勇者妻28

 全身の血の気が引いていくようだった。今までこんなことは無かった。捨てた男との再会なんて。
 ……そうか……。
 すぐに自分の過ちに気がつく。今まで捨ててきた男は、どれも次のパートナーよりも実力の低いヤツばかりだった。だから私のスピードについてくることが出来なかったのだ。そのことから『捨てた男と会うことは2度と無い』という安直な公式を成り立たせていたのかもしれない。
 でも、ベイトは違うのだ。ソードよりは若干劣るがヒイロよりは強い。かなりの実力者。こういう事態になることは充分考えられる……そのはずなのに……。
「へぇ……今度の男はコイツか……」
 障気の溶け込んだ雨を全身にたっぷりと浴びているためか、その表情は青白く狂気じみている。いや、狂気じみているのは多分他に原因があるのだろう。
「ユリア?」
 今まで事の次第を把握しようと勤めていたソードがやっと私に問いかける。
 私はフルフルと怯えたように首を振った。ベイトの目的が何かわからない以上、まだ何も喋らない方が得策だ。もしまずい事態になったら、『訳あり』の原因をこいつにしてしまってソードに助けを求めればいい。狂った男と愛した女。どちらの言うことを信じるかは考えなくてもわかる。
 そうだ。まだ対処できない事態じゃない。落ち着けユリア。
「いい男だな。かなり腕っ節も強そうだ。なるほどな。オレの得た情報は間違いじゃなかった訳だ……」
 含み笑いをしながら口を動かし続けるベイト。
 そうだ。喋るんだ。
 それで自分の持つカードをすべてこちらに見せなさい。こういうのは最初に切り札を出した方が負けだ。だから私はまだ動かない。
「俺はおまえが消えてから、何もする気にならなかった。
 そんなとき、ある一人の男に会ったよ。デモンズに挑戦するために金を必死に貯めていた一人の騎士だよ? 知ってるだろ?」
 あやふやな記憶しか残っていないが、該当する男の顔がいくつか浮かぶ。最初の頃は資金難だったために、実力者よりも金のある男に張り付いていた。多分……その中の一人だ。
「おまえのために必死に尽くしたけど、ある日いきなり姿を消したそうじゃないか。それを聞いてから……オレはいろいろ調べたよ。おまえのことをな……」
 最悪のパターンだ……。だけど……だけどまだ大丈夫。切り札を使う場所さえ間違わなければ、私はまだ怯えたような仕草を続けるだけで何も言わない。
「勇者になりそうな男に張り付いて玉の輿にのろうって考えなんだろ? 他にもそういうヤツはいるみたいだが、おまえほどタチの悪いのはいねぇよ。今まで何人の男を騙してきた?
 ……まったく……滑稽だぜ。俺もその一人なんだからな」
 チラリとソードの方に視線を向ける。ソードは困惑したような顔をしているだけだ。若干疑惑の念が沸いているかもしれないが、まだ平気だ。切り返せる。
「なぁ、あんた。あんたも馬鹿を見たくなかったらそいつから離れなよ。そりゃあ可愛いと思っちまうのもわかるよ。好きになっちまうのもな。
 ……俺もそうだったからな。でもな。それがそいつの手なんだよ。こいつの演技は完璧なんだよ」
 そろそろだ。『あいつは昔一緒にいた男。別れたのにしつこくつきまとってくる。先を急いでいたのもこいつから逃げるため』そう、そういう設定にすればいい。ソードだったら騙せる。
「ユ、ユリア?」
 私が何も言わないためかソードはもう一度私に問いかける。さっきよりも疑惑の念は強いだろう。
「何も言えねぇよなぁユリア。事実なんだからよぉ」
 フラフラとした足取りでベイトが近づいてくる。そろそろだ……。
「こ、来ないでぇ!」
 大げさに恐れソードにしがみつく。さぁ、腕の見せ所だ。なぁにいつものようにやればいい。一人の男を騙すなんて簡単だ。
 これが……ヒイロだったらこうはいかないのかもしれないけど……。

