勇者妻18
だめだ。このままじゃ。 宿屋のベッドに横になってから、何度も頭の中をリフレインしている。 抑えきれない想い。追わなければいけない夢。このままじゃ、その両方とも中途半端だ。 私は勇者の妻になるためだけに生きてきた。素直さも、正直さも、優しさも、すべてを捨てて。夢を追うために。夢を追い続けるために。 だけど……。だけどなんでこんなに……。 「ヒイロが愛しい」 そっと言葉にしてみる。 ……滑稽だ。 これが何人もの男を騙してきた女の台詞? 信じられないわよ。相手を恋に酔わせ、いいように利用してきた私が……。こんなにも……、こんなにも強い想いに苦しんでいるなんて。 「バカじゃないの?」 騙した男相手に心の中で言った台詞。それが今は私自身に向かっている。 信じられない。クリスが本気で怒っているときも、何も感じず平気で損得を計算していたのよ私は。それなのに……。 「……もう」 ……苦しい。苦しいよ。 頭の中がグチャグチャにかき乱されているようだ。心と頭が……切れ味の悪い刃物で切り刻まれ続けているような。いっそ鋭利な刃物でスパッリと切り離してくれればいい。心なんていらない。頭だけあればいい。 ……でも、捨てきれない。捨てきれないよ。捨てきれるはずなんて無い。 だって、夢を追っているのは心だから。必死で夢を追おうとしているのは心だから。そのために頭を使っているんだから。 ……だから。だからこそ苦しい。 「もう……」 言いかけた言葉を途中で飲み込む。 言ってはダメだ。 ……ダメ! 泣いてはダメだ。 しかし自分の意志とは関係なく、溢れている涙。 「もう、イヤだ……」 新しい夢を見つけてから。私が初めて言う弱音だった。それとともに、抑え込んできた気持ちが一気に溢れ出す。 「もう、いやぁぁぁぁぁぁぁ!」 私は泣いた。瞼が焼けるほど泣いた。誰のせいでもない。自分一人で悩み、自分一人で自分を傷つけて。 本当に私って、私ってバカだ。 「ユリア! どうしたの? ねぇ!」 ドンドンドンドン! 激しくドアを叩く音。そして私を目一杯心配してくれている声。 もうダメだ……。 私……耐えられない……。 涙でグシャグシャになっている顔のままドアを開く。 ヒイロは私を見るなり顔色を変えた。きっとよほど酷い顔をしていたんだろう。私はそんな顔をじっくりと見られてしまう前にヒイロの胸に飛び込む。 もうダメだ……。楽になろう。楽になってしまおう……。 「抱いて……ヒイロ……」 「ユ、ユリア……?」 「…………」 私はこれ以上の言葉が無いことを知っている。だから何も言わない。この言葉は魔法の言葉。どんな男もこの言葉には応えてくれる。 もういい……。 疲れた……。 ……今夜だけでもいいから……一瞬だけでもいいから、楽になりたい。安らぎが欲しい。 きっとヒイロは優しくしてくれる。少し不器用かも知れないけど、それを補ってあまりあるくらいの優しさで私を包み込んでくれる。今はその優しさが欲しい。 刹那的な愛でもいい。いや、愛なんてなくてもいい。ただ……この辛い気持ちを忘れたい……。そうすればまた私は明日から強い自分に戻れる。 「とりあえず……部屋の中に入ろう?」 優しい声。私は黙って頷いて部屋の中に入る。ヒイロもそれに続いて、ドアを閉めた。 灯りを消していた部屋は真っ暗になった。 でももう光なんていらないだろう。 私はヒイロの胸に再び飛び込む。 言葉もいらない。 ヒイロの顔に手を置き。そっと口づけをする。 心さえもいらない……。 ヒイロの手が私の背中に回る。私は唇を離し、ヒイロに身を任せる。 この闇に溶けてしまおう。心も体も溶けてしまおう。 「ユリア……」 私の名を呼ぶヒイロ。 「……ユリア」 そして口づけしたばかりの唇から零れる言葉は……。 「ゴメン……抱けない……」 拒絶の言葉だった。 「どう……して?」 ショックよりも先に驚きが先行した。だってどんな男もこの言葉には応えてくれた。少なくても、私のことを嫌っていない男は拒むことはなかった。 「……あのね……」 言いながら控えめに明かりを灯すランプに火をつける。赤く黄色い炎が弱々しく光り、闇の世界を壊した。 「どうしてって……そんな顔してるね」 優しく微笑むヒイロ。まるで全てを見透かしているような。そんな笑顔だった。 「……姉ちゃんに言われたんだ。『泣いている女は抱くな』って。……『その女を本気で好きなら抱くな』って……。それで結ばれた二人って長く続かないんだって……」 いつもはちゃんと目を合わせて話すヒイロが、初めて私から顔をそらして話している。 「だから……さ。つまり……」 今度ははっきりと私の顔を見る。しっかりと自分の瞳に私を映して……。 「ユリアとずっと一緒にいたいんだよ」 心がどうしようもなく苦しくなった。心臓が壊れそうな勢いで激しく波打った。 何か言おうとしたけど言葉が出ない。思いつかない。 「……えと……。だから今日は抱けない」 いつものように眩しい笑顔だった。 「でも……ずっと側にいるよ」 そっと頭の上に手をのせるヒイロ。 ……優しい手だった。 初めてあったとき、頼もしいと思ったごつい手で、どうしたらこんなに優しくできるんだろう……。 「ヒイロ……ヒイロ……ヒイロォォォォォォ!」 私は泣いた。久しぶりにこんなに泣いた。ヒイロの優しさに抱かれて、一晩中泣き続けた。 |