勇者妻37
|  その夜、私は夢を見た。小さい頃の夢。初めて熱い思いを抱いたあの日の夢。 「ユリアは本当にこのご本が好きなのねぇ」 お母さんの優しい声。 「うん」 何の迷いもなく、素直に頷く私。 「お母さん、もう全部覚えてきちゃったわ」 「じゃあじゃあ本が無い場所でもいつでもお話してもらえるね」 母親は私の言葉に困ったような表情を浮かべる。 「ユリアだってもう覚えてるんじゃない? ご本の内容」 「うん」 「じゃあ、私が読まなくても大丈夫ね」 今度は私が困った表情を浮かべる番だ。 「うー」 お母さんが本を読んでくれなくなる。大好きな勇者のお話をしてくれなくなる。私はとても悲しくなった。 「うふふ。ほらほら、そのくらいで泣かないの。ユリアは泣き虫さんね」 優しく頭を撫でてニッコリと笑ってくれる。 「わたし、泣き虫さんじゃないもん」 「じゃあ、これは何かなぁ?」 お母さんは私の流した涙を指ですくうと、見せつけるように突き出した。 「うぅぅぅ……」 「これは涙じゃないのかなぁ?」 悪戯っぽい笑みを浮かべる。 「ち、違うもん……」 私は頬を膨らませて視線をそらした。 すると母親は指先をチロッと舐める。 「しょっぱいぞー?」 「うぅ、お母さん意地悪だよぉ……」 「ふふふ、ごめんなさい」 ニコニコと笑うお母さん。意地悪されても好きだった。 「……ねぇお母さん。わたし、泣き虫さんじゃなくなりたいよ。どうすればいいのかなぁ?」 私が質問をすると、人差し指を顎に置いて、『そうねぇ……』と呟きながら考え込んだ。 「まず泣き虫さんじゃなくなりたいって思うの。 それでね。泣き虫さんじゃなくなれますようにって願うの」 私はお母さんの言葉を聞き漏らさないように真剣に聞く。 「それからね。『その願いは必ず叶うんだー』って信じるの。そうすればきっと大丈夫」 「本当に?」 「そのかわり本当に心から信じなきゃだめよ? ほら、勇者だって本当に心から信じていたから魔王を倒せたのよ」 お母さんは、私の好きなご本の、最後から何ページか前のところを開いて見せてくれた。 「『信じていることを本当のことにすることができる力を持っているのです』……ね?」 「あれー? でもわたし、勇者じゃないよ。それでも信じていたら本当のことにすることができるの?」 「できるわよ。勇者がその力を持ってるんじゃなくて、その力を持ってるのが勇者なんだもの」 「え、えっと……」 難しくてよくわからなかったけど……私にもできるらしいことはわかった。 「そうねぇ……。 勇者はね、その力が一番強い人」 「一番強い……」 それって……それって……。私は頭が痛くなるほど考えた。 「じゃあじゃあ、お願いが全部叶っちゃうってこと?」 「どうかなぁ……本当に信じられるものって意外と少ないものだもの」 またお話が難しくなってきた。 「どういうことだがわからないよぉ……」 私はもう降参だった。お母さんは真剣に考えてお話をしてくれる。だから難しい。 「うふふ。そのうちわかるわ」 「うん」 頷く私の頭を軽くポンポンと叩いてくれる。私は少しくすぐったくて目を細めた。 「ユリア。あなたは本当に信じられるものがたくさんある人になりなさいね。それは幸せなことだから」 「信じられるものがたくさんってことは……、たくさん願いごとが叶うってこと?」 「ふふ、ユリアは欲張りさんね」 「へへへ」 「そうね……たくさんの願い事を叶えられる人ってことなのかもね」 「じゃあ私、そういう人になる! 本当に信じられるものをいっぱいつくって、それでいっぱいいっぱいお願い叶えるんだ!」 目が覚めていた。まだ夢の中にいるような気分だが、確かに現実の世界に戻っていた。 私の夢の原点。それは今日夢で見た出来事なのだろう。 でも私はまだ何も決めていない。夢の原点を見つめ直しただけ。進むべき道が定まったわけじゃない。 私は体を起こし、身なりを整えるためクローゼットの前に行く。昨日の服はまだ乾いていないだろう。しばらくはこの宿屋に居座らなければいけなくなりそうだ。 クローゼットを開くと、開き戸の鏡に自分の姿が映った。少し目が腫れていて、髪が乱れている。 でも、表情は悪くなかった。 「ユリア……これからどうするの? どうしたいの?」 私はその虚像に向かって問いかける。 ヒイロは私の「今」と「これから」を知りたいと言った。でも昨日は答えられなかった。 でも……今日はきちんと答えられるような気がする。鏡に映った自分の顔に嫌悪感を抱かなかったのは久しぶりだったから。  |