 ドックン。

 心臓が激しく動いた。もしあのままヒイロと一緒にいて、今のようにベイトが来たら……。
 ヒイロに私のしてきたことが全部ばれてしまったら。

 ガクガクガクガクッ。

 不意に全身が激しく震える。頭の中が真っ白になる。
「あ、ああ……」
 力が抜け、ソードから離れてしまう。
「へへ……何も言えなくなっちまったのかよ」
 ま、まずい……何か……何か言わないと……。しかし頭がうまく働かない。言葉が出てこない。汗が溢れるように出る。
「……さぁ、そいつから離れろよ今現在の犠牲者さん」
 その言葉を受け、ソードが離れていく。
 もう切り札を出すタイミングはすぎてしまったようだ。もう私に向けられるソードの視線は、侮蔑に満ちたものだった。
「オレは……騙されたからって……おまえをどうこうしようとは思わねぇ。だけど……ここでおまえを助けてやるほどお人好しじゃねぇ。
 自分の撒いた種は自分で何とかしな」
 それだけ言い残してソードは私に背を向けて歩いていく。
 くっ……もう取り繕えない……。ソードみたいな男から一度信用を失ったら最後。それにしても……判断が早すぎやしない?
 いや……そうでもないか……。結局メッキはメッキってことなのだろう。所詮ソードが私に抱いていた想いも、一時的なものでしかない。狂った男の言葉で簡単に揺らいでしまう。
 私は……こんな想いを受け続けて今までやってきたのか……。
 まぁ……その前に……今の私じゃ……どうにもできない。なぜ今あんなことが脳裏によぎってしまったんだ……。
 私は震えを止めるためがっしりと自分を抱きしめた。でも震えが止まる事はない。
「カァッハッハッハ……ざまぁねぇぜ!」
「ど、どうしたんだ君たち……なんだか穏やかじゃないが……」
 今まで何が起こっているのかわからずに、呆然としていた転送陣の管理者がベイトの笑い声によって正気に戻る。
「悪いけどちょっと黙ってろよ!」

ゴッ。

 鈍い音とともに管理者の目が白一色に変わった。ミゾオチに剣の柄の部分がめり込んだのだ。意識を失ってその場に倒れる管理者。
 何のためらいもなく他人に手をかける……。ベイトはもうかつてのベイトではない。私のパートナーだった頃のベイトは、優しくて強い男だった。
 ……私が変えてしまったのだ。
「私をどうする気よ?」
 言葉を絞り出す。
「へっ……悪いようにゃしねぇよ……オレは今でもおまえを愛してるからな」
 ニヤリと笑う。その悪意に満ちた笑顔に背筋が凍り付く。
「愛してやるよっ……」

 ズダンッ!

 鋭い踏み込みとともにベイトが私との間合いを詰める。とても『愛してやる』という言葉に見合う雰囲気ではない。
 くっ!
 私はしっかりと精霊を生み出そうと精神を集中した。
「させるかよっ!」

 グラッ……。

 その瞬間。突然地面が揺らぐ。
 なっ、魔法!?
 ベイトは使えなかったはずだ!
 私の足下の地面を揺るがすだけの簡単な魔法だった。しかし私の魔法の完成を遅らせるのには効果はあった。少なくとも、ベイトが接近するまでの時間稼ぎにはなってしまっていた。
「来いヨッ!!」
 ベイトは私の胸ぐらを掴み、力任せに引っ張る。
 グッ……。
 ベイトは凄腕の戦士。腕力も並ではない。私は成す術もなく引っ張られた方向に投げ出される。
 接近戦に持ち込まれてしまった……。こうなってはどうしようもない……なんとしても……早く魔法を……。
「させるかって言っただろうが!」
 投げ出された私の腕を、手の跡が残るぐらいの握力でガッチリと掴んでさらに引っ張る。引っ張ると言うか……引っ張り込んでいる!? どこかへ私を誘導している? どこへ!?
 私がその答えを導き出す前に目的地に引き込まれてしまったようだ。
 そこは、転送陣の上。
 まばゆい光に包まれる転送陣。
 こいつまさか……転送する気!?
 光に包まれた私は否応なく転送イメージを頭に浮かべるしかなかった。転送陣は転送イメージを受け、人を転送させる。しかし、転送イメージを浮かべていない、イメージが安定していない状態で空間の歪みに飲まれてしまうと、歪みにそのまま取り込まれてしまう。だから人が転送するときに生じた歪みには近づいてはいけないのだ。
 だが、今は強制的に転送陣の歪みに包まれてしまった。もうベイトと同じく転送先をイメージするしかない。しなければ歪みにとりこまれてしまうのだから。
 しかしコイツ……本当に正気とは思えない。普通は2人いっぺんに転送などしない。禁止されているし、2人が同じ転送イメージを浮かべなければイメージは安定しないためしようとも思わない。だから私がもし転送イメージをしなかったら転送陣に与えるイメージは安定せず、歪みに取り込まれてしまう。……心中も覚悟ってこと?
 私はその覚悟……いや、そういえば聞こえがいい。その悪意に満ちた強い『想い』にさらなる恐怖を抱いた。


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