPCに向かったり、本を読んだり。
・・・・気がついたら、HP作りに夢中になってるぢゃないの。あほ?
おかげで、新プロバイダにデータ移行した上に、なぜかいろいろと機能が増えました。
肝心の仕事は・・・・。うーん、うーん。
というわけで、「オコネギmobile」ができました。
携帯から、ここ(日記)やBBSが見られます。あと、待ち受け画像をアップするよてい。予定は未定。
ぐごーーーーー!!!
■2003/09/24 (水)
すっごくうれしい。 |
きょうはすごくうれしいことがあった。
やったー。
ふ。
しかし、そんな浮かれ気分に浸る間もなくいろいろ大変なこともあったなあ。未熟。
でも。ふ。
■2003/09/16 (火)
ニューステばりのデータ分析力・ |
・・・と1時間位前に以下の日記を書き上げたのち、ニュースステーションを見たら、なんと私と同じように「1分間に10人飛び込んだことになる」と分析していた!
(ちょっと計算すれば導き出せるじゃろー!?)
というツッコミはこの際無視して、うふうふ。私のことを「ニューステばりのニュース分析力をもつ女」と呼んでくれたまへ!今後24時間くらい。
道頓堀に5,000人のおバカな大人が飛び込んだとニュースで言っていた。
本当だろうか??だとすると、例えば1分につき10人の人が飛び込むと仮定すると500分かかるということだ。つまり8時間20分。ああ、そんなもんかね・・・・。
18年前の阪神優勝フィーバーの時に道頓堀に飛び込んだ人の中には細菌に感染した後遺症が今も残る人がいるとか。
あほやー。っていうか、道頓堀ってなんなんや。
いそがしいのねいー。
ついに、阪神の18年ぶりの優勝が決まった。
特にプロ野球の熱血ファンではないんだけど、やはり18年前の虎フィーバーの時に多感な思春期(!?)を過ごし、バースや真弓のビールかけを感動のこころで見守った私としては、なんつーか、なつかしいやら、うれしいやら、年の経つのを実感したというか。
とにかく、めでたいので自宅で祝勝会(またか)。
祝勝会メニューはガンボスープ。おいしくできました。
さて、この3連休はほとんど出歩かずうちでぱこぱこパソコン仕事。
なぜか真夏日続きの3連休、冷房をかけ、パコパコしてると口淋しくなり、ついついなにか口にしている。
結果。2日間で2キロ増。わかりやすいぞー。いかんな。
しかし今日は阪神万歳!!ああ、よかったなあ。景気上がるといいなあ。
(これまで阪神が優勝する年は好景気のはじまりだったりするらしい。)
今日は中秋の名月。
お昼に月見だんごが出たのですが、まだ解凍しきってなくて堅いのなんの。
堅くて冷たいだんごは拷問でしかないことがわかった。
その後、仕事が立て込んで空も見ずに帰ってきて、メールをチェックしたら母から一見。
「満月のそばにきれいな火星も見えるわよ。東京と柏崎で月見したら」
おー、忘れてた、と早速外に出ると、ちょうどアパートの正面から良く見える方角に月はあった。
かすみ雲がかかっているけど、満月はやっぱりきれい。
そんなことを東京と話しながらしばし月見をしたのでした。
母、粋な計らいに感謝です。
あと、今日は3件立て続けにウイルスメール(くれず)が来た上に、なんかのーとん先生が「ウイルスがいるよー」と警告をだしてきたり。あせってスキャンしたけど、マシンの中にはいないみたい。
そして、LANにつながない状態になったら、ノートン先生は何も言わなくなった・・・ということは、職場のほかのマシンが感染か?!いやーん。
というか、元から純粋に日曜日でしたね。いやはや。
仕事たまってる感じなので、なんとなく、日曜は仕事モードの予定でした。
なのになのに。
くちでは「おーっしやるぞー」とかいいつつ、
なんだか部屋の模様替えがしたくなって、自転車で近所のアテーナに出かけてみたり。
帰ってきて、うっかりツボ押しにはまったり。お灸をすえてみたり。
そうこうしているうちにお昼になったのでごはんを食べてみたり。眠いので昼寝をしてみたり。
気がついたら、午後10時だったさー!ああ、充実していたような、あとでしっぺが来るような・・・。
余裕を先送りしても平気な人になりたい31歳しし座A型でした。
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ではなく、誤入力です。人間ドック。
本日、詳しい検診結果が郵送されてきました。
すべてAやBという「健康です、大丈夫」という判定でした。よかった。維持するぞ。
ところが、判定はBなんだけど、どうもあたしの肝臓には「肝血管種」という良性の腫瘍があるらしい、ということが分かった。
良性で特に心配はないが時折超音波検査で大きさの確認をしておいたほうがいいらしい。
へえー。見つかるものですね。自分の中にそういうものがあるのだ。さすが三十路。
今日は、二つ、「生まれて初めて」をして楽しかった。
オクラホマミキサーと胴上げ。くす。
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