勇者妻15

 私は暗い部屋で、シーツにくるまっている。寝るのだから当たり前だ。
 でも頭の方はほとんどフル回転してしまっている。なぜなんだろうか。前の晩もそうだったような気がするけど……。
 ヒイロが原因なのだろうか?
 多分そうなのだろう。前の晩も今も、ヒイロの言葉のせいで色々と考えてしまうのだ。
 しっかりして隙がなさそうだけど、子供みたいに可愛いところがある……か。自分でも頭の回転は速いと思う。でもくだらないことに熱中したり、美味しい食べ物を食べているときはバカみたいに機嫌がいいし、子供っぽい所がかなりあるのだ。ヒイロの洞察力は本当に大したものだ。
 ……でもさっきの邪推は的外れだ。ヒイロは口は悪いかもしれないが、人を騙したりするような器用さはないと思う。じゃなかったらあんな毒舌を乱発するなんて考えられない。
 要は素直なのだ。素直に思ったことを言って。素直に考えて。性格が基本的に明るいのだろう。子供だというのもちょっと違う気がする。やることはちゃんとやっているのだから。何せ身の回りの世話がキチンとできているんだもの。
 今までの男達は一人じゃ起きられないし、ひどいのになると旅の準備や、報奨金の受け取りも満足にできないのもいる。その点を考えるとヒイロはしっかりしている。
「……やだ」
 私はあることに気が付き思わず声に出してしまった。
「私……、ヒイロのことばっかり考えてる」
 自分を驚かせる独白。今のはどう考えても恋する乙女の台詞だ。
 まさか、そんなはずはない。
 いや、そうなのだろうか?
 でも思い当たる節は結構あったりする。剣を使う姿に見とれてしまったこともあったし、私のなんて事のない言葉を覚えていて、クリスの誘いを断ったときも、顔が赤くなるほど嬉しかったし、ヒイロが私の服装の本筋をわかってくれて、なおかつ誉めてくれたときは……。
 ……ってマジ?
 思い当たる節がここまであるとなると、もうほとんど否定はできないのかもしれない。釈然としない気持ち。
 よく分からない気持ち。
 それらの気持ちもこう考えれば説明がつく。

 ヒイロを好きになってしまったからだ。

 B級な表現で申し訳ないが、胸がときめいていたのだ。
 わからなかったのは、こういう気持ちを持ったのが五年ぶりだったからだろう。
「……ダメ……」
 ダメよ! あの時誓ったじゃないの。自分から好きにはならないって。イヤになるほど思い知らされたじゃないのよ。恋愛は好きになった方が負けだって……。
 そうだ。この気持ちは忘れよう。いや、私はヒイロに恋愛感情なんて抱いてない! そうだ。私が男に恋愛感情なんて抱くわけがないのだ。
 ……もう寝よう……。
 ……もう何も考えるな! 私は寝るんだ! 私はシーツを頭からかぶり体を丸くする。
 明日も早い! 寝るんだ! こんな事をしても無駄とわかっていてもシーツが破れるくらい強く掴んでいる自分。
 力んでいて寝られるわけがないのだ。でもどうしようもない。へとへとになるまでもがき続けるしかない。大丈夫、悩むのは慣れているんだから……。

***

 微睡む意識の中。はっきりとしている想いがあった。
 ……バカみたいに好きだった。その人のすべてが好きだった。その人のする事ならなんだって許せた。自分でもどうしようもないくらい強く想っていた。
 だから……、だからその人も私のことを想っていてくれるんだと思っていた。私だけを強く想っていてくれるんだと思っていた。
 少なくとも私にはそう言ってくれた。お前だけだって。お前が世界中で一番好きだって。何の疑いもなく信じていた。
 絶対的なもの。普遍的なもの。それが愛なんだと思っていたから。
 魔法学校に通っていた頃の私。一つ年上の格好いい先輩。恥ずかしいくらいありきたりの恋。
 今日も指定の制服を着て、鞄を持って彼を待つ。夏も終わり、風が冷たくなってきたので、ただ突っ立ているのは辛かったけど、ここで待っていれば必ず彼に会える。
 彼はクラス委員をやっているから他の人よりも帰りが遅い。本当はクラスまで迎えに行きたい。寒いからだけじゃない。一秒でも早く会いたいから。でもそれじゃあ迷惑かけちゃうよね。
「おおっユリア。待たせちゃったな」
 爽やかという言葉がしっくりくる笑顔。
「ううん。あんまり待ってないよ、ランス」
 本当は三十分くらい待った。今日は担任が休みで、帰りのホームルームが早く終わったから。
「あっ……」
 不意にランスが私の手を握る。思わず声を漏らす私。
「手が冷たいぞー。本当は待ってたんだろう?」
 暖かくて優しい手。冷えきった躰も、心も暖めてくれる。何でもない一つ一つの動作が私の心を揺さぶった。
 私の初恋だった。背が高くて、頭が良くて、優しくて。みんなの憧れの的だった彼が好きだった。
「帰りにどこか寄って帰ろうか? あったかいもんでも食べようぜ」
「うん」
 本当に幸せだった。自分が幸せ者なんだと疑わなかった。そして、この幸せはずっと続くものだと思ってた。

