勇者妻30

 私は特別製のダガーを素早く抜いて水平に薙ぐ。ベイトは後ろに少し状態をそらしてそれを難なく避けた。その避けの動作をしている間に私はできるだけ間合いを離し、切っ先を突きつけるようにダガーを構える。
「かははははは。逆らうってか!? おもしれぇ! 抵抗するおまえを服従させる方がきっと楽しいだろうしなぁ!」
 白兵戦は実力勝負。腕が上回っているモノが勝利する。だから私が勝つためには奇策に出るしかない。
 特別製のこのダガー。これが私の奇策の要。
 私はベイトに悟られぬようダガーの柄の部分のビスを外す。ベイトは余裕の表情を浮かべまだ剣さえ抜いていない。
 よし……はずれた……。剣を降ることで刃が飛ぶはずだ。私がこのダガーを特別製だと表現しているのはこれがあるからだ。
 ベイトはこの仕掛けを知らない。ダガーを避ける時は最小限の動きで避けるだろう。だから……飛ぶ刃は避けきれない。……この奇策がベイトに通用するか……そんなことはわからないが、現状私が勝利を収めるためにはこれしか方法がない!
 チャンスは一度。速攻で決める!
「さぁかかってこいよ」
 やっと剣を抜いたベイトは不敵な笑みを浮かべている。剣は抜いてはいるが片手で持っていた。
 本来ベイトは両手で剣を扱う。とことんなめられてるようだ。これなら……いける!
「よく喋る男ね!」
 私は投げナイフを数本投げつけながら後ろに飛ぶ。間合いを少しでも離しておかないと……。
 ベイトはかなり近い距離から投げられたはずの投げナイフを、剣を素早く降ることでたたき落とす。
 やっぱりコイツ……タダ者じゃない!
 投げナイフは予想より低い効果しか得られなかったが、ベイトは間合いを詰める様子はない。完全になめられている……。でもその油断がなければ私につけ込むスキなどないのだ。
「はぁああああ!」
 私は気合いを入れるため吠えた。
 ダガーを左手に、投げナイフを5本右手に仕込んで力強く踏み込む。
 踏み込むと同時に牽制のナイフを投げ、それ以降は間合いを詰めつつ連続してナイフを放った。
 もちろんことごとく剣で叩き落とされるが、計算通りだ。
 5本目の投げナイフを放ったときにはもうベイトとの距離はほとんど無い状態だった。
 ナイフが剣で叩き落とされる音。
「せぃ!」
 私はさらに一歩踏み込み水平にダガーを薙ぐ。
 ベイトはそれを紙一重で避けるため、スッと後ろに下がった。剣はナイフを叩き落とすのに使ってしまっている。今までは体を動かす必要が無いとでもいいたげだったが、そうもいかなかったのだろう。私もこうなるように仕向けたのだが。
 そして予想通りの余裕たっぷりの最小限の避けの動作。しかしそれが命取りよっ!
 ダガーの刃が飛び出し、ベイトを襲う。
 この瞬間。まともにベイトの顔色が変わった。この至近距離で、しかも猛スピードで放たれた予想外の刃。避けられるハズがない。
 刃物が肉に突き刺さる音。
 聞き慣れているハズのその音も、人間の肉に突き刺さった音だと思うとまるで別の音のように聞こえる。
「ぐぅ!?」
 ベイトの顔は苦痛のせいで歪んでいる。
 しかし……。
 ベイトはすぐに突き刺さった刃を引き抜き、投げ捨てる。
 防具のない首元を狙った刃はベイトの左腕に突き刺さった。とっさに左腕で体に突き刺さるのを防いだのだ。皮肉にも片手で剣を扱うという行為が、功を奏したようだった。
 日頃の行い……悪いのかな……。
 切り札を失った私は妙に落ち着いていた。左腕を使えなくしたところでどうなるものでも無い。だって私は、もう武器すら無い。
 未だ雨は降り続いている。

 良かった……。
 涙を流してもきっとわからない。

「まったく大した女だよ」
 傷口をペロリと舐めるベイト。すると傷口がふさがれていった。
「一人旅になっちまったからな。
 このぐらいはできないとやってられねぇんだよ」
 ごく簡単な回復魔法だろう。それで癒えてしまうのだ。ダガーによる傷はそんなに深くは無かったらしい。
 そうか……。ベイトの腕は逞しかったわね。かつてこの男の腕で眠ったことが脳裏をよぎった。
「さぁ、観念しな」
 ベイトが私の喉元に剣を突きつける。
 夢をかなえてくれると思えるほど逞しい腕。でも今は、それが私の進む道をふさいでいる。
 ホント……笑っちゃう。
「フフフ……」
「何がおかしい?」
 私の最期の演技だ。
「ホント……強いけど……くだらない男」
「何だと?」
「あんた。私に捨てられた理由わかってないでしょ?」
 いや、演技というのはおかしい。本当のことを言えばいいのだ。私の思っていたことを言ってやればいいのだ。
「くだらない男だから……そう言いたいのか?」
「チンケな復讐劇に精を出しちゃってさぁ」
「……チンケだと?」
「チンケじゃない。女に捨てられたぐらいでこぉんな小道具まで用意してさぁ」
 大げさに封魔の腕輪を突き出す。
「それに魔法まで習得。まったく、バッカじゃないの?」
 ベイトの表情が変わり、怒りに染まっていく。
「教えてあげるわよ。私があなたを捨てたのはねぇ。あんたが勇者になるのを諦めたからよ。夢を途中で捨てて、幸せな家庭を作りたいなんて、チンケで軟弱なことを言うくだらない男だったってことがわかったからよ!」
「てめぇぇぇえええええ!」
 ベイトが剣を大きく振りかぶる。
 そうだそのまま振り下ろしなさいよ。こいつの人形として生きていくくらいなら死んだ方がましだ。
「勇者になるのをやめるなんて言う奴は私にとって無価値なのよ! 捨てられて当然だってのよぉ!」
「このアマァ!!」
 剣が振り下ろされる。私は目を瞑った。
 空気が切り裂かれる音。剣が振り下ろされるまでは1秒も無いはずなのに、こんなことを考えられるなんてね。死の直前は時間がゆっくりと流れるっていうのはあながち嘘じゃないのかもしれない。
 視界を故意的に遮断することによってつくられた暗い闇の世界に、フッと一人の男が思い浮かんだ。
 ……もう一度だけ……逢いたい……な。

 ガギィィィッ!

 まるで金属と金属がぶつかりあうような音がした。頭蓋骨が砕けるとこういう音がするのだろうか?
 ……いや……。
 そんなはずは無い。
 私……死んでない?
「じゃあなんで僕は捨てられたのかな?」
 その声によって私は反射的に目を開いた。
 ……彼は私とベイトの間に入り、怒りによって振り下ろされた刃を止めていた。
 すぐには信じられなかった。
「ユリア。僕は勇者になるのをやめるなんて一度も言ってないよ?」
 でも……相変わらずの口調で……。私に対する口調があまりにも変わっていないものだから……。否定する要素が見つからない。
「ヒイロ……」
 頭よりも先に心が動き。自然に彼の名前を口にしていた。


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