 でも……。

 暖かな日常からあの日へと場面が変わる。忘れられない景色。人の少ない教室。私とランスがつきあい始めて半年の年月が流れたその日。いつもの場所で待っていたけど、待ちきれなくなってしまったあの日。
 幸せ一杯の笑顔でランスの教室へ向かう私。どんな反応をするんだろう? ビックリするかな? みんなの前だからって照れるかな? ちょっとしたいたずら心も抱きながら足を早める。
「いいのぉ? 可愛い彼女が待ってるんでしょ? あんまり待たせるのも悪いんじゃない?」
 教室のドアを開けようとしたときに聞こえてきた声。
 聞き覚えのある声だったし、今の言葉はおそらく私のことを指していたので思わず手が止まる。
「いいんだよ」
 最愛の人の声だった。でも、聞いたことのない声色だった。
「あー、ひどいこと言ってるぅ」
 何? この会話。
 固まったまま動けない私。
「いいんだよ。あいつ俺の奴隷みたいなもんだから」
「もしかして恋の奴隷とか言いたいのぉ?」
「かはははは、古い表現だけどその通りだよ! 愛という餌をやって飼ってるみたいなもんだ」
 ……何? 何コレ?
 でも間違いない。私が聞き間違えるはずはない。最愛の人の声、ランスの声を。
「まったく酷い男ねぇ」
「でもさぁ、おまえだったら本気になれそうだな」
 嘘でしょ?
 ……聞き間違いだと思いたかった。ランスが私以外の女に愛の言葉を囁いていることを。
「あーら、どうせ嘘だろうけど、騙されてもいいかなーなぁんて」
「じゃ、俺が編み出したとっておきの魔法をかけてやるよ」
「え? あ……ん……」
 信じていたものが音を立てて崩れていく。
 信じて疑わなかった、愛という絶対的なものがガラスのように砕け散っていく。どんなものにも壊されることなんて無いと思っていたものが、薄く脆いガラスのように粉々に。
 信じていたものに裏切られた。
 果てしないほど大きな想いを踏みにじられた。
 その先に生まれた感情。それは少女の心では抱えきれないほどの悲しみ。

 ガラッ!

「てんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
 ……ではなく、爆裂魔法よりも凄まじい怒りだった。


 今日もイヤな目覚めだった。もう三日もこんな目覚め方をしている。三夜連続過去の夢を見るなんて……。
 寝不足のせいで悲鳴をあげている頭を押さえつける。
 あの後? 本当に爆裂魔法をぶっ放してやったわよ。それぐらいされても文句は言えないぐらいのことをしたんだから当然の報いでしょ?
 ……その後退学処分になっちゃったけどね。
 ランスとの愛が偽りのものだと知ったとき、すべてを失ったと思った。
 でも、違っていた。私があんなに恋にのめり込んだのには理由があったからだ。
 あの頃の私は夢を見失っていた。自分が女だと言うことで、勇者になると言う夢をなくしてしまっていたから、どうしようもない喪失感があった。
 心にぽっかり穴が空く。まさにそんな感じ。だから何かでその隙間を埋めたくなっていたのだ。
 そこに格好いい先輩からの告白。慌てて空いた穴を埋めるのには充分すぎるほどの材料だった。
 初恋という甘い媚薬に酔っていただけなのだろう。だからすべてを失ったと表現するのは少し違うのかもしれない。心に空いた穴に無理矢理詰め込んだものがとれてしまったという感じだろうか。
 だから悲しみよりも先に怒りが生まれたのかもしれない。もちろん傷つきもしたし、悲しみもした。しかしすぐ立ち直れた。
 その後、私は独学で魔法と戦闘と男の騙し方を学んだ。あきらめかけた夢を叶えるためだ。考えてみればランスには感謝するところもあるのかもしれない。本来の自分の夢と、男というものを教えてもらったのだから。
 恋愛は好きになった方の負け。これはこの時得た私の教訓である。
 惚れた欲目。あばたもえくぼ。こんな諺もあるくらいだ。恋愛感情は人を狂わせる麻薬のようなものなのだろう。
 だから私は男を好きにならないと決めたのだ。麻薬に魅せられた人間はいいように操られる。誰だって操られる側の人間にはなりたくない。
 そうだ。私は男を好きにならない。恋愛感情を抱かない。そう決めたのだ。イヤな夢だったけど、これが再確認できたんだから見られて良かったのかもしれない。
「さぁて!」
 自分に気合いを入れるためにかけ声を上げて体を起こす。
 色々考えても仕方がない! 今日も一日頑張っていこー!

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